公開シンポジウム
「学習ネットワークと生涯学習3」


期日: 平成13年1月22日(月)午後2時30分〜5時

場所: 静岡大学附属図書館6階SCSメディアルーム




研究報告1:「自立型学習ネットワーク・清見潟大学塾15年の実践から」
清見潟大学塾塾長   大石正路

研究報告2:「地域通貨とコミュニティ支援」

地域通貨おうみ委員会委員/大学コンソーシアム京都事務局・主事   山口洋典

研究報告3:「学校移動博物館からわくわくミュージアムへ」

浜松市博物館指導主事   小川雅弘

パネルディスカッション

コーディネーター:     常葉学園大学教育学部教授  角替弘志

要旨


主催者あいさつ

司会(角替弘志):
 皆さん、こんにちは。ただいまから静岡大学生涯学習教育研究センター主催の公開シンポジウムを開催します。本日は、全国22の大学に参加していただいております。北は北海道大学から南は宮崎大学までですが、画面を見ますと北海道では雪が随分たくさん積もっております。宮崎の方は多分雪はないと思いますし、この会場となっております静岡大学からも雪の積もったきれいな富士山が見えますが、現地の静岡大学のところには全然雪はございません。
 本日のテーマは、「学習ネットワークと生涯学習」です。平成10年度からこの形で公開シンポジウムを開いてきておりますが、本日はその第3回目ということになります。このSCSによって全国の大学、研究機関と会場をつなぐという形でシンポジウムを行うのは多分、今回が2回目になるのではないかと思います。今日、司会の方を担当します、かつて静岡大学におりました、角替でございます。どうぞよろしくお願いします。
 それでは、開会に先立ちまして、静岡大学生涯学習教育研究センター長であります、滝欽二教授からご挨拶をいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

滝センター長:
 皆さん、こんにちは。センター長の滝でございます。静岡大学生涯学習教育研究センターでは、先ほどお話がありましたように、生涯学習における学習ネットワークとして今回、3回目のシンポジウムを開催させていただきます。
 近年は、生涯学習社会への移行が叫ばれるとともに、新しいメディアを用いた様々な学習ネットワーク構築の試みが出てきています。前回のシンポジウムでは、生涯学習が様々な背景をもった多種多様な方々が参加すべきものであることに注目し、学びのネットワークへのアクセスやインターフェイスに関して、また学び合いのなかで文化を創っていく営みなどの報告をいただきました。引き続いて今回は、学びのコミュニティを作り、あるいは支援する様々な実践報告をいただく予定でございます。
 今回もメディア教育開発センターのご協力を得まして、衛星回線を使った共同研究システムでありますSCSによって、北は北海道、弘前、東北、茨城、筑波、千葉、一橋、長岡技術科学、岐阜、名古屋、京都、京都教育、大阪、大阪外語、奈良先端科学技術、島根、山口、徳島、高知、福岡教育、熊本、宮崎大学、以上全国22の大学にこのシンポジウムの様子が実況されております。のちほど、ご感想や新たなご提言をいただきながら、ともに生涯学習推進のための知見、示唆を蓄積していく機会になれば幸いに存じます。
 シンポジウムの司会は、本学名誉教授であり、当センターのサポートメンバーも務められた、常葉学園大学教育学部教授の角替先生にお願いしております。
 本日は、3名の報告者の諸先生方には、ご多忙の中、お足をお運びいただきまして、誠にありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。また、会場にご参集頂きました本学の教職員、学生のみなさん、またわざわざお出かけ頂きました県内の生涯学習推進担当者の皆様には、ご静聴を頂き、後半の質疑討論に是非積極的にご参加を頂きたいと思います。
 本日の公開シンポジウムが、生涯学習をめぐる新たな、もう一つのネットワークづくりの糸口となることを願って、私のご挨拶に代えさせて頂きます。どうもありがとうございました。

司会:
 滝先生、どうもありがとうございました。それではこれから3つの報告をしていただきます。すでに会場のみなさんもご承知のことと思いますが、1990年代の後半になりまして、欧米でもlifelong learningという言葉が、大変頻繁に使われるようになってまいりました。OECDを中心にしたlifelong learningということの背景には、リカレント教育ということがあろうかと思いますが、その中では、高度な専門的職業能力を高めるための教育というところに、随分、力点が置かれているかと思います。
 生涯学習論そのものを考えてみますと、「生涯にわたって学び続けることが大事だ」というような、いわば生き方、人生観としての生涯学習論から、誰もが成人になってからも、生涯にわたって学習が継続できるように幅広く学習機会を拡大するために、いかなる仕組みを構築するかという、いわば制度論・政策論としての生涯学習論に力点が移り、そのような視点から多様な試みが行われてきています。特にわが国においては、「まちづくり」ということ、あるいは人々との深いつながりを持ちつつ、「生きがいとしての生涯学習」というものに力点をおいた試みが、これまでに随分行われてきたわけです。さらにIT時代、あるいはICTと言うんですか、Information Communication Technologyというものが、急激に発達した、ということを背景にしながら、学習内容も学習形態も変わってきています。学習ネットワークに関して学校教育について考えてみましても、社会教育的手法を積極的に学校教育に取り入れるという方式もすでに出てきておりますし、いわば学社融合という言葉が、単にお題目としてではなくて、実体化しているという状況も見られるわけです。そういう中で、学習ネットワークをいかに創っていくかということは、非常に重要な課題であろうと思います。
 本日は、具体的にいろいろな場面で学習コミュニティとでも言うべき仕組みをつくってこられた、3人の方々にお出でいただいております。それぞれの方から報告をいただきますが、最初に研究報告1ということで、「自立型学習ネットワーク・清見潟大学塾15年の実践から」ということで、清水市にあります清見潟大学塾の塾長の大石正路さんから、そして、研究報告2としまして、「地域通貨とコミュニティ支援」というタイトルで、地域通貨おうみ委員会委員であり、大学コンソーシアム京都事務局で主事をなさっている山口洋典さんから、さらに研究報告3といたしまして、「学校移動博物館からわくわくミュージアムへ」ということで、浜松市博物館指導主事の小川雅弘さんからお話をうかがいます。最初にご報告をいただき、それをもとにしながら、その後討論を進めたいと思いますし、そういう意味でそれぞれの会場から、この報告を聞いてご質問なり、ご意見なりを積極的にお寄せいただきたいと思います。
 それでは研究報告1「自立型学習ネットワーク・清見潟大学塾15年の実践から」ということで大石さんからお話していただきたいと思います。清見潟大学塾は、平成3年かと思いますけども、「明日の日本をつくる協会」の「ふるさとづくりコンクール」で総理大臣賞を受賞されたという実績をもっておりまして、大石さんは当初からこの清見潟大学塾の事業を支えてこられました。塾長の大石さん、それではよろしくお願いいたします。


