公開シンポジウム
『長寿社会をよりよく生きる』
期日:平成12年11月11日(土)13:00〜15:00
場所:もくせい会館(静岡県職員会館)富士ホール
基調講演
「明るい長寿社会づくりと学習」 ▼JUMP
星 猛(しずおか健康長寿財団理事長)
「地域活動と家族力」 ▼JUMP
林 のぶ(静岡県教育委員)
「こころの健康」 ▼JUMP
石川憲彦(静岡大学保健管理センター所長)
パネル討論 ▼JUMP
司会 中井弘和(静岡大学副学長)
司会(柴垣):
皆さん、こんにちは。静岡大学生涯学習教育研究センター主催の学外公開シンポジウムにお越しいただきまして、ありがとうございます。本日は、「長寿社会をよりよく生きる」というテーマで、先生方にご講演いただいた後で、ディスカッションしていただく計画でおります。開催にあたりまして、生涯学習教育研究センター長滝欽二よりご挨拶申し上げます。
滝センター長:
皆さん、こんにちは。センター長の滝でございます。本日のシンポジウムを開会するにあたりまして、一言ご挨拶申し上げます。静岡市恒例の大道芸ワールドカップも先週、大盛況のうちに終了し、市内では樹木の葉が紅葉しはじめ、実った稲や果実などを収穫すべきすがすがしい秋晴れを迎えました。週末の午後でなにかとご予定がおありのところを、私どものシンポジウムに、ご覧のように多数お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
当センターは、設立されまして4年目を迎え、これまで2回の学外シンポジウムを開催してまいりました。平成10年2月には、センター開設記念としまして「大学開放と生涯学習」と題するシンポジウムを、また昨年11月には、大学創立50周年記念といたしまして「大学と地域の豊かな共生を目指して」というテーマでシンポジウムを行いました。
そして本日の第3回は「長寿社会をよりよく生きる」と題しまして、少子高齢化社会の進展と生涯学習社会への移行にともなって、長寿社会といわれるこれからの社会をどう生きるか、心身ともに健康で、質の高い、生きがいのある生活を送るためにはどうしたらよいかということに焦点をあてたシンポジウムを企画した次第でございます。
本日は、しずおか健康長寿財団理事長の星猛先生、静岡市教育委員の林のぶ先生、ならびに本学保健管理センター所長の石川憲彦先生に、長寿社会における生き方を基本テーマにそれぞれの視点から基調講演をいただきます。そして後半の部では、本学副学長の中井弘和先生に司会をしていただくパネルディスカッションを予定しております。「長寿社会をどう生きるか、よりよく生きがいを持って人生を送るためにはどうしたらよいか」というテーマは、現代社会においては高齢者の方に限らず、どの年齢層にとっても身近で切実な問題であります。どうぞ客席の方からも率直なご意見をお聞かせいただければと思います。
振り返れば、先ほど申し上げましたように、本学も昨年節目の50周年を迎え、今年度からは後半の半世紀に入ったところであります。これまで、教育と研究において、しゃにむに自立しようと頑張ってきた前半世紀を終え、静岡大学もこれからは学外という「社会」にさらに目を向け、地域社会との共生をはかって大学としての新たな生きがいを模索する時期に来ております。今回のシンポジウムは、これからの高齢化社会を個人としてどう生きるかを探るテーマではありますが、ここでの議論は静岡大学がこれからの「生きがい」を持って活動していくための手がかりを与えてくれるものと思います。そしてこれらの手がかりを当センターの今後の運営、事業推進に生かしてまいる所存でございます。
平成9年度に開設された本学生涯学習教育研究センターは、今回のような公開シンポジウムに加え、県内での公開講座、出前講座あるいは社会教育主事講習などの各種の事業を通じて、大学開放ならびに地域との連携に関わる事業を企画・運営してきております。このような中で静岡大学をより多くの方々に知っていただく機会として、ちょうど来週の土日、18・19日の両日、静岡市の大谷キャンパスで、第51回大学祭に合わせ、「静岡大学キャンパスツアー2000」と題して、静岡大学の教育研究施設や学内の自然・遺跡を案内する体験ツアーを実施いたします。本日ご出席の方々も奮ってご参加いただければ幸いでございます。
最後になりましたが、本日の講演、パネリストをお引き受けいただいた講師の先生方には、ご多忙のなか御時間を頂戴いたしまして、まことにありがとうございました。またこのシンポジウムを御後援いただきました静岡県教育委員会、しずおか健康長寿財団、ならびに静岡県社会福祉協議会の関係の方々に対して、厚くお礼申し上げます。ご参集の皆様には、最後までご静聴いただき、またパネルディスカッションでは活発なご意見をいただけますようお願いいたしまして、開会のご挨拶にかえさせていただきたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。
柴垣:
センター長ありがとうございました。第1部の基調講演の方の司会を滝センター長にお願いしまして、進行してまいりたいと思います。
司会(滝センター長):
それでは、最初のご講演を「明るい長寿社会づくりと学習」と題しまして、先ほど申し上げました、しずおか健康長寿財団理事長の星先生にお願いします。星先生は、現在はしずおか健康長寿財団の理事長でいらっしゃいまして、前年までは静岡県立大学の学長をやっておられました。資料に略歴が載っておりますが、今日は時間の都合上、割愛させていただき、早速に講演に入っていただきます。それではよろしくお願いします。
「明るい長寿社会づくりと学習」
しずおか健康長寿財団理事長 星 猛
只今、ご紹介いただきました星でございます。今回のシンポジウムのメインテーマは、よりよく長寿社会を生きるということでございますが、まず最初に日本における高齢化、長寿化には、どういう特徴があるかというところから説明をしてまいりたいと思います。 日本では、高齢化が非常に進んでいることはどなたもご存知だと思いますが、高齢化は世界的にも同時に進行していることでございます。しかし日本の高齢化、長寿化というのは、世界の中でも突出しているという特徴がございます。そのため超高齢化社会にだんだん入りつつありますが、その点で日本は世界から注目を集めています。我々は何をしようとしているのか、何を外国の人々の質問に応えるのかということが問題になってきます。
まず、超高齢化を示す指標として、「百才老人がどのように増えてきているか」ということを見てみます。10年ごとに百才老人が、何倍に増えているかというのを、西欧の先進12カ国と比較してみますと、西洋諸国ではだいたい10年経つと、百才老人が倍になっています。その倍率は、過去40年間ほとんど一定しております。ところが、日本だけは1970年ごろから、3倍、4倍、5倍と増えているんです(スライド1)。この増え方は、非常にすごいということで、それで日本は超高齢化といわれるわけです。
いつごろから高齢者が増えてきたかと申しますと、北欧4カ国の例でも1960年から急に増えてきています。デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンでは、みんな同じパターンで増えてきていて、現在もなお増えつつある(スライド2)。日本の場合も同様ですが、決して直線的に増えてきたわけではない。非常に急激で、倍々に増えてきているわけです。1960年までは、各県に一人いるかいないかというぐらいでした。1964年ですと、全国で70人いたんですが、これが1997年になりますと、だいたい7千人になっていますので、百倍になっているわけです。2000年には一万四千人、つまり二百倍です。あと10年、2010年になりますと、七万人、つまり千倍になると予測されます。さらに2020年になったら30万人と大変な増え方なんです。
このように百才老人が増えるということは、社会的な安定性だとか、経済状態がいいとか、医療制度も教育もいいと全部が重なってこうなったわけですから、非常に喜ばしいことなんですけど、百才老人の背後には、90才老人、80才老人が山ほどいるわけです。それも同時に増えてくる。つまり、後期高齢者がどんどん増えてきているわけです。それ自体はめでたいことで、かつありがたいんですが、一方後期高齢者が増えるとどうしても要介護老人も増えてきます。だいたい70才になると10%、80才になると20%、それから90才になると35%、百才になると50%くらいの人がもう寝たきり老人、呆け老人、あるいは要リハビリ老人という状態になるわけです。しかし、我々といたしましては、人生の最後の時期に寝たきりになったり、呆けたりするのでは、非常に残念なことですので、何としてもこの後期高齢者の最後の時期を心豊かで、健やかに過ごすことが出来るようにするためにはどうしたらいいかということをいろいろ考え、対策を考えているわけでございます。国全体としても、いろんなことをやらないと、老人が増えて、社会が暗く、沈んだ社会になってしまう。やはり老人が健康で健やかに、そして明るく暮らして、あまり人の世話にならずに死んでゆく。そういう老人が増えれば、社会は暗くなりませんので、そういう社会にどうしたらもっていけるかというのが重要な課題なのであります。
