1. 新知識観としての「分かちもたれる知能」
教育研究の中で現在話題になっている知識観に,「分かちもたれる認知(distributed
cognition)」という考え方がある.これまでの伝統的な知識観は,すべて個人の頭の中に蓄えられる情報体系,あるいは知識の構造といったものを問題にしてきた.これに対して,いわゆる「状況的認知(situated
cognition)論」を唱える研究者たちは,「われわれが通常用いている知識は,それが用いられる状況や文脈の中で適切に生起するものであり,身の回りの道具や他者との間に分かちもたれているのであって,決して特定の個人の中にしまい込まれているものではない」と主張する(Brown,
Collins, & Duguid,1989).
そうした「状況的認知論」を唱える研究者達は,日常の文化的活動の中で生起する学習の中でみられる,「正統的周辺参加(legitimate
peripheral participation)」という形態を重視する(Lave, &
Wenger,1991).この捉え方では,教授・学習とは文化的活動の一つとして,その他の活動となんら変わりはないものと考える.われわれが,これまで人生の先達から自然と教えを受けてきたように,自ら文化的活動の中に参加し,自分の能力に見合っただけの貢献をしながら成長する営みとして,教授・学習過程を捉え直すのである.この背景には,「同じ文化,共同体の中でも異なる個人は異なる能力,技能を兼ね備えており,それぞれの能力をまず生かしながら社会,共同体に参加,貢献することが学習の第一歩だ」という原則がある.積極的に自らが参加すること−−これを除いては真の学びはありえない.今われわれが教育の中で問い直さなければいけない問題は,こうした文化,あるいは共同体を教室の中に作り上げることができるだろうかということである.
2. 知識構築を支援する学習環境:CSILETM
「Computer-Supported Intentional Learning
Environments(CSILETM)」プロジェクトは,トロント大学オンタリオ教育研究所(Ontario
Institute for Studies in Education of the University of
Toronto)のProf. M. ScardamaliaとProf. C.
Bereiterを中心に,教育場面での知識構築共同体の発達を支援するデータベース・システムの開発を目的として実施されている研究プロジェクトである(Scardamalia
&
Bereiter,1994).CSILETMはこれまでの認知科学における学習研究の知見をもとに,そのDesign
Architectureが考えられている.
主体の自発的学習活動を支援するデータベース・プログラム. CSILETMは教室で生徒たち自身が自分たちの疑問・知識と学習すべき単元内容とを考え合わせながら,自ら知識のデータベースを構築していくことを支援する目的で開発されており,学習当初はデータベースの中に何の情報も蓄えられていない.情報をインプットしていくのは,その学習者当人である.学習者は自己の考えをテキストとグラフィックスのモードを用いてノートとしてデータベースの中に蓄えていく.異なる思考の段階の知識を分類するために,問題解決のどのステップに関わる情報・あるいは知識なのかを,Thinking
Typeといった属性を付与することで整理する.これによって,あとで「自分が疑問に思っていたこと」,それについて「獲得した新たな情報」,「自分が以前に考えていたこと」,などを分類しながら検索,修正していくことも可能である.このように,自発的学習に必要な問題解決のアプローチをより外的に操作する機会を与えることによって,学習者の反省的思考を促進しようというねらいがある.
学習者は知識や考えをPublic
databaseに公開し,共同体の知識ベースの拡張に貢献. 構築されるデータベースは,基本的にpublicである.よって,そのデータベースへアクセスできる者は,他者のノートを検索し,それを読んだり,なにがしかの意見があれば,コメントをリンクさせることができる.あるノートにコメントがリンクされると,ノートの著者は自分が次にシステムにログ・インしたときにそれを知ることができるようになっている.こうしたいわば非同期的なコミュニケーションのチャンネルが,教室の同期的なコミュニケーション・チャンネルに付加されるわけである.この非同期的なチャンネルで生徒たちが話し合うのは,自己の知識や他者の知識についてであり,それが物理的な時間軸を越えた状況で実施される.すなわち,「〜さんが1週間前に考えていたアイディアは,私の今の疑問をある程度解決してくれる」,あるいは「私が1ヶ月前に考えていたことと,今考えていることは最終的には同じになった」といったような知識構築に対する認識が生まれてくるのである.
カリキュラムへのCSILETM学習の位置づけ. 授業は,まず教師の指導にもとづいて自発的学習を進めていくターゲットとなる内容が導入されることから始まる.ついで,それについてのディスカッションや,実験・調査などが行われる.その後,通常約5〜7週間のCSILETMを用いた知識構築活動にはいる.協力校の教室には,生徒2〜3人に一台の割合で,マッキントッシュのデスクトップ・コンピュータが幾つかのセクションをなして配列されている.
子どもたちは前以て決められたセクションで,決められた時間内に自由にデータベースを操作し,自分なりの学習を展開することができるのである.こういった学習環境で教師が果たす役割は,あくまで子どもたちの学習をサポートするより身近な存在であり,教師専用に別に確保してあるコンピュータをとおして,クラス全体のデータベースの出来具合をチェックしたり,適切なコメントをつけたり,また自己も一人の学習者として同じ問題を解決していくといったことが考えられている.
3. 今後の展開
WWW
versionの利用による学習共同体の拡張. '90年代中盤まで,その開発の主眼はLANをベースにした教室あるいは学校単位でのコミュニティーに焦点化してきた.インターネットのインフラの整備とともに,その学習共同体を同学年,同地区の生徒たちに限ることなく,また,学校教育の枠組みと異なる学習の文脈で活動している公的機関や財団との連携を考え,WWWのホームページを介したCSILETMの利用が開始されている.こうした汎用性の拡張に則して,世界各国でCSILETMを用いた教育実践のプロジェクトが展開しており,文化的差異を鑑みたうえでの情報テクノロジーの教育利用について対話を展開する素地ができつつある(例えば,Oshima,1998).
CSILETMの第二世代の開発. CSILETMのデザイン哲学は,第二世代へと移行し,現在「Knowledge
ForumTM」というコマーシャル版が販売されている.これまでの認知科学的研究を踏まえたうえで,大幅にインターフェースを改善し,より精緻化した学習環境システムとして,評価されている.これまでのテスト・スクールはCSILETMからKnowledge
ForumTMへとその環境を移行させ,更なるカリキュラム開発が進行している.
4. 参考文献
Brown, J. S., Collins, A., & Duguid, P. (1989). Situated
cognition and the culture of learning. Educational Researcher,
18(1), 32-42.
Lave, J., & Wenger, E. (1991). Situated learning: Legitimate
peripheral participation. Cambridge, NY: Cambridge University
Press.
Oshima, J. (Chair) (1998, April). Multicultural use of a knowledge
building technology. Structured poster session at the annual
meeting of the American Educational Research Association, San
Diego.
Scardamalia, M., & Bereiter, C. (1994). Computer support for
knowledge-building communities. The Journal of the Learning
Sciences, 3(3), 265-283.