自立型学習ネットワーク・清見潟大学塾15年の実践から


清見潟大学塾塾長   大石正路


 清水市の清見潟大学塾の塾長の大石正路と申します。資料が2つございます。「生涯学習情報年鑑」と「ザ・清見潟大学塾」の2つを机に置いてください。清見潟というのは大変珍しい名前ですけども、清水港の向かい側に興津というところがあり、そこをむかし清見潟と呼びました。奈良時代から万葉集に歌われた名勝地であり、その古い名前を残そうということで清見潟大学塾という名称を付けました。それで、生涯学習情報年鑑の方をちょっと開いていただいて、これは文部省の外郭団体の日本生涯学習総合研究所のレポートですが、生涯学習モデルシステムへの挑戦という、これを読みながらお話をしてみたいと思います。
 「遊び心で大学ごっこ」──これが私たちの基本的な理念といいましょうか、楽しく人生を送りたい、人生は楽しくなければ人生でないと思っておりますので、「遊び心で大学ごっこ」というキャッチフレーズのもとに、本大学塾は昭和59年、清水市高齢者教育促進会議の提言により設立された市民参加型生涯学習システムである。第1回度、わずか12講座、塾生100名で発足した本大学塾が、16回度現在(平成13年)138講座、教授が96名、塾生数が3150名を越えた理由は、本大学塾のシステムが市民の生涯学習に対するニーズに適合したからに他ならないと考えております。生涯学習とは、人が学びたいという意欲のある限り学べる場所を提供して、はじめて成立する言葉であるとすれば、現在行われている行政主導の生涯学習は、単なる動機付けに終わっているのではないかという疑問が、促進会議の議題となりました。本来、行政の事業というのはすべて予算を超えることが出来ないという前提があります。そのために、現在各地方自治体が行っている生涯学習事業は、ほとんどが定員制あるいは期間限定制を採用しております。したがって、市民が学びたいという意欲があっても、要望のすべてに応えることが出来ないのが現状です。まして地方財政は年々逼迫し、生涯学習に対する予算の拡張は望むべくもないのが実態ではないでしょうか。拡大を望むどころか、縮小均衡を迫られているのが実状だと思います。市民が健康で、学びたいという意欲のある限り学べる場所を提供する、それは現在の行政システムの中では不可能であります。ならばシステムを変えればよい、問題はどう変えるかであります。以下、私たちが試行錯誤の上に到達した市民参加型の生涯学習システムの概要について、紹介をいたします。
 「1.設立」──本清見潟大学塾の設立者は清水市教育委員会である。従来の公民館主体の生涯学習システムはそのまま継続し、新たなる可能性を模索し市民の生涯学習に対する強い要望に応える、応えうる市民参加型システムを構築する。そのためには教授の公募制、市場原理の導入、クーリング・オフ制度を3本柱に「遊び心の大学ごっこ」をキャッチフレーズとして、発足することになったわけであります。
 「@教授公募制」──清見潟大学塾が成功した最大の要因は、教授の公募制にあったと言えます。講師を選択するいっさいの手続きを省き、『広報しみず』に「自らの趣味・職業上の知識体験等何でも結構、市民に教えることを自らの生涯学習、または生きがいとしたい方はハガキで申し込みを」、ただそれだけの仕掛けであります。従来の行政では考えられない手法であり、疑問を抱く委員もありましたが、当時の社会教育課長の勇断で実行され、当初16名の市民から応募がありました。この公募広告には、資格は全く問いませんと書いてありますので、資格審査はいたしておりません。簡単なオリエンテーションで大学塾の仕組みを説明して、了解した方には正式な申込書を渡す。問題は生徒が集まるか集まらないかということが、その先生の存在理由ということになります。16名の教授希望者から集めた講座内容を『広報しみず』に掲載して、塾生を、これもまた公募で行います。応募はすべてハガキで行われます。一応当時は5名以下の講座は不成立として、最終的に12講座・塾生100名で開講、現在16回度を迎えて講座数が138に拡大した理由は、これから順に追って説明いたします。
 「2.予算」であります。この清見潟大学塾の予算は市から年間20万と書いてありますけど、本当は19万8千円です。塾の規模が25倍に膨張した現在でも、同じであります。今年は2万円減らされて17万8千円です。年間ですよ。従来の行政システムでは考えられないことである。それを可能にしたのが市民参加型の新しいシステムであります。市場原理の導入、近未来はたとえそれが行政の事業であっても、市場原理の思想なしには成立しないと、そういう時代がやってくると考えております。清見潟大学塾は、いち早くその思想を導入して成功しました。そのため講座は有料で、授業料を教授の報酬に充てております。多くの行政の生涯学習が無料でありますけれども、私はこれは間違いで、当然有料にするべきであると思います。
 「@授業料」──授業料は月1回の講座は年間5千円、月2回の講座は年間1万円。月1回とか2回の選択は教授の自由であります。この授業料はそのまま教授の収入となります。従って塾生の多寡によって教授の収入に差が出てまいります。これが市場原理の導入であります。「A教授の決定」、『広報しみず』により応募した教授希望者に対する資格審査はありません。応募ハガキによる書面選考はするが、特定の政党・宗教に偏るもの、営業性の強いもの以外は受理し、簡単なオリエンテーションを行った上、正式な申込書を提出してもらいます。16年間、事前にお断りした応募者はわずか3名であります。当大学塾の講座は、原則として市内各公民館またはそれに準ずる場所において行われます。その確保が事務局の最大の仕事であります。
 会場が決定された後、塾生の募集が始まります。お手元にこのオレンジ色と緑色の募集のパンフレットがありますけれども、中を見ていただくと、いろんな講座の募集が載っております。応募はハガキで行われます。ただし、継続者(次年度も受講を継続する人)は、教授が一括して申し込みをしております。現在最低10人の応募がなければ講座は不成立となります。これも市場原理であります。ですから面白ければどんどん友達を連れて塾生が増える。面白くないとみんな手をつないでやめてしまう。これが唯一の授業の成立・不成立の理由でありますから、資格審査の必要はないんです。その先生が面白いか面白くないか、楽しいか楽しくないか、によって塾生が増えるか減るか、この間も途中で塾生が1人になってしまって、「先生助けてください」って電話がありましたけども、面白くないからみんなやめちゃうんですね。ところがその1人は知り合いだからやめられないので困って相談してきた。そんなこともあります。ですからこれはもう普通の大学ですと、教授になるのは大変ですけども1度教授になったら、なかなか簡単にはクビにならないけど、うちの方は、教授になるのは簡単なんですけどこれを継続することは至難の業でありまして、従ってそこに先生の努力といいましょうか、工夫がないと塾生が満足しない、というシステムになっております。だから、教授の資格決定権は塾生に存在する。どんな立派な経歴の持ち主でも、塾生が集まらなければ教授にはなれないんです。前にも、ある国立大学の先生が定年になって清見潟大学塾の教授になりたいとして応募したけれども、生徒が集まらないために講座が開けなくて塾生になった人もおります。
 「C教授の任期」──教授の任期は1年です。勿論希望があれば継続は認められるが、塾生が継続を希望しなければ講座は成立しない。教授も塾生も年々更新をしております。
 それで、この大学塾はどういう形で運営されているかというと、Dの「運営費」です。市の予算19万8千円だけでは運営は出来ません。従って塾生から1人1講座年間1000円、教授から塾生1人につき200円、合計1200円の運営費を頂いております。ですから、塾生数が2500名なら年間運営費収入は300万円、3000人になると360万円という具合に人が増えれば増えるほど、私たちの運営費の収入は増えるんです。こういうシステムは行政の中には出てこないと思います。これが、年間の予算であります。
 それから、「クーリング・オフ」という、おそらく全国でクーリング・オフ制度のある生涯学習システムなんていうのは清見潟大学塾だけだと思いますけども、先ほど見ていただいたように、(講座の案内は)このカタログだけですから、カタログ販売と同じです。開いていただいても、先生の写真もなければ経歴も何も書いてありません。ただそこに若干のアプローチがあるだけですから、実際に受講してみて「こんなはずじゃなかった」という場合もあるかもしれません。従って開講して2ヶ月、今10月開講ですから10月・11月と2ヶ月講座に参加して、これは難しすぎるとか易しすぎるとか、面白くないとか先生が気にくわないとか、何でもいいんですけども、継続を、受講をやめたいという人は、クーリング・オフの申請をハガキで事務局に申し込むと、授業料は全額お返しいたします。運営費は頂いております。そしてその返した受講料は後から先生から回収しております。このシステムで、10名から20名毎年クーリング・オフがありまして、ちょっと今年は多かったですけども。
 運営は、教授会による自主運営と書いてありますけれども、この清見潟大学塾は、行政、清水市が設立し、その運営を公募した市民教授にすべて委任するという、そういう形で運営されてますので、市当局と教授会との間に交わされた当初の話では、広報・会場確保・事務は行政が担当し、塾の運営は教授会が自主的に行うということでありましたけども、だんだん増えていって塾生が300名、500名になりますと、行政が事務を担当することは困難になりました。そして、事務局を中央公民館に移し、中央公民館もだんだんリストラで人が減ってきて、今では公民館の職員にお手伝いしていただいておりますけども、私たち自身でも事務局をつくって事務を行うという形で、ある程度公民館の支援を受けながら自主的な運営をしておるわけであります。今は市の職員、公民館の職員が、公民館の仕事をしながら合間を見て清見潟の仕事を手伝ってくれるという形をとっておりますけれども、これも忙しいときには公民館の人も総出でもって清見潟の手伝いをするなんてこともあります。
 こういうことは行政にとっても私たちにとっても初めてのことであって、いろいろとやってる間に問題点がございました。従って規定があっても有名無実で、朝令暮改といいましょうか、都合の悪いところはどんどん変えていくという、そういう形で対応をしております。その次のページの、「事務局」とありますけれども現在中央公民館の一室を借用して、教授の中から塾長が委嘱した事務長が公民館職員の補佐を得て事務処理を行っているということです。Aの「講座」、当大学塾の運営は教授の自主運営に任せられております。各講座はそれぞれの性格により3学部に分かれます。第1学部は作品発表部門、書道とか絵画とか写真とか、彫刻とか人形とかそういったものが第1学部になります。第2学部はステージ部門、音楽とか舞踊とかダンスとか、体操・気功というような、劇団などもこの学部に入ります。第3学部は文化教養部門。古典・歴史・俳句・和歌・語学・料理とか茶道、こういうものが第3学部に入っております。それぞれに学部長が1人ずつおります。会議は教授会が毎年9月に定例総会、これは塾長・副塾長の選出をここでいたします。学部別の教授会を開いて理事を選出いたしまして、その中から学部長が選出されます。現在、理事は6名を選びその中から1人が学部長になります。理事会は隔月行っております。そしてそれ以外に、随時役員・塾長・副塾長・学部長・事務長が集まって、役員会で細かなことは決めております。
それ以外に塾生は、幹事会とかあるいは代表幹事会などがありますけれども、これは後でまたもう一つの方の資料の最後のページにありますから、そちらの方で説明したいと思います。
 こういう具合に、市場原理の導入ということでやってまいりましたけれども、なかなかいろいろと、次から次へと問題が起こりまして、この「ザ・清見潟大学塾」というのを見ていただきたいのですけれども、その裏側の3ページの7というところに、本来市場原理の導入ということで教授の収入は「授業料×人数」でしたけれども、これが色々問題が起きました。たとえば私は日本書紀の講座を持っておりますけれども、一番多いときには1クラス70名もいたことがあります。5000円だと35万、月に割ると2万8千円になりまして、これはちょっと多すぎるじゃないかというような意見も出てまいりました。中には陶芸とかピアノのように20人以上は教えられないという、そういう講座もあります。そういうところと、何人でも集まるところと計算方法が同じなのはおかしいという意見もありまして、そこで20名までは今まで通りだけれども21名を越えた場合には、40名までは50%カット、それ以上は累進で60、70、80%カットということです。そのために私の授業料は35万が19万になって、16万がカットされたことになる。それは全体の教授会の運営費、親睦会に使うということで納得されておりますけども、そういう風に、都合の悪いところはどんどん変えていくということになります。次のところに事務局、中央公民館を無料で借用する、事務室も公民館の1室を借りている。
 その次のHに「認定評価」とあります。塾生は年間講座を4分の3以上出席すると修了証書をもらえます。この修了証書が15枚たまると清見潟大学塾博士になります。今現在150名の博士がおります。塾生は博士になれるけど、教授は博士になれないという、ちょっとつまらないことを決めてしまったので、今塾生でもって一番多いのは36単位ですけども、私はこの15年間48単位の講座を自分で受け持ってますけど、博士になれないので、今改正をしようかと思ってますけども、一応塾生博士が150名、よく市長が「一つの市で150人の博士がいるのは清水市だけだ」なんて言ってますけども。
 その次に清見潟セミナーがありますけども、これはこの緑とオレンジ色の(パンフレットの)後ろを見ていただくと、月に1度本物の大学の先生を集めたセミナーがあります。12回に分かれています。そのところに清見潟大学塾の先生が入って前講座をしてますけども、この授業料はその前のページにありますけども、清水市の主な企業から後援会費を1口2万円ずつ頂いて、それで運営をしております。この2万円というのは1年間の後援会費で、2万円を出していただくとその企業の社員4人まではただで参加できるというシステムになっております。1番多いのは3口までです。それ以上は頂きません。それもだいたい7、80万あればいいので、今のところ40社までで限定しておりまして、どこか脱落するまた新しい会費を集めるということでやっております。これは男性比率が低かったので、これを高めるためという1つの目的があってやったことですけれども、その結果、現在男性比率がやや高くなりつつありますが、まだまだ私たちが理想としているような男性比率には達しておりません。
 この大学塾では、塾生も教授も地域限定をしておりません。従って、東京から通ってくる教授もあります。これは、交通費は自分持ちですから当然赤字になります。塾生も1番遠い人は川崎市、県内では浜松から来る人もあれば富士から来る人もある、静岡から来る人もある。年齢制限もありませんので、現在1番若い人が7歳、1番年の多い人が96歳と、60歳代が1番多いですけども、7歳の子どもが油絵の教室におります。勿論1人だけですけども。そういう形で年齢制限、地域制限はしておりません。そういうことで現在16回度に入っております。こんな所でよろしいでしょうか。