まず我々が経験したことのない長寿社会、高齢社会、この社会をどうしたらいいかという目標を申し上げます。年をとっても死ぬまで、人の世話にならずに、健康で過ごしていけることが理想でございます。それに向けて努力していかねばならないわけです。人間には寿命があり、最後には死ぬわけですが、死ぬときには、いわゆる健康老死、(ヘルシーダイイング)といって、あまり人の世話にならずに、すんなりと眠るように死んでゆくようになることを目指すべきです。それにはどうしたらいいか、ということですが、健康長寿を保ち、幸せな老後の人生を営むために非常に大事なこととして、2つの要素(柱)があります。一つは、身体的に健康であること、健康な体を維持して長生きをすることです。もう一つは、豊かな生きがいというものを持つことです。ここに、「豊かな」と書いてあるのが重要なのであります(スライド3)。
まずは、体を健康に保つためにはどうしたらいいかというと、時間がございませんので、ここでは基本的に重要なことだけを申し上げます。「健康長寿」を維持するためには、いろんな要素がありますが、このスライド4に太く書いた3本の矢印がございます。この3元素は少なくとも、みなさんが守ることが重要であります。まず一番目には、「多彩な食品」と書いてあります。いろんなものを食べることです。これはエネルギーが過剰になってはいけませんけど、いろんなものを食べるということは、栄養学の大原則でございまして、何を食べたら健康でいられるか、食べ物には良い悪いというものはありません。何でもいいんです。ただいろんなものを混ぜて食べるということ、たまには、西洋料理や中華料理も必要でしょうけど、一番健康長寿にいいのは、日本料理ですから、それを中心にして、いろんなものを食べることです。食べることを大切にしませんと、先ほど申しましたようなヘルシーダイイングはできません。
2番目は、運動でございます。体を動かすというのは、決定的に重要なことです。ですから、スポーツをやられる人はスポーツもいいですけど、だいたい80,90才の人に、「運動しなさい」、「スポーツをしなさい」というのは無理な話です。そのとき、できるだけ歩くことを進めます。それも散歩のような歩き方では、時間がかかりますから、もっと簡単な歩き方でよろしいです。つまり、口の中で「オイッチニ、オイッチニ」と口ずさみながら、「ニ」のときに、ポンと足に力を入れるようにする。そうすると、関節と骨に刺激が加わりますから、足腰が強くなるわけです。あるいは、「ドンチャッチャー」の3拍子で、「チャー」のときに、力を入れてください。階段を昇るときにも、「ドンチャッチャー」と昇ると簡単に昇れます。一つ良いのは、年をとるとみんな歩幅が狭くなって、すり足で歩いてしまう。これは大変危険です。転びます。意外と私くらいの年代の人は、転んで骨折した人が多い。それを防ぐためには、「ドンチャッチャー」と歩けば、すり足になりませんから、そのようにして歩くことが大切であります。
第3番目に重要なこと、これは高齢者の場合、特に大事なことですが「会話」、あるいは「ワッハッハ」と笑うことです。そのためには、友人や仲間と仲良くしてなくては駄目です。これは何故かというと、脳というのはやはり退化していきますから、呆けてくるわけですね。呆けを防ぐのに、一番いいのは会話であり、ワッハッハと笑うことであります。これを大切にすること、この3本の柱が何といっても重要です。
次に「生きがい」というのがございます。生きがいというのは、「生きてていいなあ」と思うこと、生きることに張り合いを感じるということですね。生きがいというのは、日本の国民にとっては特に重要なことです。なぜかというと、日本人は宗教的な影響が少ない国民であります。ですから、命と神との関係というのは、あまり日本では考えませんから、そうするとどうしても宗教と関係がない生きがいが大切です。生きがいを分析してみると、3つに大きく分けることができます(スライド5)。1つは、日常生活の基本的なものとの関連によって、生きていることを実感する。例えば、「ごはんを食べた」、「みそ汁を吸った」、「おいしかった」。あるいは、庭に出て景色を見て、「きれいだな」と思う。こういうような生活に結びついた基本的なことです。基本的生活機能というのは、だいたい大脳の下のところ、脳幹というんですが、そこを使うので脳幹性の生きがいとも呼んでおります。
その次に、重要な生きがいというのは、情緒とか感情、本能に関連したもので、これは家族とか孫とか友人とか、あるいはスポーツをしたり、旅行をしたりといったようなこと、これは情緒や感情を喜ばせてくれるものであります。脳の中では、本能と関係していますから辺縁系が重要ですので、辺縁系性の生きがいということができます(又は旧皮質性生きがい)。もう1段上には、知的な生きがいというのがございます。仕事もそうですが、クラブ活動であったり、ボランティア活動であったり、社会奉仕だったり、芸術を楽しむ、それから調査や学問をしたりするのは、頭を使う。これは前頭葉が関与してきますので、前頭葉性生きがい(又は新皮質性生きがい)と呼びます。さて、間脳性生きがいですが、基本的なものですので誰でもたいてい持ってます。これだけで満足していては、豊かな生きがいとは言えないわけです。できるだけ、情緒や感情に関係したものがなければいけませんし、さらに進んでこの知的な生きがいというものも持つようにしなければならない。前頭葉性の方までいくためには、どうしても生涯にわたって、学習というのが必要になってくるわけです。その豊かな生きがいを持つようにするためには、各自の努力が必要ですが、社会もそれを助ける仕組みを用意していくことが大変重要になってくるわけでございます。
もう一つ重要なことは、年をとりますとだんだん「オレは年をとっているから」という諦めの気持ちが起こりますし、「もう年なんだから、当然若い人の世話になるんだ」という考え方を持つようになりがちです。今、デンマークとかスウェーデンとか、福祉先進国では、そういう人に頼る、メイド・召使い症候群とか養老院やナースのいる老人施設なんかに入ると安心して生活できるのではないかという施設症候群というのがあるんですが、そういうものもできるだけ取り払おうと努力しています。人間というのはやはり死ぬまで歯をくいしばってでも、我が家にとどまって、できるだけ自分で独立した生活を営むようにしていかなければならないという風潮が、今、福祉国家では盛んに言われているのであります。私は常々、申しておりますが、年をとったら「老骨にはむちを打て」と言うんです。貝原益軒も養生訓の中で申しております。また、「眠りの欲を抑えろ」とも申しております。昼寝は最も良くないことは、老人の場合には、食べる、動く、もう一つは休養ではないんです。会話することです。休養して、昼寝をしている老人というのは、必ず呆けてくるわけです。だから年をとったら、眠気にもむちを打って、体を起こしていくことが必要です。
時間もまいりましたので、最後に申し上げたいのが、私どもの生きる力、生命力という問題です。スライド6には、統合的生命力と書いてありますが、体のすべての器官が協同して作り上げています。心臓も、腎臓も、肺も全部が協同して奏でている交響曲のようなものです。バイオリンがあり、チェロがあり、フルートもあるオーケストラのようであります。そして発育期というのは、だいたい20〜25才くらいまでなんですが、これはオーケストラで言えば、第1楽章です。そして働き盛りの中年、壮年期は第2楽章に相当するわけです。この高齢期、あるいは老衰期というのは最後の部分になりまして、これは第3楽章です。この見事な生命のオーケストラを演ずるようにしなければなりません。そして死ぬときには、ここに書いてありますように、病によらざる自然死で、健康老(寿命)死の形で死ぬのが最も幸です。芸術家のゲーテという人は、最後まで机に向かって、ちょっと手が疲れたと言って、膝かけの上に手を置いて眠るように死んだんですが、その瞬間に「もっと光を、もっと光を」という字を書いて死んだ由ですが、そういう死に方ができれば一番あっぱれです。欲を言いますと、このときに周囲の人が集まって、第4楽章を歌ってくれれば、一番いいと思います。(笑)つまり、ベートーベンの第九交響曲の第4楽章というのは、合唱付きなんですね。多くの人が集まって、みんながいっしょに、その人を誉めてくれるような死に方をするのが、理想ではなかろうかと私は思います。それに向けて、みなさん努力をしていただければありがたいと思います。
今日は、2人の若い先生方が、心の問題、それから家族、家庭の問題をお話いただくことになっていますが、みんな大変重要なことであります。しかし、とどのつまりは自分の生命は自分で奏でなければならない。その壮大なる交響曲の楽譜は誰がくれたかと申しますと、それは親が遺伝子としてくれたわけです。それを我々の体が合奏して、見事な人生を送るのが、大変すばらしいことであり、そういうふうに自然死、健康老死を完成するためには、みんな豊かな生きがいを持ってなくてはできません。未完成のまま終わってしまう、シューベルトの未完成交響曲のように未完で終わるのでは残念です。途中で病気をしても、「何くそー」という気持ちで、乗り越えて第3楽章を完成する人もたくさんいます。ですから、体は大切にして、見事な人生を送れるように、どうぞよろしくお願いしたいと思います。
司会:
どうもありがとうございました。時間がなくて申し訳ないんですが、後ほどのディスカッションで、言い足りない部分をお話いただきたいと思います。
それでは続いて林のぶ先生ですけど、林先生は静岡市出身で、現在静岡市教育委員、それから静岡県女流美術協会代表とスペースN代表です。元「あざれあ」の所長さんでもあります。それでは林先生よろしくお願いします。
「地域活動と家族力」
静岡市教育委員、元静岡県女性総合センター所長 林 のぶ
こんにちは。林でございます。レジュメを見ていただきながら、お話したいんですが、今、星先生からのお話がありましたが、実は私は昨日、ヘルシーダイイングのまさに典型である大久保婦久子先生の葬儀に出て参りました。みなさん、ご承知のように文化勲章をいただいた次の日に亡くなりました。静岡県女流美術協会が、10周年を迎えましたので、今年の5月に先生に審査していただいて、その日にお会いしたのが最後になってしまったんですが、先生が帰りに、「私、急いで帰るのよ」と言うので、静岡駅までお送りしました。お帰りになる理由は、家に91才のお姉さまがいらして、介護していらっしゃるとのでした。そのように、「最後の瞬間まで先生はがんばってしまったんだな」と思いながら、昨日参列してきたところです。何故こういうことを申し上げたかと言いますと、あざれあの1階のロビーに先生の作品の最大のものがあります。先生とお会いしたのは、平成元年なんですけども、当時あざれあは建設中で、私どもがもらいました予算というのは、今あります作品の4分の1程度でした。先生にお会いして真っ先に、私は「先生、予算はこれしかないんですが」と申しましたら、「いいわよ、壁いっぱいやりましょう」と言われまして、2メートル×5メートルの作品になりました。あの作品は時価1億とも言われています。ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。作品は下田市やその他のところにもありますが、先生の一番大きな力作。地元でしかも女性たちのためにお作りになった作品をぜひ大勢の方に見ていただきたく、最初にご紹介させていただきました。
レジュメにありますように、私は「地域活動と家族力」という言葉を使わせていただきました。家族力というのは、そこにございますように、「家族の危機と家族のストレスをどう乗り越えるか、その家族が備えた適応力と対処能力を意味する」ということでして、「教育と医学」1999年6月号で小此木先生が書いていらっしゃいます。先生は、この家族力という言葉を使わないで、1983年、「家庭のない家族」を出されたときに、すでに違った言葉で、これを言い表しておりました。「相互性」いわゆるお互いにどういうふうに役割とか肩代わりをしていくのかというような言い方をされておりまして、改めて先見性があるな、ということをつくづく感じたところでございました。
それでここにありますように、小家族化の家族力ということで申し上げるには、日本の家族の状態というのが、一体どうなっているのかを見ていただきたいと思いまして、レジュメの次のページにあります資料、これは平成12年の厚生白書で、(実物を示して)重いんですが今日持ってきました。政府刊行物関係では、これはベストセラーと言われていますが、私もとてもおもしろいなあと思いまして、毎年読ませていただいているんですが、厚生白書が変わったのは、平成10年でございました。この時には、30代の女性職員が思いきって、今までのイメージを変えて作ろうということで、こういうふうになりました。
この白書は、「少子社会を考える」というサブタイトルでしたが、平成12年の今年は「新しい高齢者像を求める」というのが、サブタイトルでございます。21世紀の高齢社会を迎えるにあたって、ということで資料に使わせていただきます。第1章の「多様な高齢者」という項では、「子どもとの関係、同居率の低下」というのが挙がっています。50%は子どもと同居している状況を、サッとご覧になるとまだまだ日本の家族の形態というのは、変化といってもそう大きくないとお思いになるかもしれませんが、1980年のところを見ていただきますと、およそ70%だったのが、50%にまで低下しています。そういうふうに見ていただきますと、家族形態別にみた高齢者の割合の中で、子どもとの同居率の低下が非常に顕著になっているということです。次のページをご覧いただきますと、人口の構成比の方からみましても、これは推定値まで入っておりますが、わかりやすい表になっています。もう1点は、同居はしていないけれど、子どもとの距離ですね。そこに新しい言葉が出てきています。準同居・近居という書き方をしております。準同居というのは、同一敷地内に住んでいる人。それから近居はスープの冷めない距離です。これ以外によく使われるのが、「二世帯住宅の怪」という言葉がございます。静岡県の住まいの文化賞というのを作りまして、特に高齢社会に向けての審査をしましたときにも、この言葉はよく出てきました。二世帯住宅の怪の意味はおわかりでしょうか。二世帯住宅をせっかく造ったんだけど、最後はお互いに行き来できないように、ドアに鍵がついてしまったとか、ヘタをすれば、一方が外に出てしまって別々に暮らすようになる、そういうことを言います。
そういうことを含めて、いわゆる同居率が下がっていますけども、独立しながら互いに関係を保っていくという意味では、形が変わってきたとみていただければよろしいかと思います。これらから、4点について、今まで私どもが思っておりました家族の形態との違いを申し上げることができます。
一つは家族の多様化です。かつては、家族といいますと「血縁による親族関係を基礎にした集団」を指したのですが、この平成10年の厚生白書を見ますと、「キメラ家族」の出現と言っています。キメラというのは、怪獣のキメラとガメラが合体して1体を成していると言う、血縁を伴わない人々が家族を構成していく様を表す言葉です。家族の多様化がこれからは増えてくるだろうということの典型として紹介されていました。
それから2番目は、希薄化です。希薄化につきましては、平成7年、ちょうど私がセンターにおりました頃、「静岡県の若者たちは今」ということで、中、高、大学生を対象とした調査をとりまして、「家の中で信頼する人」というのを聞いたんですが、自分の信頼する人を聞いたところ、「そういう人はいない」という回答が中、高の特に男子で30%もいました。同じ家庭の中にありながら、希薄化の問題が生じている。
それからもう一つは、個人化です。全体から言いますと縮小化です。これらを平成12年の厚生白書では、小家族化の進行という言葉を使っています。それは一口にどういうことかと言いますと、今まで核家族と言いますと、夫婦と子どもというのを言っていましたが、現在は夫婦だけもしくは、一人親、(母親と子ども、あるいは父親と子ども)というような同じ核家族でも、中味が変わってきているわけです。先ほど、多様化と言いましたけど、そういう4点で現在の家族の変化というのを言い表せるのではないかと思います。これは先ほどから申し上げているように、10年度あるいは12年度の厚生白書をじっくりお読みになりますと、日本全体の傾向としていえるということです。これらを含めて、私たちが今まで経験したことのない20世紀日本社会の最大の変化を、「結婚の形態、家族の形態の崩壊」と、海老坂武氏は「新シングルライフ」の中で分析をしております。
このように家族の形が変わってきたことで、特に夫婦のみではいいんですが、独居化した場合には、健康な間はいいですけど、動けなくなったりすると家族力を補完するものがどうしても必要です。ヒューマンネットワークというんでしょうか。それらをこれから社会の中で構築していく必要があるんではないかということで、2番目に家族力を補完する地域活動といたしまして、私が関わっているグループの紹介を詳しくさせていただきたいと思います。
次、3ページをご覧いただきます。「たすけあい遠州」というNPO法人の組織です。3と4をご覧いただきながら、少し説明させていただきます。この中心となっているのは、稲葉ゆり子さんという人で、すでに皆さんいろいろなところでご覧になったことがあるかと思いますが、朝日新聞や静岡新聞とか、あるいは「主婦の友」でも紹介されていますし、様々なところで、紹介されているんですが、私が言いたいのは、とてもしなやかに活動していて誰にでもできそうなのに、それがなかなかできにくいという、そういう状況を少しお話しておきたいのです。
この「たすけあい遠州」の仕事ですが、たすけあいの活動と、学び、それからリサイクルというのが主な活動です。たすけあいの活動というのはどういうものかというと、4ページにありますように、入会金2千円に年間費千円で、今197名の会員がいまして、この会員はどのようにして集まってくるかと言いますと、困った人、困ってない人、言い方がまずいですが。全部いっしょに会員になっているということです。それはどういうことかと言いますと、「困ったときでは遅すぎる。普段から困っていないときから、困ったときはお互い様」という関係を今作っておく団体なんです。活動の一つは、そこにあります「ごっつおうハウス」というもので、食事を作りまして、宅配をしています。一食400円で、今は50食程度分けているようですけど、現実には原価475円だそうです。あるとき、「これではとてももたないから、値上げをしましょうか」ということになったら、会員たちが「いや、できるだけこれでやりましょう」、「私たちが自分の畑で、できたものを持ってくるから」ということで、現在400円でおさえて活動しているようですが、「ごっつおうハウス」というのを一つ創りました。最初は、稲葉ゆり子さんの家の台所を使っていたんですが、それでは社会のみんなのものにならない。一人の家に好きな人だけが、集まっているというのではよくないということ、誰もが志を持てば参加できるように3年ほど空いていた家を借りて、そこで食事づくりを始めました。