角替:
 どうもありがとうございました。清水市で活動されています清見潟大学塾についての概要を、大石さんからお話いただきました。大石さん自身、清水銀行に長くお勤めになり、定年でお辞めになった後、こういった事業をいわば「大学ごっこ」ということで、趣味的にお始めになった、というと、ちょっと言い過ぎの面があろうかと思いますけども(笑)。大変運営の仕方等、学ぶべきことが多かろうと思います。また、いろいろご質問等もあろうかと思いますが、あとでそれについて、お寄せいただければと思います。
 それでは続きまして、山口洋典さんからお話をいただきたいと思います。山口さんは静岡県の磐田市のご出身でございます。現在は京都にお住まいでいらっしゃいまして、先ほど申しましたように、財団法人大学コンソーシアム京都に勤務でございます。地域通貨おうみ委員会の委員であり、静岡県エコマネー研究会の委員もお務めでございまして、今日は「地域通貨とコミュニティ支援」ということで、報告をしていただきます。どうぞよろしくお願いします。


地域通貨とコミュニティ支援

地域通貨おうみ委員会委員・大学コンソーシアム京都事務局主事
山口洋典


 ライブ感覚の方が良いと思うのでパソコンも用意してきましたが、お話の方にさせて頂きます。  先に生まれていないので、先生と呼ばれるのには非常に恐縮していますが、ざっくばらんなお話になるかと思いますので、またご不明な点はご指摘ください。
 地域通貨といっても多様な解釈があり、やり方も、またやっている人も多様でして、いったいどういうものかというところがお分かりにならない人も多いんじゃないかなと思います。コミュニティ支援といった時に、コミュニティと支援の間にあるものは何かというのを、またお考え頂きたいなと思っています。と言いますのは、コミュニティというのは果たして誰が支援するのか、あるいは支援される内容は何かということなんですね。
 コミュニティ支援によって、たとえば学びあうコミュニティが出来ていくと、必然的に自らの力で、あるいは自らによって社会的・文化的に成熟したコミュニティが出来上がっていくんじゃないかなと思っています。
 本日の大きなくくりは、生涯学習というようなお話になるかと思いますが、そのことに関連して言うと、私、つまり自分自身が常に学んでいくという実感を持っていくと、地域が変わり、暮らしが変わり、何よりもその奥に大きな話になりますけど、生きてて良かったとか満足度の高い暮らしが推進されるのかなと思っています。
 今日は基本的にレジュメに沿っていきます。まず、「はじめに」と書いてあるのが一連の背景を僕なりにまとめてみたものです。
 この数年間、特に先日6年が経過し、7年目を迎えた阪神淡路大震災というものが、またテレビでいくつか報道されていましたけれども、それに端を発したNPOだとか、ボランティアだとか、あるいは地域の暮らしだとか、注目されてきた背景があります。そして今、まさに目立っているのはそれに対する国の動きです。例えば経済企画庁の『国民生活白書』の中には、ボランティアが深める「好縁」という堺屋太一さんがつけた言葉ですけども、自らの好みに基づく縁によって、経済が変わっていくんじゃないか、あるいは暮らしが変わっていくんじゃないかっていうことがしめされています。その他にも地域振興券というものが出てきたりだとか、あるいは雇用対策で何千億円っていうお金が使われたりだとか、その他いくつか国レベルの動きが出てきました。特定非営利活動促進法というものもそのひとつかと思っています。
 一方で小渕さんの時代には「21世紀日本の構想委員会」という構想懇談会というものがありまして、そこで「協治」という言葉が出てきました。協同の協、力を3つ書いて左に十って書くやつですね、力を足しあわせる協同の協と、治める、誰が「自治」をするんだというとき、共に治めていくんだという意味で、多様な主体が、共に地域を治めていくことが必要だっていう言葉も出てきました。このように国の動きも変わってきましたが、それよりも市民が変わっています。何が変わったかっていうと、働くことは何かだとかあるいは暮らすことは何かだとか、ドメスティックバイオレンスとかにも象徴されるように家庭って何だろうとか、いくつか大きな社会的な文脈が変化しつつあると言っていいかなって思っています。
 その中で草津という地域でやってきたのは、地域通貨なるものを発行すると、いかに、先ほど冒頭で申しましたように学びあうコミュニティが出来ていくかという実践でした。学びあうコミュニティが出来ていくと、どのように人・暮らし・地域は変わっていくかということをいくつかお話をしたいなと思います。ただし地域通貨という耳慣れない言葉が出てきますので、若干その整理だけさせていただきます。地域通貨というのは、「地域」という言葉と「通貨」という言葉の造語、足しあわした言葉ですね。ですからそれを訳が分からなくなったら、2つに割ってみると分かりやすいんです。1つこういうペンがありますよね。地域というものを2つ捉えています。1つ、特定の集団という意味での地域、いわゆるコミュニティっていうのがありますね。それに対してローカルっていうものがあります。これは一定の行政区とかっていう意味ですね。地域にも2つあります。ローカルの先にはナショナルっていう国レベルの国というものがありますし、グローバルっていう地球規模がありますし、コスミックっていう宇宙規模があるかもしれません。とりあえず地域というものを捉えたときに、一定の人によってくくられる地域と、ある一定の区域としてくくられる地域とあります。そしてお金に関しても、使うことに意味を表すcurrencyがあります。そして、財を蓄えておくという意味を表すmoneyという言葉があります。草津でやっているのは、このコミュニティ・カレンシィというものです。
 4つに表現が分かれますけども、人によってくくられるコミュニティの中で、使うことに価値を為すもの、財やサービスによってどんどん使っていく方、こっちは財を貯めておく方ですね。どんどん使ってこそ意味のあるお金というものです。どういうことかといいますと、レジュメの2のところにも書いてありますが、世界各地にはいわゆる国が発行しないお金というものが2000種類以上のものがあるといわれています。U.C.バークレーの調査です。1つ、全体をくくりにしますと、用途や目的や地域を限定して流通する交換の媒体であるとまとめました。何かをしたときに、そのお礼だとかあるいはその行為の評価だとして渡されるクーポン券とかチケットみたいなものです。地域振興券と違うのは、それが再び循環していくということです。何かをしたときに、後からついてくる、その評価として後からついてくるものを再び誰かの評価につなげていく。つまり、さっきコミュニティって言葉でいいましたけども、誰かが何かをする、それで何かをされたときにそのまた誰かが評価をする、あるいはその人が評価をする。それによって、また新しいつながりが生まれていくというような、つながりが広がっていくような時に、その広がりを支えてくれる触媒になってくれるような媒体が、地域通貨のような気がしています。
 歴史をひもときますと、1100年代には貝殻から石貨が出てきたりだとかいくつかあるんですけれども近代に入って以降を考えると、不況を端にして、やっぱり地域で支え合わないといけないだろうなというようなお話が出てきました。それが1930年代の1つ地域通貨の隆盛というものです。このころには、シルビオ・ゲゼルさんという人が本を書いたりして、「マイナスの利子が付いたお金が出ていく、出していく必要があるんじゃないか、それはなぜならば、お金というものも経済という有機体の中を流れていく血液のようなものである、お金も老化した方がいい」と言ったんです。この理念に基づき、負の利子が付いたお金をオーストリアのヴェルグルという町で実践をしました。その結果、完全失業率が30%から完全雇用の状態に至ったりとか成果をあげたんですが、ここでも冒頭で出てきたように、市民、あるいは地域の動きに対して国の動きが出てきたんです。国の動きが出てきてしまうとバランスをとろうとします。そのバランスがなかなか折り合いがつかなくて、最後には消滅していってしまうという結果に終わるんですが、また1930年代だけではなくて、1980年代に1つの盛り上がりがあるんですね。それを3つくらいの類型に分けてみますと、LETSというものと時間預託制度と、イサカアワーというものに分かれるんじゃないかなと思います。実はこの地域通貨というものも、去年、私は大学院に所属しておりまして、その間に研究しましたのでこんな難しい書き方をしてるんですが、とりあえずまた後で文章読んでいただくことにして、面白いなと思うのは、特にLETSのところでは4つの基本原則があるといわれているわけです。
 何かというと、まずそのサービスのコミュニティに入っていく、そのつながりに入っていくにはまず同意しないといけない。「同意」の原則というものがある。取引が本人の同意に基づかないといけない。入るのも同意が必要ですが、その後先ほど言いましたように、評価が妥当かどうかっていうものをどう考えるか、そのときにも同意しないとやり取りも成立しない。次に口座の残高に対し利子は付かない。使うことに意味がありますから貯められると困るわけです。なぜかというと、貯める方は普通の国のお金でいいわけですね。なぜわざわざ、国のお金に対してもう1つのお金を発行したかというと、国のお金にはない性格・性質を導き出したいからです。ですから、「無利子」の原則というのもつけました。これによってお金の持っている2つの性格のうち、使うことによって価値があるという側面を強調しています。どんどん、自分の持ってる評価の投票権みたいなもの、投票権を人にあげていく、「あなたはいいですよ」っていうふうにあげていく、そんな無利子の原則というものがあります。そして3番目は「共有」の原則です。これも誰かが面倒を見ないと回っていきません。ですから事務局機能を支える人たちには、その然るべき必要なコストを渡していきましょうという共有の原則があるんです。
 そして最後に「情報公開」の原則というのがあります。人は情報を隠すと不安になりますよね。人とのつながりを重視するといってるのに情報を隠していると、どんどん不安が不信につながっていきます。不信はそのコミュニティの崩壊につながっていきますから、情報公開の原則があるということです。
 これはLETSというものの原則の中から、ひもといたものですけれども、例えば草津でやった「おうみ」というものも、こういうものを意識しています。なぜならば、イサカアワーのところに書いてありますけども、基本的に社会的な公正さというものがこの取り組みの鍵なんです。僕なりに言い換えますと、先ほどもいいました経済的な豊かさだけではなくて、社会的・文化的な豊かさを導き出す活動、あるいは言葉は悪いですけど集団だと思っています。コミュニティだと思っています。そのイサカアワーの取り組みを調べていくうちに、スターターキットがあるということに気がついた訳ですね。Webサイトを見れば載っています。紹介してありますので、また興味のある人は見て頂きたいんですが、ここにホームタウンマネー、“How to enrich your community with local currency”と書いてあります。あなたのコミュニティをローカル・カレンシィ、地域通貨によってより豊かにしていきましょう、自分の町のお金をつくりましょう、というような本です。これもいくつか読みまして、全部英語ですけども、これを見ていくうちに、本当の財やサービスというものが出てくるんですね。その本当の財やサービスというものが何かというと、ここにも少し載せていますけども、地域で無農薬・減農薬を主に扱う生協だとか、古本屋、本を粗末にしないとか、一定の、的確に時間、労力や能力、その他「思い」をきちっと評価していく。さっきの言葉でいう「投票権」をきちっと持つと、暮らしが変わっていくんじゃないかなというようなお話が書いてありました。