それから、活動を見にきていらっしゃっていた方が転勤するときに、「私の家をぜひ、この活動に提供したい」ということで、「もうひとつの家」も展開したんです。非常に大きなお宅でして、庭も広いし、部屋もたくさんあります。月8万円でお借りしているようなんですけども、「あなたたちにこそ貸したい」と言って、おいていってくれました。「もうひとつの家」というのは、とてもいい言葉だと思います。自分のもう一つの家がそこにあるという考え方、展開の仕方でして、そこにあるように月曜日から土曜日まで、9時から16時までで、利用料300円、昼食代200円で、とにかく行ってフラッと覗いてみて、そして話し込んでしまって一日いたっていう、そんな感じで「やあいらっしゃい」と迎える人と利用する人がいるわけです。迎える人たちは、そこで働いた場合に、1時間600円をいただくんです。切符(時間預託)でもらうか、600円をいただいて、500円は自分、100円は事務局へ渡します。ただ、その切符が非常に有効でありまして、ご紹介したいと思ったんですけど、1例だけ申し上げます。
天竜市に両親が住んでいらっしゃる方のご長男さんが家を離れて、神戸で仕事をされているときに、奥さんがその地域の同じような活動をされている団体で活動されていて、そこでもやはりたすけあいの切符をいただいたそうです。そして「私は自分の夫の両親をお手伝いできないから、切符を差し上げますので使って下さい」ということで、ごっつおうハウスから毎週2回、天竜市へ食事が届けられるということです。私の所へもたすけあい通信(たすけあい遠州の情報)が毎回届きますが、ある日、記事を読んだ瞬間、涙があふれました。お嫁さんの名前はみち子さんというんですが、みち子さんが亡くなりましたという記事でした。一生懸命、切符を手に入れて、そして離れている夫の両親のために送った、その切符の送り手が亡くなってしまったんです。でも、あとに100食分の時間預託が残ったのです。ですから、みち子さんが亡くなっても両親のもとにずっと、あたたかい食事が届け続けられたわけです。心が残ったのです。
そういうたすけあいの精神が生かされるグループで仲間がそういう形をとっていますので、困っている人だけではなくて、これからの私たちのためにということも入れながら、お互いに緩やかな固まりをつくっております。時間がきてしまいましたが、たすけあいの精神、家族力を補完する活動というのが、これからは小さな固まりでいいから、たくさんの地域にあったらいいなというのが私の願いです。実は南伊豆、三島、そして清水それぞれにまた違ったもの、あと一つ子育てのことに関したものも、この次にあるんですが、時間もありませんのでお話はやめておきますけど、そういうグループがあちらこちらで活動をしております。私があざれあに居りましたときに、3番目にあります「学び」、これは「行動をもって完結する」ということをよく申し上げました。そういう意味で、一生懸命こういうものが必要だと問うだけではなくて、その必要を問いたことによって、行動を起こした人たちを少しでも応援したいなと思って、ときどき応援にかけつけるわけです。よりよく生きていくためには、「学びは行動をもって完結する」という、実践を含めた学びが必要ではないかと思うんです。しかも先ほど申し上げたような社会構造の変化の中で家族力を補完する行動が不可欠だと思います。それから2番目にもちろん楽しみも必要だと思います。
最後に「自分をこえる」ということですが、健康でありがたいということを謳歌するだけではなくて、そういう自分が自ら提供していく、自分に余力があったら、その余力を提供しながら、そしてまたそこで自分がもらうという、そういう活動がこれから必要ではないかなと思います。
中途半端になってしまいましたけど、稲葉ゆり子さんのところの「たすけあい遠州」には、ものすごく多くの見学者が訪れておりますけど、同じような動きができあがったということは、あまり聞いておりません。それはどういうことかと言いますと、やはり地域柄や、それからグループの構成員によって中味は非常に違ってくるからです。「この通りにやれ」というのではなくて、これを一つの参考にしながら、そこでこそできることを見つけていっていただければいいなと思います。そしてやり方として、肩肘を張らないで自分にできる範囲で提供していけばいいというふうに思います。
例えば、この活動の中で教えられたことは、自分の妻の介護に来ていただいた方に切符をお渡しする。だけど、その夫は違うお宅に行って庭仕事をする。そちらで切符をもらってくる。そうすると互換になるわけですね。そういう非常にしなやかな活動をされています。そういうふうにして見つけたならば、自分たちの回りにできそうなこと、自分を超える活動というのは、いくらでもあるんじゃないかと思います。それは自分が幸せになるだけじゃなくて、周りも幸せになることが長寿社会をよりよく生きることにつながるのではないかと思っております。たくさんの具体例は持っておりますので、また後ほどご紹介できればさせていただきたいと思います。
司会:
林先生どうもありがとうございました。ディスカッションの時間がありますので、講師の先生には、少し端折っていただいておりますが、次に3人目の石川先生です。静岡大学には平成6年からきていただいておりますが、現在は保健管理センターの所長であります。それでは石川先生お願いします。
「こころの健康」
静岡大学保健管理センター所長 石川 憲彦
こんにちは、石川です。実は星先生は私が新米の医者になったころ、大先輩でして、学生時代、私は授業なんか出ない人だったものですから、すれ違いに終わったことを今、くやんでいます。ドンチャッチャをマスターせず、私はドンチャまでで授業をやめてしまって大変損をしたようです。
それから林先生が言われたことで、赤ちゃんから老人まで、いっしょに時間をすごすこと、興味深く感じました。今、家に引きこもっている子どもたちを中心に、一般の子どもだけじゃなくて、子どもから大人まで集まろうという場を、仲間が集まって創り出しています。今日は、大先輩がいらっしゃるので身が縮んでいるんですけど、星先生が言われた話の中にすでに、精神衛生上の話が出ていますので、違う観点で一つお話いたします。呆けない話ですが、私の家族のときはうまくいきませんでした。今年の春、母が亡くなりまして、91才だったんですが、最後の半年呆けてくれるまでは、ずっと横に居たものですから、いがみあい、ぶつかり合いだったんです。でも呆けてからようやく心が通い合って、「呆けも捨てたもんじゃないな」なんて思うんです。
それから林先生が言われた「余力ができたら社会に」という。私の話では余力ができないままの格好で、社会を取り戻すというか、今のあるがままで社会に出向く。余力があるからやるのではなくて、一番できない状態でも社会へ関わる。そういう観点で、ちょっとお2人の話とは違う角度でお話しようと思います。その前に前提として、私自身、小児科医をしてまして、その後精神科をやっているんですが、主に子どもの思春期、青年期とつきあってました。私は年をとれば、少しは人間えらくなると思っていたんですが、むしろ教えられたのは子どもたちからの方が多い人生でした。3人の亡くなった子どもたちのお話をしてから、本題に入っていきたいと思います。
ひとりの子は、11才の白血病の女の子。3年ほど闘病生活をしまして、最後死に至ったんですが、髪は抜けてくるし、モノを食べたら吐くしで、苦しい末期でした。周りが見ていられないくらい、1年ほど生と死をさまよっていたんです。亡くなる前、一番最後に私のところに来て、「私が死んだら、お母さん悲しむだろうか。なるべく悲しませないようにしてね」と言いまして、それから数時間後に亡くなりました。最後、お母さんに向かって、「私の分までがんばって、天国から見てるから」と言いました。私はちょっとすごいと思いました。私が最後まで生きてもこんなことは言えない。
その次にお話したいのは、生まれたときから重度の障害がありまして、6才で亡くなった子。全く何もできませんで、そういう意味では生まれてきてもしょうがない、何の価値もない命と思われかねない人生でした。1才で肺炎を頻回に起こしまして、2〜3才では元気になったんですが、相変わらず何にも反応がなかったんですね。ただ2つだけ反応があって、一つは、食べ物が食べられない。ちょっとでも口に食べ物があたるとつっぱってしまう。食べることをものすごく嫌がります。人間の一番の楽しみなのに、本当に嫌がった。ですから亡くなったときは、6sぐらいしかありませんでした。6才でしたけど。それでも元気になった3才の夏、お母さんが「家族でキャンプに行きたいんですけど、一泊くらいこの子を連れていっていいかしら」と言い出した。私は複雑な心境で「キャンプに行けば楽しいけど、この子はね」と言ってしまったんです。でも「いやそんなことはない。この子の肌は、何かにあたったりすることにすごく敏感だから、高原の涼しさをきっと見分けてくれる」とおっしゃって、私は信じてなかったんです。この子のもう一つの反応が、暗いところで、(暗いところはたいていみんな嫌いですが)暗いところに行くと、むせて息ができなくなってしまう。そのくらい嫌だった。その子がキャンプ場へ行って、一晩経って、次の日お母さんが、「先生、大変です」と来たんで、「わあ、何かあったのか」と思ったら、「実はキャンプ場へ行って、みんなで火を囲んで歌ったり、ダンスをしたりしてキャンプファイヤーをやったんですが、暗いところでいつも泣いてしまうあの子が、泣かなかったんです。それだけなら大したことないんです。家に帰ってきて、ごはんだよと言ったら、嫌な顔をして泣き出したんです。それで、あやすときに何となく昨日のキャンプのときの歌を思い出して歌ったら、スーと泣きやんで、ご飯も嫌がらなかったんです。それでニコッと笑ったんです。生まれて初めてなんです。」笑うこともありませんし、食べることもできない。生まれてくる価値のない命と思われていました。しかし、火があり、人が火をとり囲み、都会を離れて闇の中で歌い、憩う。その時恐れていた闇が開かれ、笑顔が伝わる。まるで人類の文化の曙をみるようでした。残念ながら、その子も6才で亡くなりました。