 これは冒頭に言ったコミュニティ支援の具体的な実践例だと僕は感じたんですね。生活支援という言葉にしてもいいかもしれません。誰々の生活が支援されていくわけです。こういうことによって。ちょっと何かをしたいときに頼みづらいことってありますよね。マンション暮らしをしていて、隣の家の人に例えばですけれども子どもを預かって欲しいとか、力仕事をしたいんだけども骨を折ってくれないかっていうことは頼みづらいです。そういうちょっとしたこと、ご近所づきあいだとか向こう3軒両隣の中で、昔の日本だったら普通にされていたことが、当たり前に出来なくなってきています。そういう何かしたときに、ちょっと差し出がましいようだけどもお礼ということで菓子折を持っていくいうような、そういう気を使った関係ではなくて、何か支え合う、暮らしを支える道具が出来ないかなと思って、草津ではこのような地域通貨の導入を図ったわけです。
 ページをめくっていただきまして、6番のところに飛びますけれども、5番のところには日本でもそんなような取り組みがありますよ、というようなことが書いてありますので、またこれも読んでみて何か質問がありましたら、ディスカッションのところに反映したいと思いますので、何らかの形でご意見寄せていただきたいなと思います。草津では、先ほども冒頭で言った国の動きの一連のあおりの中で、NPO・ボランティアのブームの中で、「草津コミュニティ支援センター」という建物が出来たんです。これは強引に言えば生涯学習の場であるとは言えるんですが、草津市の普通財産の建物なんです。行政財産という言葉も出てくると分かりやすいんですが、細かい話なんですが、普通財産というのはいわゆるハコモノとして建ったわけではなくて、企業からの寄贈によって、その草津コミュニティ支援センターというものが突如生まれてしまったんです。不可抗力なんですね。別に全体的に悪いというものではないんですが、マンション開発に伴って、土地・建物が開発元から寄贈されてできた施設なんですけれども、草津市はこの施設を市民が自主的に活用してもらえないかという方針を作ったんです。これも悪く言えば責任の放棄なんですけれども、その自由度をふんだんに使いたいなと思ったんです。僕も当時は大学院生でした。滋賀県の草津市はベッドタウンとして有名なんですけども、人口増加率が1998年には3.38%という全国一の数字も出ていますが、そういうベッドタウンの中でママさんサークルたちが、これもあまりいい言葉じゃないですけども、ママさんサークルたちが何らかの、コーラスの練習をするだとか、あるいは草津市は在住ブラジル人の人が多い町なんですけれども、そういうブラジルの方たちに日本語教室をするだとかいくつかの既存の活動があったんです。そういう活動をどうやって支えられるかってことで知恵を絞りました。これは共同運用だろうってことで知恵を絞って、ローテーションを組んで、面倒を見る世話人たちの面倒を、僕ら、僕をはじめとする何人かやる気のある人たちが、やったんですけれども、ここで至ったのは、皆で何かをしようってのは無理だっていうことなんです。皆で何かをしようってことは無理なんです。それは共同幻想だったんですね。変な言葉ですけど、そういう共同幻想から解いていくには、きちっとやる人を評価しよう、そのやってる人に対して悪いなって思いも実は出来ない人はもってたんですね。それで、嫌々やられる位だったら自分たちがやった方がましだ、それよりも新しくやりたいって人をどうやって迎え入れるかってことに力を使いたいなって思ったんです。やりたくない人を強制的にどこかにやってしまうのではなくて、きちっとやる人を評価していくっていう風に。
 それで結びついたのが、先ほどもいっていた「投票権」のようなものですね。この草津コミュニティ支援センターというものを十分に活用してくれる人がいるんであれば、それを支えてくれる、運用を支えてくれる人たちがいるんであれば、その人たちに対してひとつ投票をしましょう。その投票によって、新しい投票権が誰かの手元に入る。AさんがBさんに「ありがとう」と言って渡す。「ありがとう」といって渡されたものをBさんは何かに使うわけです。それを何に使うかは考えるわけですね。LETSでいうところの同意の原則がありますから、もらってもうれしくなかったらそれは単なる紙切れです。しかし、例えばそのコミュニティ支援センターのお掃除をした、お掃除をして事務局が「1おうみ」と称されるものを渡した、もらったAさんはそれをセンターの使用料に充てた、センターの使用料に充てなくてもいいんです。センターの使用料に充てない場合は、例えばBさんに、お弁当を作ってきて欲しいと、毎朝ご主人の、夫のお弁当を作ってるでしょと、1食分余裕を持って作ってくれないかと、それを「1おうみ」で買うわよと、あるいは貰うわよという風になったとします。あるいはCさんに、ちょっと何かを頼んだ、何気なく頼んだんだけど骨を折ってくれた、そのときのお礼の印として渡すのだとか、そういうようなひとつ、人と人とのつながりが生まれてくる中で、このようなチケットですけども、こういうようなものを渡して、名刺代わりみたいなものです。裏には、誰が何に使ったかというようなことを書いていきます。ドイツではこういうのを「交換リング」と呼んだりします。人と人とが何かのサービスを交換していくつながり、リングですね、輪のようなものです。こういうものをやり取りしていく中で、人同士のつながりが生まれ、つながりが生まれていきますと、関心が共有されていきます。関心が共有されると、今度は何か具体的な行動が始まるんですね。行動が始まると、先ほども言いましたように、地域が変わっていくんじゃないのかなって気がしています。具体的なお話、数字に関してはここに書いてありますし、Webサイトにも載ってますのでまた見ておいて下さい。
 私たちの思いは、このカード「おうみ」と呼ばれるカードの表に書いてあります。──「おうみ」はお金ではありません。コミュニティで循環することによって、環境・伝統・文化、そしてボランタリーな活動など、社会的に必要とされながら市場では成り立ちにくい価値を支えていく道具です。あなたの「ありがとう」の気持ちを形にしてみて下さい──と書いてあります。このような思いを持ちながら、個人と個人、あるいは個人と団体、グループ同士をつなぐボンド、接着剤のようなものです。ボンドには絆という意味もあります。辞書を引いてみると載っています。そういう絆を大切にしたいなと思って始めています。ちなみにこのカードの表には琵琶湖とあるいは草津市にゆかりのあるイラストが描いてあります。これは琵琶湖とかいつぶりですかね。これは草津川の桜と近江富士です。こういうような地域に対する思いをどうやって引き出すかという仕掛け作りをしてきました。皆でやることに幻想あるいは無理があるという風にいいましたけれども、ちょうど原子力発電所というものに反対する人は多いです。そのときにただ反対するだけじゃなくて、家に風車をつけたりだとか、太陽光をつける人がいます。どちらかというと、僕たちはそういうような形で新しい、ここでいう価値ですね、どちらかというと誰かの「思い」を評価していきたいなあという思いを持っています。
 結びにかえてというところに書いてありますが、それこそ内橋克人さんという人は「これからは競争の時代ではなくて共生の時代だ」といっています。人と人とが結びあう、つながりあうとその人の知らなかったことが見えてきます。どちらかというと、これまでコミュニティ支援というのは、行政が一方的に何らかのサービスを提供するような形が多かったんですが、そういう「〜したい」、あるいは「〜してあげるよ」、「〜してやってるのに」という横柄な立場になってしまうコミュニティ支援というものを、「〜を自分たちがしたいね」あるいは「〜してほしいよね、だからそれは人に頼むのではなくて自分たちでやってしまおうよ」、needsとwantsとseedsを、「〜したい」という思い、「〜してほしい」という思い、そして具体的なタネですね、シーズ、その3つをつなぎ合わせるのがいわゆるコミュニティにいる人たち同士の中で生まれていく、コミュニティの中でコミュニティが支援されていくような、そんな形が出来ればいいなあと思っています。
 これはすでに学びの活動なんですね。社会の中での、ここでは「隙間」という言葉を使っていますが、粗を見つけたらその粗を埋めていくわけです。出る杭は打たれるとよくいいますけども、出る杭を打つんじゃなくて、出すぎた杭は打たれないわけです。いいところをどんどん引き出して、逆に目立っていた出ているところ、良いところを引き出し合って、面としての豊かな地域、社会的・文化的に豊かな地域を導きたいなと思っています。これは正に学びあうコミュニティだなと思っています。どんどん人が、あるいは地域が賢くなっていきます。ですから今ちょうど「奉仕の義務化」とかいう議論がありますけども、そういうものがどうやって日常化していくか、もしかしたら理想型・理想郷を求めているだけかもしれませんけども、ちょうどここに例を書きましたが、家を作るときには設計図と道具が必要です。「地域をこうしたいな」、「自分からこうしたいな」という設計図を描いたときには、それを実現するための道具が必要です。たまたま草津や僕たちの中では、この「おうみ」というものが1つの選択でした。そして何より家を作るには人も必要です。その人が僕であり、その他の今出会ってきた学びあうコミュニティの中で、そのコミュニティの中にいる人たちそのものかなという気がしています。若干雑駁なお話でしたけれども、ちょうど日本で実践している1つに「タイムダラーネットワーク ジャパン」という団体があります。愛媛県の活動団体です。そこの代表のヘロン久保田さんという人は、地域には、あるいは人間にはと言ってもいいんですけど、役に立たない人はいないといっています。どういうことかというと、誰にでも何か出来ることはあるということです。その出来ること、したいことを形にしていくことによって人とのつながりが出てきて、地域・社会・暮らしが変わっていくのかなと思っています。ボランティアというと何か嘘っぽいですけども、その奥にはvoluntaryという形容詞があります。「自発的な」という意味です。自発的に何かをしていくことによって、また新しい誰かの自発性を引き出すことが出来るかもしれません。
 ですからこういうのは実は、今日はお話ししませんでしたけども、違法行為になるかもしれませんね。「白タク」みたいになってしまうときもあります。誰かを送っていった、そこにこの「おうみ」というものを渡します。そういう社会の中で、制度として作られてきたものや法律などに反発したいんじゃなくて、「したいからする」という単純な行動を、理解するということに、あるいは分かるということにも2つありますよね。understandと realize という言葉があります。実感できる、その学び、リアライズというものを結びつけるには、やっぱり何かの実感する道具も必要かなと思っています。たまたまこういう地域通貨をおうみ委員会ではボランティアでしておりますけども、大学コンソーシアム京都で大学の町をどうやって元気にしていくかというところで今働いていますので、この草津の実践事例と、あるいは自分の個人の動きの中でいくつか、こうしたいなという思いも出てきました。今は言いません。ディスカッションのの中でいくつか紹介したいなと思いますので、またよろしくお願いします。長くなりましたが、以上で報告を終わります。