3人目の子どもは、生まれつき心臓の悪い子どもでして、1才から家に酸素吸入器です。ちょっと調子が悪いと酸素を使う。今の医学でも駄目で、どんなに長くても8才までは生きられない病気だった。その子が亡くなる前に、ずっと家の中での生活だったんですが、学校から就学通知が来たんですね。親は、これを破り捨てようとしたけどできなかった。「同じ時に生まれた子どもたちは、みんな学校に行くんだ。でも親としては一日でも長く生きてほしいけれども、この子はずっと家の中だけでいいのだろうか。」と思ったわけです。とうとう入学式の日まで迷ったあげく、やっぱり連れていこうと入学式に行ったんです。そしたら教育委員会が来て「この子は学校には行けませんから、おうちに先生派遣しますから。」と言われて、親は「いや、生まれたときに、あの子たちと一緒に生まれたんだ。だから一緒にと思っているんです。」強引に学校に行かせた。ただやっぱり、親の心配した通り、学校へ行ったらどんどん体力がなくなる。8才まで生きられるかもしれない命が7才になる直前の秋に消え去りました。
亡くなる20分くらい前に、一度意識が戻った。心臓病の末期というのは、ちょっと体を動かすだけで我々がマラソンしたときのように苦しい。その中で何かしゃべろうとする。でも一秒でも2秒でも生きてほしいから、「静かに」と言うんだけどそれでもしゃべるので、耳を近づけると「もう、ボク、おしまい」と言っている。でも親は「そんなことはない。眠れば必ず戻るよ」。また彼が口を開こうとする。「わかったから、もうしゃべらないで」。それで耳を近づけると、「みんなに伝えて、楽しかったよ。」と言って、20秒後に息をひきとった。みんなというのは学校の友達ですね。
3人の子どもの死について、お話したんですけど、ひょっとすると私たちは生きることばかりに追われて、死が人を生かすかもしれないということを現代は全く無意味にしているのではないかと感じました。私は医者として治そうとしていたんだけれども、むしろ私の方が教わった。2番目は生きても無駄な命という考え方。寝たきりで6才までほとんど何も反応しない。そんな子どもが、我々が忘れている、真っ暗闇の中で生き、一番恐かった闇から解放される。果たして生きている命に無駄な命というのはあるんだろうかと考えさせられたわけです。3番目の話は、どのような命でも生きるというのは、みんなに何かを伝える。
実は、この3つの経験から私の医療観というのは変わってきました。用意したスライドでお話します。私が長年、医者をしながら気がつかなかったことを、昔からの生と死は、一体になっていたものなんですが、近代工業社会において、生きることは非常に光り輝いている、楽しいことなんですが、老病死というのは非生産的で意味がないことに分解していった。そこら辺りにひょっとすると、私たちが忘れている何かがあるのではないかという気がします。それで「生きる」ことを精神医学的にどう表そうか。いろんな定義があるし、よくわからないんですけど、私としては、右に書いてあります、「今ここ」に命が与えられ生きていると考えます。左上のwhen,where,what,who,whyこの5つとhowを合わせて、5W1Hといって、文章を書く基本と言われますが、この文章の基本というのが、人間の精神性そのものをよく表しています。もうちょっと、つっこみますと、言葉そのものが精神を作っていますから、その意味で、まず「今ここ」にとりあえず生きている。そのことが人間であると思うわけです。人間以外の動物で、「今ここ」を自覚しない動物もきっといると思います。そこに精神の生の原型があるとしますと、社会はその生きていることに「あなたはこんな人間だ」と価値を与える。我々はそれまで、その価値what,who,whyによって生きてきたと思うんですが、その価値から断ち切られるのが老人であるかもしれない。しかし、そのときに社会が与えた価値から自由になって、再度意義(why)を取り戻すということであれば、その意義というのは、「あなたは何者(who)で、何(what)をしようとしているのか。誰と(withwhom)生きようとしているのか。そして誰のため(forwhom)に」ということを人間に与える。それが精神活動と定義できるのではないかと私は思うわけです。「今ここ」というのが変わってきて、現代人の精神は意義や価値を見失いつつあるのではないか。
これ(スライド)は明治以降の、左が「鉄鋼生産量」、右側が「平均寿命」を表したものです。2つのカーブが非常に似ていることがわかります。どちらも明治以降、漸増し、第二次世界大戦で少し落ち込みましたが、戦後飛躍的に伸びました。人類の寿命というのは、ずっと何万年も前を考えてみますと、どうも石器時代まで遡っても、40才前後ではないかと推測されています。それがこの鉄鋼生産、つまり重工業化の指標と連動するように、こんなふうに伸びることができたかと言いますと、この部屋がそうです。冷暖房が完備してある。年をとってくると、この冬の最中、1時間も座っていたら、それだけでもう危なくなる。しかしここに座っている限りは大丈夫です。つまり、工業生産の延びは、人間が住み易い環境を整え、非常に生きる条件を良くしました。おかげで人生40年つまり神様が与えてくれた40年が、工業化によって倍に増えた。その中で、医療が果たした役割は、一年か二年だろうと言われています。工業化社会は、あらゆる面で人間の天寿と同じ長さの寿命を生み出したのです。
さて、それによって、このように伸びた寿命が逆に言うといろんな問題をもたらしてきているということになるんです。身体面では、過剰な寿命が過剰の病理(生活習慣病など)を生んだ。精神的には、さっきの話にもどしますと、農業を営んでいるときというのは、(農業時代ですね。)木のうっそうと繁った環境、静大もちょうどスライドのような感じでした。枯れ葉が肥料になり、次の芽を育む。こういうサイクルの中に生物が生きてきました。葉っぱが落ちて、土になって、また命が生まれる。つまり大地の暗い、表に出ない部分の生というのが、生きる源を感じているような気がします。そういう解釈が可能なら、老いることとか死ぬことというのは、全体のまとまった枠の中で理解することが可能になる。仏教で言う、曼陀羅の思想というのはこういうものだと思います。そういう心という感じ方が、農業時代にあった。ここにいる50代以上の人が生まれましたときの考え方は少なくとも、そういうふうに育ってきているんですね。ところが、先ほど言った、新しい40年の寿命を与えてくれた工業社会では、人生というのはいろんな意味で先をみつめる。ずっと生きて過去から未来へ向かっていくわけですね。製品のように我々の人生は創られて、性能が良い間は意義があり、性能が悪くなると、ポンコツになる。そういうふうな直線的に生きる心のない生が想定される。その中でできるだけポンコツにならない生き方をしよう、というふうに老後社会を考える。もう一度、私たちが生きる中で、生きる意味を回復して、全体的にもともと与えられた意味を考える必要があるのではないか。でも現実に社会はどうかというと、今日、社会福祉協議会の前を通りましたら、看板が出ていて、「健康づくり、生きがいづくり」と書いてありました。健康や生きがいまで工業製品をつくるみたいになると、非常に無理があるのではないか。
私たちが過った価値ではなく、もともと与えられた意味を考えることが、今大事なのではないかと思います。このスライドが私たちのライフサイクルです。
ちょっと見にくいかもしれませんけど、幼児期から年をとるまで、寿命が伸びて倍になっている他、子ども時代が大きく変わってきている。昔は幼児期(この白い部分ですね)には七五三という行事をした。7才までは神のうちで、東アジアでは、大人の手の触れるものではない。その代わり10才過ぎて元服になると、教育され、社会に出て、老人になって死んでいく。老人から先の人は幼児期と同じように神のもとにもどっていく。そういうサイクルなんだ。しかし現代は、そういうサイクルが想定されないまま、一直線になって、幼児期も短くなりました。1才を過ぎたら、もう教育。今は胎教まで科学的にしようという時代で、そこまで神のうちではなくなってしまったわけですね。老人も神のうちだけれども、これは社会から外された神のうちになっていくのかもしれない。
小児科、精神科の話から言いますと、老人化社会とはこのような社会であり、決して年寄りの多少が問題ではない。子どもたちは私たちの時代には、自然に囲まれて生きていたんですが、今は自然の代わりに工業的なものに囲まれて生きている。その中で、かすかに自然を囲いこみながら生きようとして、大人たちがどんなふうに社会を取り戻してきたか、意義を与えているのか、そこを子どもたちは期待していると思います。この期待に老年期の精神形成の方法として、先ほど言ったように、できないままというか、老人も子どもたちも何もできないことによって、私たちを生かしてくれている存在であってほしい。
私の母親も呆けてから初めて、私を楽に生かしてくれたように思います。もちろんそうではなくて、どんどんがんばっていただくお年寄りもとても素敵なんですが、呆けたまま、寝たきりの何もできないままでも社会とつながり、社会を取り戻し、意義を与えられる老化も大事なこととして、これからの長寿社会を考えていきたいと思いました。
どうもありがとうございました。
司会:
石川先生、どうもありがとうございました。この後、3人の講師の方々とパネルディスカッションに入りますが、こちらを中井先生に進めていただきます。ここで準備のため、少しお時間をいただきます。
パネル討論
討論参加者: 星、林、石川の各先生
司 会: 静岡大学副学長 中井 弘和
中井:
(テープ入れ替え)
3人の先生方にお礼申し上げながら、内容について、私なりに感じたことをまとめてみたいと思いますが、まず星先生には日本の長寿社会の実態についてご説明していただきまして、具体的に暗い社会にならずに高齢社会を目指すにはどうしたらいいか。それから個人的にいきいきと生きるためにはどうしたらいいか、というご提案、「生きがい」というキーワードを与えていただきました。その中で、とくに食べる・よく話すというようなことが重要であるということでしたけれども、いずれにしても、死ぬまで歯を食いしばって、自分の交響曲は自分で奏でようと非常に力強いメッセージをいただきました。私たち高齢者に近づく者も大変感謝しております。どうもありがとうございました。先生はいきいきとすごく活発に活動していらっしゃるということで、大変説得力があったかと思います。どうもありがとうございます。
それから林先生には、家族力ということで、私は恥ずかしながら家族力という言葉を初めて知ったのですが、その家族力ということでお話いただきまして、実際、今全体的には家族力は衰えてきているということです。いろんな家族形態のお話をいただきましたけれど、その場合お互いにその家族力を補完する活動が必要であるということかと思います。マザーテレサが分け合うということで、お互いの命を輝かせるというメッセージを残していかれましたけれど、それが基本的な21世紀への生き方かと思うんですけど、林先生のご提案の基本的なところというのは、その分け合うところにあったんじゃないかと思います。特に最後の方で、「自分をこえて」というメッセージをいただきましたが、自分が健康であることを楽しむだけではなくて、それを生かしながら助けあうということによって、相手も自分もより輝くことができるんじゃないかというようなお話をいただきました。
それから石川先生ですが、先生には生きがいについて話して頂きました。1971年に亡くなりましたが、神谷美恵子さんという精神医学者の方がおられまして、この方は瀬戸内海の小さな島の長島愛生園というところで、長い間献身的に働いていた方なんですけど、 ハンセン病というのは、ある意味ではもう絶望的な病気なんですが、そういう人たちの中に本当に生きがいを持って生きている人たちがいる。それに対して、普通の人たちにアンケート調査をやった結果、「生きがいが感じられない」という人が大勢出てきて、神谷さんはそれに驚き、生きがいとはいったい何なのか考えてみようということになったそうです。彼女の基本的な考え方は、星先生も指摘されていますけど、生きがいというのは表面的に考えるのではなくて、人生を根底から問い直すことなしには本当の意味での生きがいは出てこないということです。そういう根本的なところについて、石川先生にはお話いただきました。
それから病気と健康の関係、あるいは生と死の関係、これは必ずしも対立的なものではなくて、むしろつながっているものじゃないか、そういうご指摘であったかと思います。それでは、まず最初に会場の皆様から、ご意見、ご質問等いただければと思います。よろしくお願いします。
会場:
鈴木と申します。理事長さんにお伺いします。人間は先ほど、80才とか90才とか後期高齢者が75才ということでしたが、人間と他の動物を比べて考えて、人間の80才が他の動物と比べてどうなのか。俗に人間は125才まで生きると言われますが、他の動物との関係はいかがでしょうか。それと同時に、健康な体というのは姿勢からくるんじゃないかと、私は思うんですが、その辺を伺いたいと思います。
星:
はい。まず一点目の他の動物と比べて人間の寿命はどうかというお話ですが、実は動物はそれぞれ固有の寿命があると言われています。例えば、ネズミですと2年半、犬ですと14,5年、馬なら20年くらいでしたか。そして人間固有の生物学的な寿命は百才というのが、世界のどの学者も認めていることです。ただ死ぬときというのは、人によってばらつきますから、私はだいたい健康老死の目標にすべき年齢というのは、百才プラスマイナス15才と申しております。特に男の人ですと、85才になったら、いつ健康老死で死んでもいいと思わなきゃいかんということも申し上げていますし、運が良ければ115才までは生きるであろうと思います。現在の段階では、人間の寿命というのは遺伝子でだいたい決まっていると考えられていますから、薬とかで操作できるものではございません。各種の動物にも、例えばネズミですと3年ぐらい生きるネズミもおります。そういうネズミはトンっと叩きますと、コロンと死んでしまいます。犬でも20才くらいになると、息切れしている犬もおりますが、だいたいもう寿命でして、各動物で寿命があります。
それから第2点目ですが、姿勢のいい人は長生きするんじゃないかというお話ですね。そう言われると私は大変情けないんですが、私は猫背なんです。しかし、猫背でもがんばってやろうという気持ちを持っております。確かに姿勢のいい人というのは、歩き方もいいですね。だからそういう意味では姿勢のいい人は長生きするグループに入るであろうと思います。しかし曲がっていても、結構長生きしている人はおりますから、要は「自分は一生懸命生きてやろう」という心構えが大切だということです。
中井:
ありがとうございました。他にございませんか。はい。
会場:
先生方のお話は非常に示唆に富んだお話で、今聞いておりまして、司会の方がおっしゃいましたが、生と死というのは対立するものではない。対立するものではないとするならば、生と死とは何なのかを考えますと、いっしょのものじゃないかと、そう思いました。それはそれとして、よく結婚式などへ行きますと、だいたいの方がおっしゃるんじゃないかと思いますけど、「第2の人生がこれから始まります」とよく言います。そうしますと、私どもの年齢では、私も70半ばですので、第3の人生に入ったなとこう思うわけです。第3の人生とは何ぞやと言いますと、私は人生の中の一番の醍醐味ではないか、すばらしい年齢ではないかと思うんです。
確かに一般的に70才を過ぎますと、「もうよそう、歳だよ。そんなことはできないよ。」というようなことを言う人が多いんですけど、それを考え方を変えれば、随分若くなるんじゃないか、あるいは長生きするんじゃないかと思うんですね。「もう歳だから」ではなくて、「まだ、これからできる」というふうに考えれば人生も随分変わってくると思うし、生きがいも持てると思います。私は生きがいの最たるものというのは、何か人のために尽くすことが最高の生きがいじゃないかと思います。
中井:
どうもありがとうございました。生と死の問題ですね。この討論のテーマは生きがいとは何か、歳とともにいきいきと生きていこうということかと思うんですけど、その根底に生と死の問題が横たわってくるわけです。ちょっとこれについてお話してみましょうか。先生方いかがでしょう。では、私の方からちょっと。
最近、葉っぱのフレディという絵本がすごく流行っております。哲学者である著者は生とは何か、死とは何かということを子どもたちに考えてもらうつもりで、これを書いたといわれますが、春に葉っぱがついて、それらが夏にいきいきと輝く。そして秋になって紅葉します。ちょうど今、静大でも紅葉がいきいきと輝いております。それから落葉して、春になるとまた新しい芽が出る。世の中、あるいは世界は常に変化している。木の葉も春から夏にかけて青々とし、それから秋にかけて赤くなる。そういうのは生と死も同じである。生という形から死という形に変化していく。しかしその根底には、永遠の命が流れている。
静大でも今紅葉が美しく輝いております。これは人でいえば老年代に当たる訳です。私たちの目を楽しませてくれています。ところが、枯葉はコンクリートの道の上に落ちるんです。そうすると落ちた葉は、本来なら土に戻り、木の栄養となるという形で生まれ変わるのに、空しく掃除されて燃やされてしまう。なにかそこに命が循環できない近代的な一つの状況があるんじゃないかなと思います。先生方何かありますでしょうか。林先生お願いします。
林:
先ほどお話できなかったことで、たすけあい遠州でホームヘルプの現場につれて行っていただいたことがあったんですが、玄関を入りますと、半身不随の方が一人で生活していらっしゃるんです。お子さんは皆、国外に住んでいらっしゃる。だからたった一人で生活していらっしゃるということでびっくりしました。朝、昼、晩とヘルパーさんが交代で介護にいらっしゃるんですが、特にトイレのお手伝いと食事のお手伝いをしています。そして後は、自分で、例えばカーテンも長い棒を使ったりして開閉しています。トイレも自分の腰が浮くような腕力をつける努力をされているようです。それでトイレで「林さん見てて」と言われて、初対面なのにと感激しました。腰が浮くので便器と腰の間に尿が少し見えるんですね。尿が止まったかどうかが御自分ではわからないから見ててというんです。「もう見えなくなりましたよ」と言うと腰を下ろして、という感じで、こんな形でずっと暮らしていた方がいて、大勢の方の手をお借りしながらしっかりと生きていらっしゃって、驚きました。介護保険を待ちに待っていたんですが、残念なことに法制化施行の3日前に亡くなったんです。私も「林さん」なんて声を掛けていただいてとてもうれしかったんです。