角替:
 どうもありがとうございました。地域通貨ということについて、時々私どもも耳にしているのですけれども、それが実際にどのように動くかということを、今山口さんのお話を聞きながら、少しお分かりいただけたのではないかと思います。私も少し分かった様な気もいたいました。それでは続きまして小川さんからご報告を頂きたいと思います。小川さんは先ほどご紹介いたしましたように、浜松市博物館の指導主事をなさっていますけれども、引佐郡細江町立気賀小学校で教員をなさっておられました。ほぼ9年間のお勤めで、その後浜松市博物館に移られて、ほぼ9年たったということでございます。「学校移動博物館からわくわくミュージアムへ」というタイトルでお話を頂きます。小川さんどうぞよろしくお願いいたします。


学校移動博物館からわくわくミュージアムへ

浜松市博物館指導主事    小川雅弘


 はい。どうもこんにちは。浜松市博物館の小川といいます。今ご紹介していただいたように、私は勤めだして、ちょうど博物館が9年、学校が9年ということで、博物館、いわゆる生涯学習あるいは社会教育施設といわれている博物館と、学校あるいは博物館と子供の間に入って、どんなことが出来るかということで、いろいろと今取り組んでいることを少しご報告できたらと思います。私は今まで博物館の仕事として、学校移動博物館というものを行ってきました。このことと、個人の取り組みとしてわくわくミュージアム研究会というものを行っています。その2つの実践から、こういうネットワーク社会の中での学習活動というものについて、今日少しお話しできればと思います。
 まず、学校移動博物館というのは読んで字のごとく、学校の中に博物館を持っていこうということ、そして博物館で出来ることを知っていただく、あるいは博物館に何があるかを知っていただく、そして資料から何が見えるのかを実際に経験してもらう。これが1番の目的なんですが、リアルな場での実体験というものを提供していけたら、ということを目的にして行っています。実際に学校移動博物館の様子を見ていただこうかと思いますが、ちょっと写真が見にくいかもしれませんけど、学校の中に、写真に出ているような展示室を作ります。これは学校の空き教室等を利用しまして、博物館からいくつかの展示キット、レジュメにも少し書いておきましたが、全部で7つほど展示キットがありますので、こういう展示活動、あるいは博物館で行うような体験活動というものを提供しています。この写真は実際、学校移動博物館のときの休み時間の様子ですが、子どもたちは「博物館って何?」という感じで興味津々に尋ねてきます。
 特に最初の段階では、学校の中に違う空間が出来てしまったということで、小学校低学年の子どもたちは、「何があるんだろう」というような感じで訪れてきます。普段の博物館の展示室の中では考えられない訳ですが、学校移動博物館ではヌード展示が原則となっています。本物に、実際に子どもたちがこうやって手に触れて、実物が与える感動というものを味わってもらえたらなあということを狙っています。最初のうちは、実際にさわること、あるいは持ってみることに気持ちがいっていて、資料を見るとか、そういうことにはなかなか目が向かないようです。しかし、だいたい期間にして短い学校で1週間くらい、長い学校ですと2週間以上、学校へ行ってますので、常に身近に資料がある、あるいは繰り返し授業の中とか休み時間等で観察してますので、資料とテキストを結びつけながら、じっくりとものを見るようになっていくということが、だいたいどこの学校でも行われてきます。これは次第に、ものの仕組みであるとか、あるいはどんなもので作られているのかとか、自分の家の周りの様子との比較にもなっていくんじゃないか、と思っております。
 もう一つの狙いとして、実体験を行っています。これはテーマに関連づけた体験活動を、それぞれの学校で要望にあわせて行うことが多いです。この写真は土器づくりをやっているところですが、子どもたちも先生も非常に楽しそうに取り組むわけです。でもこういう活動は実際学校でもよく行われているわけで、作ってみようということで、子どもたちは土器を作ることに非常に夢中になって、子どもたち自身からすると、どちらかというと受動的な学習ではないかなあと、実際の知識とどれくらい結びついているのかということがちょっと疑問になっています。これは同じ体験活動で、博物館の学芸員とTTを組んで活動しているときの写真ですが、子どもたちにとっては、学校という中で教員以外の人との交流という1つの場が出来ていきます。学芸員はそれぞれ自分たちの調査成果であるとか、今までの研究ということから得た知識をもとに、体験の方法であるとか、それにまつわる調査したときの様子であるとかということを子どもたちと話しながら、子どもと活動を実際に行っていくわけで、実際単に体験だけということよりも、専門的知識に裏付けられた体験活動、知識と結びついた体験活動になることなのかと思っております。
 学校移動博物館というのは、効果としては、最初の目的に挙げてあるような、博物館というもの自体の存在を、まず子どもの段階によく知ってもらうこと、あるいは教員以外の学芸員であるとか、地域の人との交流というものに効果があるのではないか。あと実際に展示を見るとか、テキストを読むとかというような知識を得たことと、体験活動を結びつけた活動というものが可能ではないかなと思います。これは、子どもたちは今、学校でいろいろな課題解決学習であるとか、調べ学習とかに取り組んでいるわけですが、そういう場として、社会の中には博物館などいろいろな社会教育施設があるということを知るという機会の提供でも、効果があるというふうに思います。こういうことを行っていくと、生涯学習社会に対応する1つの学習の基本として、いろいろな施設であるとか、いろいろな地域のそういう素材を使って、主体的に学習していくというような学習の基本ということが育っていくのではないか、と考えています。
 しかし、博物館事業としての限界というものも少し見えてきています。たとえば、学校移動博物館というものを、浜松市博物館で提案してからすでに8年経っているわけです。だいたい年間5校程度を実施してますので、8年間で41校、浜松市内の小学校が全てで64校あるわけですが、半分強の学校をすでに回っているわけですけど、過去に学校移動博物館を経験したという先生に出会ったのは数名しかまだいないという状況です。博物館の人的問題とか、いろいろな問題があるわけですが、現状年間5校程度しか出かけられないという、そういう限界も少し感じています。これは、学校移動博物館の目的として挙げている、博物館というものをまず知ってもらおうというところが、まず利用してもらわない限りは伝わらないということで、そこがしっかりと達成できるかということ、それと単に展示を見てもらうであるとか、学校にいるときに一緒に活動するということ以外にもっと博物館を利用して、出来ることがあるんではないか、そういうことを少し感じるようになってきました。その答えを求めてウロウロ、実はこの数年していたわけですが、そういう中で出会ったのが、情報教育でした。
 私自身は、インターネットというものに触れてまだ1年ちょっとしか経っていません。一昨年の12月に初めてインターネットというものに触れたわけですが、そういう中で、これは永野先生という聖心女子大の先生がよく使われるものですが、情報活用の実践力の育成を図るために、体験とか課題演習を通して、そういう力の育成をはかる際に、まず情報の収集、それを分析・処理して、編集・加工し、発信するというようなことを一連のサイクルの中でやっていくということで、実践力の育成を図ったらどうかというお話に触れたときに、ここに博物館として関われることがかなりあるんではないかなということを感じました。博物館の情報が有効に働く場があるんではないかなということで、何かできることはないだろうかということで、「わくわくミュージアム研究会」というものを作りました。これは博物館の仕事としてではなくて、私個人で取り組んでいることで、理由はいくつかあるわけですが、それはまた後で触れたいと思います。
 この中では、1つはわくわく博物館というホームページを開設しています。もう1つには、わくわくメーリングリストというメーリングリストを運営して行っています。そういう中で、これからの子どもたちに必要な力とはどんなものがあるんだろう、それにはどんなことができるんだろうかというようなことは今までよく社会教育であるとか学校教育であるとかというような、学習区分がよく言われてきたわけですが、そういうようなことでいいのかということ。もしそのような区分分けがあるのだとしても、ネットワークを使ったこれからの社会の中での役割分担というものが今までのままでいいのだろうかというようなことをちょっと考えてみたい。そして、ネットワークを利用しながら博物館を活用した学習活動というものを一緒に模索していきたい、というふうに思っています。これをなぜ個人で行っているかというと、実は浜松市博物館自体がネット環境にまだ全然乗っていないという状況で、接続も今現在もされていませんし、ホームページもまだ開設できていません。そういう状況の中で、自分で少し先行してやってみようということで始めました。
 わくわく博物館では、これは私が個人で運営しているものですが、まず博物館資料のデジタル化というところから取り組み始めました。2000年の1月ですので、去年の1月にホームページをUPしたわけですが、現在だいたいファイル数が340ぐらい、その中で860ぐらいをデジタル化して載せています。これでだいたい原始から古代までの中になります。
 実際、その中にどんなものがあるのかということですが、この図が歴史資料をその中でカテゴリーに分けているものですが、よく歴史の博物館というと、時代を追ってみていくということがあるわけですが、これはちょっと考えると、そういう歴史の知識がある人とかそういう人にとっては時代を遡って考えるということも非常に有効かもしれませんけど、初めてそういうものに触れる子どもたちであるということからすると、たとえば原始時代っていわれても、非常に範囲が広くてピントは絞れない、ということで少し道具というものにポイントを当てて、子どもたちのできるだけ近くにある道具、あるいはなじみのある言葉とか、そういうことでカテゴリー分けをしています。1つには道具として分類していくわけです。たとえば石の道具であるとか、木の道具であるとかいうようなカテゴリー分けをしながら、その中に時代のことを入れていきます。どんな感じかというと、これは弥生時代の浜松の伊場遺跡というところで見つかった土器ですが、「米作りのムラ」という中に「土で作った道具」というものがあって、そこに載せてあります。「米作りのムラ」というのは、実は教科書にでてくる言葉でして、そういう分け方をしているわけです。ちょっと字が小さいので横へ大きく出してみますが、おおよそこういう言葉で表現しています。“大型の台付きカメです。よく使われていたようで、表面にはびっしりとススがついています。もちろん弥生時代のススですよ”、まあちょっと子どもに投げかけるような感じにはなっていますが、実はこれはあまり子どもは意識していません。
 もう1つは同じところで、「土で作った道具」ということで、「土器の底」があります。写真で分かるかどうか分かりませんが、底の左側の方にへこんだところがちょこっと見えるかと思いますが、それがお米の粒なんですね。ですから、「近づいてみましょう」ということで、“米があった確実な証拠といえますね”ということを出しているわけですが、これは実は子どもではなくて、先生の部屋というところの中にあります。わくわく博物館の中には4つの部屋を作ってあって、子どもの部屋、先生の部屋、それと浜松市博物館の部屋と私の管理人の部屋があります。その中の「先生の部屋」の中の、「授業の素」というところにおいてあります。簡単にいってしまえば、先生方の教材研究の材料となる、あるいは資料か何か、子どもに単に「これが弥生土器ですよ」ということだけで見せるのではなくて、何か1つ付け加えられるようなポイントを全部つけて提示しています。
 子どもの部屋の中では一体どうかというと、これは写真がちょっと小さくて申し訳ないですが、「Let's体験」という、体験学習をしてみましょうというページがありまして、これは勾玉作りのことなんですが、それを順に写真で示しています。これは、体験学習の方法を知ってもらおうというようなことを主なねらいとしています。これは知識を伝えるということになるわけですが、実際にこれを動画で見せたりできればまた違うことがいえるかもしれませんが、私自身の技術がまだ追いついてないということです。これは、こういうことを通して、「やってみたい」というような意欲を図れるように、なるべくコメントもそういうことを狙いながらつけています。これは、動機付けということに結びついていくのではないかなというふうに思っています。
 もう一方で、子どものものでは、交流ということで、これは子供用の掲示板の中のものですが、こういう掲示板を使って子どもの質問に答えて、交流していくというようなことをねらっています。他にもメーリングリストの交流で、これは子どもたちではありませんが、メーリングリスト自体は今20数名ほどのあまり大きくないメーリングリストです。学校現場の先生方から学芸員や大学の先生方まで入っていて、実際に交流していく中で、学校現場の先生方から質問を受けたことに答えながら、私がその学校へ出かけていって、体験活動を支援したりというようなことも行っています。
 こういうことから、先ほどの絵を模したというか、社会教育施設を利用した、これからの学習活動というものを少し考えてみました。これは、今までは学校教育だ、社会教育だというようなことがとかくいわれたわけですが、学習活動と広く考えたときに、やはり学校とそういう社会教育施設というのが、両輪になって支えていく部分があるのではないかなと思います。特に、そういう視点から考えると、まず情報の収集であるとか、あるいは体験・実体験であるとか、そういうものからの発信であるとか、あるいは両者の交流であるとか子どもとの交流であるということが、この要素として成り立ってくるのではないかと思います。学校ではそういうことをする、自分で学習していくための能力の育成であるとかスキルアップも含めて、訓練をしていくのではないかと思います。それで、情報の収集の部分では、今盛んにインターネットを利用した学習あるいは検索、情報の収集ということが行われている、あるいは体験活動でも、インターネット上でいろいろな体験あるいは実際に実体験をするというようなことが行われてきてるのではないでしょうか。発信の部分では、実際にホームページを学校から発信したり、メールでどこかへ意見を述べたりというような発信ということが学校で行われ、あるいは交流でも、今ちょうど同じようなものを使っていますが、テレビ会議システムだとか、インターネット上でのメールや掲示板を使っての交流ということが、盛んに学校で行われているといえるのではないかなと思います。
 そういうところに社会教育施設として、どのように関わったらいいかなあということを少し考えてみました。これはまず、社会教育施設というのは、そういうものに対する情報の提供というのが1つできるのではないか。もう1つは、子どもたちが養った能力を実際に実践して自分の力にしていく。そういう場の提供ができるのではないかなというふうに考えています。まず情報の収集の部分では、ホームページと博物館の方で、学習情報となった専門情報を提供していくことができるのではないかということです。ここがちょっと難しいことになるかもしれません。それで、体験についても、まずホームページで体験の方法を知らせるというようなことがあるのではないか。発信についても、これは博物館から発信というと情報を提供するということになると思うんですが、私は子どもたちが博物館へ来て、子どもたちの手で情報を発信していくというようなことをちょっと考えています。そうすると、それは専門情報ではなくて学習情報として、変化した形で発信できるのではないか、それを蓄積していくことが、社会教育施設としてもレファレンスの記録等にもなっていくし、有効なことではないかというふうに今ちょっと考えています。交流というのは、これは専門家との交流ということで、実際子どもたちが小さい頃から専門情報を持っている人と交流しながら学んでいくということが、非常に有効なのではないかと思っています。
 このような活動を通して、子どもたちに自主的に学習できる力というものを、子どものうちからつけていくことが大事なことではないかと考えます。また、こういうことをしていくことができると、実際に子どもたちがその施設に来て、体験していくということ、よく社会教育施設の場合は、実際問題として入館者の減少であるとか、そういう現実的な問題も抱えていますので、そういうものにも有効なのではないかというふうに思います。この学習活動に対応できる、そういう施設が今求められているのではないかということで、インターネット上で情報を得たり、交流ができない施設は、その有効性が実際利用者になかなか見えない、そういう社会になりつつあるのではないかと思います。もうちょっというと、実際来館者の人たちはインターネット上、あるいはホームページで情報を集めて、「あそこにこんなものがあるから見てみよう」とか、「あそこにいってこんな学習をしてみよう」というような目的意識を、割合はっきり持って行動するようになってきているのではないかと思います。だから、そういうところに情報を出していないと、いくら内容的にいいものを持っているところでも、利用というものがなかなかされないということが起こるのではないかなと思います。
 もう1つは、先程ちょっといいましたが、学校等で身につけた、そういう子どもたちの知識を実践して、より自分の力とできるところは、社会教育施設しかないのではないかと、最近ちょっと考えています。
 そういうことからすると、ネットワーク社会での学習活動というものは、まず1つにはコミュニケーションの手段が広がっていく、先程の話の中にもありましたけど、いろいろなツールを使ってコミュニケーションの手段が広がるということです。そして、学習の形というものが私たち、私自身が子どもの頃に受けてきたものと、もうすでに大分変わっているわけで、非常に受動的な学習活動から、能動的な学習活動に変わってきてるのではないかと思います。コミュニケーションの手段というのは、1つにはメールであるとか、ホームページであるとかテレビ会議であるとか、そういうものを使ってのコミュニケーション手段というものがあるかと思うのですが、それに対応できるかどうか。学習の形というのは、まず居ながらにして学べるということだと思います。今は我々が学校へ出かけていって学習するということが中心ですが、果たしてそれがいつまで続くのかなというようなこともあります。
 つまり、誰もが、いつでもどこでもどこからでも学べるような、そういう学習活動を提供していくのがこれからの生涯学習にとって大事なのではないでしょうか。またそれが社会教育施設に求められており、そのことに対応できる施設が社会教育施設から生涯学習施設へと変革していくことではないかなと考えています。今、これまで社会教育施設として位置づけられてきた施設は、少しでも早く生涯学習施設へと変わっていくことが求められているとも思っています。ちょっと駆け足になって最初失敗したりしましたけど、そういうようなことを最近考えていますので、また後のシンポジウムでご意見等をいただけたらと思います。以上で終わります。