後でうかがったんですが、その介護に来ていた方々に一生懸命編み物を教えていたんです。その方も最後まで、自分の持っている特技を他の方達に差し上げて、それはチケットにはしなかったそうですけど、「セーターを何枚編んだかわからない」とヘルパーさんは話していたそうです。ですからたった一人でも暮らしていける、そういうヒューマンネットワークがそこにはあったんだということを私はつくづく思ったんです。自力で生きていらっしゃる。そういう方を見て、私は先ほど自分を超えてと申し上げました。余力があったらという言い方は、そういう意味ではなくて、何かできることをして自分だけが生きることを謳歌するのではないということを、みんなで考えたら社会が明るくなり、助けあうことができると思ったわけです。
中井:
はい。星先生、生きがいあるいは生と死について何か補足がありましたらお願いします。
星:
私は外国に友人がいるんですが、その人たちに会って、話をしていると、日本の年寄りの考え方とは随分違います。もともと向こうの人たちは独立していることが極めて重要なものでして、子どもにあまり頼らないですね。林先生のお話にありましたように、日本でもだんだん家族力というのは弱くなってきているわけですね。
先ほど生物の話が出ましたけど、例えば鳥なんかはヒヨコの間は巣へ親がエサを運んでいますが、だんだん成長してきて大きくなると、バーッと飛んでいってしまうわけです。それから、ライオンでもトラでもそうなんですが、おっぱいを飲んでいる間は、母親が側にいますが、成長していくと、みんな親から離れていくわけです。残された親はどうするかというと、親は自分で最後までエサを探し、生きる道を探していくわけです。人間というのは、本来そうなんだろうと私は思います。だから、やがてはみなさんも覚悟して「息子の世話になろう」とかそういうのは甘い考えだと思わなければならないと思うんです。できるだけ歯を食いしばって、とにかく生きがいを求めて生きていこうと。しかし、そうしていくと、哀れな人もたくさん出てきますので、それを助ける介護保険制度とか、社会の福祉に関するいろんなしくみが必要なわけです。いざとなれば、そういう福祉に携わる人たちの力も借りながら、とにかくがんばっていこうということになると思います。そういうふうに腹をくくってしまうと、老後のことは、あまり心配にならないし、第3の人生は本当に明るいものになっていくんじゃないかと思います。
中井:
はい、ありがとうございました。石川先生。
石川:
お二人が言われた通りです。考えてみますと、人生100年。人間はそのぐらい生きられるんだろう。遺伝学的に可能なんだろうと思います。ほぼ200万年くらい前で40才以下。自然に生きている人間というのは、40才くらいであって、同じように犬や猫も今、人間と一緒に飼っているのは、もっと長く生きるんじゃないかと思います。昔の犬はもっと早く病気になったり、殺されたりしましたから。私たちの今背負っている文化状況が祖先よりも生命環境として非常に優れている。だから生きられるのであって、人間が何歳まで生きられるかということは、たまたまそういう偶然にめぐり合わせたためです。私たちは寿命の本質を勘違いしてしまっているんじゃないかと思います。あまり長寿を目的にしていくと、ちょっと違うんじゃないかと。どこまで、何歳まで生きたということは、日本の国力の証なんですが、その言い方はサラリーマン社会と似ているんですね。どれだけ業績を上げたか、未来の業績を上げるために今どうするか。未来のこれからの日本をつくろうとする。その大きいこと、長いことがいいという考え方が、日本中を支配している。長く生きる目的から、今をどうするのかではなくて、たまたまいつまで生きたかは結果にすぎないと考えたい。私自身は人生50年と思っていたので、今4才くらい、付録で儲けたと思っています。結果としていくつまで生きられるかわかりません。生き方には、そのプロセスがあって、結果として長生きできたことは、2人の先生がおっしゃったように、大切なことなんだと思いますが、プロセス抜きに長さに縛られてしまうとちょっと恐いんじゃないかと思います。
中井:
どうもありがとうございました。結局命の問題だと思うんですね。命の問題というのは、もちろん量的にも考えなくちゃいけないし、それだけじゃなくて質的にも考えなくちゃいけない。だから場合によっては長生きしても、必ずしも命が輝いたとは言えないし、短い生涯でも豊かに命を輝かせることができたと言えることもある。
ここで、会場の皆さんからご意見、ご質問ありますでしょうか。時間が迫ってきていますので、申し訳ありませんがなるべく簡潔にお願いしたいのですが。いかがでしょうか。
会場:
今日はいいお話をどうもありがとうございました。人それぞれ、生き方は異なるものです。十人十色です。それであっても、高齢社会において、高齢者というのは年齢的には65才以上を指すということですが、この高齢者の生き方について、人それぞれ違いますが、先生方のご所見で高齢者の日常の生き方はかくあるべきかのようなことがありましたら、アドバイスをお願いします。
星:
私の最後のスライドで交響曲になぞらえて、たとえてみました。人間の命というのは、体の心臓も肺も脳もみんな一緒になって奏でるオーケストラのようなものである。それを美しく、両親からもらった遺伝子の楽譜でもって生きているわけですから、それを崩さないように、最後まで美しくムダにしないようにというのが、我々の生きる道でなかろうかと思います。第1,2楽章までは、子どももできて仕事もありますから、あまり生きがいなど考えずに、日常の生活をやってるとけっこう楽しく、また充実してくるんです。しかし、老後になり、第3の人生になりますと、だんだんおもしろくなくなり、友達も減り、そして食い物も少なくなり、人生も縮まってきます。ここをいかに美しく生きるかというところが、一人一人の生きがいだと思います。会場の方のおっしゃる通り、人の生き方は千差万別でございます。しかし、大変美しく生きている人もおれば、見事に演奏しきっている人もおるわけです。一人一人がどうしたら美しく生きられるかを考えることだと思います。一番大切なことは、「老骨には鞭をうつ」ということです(笑)。寝ないということです。昼間ですよ。夜はもちろんいいんですが。縁側でよだれを垂らして、昼寝をしているような人は、いい老後を送れません。やっぱり、頭を使う、体も使うことです。「老骨には鞭をうつ」、これを一つ申し上げておきたいと思います。
中井:
林先生、何かございますか。
林:
鞭をうつ生き方もとても大切なことなんですけど、先ほどご紹介しているように、いろいろな生き方を見せていただいて、頭をやわらかくしてと言うんでしょうか。自然体の素敵さというのをすごく感じました。人生は単線ではなくて、複線。要するにそのことを教えていただいたものですから、カラフルに生きたいと思っています。
石川:
私も「老骨には鞭をうつ」は、本当に大切なことだと思うんですが、打つ鞭をできれば「どこかで何かを創り出そう」というためのものでも、「何か新たに自分ができなかったことをやろう」というのでもなく、今与えられている命、それを何かあふれ出すというか、さらけ出すっていう生き方に向けてはいかがでしょうか。それは、ちゃんとできるから表に出られるという日本の社会では勇気のいることです。鞭をそろそろ持ち替えていただいて、とことん、そういうふうなありのままを見せたい。私は子どもたちと接していて、今の子どもや青年が一番おびえているのは、年寄りが常に「できる、元気で美しい、長い人生を完璧な形で生きること」で長く生きれば生きるほど、青年たちは追いつめられていくような気がします。高橋選手と監督の言ったポンコツ論。あれは、たとえオリンピックランナーになれなくても、ポンコツのままでもさらけ出せるということで、その中で人間の命というのは、生きている以上、全く駄目なように見えても、そこにどこか与えられた意味があるんじゃないかと思うわけです。社会の中に、いろんな人があふれ出していて、できたり、できなかったりすることを、さらけ出すという形で生きる、それをお願いしたいと思います。
中井:
どうもありがとうございました。これと直接関係があるかわかりませんが、星先生の話にありました、生命曲線というのはだんだん下がってくるわけですね。私は、それはむしろ肉体的な曲線と言えるかと思います。私は感性の曲線というのもあるのではないかと思っています。感じる曲線。人に感じる、あるいは自然に感じる曲線といってよいと思うんです。その感じる曲線というのは、うまくいけばずっと歳をとっても上がっていくんじゃないかと思います。この話は、日野原重明先生からうかがったのですが、それはただ上がっていくんじゃなくて、どうも50代くらいが一つのターニングポイントで、そこでうまくいけば、そのままずっと上がっていく。ただ更年期とか男性にも女性にもありますけど、この辺の生き方がうまくいかないと、先生の言われた肉体の曲線と感性の曲線が一緒に下がってしまう。今日ここに来られている方々は、皆さんいきいきとしているわけですね。たぶん、この辺がうまくいっているんだと思うんですが、この点いかがでしょうか。
星:
中井先生に大変いいことを教えていただきました。統合的生命曲線というのは、我々のすべての細胞、心臓も腎臓も、全部の総合的なオーケストラです。それでなぜ下がってくるかというと、それぞれの細胞の機能というのは、老化とともにみんな調節の幅が縮まってきます。しかし唯一、例外があるんです。それは脳の細胞です。脳だけは可塑性と言いまして、脳を刺激して細胞が働くと、細胞間の結合が増えるという性質があります。