パネルディスカッション

コーディネーター    常葉学園大学教育学部教授  角替弘志


コーディネーター(角替):
 講師の方々、どうもありがとうございました。
 この静岡大学の会場で聞いている皆さんも、他の北海道大学とか、筑波大学で聞いているのと同じように、ここで画面を見ながらも聞いておられます。他の大学にで聞くと、こういう形になるのだということをご理解いただければと思います。
 報告のなかでは社会教育施設を中心にしながら、学校と社会教育施設がいかに融合していくかという視点でお話をいただきましたし、また報告を聞きながら、学習情報の提供というのが、非常に重要な意味をもっているのだということを改めて感じた次第です。
 それぞれ3人のご報告をいただきましたので、この報告をもとにしながらシンポジウムといいますか、意見交換ができればと思います。他の大学からもご質問、ご意見を積極的にいただければと思います。また、今日静岡大学の会場には、授業の一環として、学生諸君が参加しております。授業時間の関係で、途中で退席ということもあるかもしれませんが、まだ少し時間がありますので、はじめに学生諸君の方から何か質問でも、意見でもいいんですが聞かせていただければと思います。そちらの人どうですか。多分このような形式で講義を受けるのは初めてだと思いますが、どんな感じでしたか。

学生:
 わかりやすかったです。

角替:
 どんなところが。

学生:
 最初、シンポジウムと聞いていたので、難しい言葉とか出てきてわかりにくいかなと思ったんですけど、丁寧に説明してもらえたのでわかりやすかったです。

角替:
 はい。今皆さんは発信局で聞いているんですけど、これを受信局で聞いても同じような感想を持てそうですか。最後の小川さんのお話のような形で、たぶん受信局の方では聞いていると思うのですが、小川さんの話を画面を見ながら聞いてみて、その感想を聞かせてください。

学生:
 そこに写っていたものですか。

角替:
 そうです。授業を受ける場合に、先生とface-to-faceの関係で聞きますよね。いわゆるテレビ画面を見ながら学ぶということはあまりないですよね。違和感がありますか。

学生:
 いや、なかったです。

角替:
 では効果的であったということですか。

学生:
 はい。

角替:
 他にどなたか、今のような感想でも構いませんが。あるいはお話いただきましたことへの質問があれば聞きたいと思います。では隣の方、どうでしょうか。

学生:
 こういう、講義ではなくてシンポジウムという形を受けたのは初めてだったので、画面を見ていると、筑波の会場が映ったり、山口が映ったりして、それを見ながら、またこちらでは先生方の顔が見えたりして、新鮮というか違和感を持ちながら受けたというのが、僕の本音なんですが。このお話自体は、先生方が時間のない中で、要領良くお話してくれて、その中でいろいろ感じることがありすぎて、何を聞けばいいのかわからないので、もう少し自分の中で整理して、聞きたいことをピックアップして質問させていただきたいと思います。

角替:
 ありがとうございます。それぞれの大学の方から何かご発言がありますでしょうか。まず、受信状態はいかがでしょうか。今筑波大学がこちらに映っているのですが、こちらの方から報告いたしましたが、聞き取りの方は大丈夫だったでしょうか。ちょっと手を挙げてもらえますか。はい、ありがとうございます。十分お聞き取りいただけたようです。
 これから大学等における授業にもだんだんこういう手法が取り入れられて、ネットの中での学習が、かなり進められるような気がします。そういった一つの実験としてお受け取りいただければと思います。
 それでは内容的なことについて、少し議論をしてみたいと思います。だいたい5時までということで考えてみたいと思います。皆さんの方に質問の用紙がすでに渡っているかと思います。できましたら、それに記入していただきまして、出していただければありがたいと思います。はじめに私の方から質問を出させていただきます。山口さんから、地域通貨のお話がありまして思ったことなのですが、大石さんへの私からの質問になるんですが、清見潟大学塾の授業料はこういう地域通貨で払うようなことは、可能になってくるんでしょうか。あるいはそういうことが、どういう意味をもつかということを大石さんからご意見をうかがって、それから山口さんからもご意見をうかがいたいのですが。お願いします。

大石:
 清水市の福祉の方の高齢者対策協議会という、寝たきり老人とか独居老人の委員会に参加したことがあるんですが、その時やっぱり行政が面倒を見るというよりも市民がお互いに面倒見合うというかたちで、要するに地域通貨ですね。ボランティアです。それをまた貯蓄をして、持っていて、年をとったらそれを使うというかたちでの通貨に代わるボランティア券のような、商品券のようなものを発行することを考えたり、また銀行に行った時に、お取引先・預金者と清水市内の商店とを結んで、清水銀行と取り引きしている人は5%引きますよっていうかたちで、共通の通貨ができないかということは、銀行局の方で日本銀行の国の通貨を扱うものがそんなことをしては困ると、その当時叱られましたけども、起こりうると思います。そういうことは可能だと思います。やはり生涯学習とそれから福祉の問題、私ども清見潟の場合は社会教育に属していながら、福祉にも参加していただいている。つまり生涯学習は安上がりの福祉だという考え方をもってますから、これは完全に車の前輪・後輪の関係、両輪の関係っていうと、これは輪の大きさが違うっていうとグルグル廻ってしまう。前輪・後輪なら大きさが違っても、真っ直ぐ進みますから、そういう考えをもっていたことはあります。そういうことしようかなと思っていたことありますけど、そこまで手が回りません。でも可能だと思います。

角替:
 そうですか。大石さんからそのようなお話ありましたけど。山口さんどうですか。
 清見潟の授業料は、全部地域通貨で支払われる。それをきっかけにしながら人と人とのつながりがより緊密化してきて、相互理解が深まるという視点ですよね。

山口:
 そうですね。大石さんのお話をうかがっていて、一番おもしろいと思ったのは、「学びあう」、「学ぶ場」を提供する側が、customer satisfactionというか、顧客満足度を考えて、クーリング・オフなどを作ってきましたね。これは、僕も先ほど評価と言いましたけども、地域通貨云々じゃなくても、より成熟した学びの環境だと思ってるんです。それで、受け入れると宣言したら受け入れられるでしょうし、もっと道具だとか仕掛けにこだわるのもいいですけども、内容をもっと、これまでの流れの部分もあるでしょうけど、もっともっと深めていくような傾向を直感的に感じました。ありがとうございます。というか今後の私の、若輩者の活動にもcustomer satisfaction、顧客満足度を高めないと、どんどん学校化していくのかなという気がします。地域通貨が使えるのはもちろんですけれども、もっと単純に学ぶ場というものも意識しなければならないんだろうなと思います。学ぶ側からひとつ投票というか、評価する指標として地域通貨というものがあれば、ただ単にお金を払ったからといって、学ぶ権利だけを主張するんじゃなくて、学ぶ構造が出てくるのかなと思いました。直接の答えじゃないですけれど、大石さんのこれまでの活動と銀行での経験だとかを凝縮した形で、敬服するしだいですので、僭越なコメントですが。

角替:
 ありがとうございました。実は宮崎大学からコメントが頂けるそうなので、宮崎大学の方にお願いしたいと思います。

宮崎大学(上條):
 3人の先生方、おひとりおひとりにお尋ねしたいと思います。清見潟大学塾は私も数年前にお伺いしまして、大石塾長さんにもお話を伺いました。その節はありがとうございました。改めて興味深くお話を伺いました。15年以上にわたって活動される中で、参加者、それから市民教授の輪も広がってきた訳ですけれども、普通長くやっていますと、マンネリ化をするというのが一般的な活動に見られますが、むしろ活性化されてきているということですよね。その辺の秘訣、何が活性化の源になっているのか改めてお話を頂ければと思います。
 それから、NPOの法人化の動きがあるんですが、清見潟大学塾はそういった方向を目指していらっしゃるのかどうかということ。3点目は、他の市町村でも同様の取り組みが広がってきて、そこと連携を進めるというようなことをなさっていらっしゃるのかということです。
 次に、地域通貨につきましても、最近の動向、外国のことも含めまして、整理してお話頂いて、大変ありがたいと思っております。私の方で、十分掴みとれなかったのかもしれませんが、草津市の具体的な活動内容は、どんなところに地域通貨というかたちでなさっているのか。そして生涯学習との関係はどうか、また、どのような可能性があるのか。以上についてお話頂ければと思います。
 それから、浜松市の博物館、情報化社会の中で大変先駆的な取り組みをされてまして、素晴らしいと思いました。たとえば子供向けのホームページを設けていらっしゃることは、とても素晴らしいと思いました。本日のテーマである移動博物館との関係を考えてみますと、今後インターネットを利用して学校とのやりとりなどが広がっていくといった時に、学校博物館のように出前で行くものが有効性を持っているのか。もしそれが有効性を持っているとすると、情報化の動きとどのような関連性を持っているのかについてお話頂ければと思います。以上でございます。沢山ですみませんがよろしくお願いします。

角替:
 ありがとうございます。それでは、徳島大学の方からもご発言があるようです。今、宮崎大学の上條先生からいろいろご質問頂きましたが、それに続きまして、徳島大学の方、お願いしたいと思います。よろしくお願いします。