私は70代半ばでございますが、名前をうかがったら覚えるんです。実は3年前にスペイン語の勉強を始めました。これが結構覚えるものです。つまり感性とか考える力、それから新しい知識を得る力というのは、決してあの曲線には従いません。あの曲線から外れていくこともあります。ただし、脳の機能も結局は心臓とか腎臓とかに依存していますから、やっぱりそれが最後に駄目になって曲線も下がってしまいますが、50才から80才くらいまでに勉強すれば、けっこうのことができますし、80才くらいでも素晴らしい芸術作品を残した人も世の中にはいっぱいいます。ですから脳だけは別だと考えることも重要だと思います。
中井:
ありがとうございました。元気が出てきました。他にどなたかご質問等ありますでしょうか。
会場:
私、大谷に住んでおります藤田と申します。林先生の地域活動に興味がありまして、今日参加させていただきました。その地域活動の中で、本当にリーダーがなかなかいない。それぞれ自分で勉強なさっている方は多いですけど、いざ、地域の中でリーダーになっていく方がいなくて、私はちょっとしたきっかけがありまして、環境の問題も気になっていましたので、今ゴミの減量とリサイクルということで、地域で古紙回収活動を理事でやっておりますけど、自分が言い出しっぺだったものですから。その中で、とくに環境の問題では、地域の片山地区という静大の学生さんがたくさんいらっしゃいまして、大変困っていることがたくさんあります。ここで「本当になんとかしなくては」ということで、地域の皆さんと相談しながら、自治会を創ってやっております。これから、環境の問題は学生さんも加わっていただきたいと思うこともあるんですけど、またそこら辺は、直接お願いするかもしれませんけど、それともう一つはいきいきとしていくというところでは、私はだいぶ前から主人を第一にしておりましたけど、その主人はちょっとお休みしたような感じで、今地域のことの方が第1になって動いております。私も今年、介護保険の介護手帳をいただいております。今日うかがった話の中で、本当に目標をもって生きる必要を思いました。まだまだ大谷学区のゴミの問題というのは、いくらやってもやりきれないことがあるので、なんかいきいきしてきそうです。
中井:
どうもありがとうございました。環境の問題、あるいは福祉やボランティアの問題、いろいろな問題が互いに関わり合っているということかと思います。いろいろな問題に関わることによって、自分自身がよりよく、いきいきと生きることができるのではないかと思います。何かこの地域活動について、林先生、付け加えることはありますでしょうか。
林:
先ほどのたすけあい遠州ですけど、会員は学生さんから、70代の方までです。それで学生さんは、古紙回収のときに出てくるそうです。大変、力が入りますので、「そういうときだけは僕らが手伝います」ということで来てくれるそうです。あるいは趣味の方がいい方は、もうひとつの家で、お手伝いしたり。それから知的な問題を抱えている方もいらっしゃいますが、ここだけは「あなたどこから来たの?」とか、「おかしいよ」というような別扱いをしない。自然体でつき合ってくれる雰囲気をそういうことで喜んでいました。ちょうどこの間行ったときには、籐のかごを編んでいました。ただスタッフが15人くらいいまして、それぞれがもと学校の事務職員だったり、あるいはもと先生だったり、保健婦だったりと多彩なスタッフで、「誰がリーダーというわけではなくて」といいながら、上手なリーダーシップをとっていらっしゃいました。かつてのリーダーとタイプが違うということを、地域活動の場合は申し上げているんですが、ほとんど同じ一直線で、一つだけ違うのは言い出しっぺについて行く。「言い出しっぺと尻おしと」と静大の小桜先生がよく言われますが、そういう形が上手にとれていまして、いいグループ活動をされています。ただそれは先ほどから申し上げているように、それぞれの地域に合った、またスタッフのやり方や持ち味でやっていけば、そこに合ったいい活動ができると思います。ぜひ、いい活動をなさってほしいと思います。
中井:
どうもありがとうございました。他にございますでしょうか。それでは時間も参りましたので、講師の先生方から一言ずつお言葉をいただきまして、この討論を閉じたいと思います。星先生からお願いします。
星:
大変な高齢社会に入って、ここにいらっしゃるみなさんもこれから老齢期に入っていく方も多くおられると思うんですが、今まで老齢になっていくと、弱者になっていく。もうだんだん社会からは役に立たない年齢層というふうに思われがちであった。老人にも一種のコンプレックスのようなものを持つ人が多かったですけども、人間というのは、生きている以上は尊厳というものを守らなければならないと思うんです。どういうふうにして、その尊厳を守れるかを考えなければなりません。今、中国では一人っ子政策のために頭でっかちの人口構成になってしまっているんです。逆さのしゃもじ型ですね。彼らは、「老いて成すことあり:老有所為」というスローガンを掲げています。年寄りこそこれからの社会を支えていかなければならないだろうということですね。
シルバーサービスという言葉がありますが、日本では若い人が老人を労り、サービスをするものだと考えられていますが、中国では逆さでして、シルバーが社会にサービスするという意味にとっているようであります。これからの日本社会も一番最初にお話しましたが、2020年くらいになると、百才老人が30万人を超えるだろうと私は思うんですけど、そういうふうな社会になって、80才、90才の人、あるいは百才を超えても皆さん、元気に明るく暮らせるにはどうしたらいいだろうか、みんなで考えなければいけません。私は、たとえ一人でも独立して、歯を食いしばって生きるんだというのが基本的に重要な考えだと思います。
先ほど外国に友人がいると申しましたが、外国ですと子どもと離れて暮らしていても、しばしば子どもから電話がかかってくるそうです。「どうしているか」と。彼らはキリスト教の思想の影響を受けていますから、一人一人は独立していても助けあいという思想を持っています。非常に独立心は強いですが、しかしいたわりの心を持って、絶えず連絡をとっていますね。あれは関心いたしました。独立心も強いですが、思いやりの心も日本人よりはるかに強いということをよく知りました。そういうようないい関係をつくっていただくことを、これから私は期待しております。
林:
今まで仕事の関係上、こうしたテーマでやりますと、女性の参加がほとんど80,90%ということが多かったんですが、今日は男性の方が多いでしょうか。こういう機会を与えていただいてありがたいと思いました。要するに、先ほど申し上げましたような、しなやかに関わり合っていく活動というのは、女性の方が得意なんですね。そういうふうな迫り方で補完していかないと、なかなかできないんですね。そういうことで、今日たくさんの男性の方に聞いていただいて、しなやかに男女が手を組んで、そういう社会の構築に向けて、また一歩前に出ていけたら暮らしやすい社会になると思います。「こんなことか」なんて言わないで、ぜひできそうなことからやっていただけたらいいなと思います。どうもありがとうございました。
石川:
先ほど静岡大学の学生の話が出ましたが、今の大学生活というのは非常にせまい。静大が市街から遠いものですから、もう少し市の中心でしたら学生もいろんな場所に出られると思うんですが、せまい世界にいます。その中には、せまいがゆえに方向性を失ってしまっている学生がたくさんいますので、私はもっと街の中へ出ていって、接触することができれば、街のためにというより、学生のためにありがたいんじゃないかと思います。そういう意味で、いろんな方が大学へ来てくれたりしたら、大学にとっていいことなんじゃないかと思っています。
それからもう一つ、障害をもった人が、とくに若い人が街へ出ていくのが難しいですね。日本だけが広場というのがあまりない。ラテンの国に行きますと、どこでも「たまり場」があって、そこに子どもから大人まで、みんなが集まっているんですが、日本では新宿の西口のように若い人だけが集まる場か、そうでなければどこかの駅前の喫茶店で競馬新聞を読んでいる人かで世界的にこんな国はないですね。ですから、そういったものを創るためには、まず街の中でたむろしていただく。それで静大もたむろする一場所であってほしい。若い人たちが集まる場所から、いろんなボランティアが出てほしい。今の学生たちは優しくて、いい子たちが多いんですけど、一歩が踏み出せないでいる。そういうのを足手まといになることを覚悟で彼らを活用する。そんなふうに大学を利用していただきたいなと思います。
中井:
どうもありがとうございました。今日はたった2時間でしたけれど、大変豊かな時間を過ごせたのではないかと思います。私自身にとっても大変感動的な時間を持たせて頂きましたことを感謝しています。
また私たちは、少し高いところに座らせていただきまして、みなさんのお顔がよく見えますが、みなさんすべてのお顔がすごく生き生きと輝いていて、私達はそれに大変元気づけられましたことを感謝とともに申し上げたいと思います。みなさんがこれからもますますお元気でご活躍されますことをお祈りして、このパネル討論、シンポジウム「長寿社会をよりよく生きる」を閉じさせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。(拍手)
柴垣:
先生方、どうもありがとうございました。会場のみなさんも、長い時間、聴講と討論に参加いただきありがとうございました。また、内容豊かなお話をおみやげに、より元気にご活躍くださいますように。以上をもちまして、本日のシンポジウム「長寿社会をよりよく生きる」を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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