徳島大学(西村):
 徳島大学の西村と申します。私は、この徳島大学で大学開放・生涯学習を担当している者ですけども、もう少し突っ込んだところで、3人の先生方にちょっとお話をお伺いしたいと思います。
 大石先生でございますが、塾生の女性の比率が非常に多いということですが、男性塾生の比率を高めるために、いろいろ工夫を凝らしておられるようですけれども、おそらく女性比率が高いというのは、全国的な傾向ではなかろうかと思います。私どものところも例外ではない訳でございます。本物の大学教授による本物のセミナーというのは、どんなテーマでやっておられるのか。またそれによって、男性比率上昇への効果はどのようなものであったかということをお伺いしたいと思います。
 それから山口先生ですが、この地域通貨、ボランティア活動によって、蓄積したクレジットと言いますか、或いは点数と言いますか、それをいわゆる生涯学習の受講の授業料に充当すると言いますか、そういうかたちで受講のインセンティブを図っていくという方向もあるのではなかろうかと思う訳ですけれども、そういう事例がなかろうかということをちょっとお伺いしたいと思います。
 小川先生でございますけれども、小川先生の資料の一番最後に、3点ほど重要なポイントを指摘しておられまして、その2つ目に学習者に対して有効に提示する力と、あるいは1番のところの学習情報としての発信ができる演出力。これからのネットの中で遠隔共有システム、インターネットと遠隔共有システムが、これからの生涯学習の課題となってくると思いますけど、この学習情報としての発信ができる演出力というところをもう少し、具体的にお話頂ければ幸いでございます。以上です。

角替:
 ありがとうございました。それでは、宮崎大学の上條先生、徳島大学の西村先生からご質問頂きまして、こちらの報告者それぞれの方からご発言頂ければと思います。
 はじめに大石さんの活性化の秘訣ということと、他市町村との連携と、それからNPO化の問題と、それからもうひとつは女性の比率に関わりまして、セミナーを使っての男性比率が高くなるという試みについての評価と言うんでしょうか、その辺のところをご発言頂ければと思います。よろしくお願いします。

大石:
 分かりました。上條先生、どうもお久しぶりです。マンネリ化の問題については、こういう組織で、一番気を付けなきゃならないのはマンネリ化なんですけれども、そのために1年更改になっております。教授も塾生も1年ごとに全部洗い直すということです。その度に生徒の募集し直しますので、評判の悪いところには生徒が集まらない。こういうことで、先生も結果的に一生懸命やらないと、魅力のない講座は消えていくということですからマンネリにならないように、1年ずつ区切って仕事を進めております。それだけでマンネリ化を防げるかどうかわかりませんけれども。あと精神的にいろいろと話はしますけれども、かたちとしてはそういうことです。
 NPOの問題は、行政が設立した組織ですから民間団体でというふうに解釈できるかどうか、その辺に問題があるのでちょっとNPOについては、行政との話し合いは進んでおりません。これはNPOの性格からいって、無理じゃないかなと思っています。
 それから、徳島大学の先生のお話で、男性比率を高めるというのは難しいですよね。だいたい女性はよく出てきますけども、男性は定年退職してもなかなか趣味を持てないと言います。家で草をむしったり、テレビを見たり。先程、角替先生が言われた「明日の日本をつくる協会」で内閣総理大臣賞を受賞する時に、それにしても内閣総理大臣賞を受賞するにはもう少し男性比率が高くあった方が良いということから、その対策を問われたことがありました。そこで考えたことは、定年退職してから、「さあ、趣味を持ちなさい」と言われても、なかなか趣味を持ちにくいので、企業にいる間に自分が定年になったらどういうことをしたいか、ある程度頭の中に入れておくべきだということから、私どもの方では、各企業を回って、社長にお目にかかりまして、「お宅の会社は公害を出していませんか。」と言うと、「冗談じゃない。うちはきれいなもんだ。クリーンなもんだ。」と。「そうですか。定年退職者という産業廃棄物を出しているじゃありませんか。」と言いますと、「いったいそれは何だ。」ということになって、そこからいろいろお話しして、結局、「定年退職者がせっかくもらった退職金や、これからもらう年金を貯金するようになったら、日本経済は終わりである」と。 つまり、「高齢化社会というのは、かつての北欧がそうであったように、年寄りが金を使わないと当然不況になります。とにかく町に出て、おしゃれをして、うまいものを食って、本を買って、旅行に行って、恋をして。お金を使わなければ、日本経済だめになりますよ。そのために、お宅の会社の従業員を私どもの大学塾のこのセミナーに参加さして下さい」と。そのために、1年間2万円の後援会費を払って頂けると、4人まではただで受け入れますというかたちでお願いして、そしてこの企業のこれから定年退職を迎える人が、この大学塾のセミナーへ来て、そこで清見潟のいろいろな授業を見ながら、「あっ俺はこういうとこに行きたい、ああいうのに行きたい」と言って、徐々に増えております。今のところ7%ぐらい増えたでしょうか。まだ25%程度で、本当は7:3なり、6:4ぐらいまでいかなきゃいけないんですけども。これはやっぱり、女性と男性の生活力と言いますか、生命力の問題でしょうか。簡単に言えませんが、徐々に増えております。
 もうひとつ、全国各地に清見潟大学塾と同じようなシステムをつくるところが増えてまいりまして、若干、行政主導型に近いけども、やはりそういうものと、将来どういうかたちで連携するか、ということは大きな課題です。そのことについては、隣に副塾長の庄司がおりますので、その庄司が担当しておりますので、庄司に説明させます。

庄司:
 清見潟大学塾の副塾長をしております、庄司と申します。私どものこういうシステムについて学びたいという団体等が、年間50とか100といった規模で毎年見学に参ります。そういう中で、いろいろ交流を図りまして、たとえば昨年ちょうど1年前ですけれども、私どもの大学塾創立15周年を記念した全国シンポジウムにつきましては、私どもが指導したと言うと、ちょっと言い過ぎですけれども、連携をとったところから代表者に来てもらって、お互いに経験を交流しあって、全国のこうしたことに興味を持つ方に聞いて頂いたということがひとつございます。
 それからもう1点は、実は昨年の11月に生涯学習の全国ネットワークというものが結成されております。これは主に東京の三多摩の方々が主導権を握って頂いて、私どももそれに参加しております。目的は、ひとつはこうした市民参加型の生涯学習についての経験交流を、これからずっと広めていこうということが第1点。
 それからもう1点は、インターネットを使った全国的な交流ということで、これは郵政省の事業でございますが、新宿に本拠をおいて光ファイバー網を使って、ちょうど今日まさに国立大学の皆さんが、こうしてやっておられるのと全く同じシステムを本年の4月から発足させようということでございます。私が今日ここへ参加させて頂きましたのも、その下見でございます。これがどういうかたちで行われるのか、このイメージだけでも得ようと思って参加させて頂きました。これから私どももそういう、民間団体だけの集まりではありますけども、各大学で試行されているのと同じようなことを考えておるということだけ、ご報告申し上げたいと思います。

角替:
 どうもありがとうございます。それでは引き続きまして、山口さんからお話を頂きたいと思います。先程、上條さんから、草津の具体的な内容について、もう少し詳しくお話頂ければというお話でございました。それから西村さんから、クレジットの授業料支払いということについてのご発言を頂いたのですが。その辺に絡めましてよろしくお願いします。

山口:
 内容を端折ったところがありまして申し訳なかったです。やりとりをされるに当たって、3つぐらいの使い方があります。一番目は、先程申しました草津コミュニティ支援センターの使用料に充てるというやり方です。来年度からどうしようかという議論はありながらも、そもそもはその草津コミュニティ支援センターの使用料を取りましょう。なぜならば、それを支えている人たちがいるからということだったんです。ですから草津コミュニティ支援センターの使用料に充てるという使い方が1点あります。これは現金でも使えるんですが、現金じゃなくても使えるというような言い方をして、使ってもらっています。

 2番目は、こういう「おうみ達人リスト」と称してますけども、たぶん全然見えないですね。ここにだいたい200くらいのサービスがあるんですけども、先程申しましたメンバー、登録者のできること、或いはしてほしいことがここに書いてあります。できることを読んでいくと、さしづめタウンページみたいなものです。たとえば、「らっきょを譲ります」「新鮮なたまごを譲ります」「子どものおもちゃをあげます」とか、その他家事関係では、「子どもを預かります」とか「買い物を代行します」とか、或いは介護福祉系では、「話し相手になります(痴呆の方得意です)」とかです。こんなことができますというのがリストになっています。ただしこれは、一般的な人にも配ってますので、登録者にはメンバーリストも含めて渡します。モデルにしたのは、先程出てきたアメリカのイサカアワーのアワータウンというもので、名前や電話番号なども書いてあるんですが、そこまで情報を公開していくのはどうだろうという議論がありましたので、とりあえず誰がこんなことができるというようなものをまとめています。ですから登録者の人がこのペーパーを見ながら、かつ連絡を取りながらやるというのが2点目です。
 そしてもうひとつ、3番目の使い方は、突発的に何かをしたいという時に、2枚をぱっと人に渡すというような使い方があります。ですからそれはもしかしたら、言ったギャグがおもしろくなかったら、揶揄するかたちで渡したりする場合もあるでしょうし、その他何かしてくれてうれしいなと思った時、弁当の話を先程出しましたが、何かの拍子にお弁当を出してくれたら、そこでありがとうと渡したりだとか、そんな突発的な使い方もあります。
 今、ちょうど出てますけれども、ぐぐーっと寄って頂いてくと、こんなことできますというのが、パパッと出てくるんじゃないのかなと思いますけども。個人名出てますけどいいでしょう。いくつかカテゴリーに分けてありまして、アート・工芸・手芸とかですね。こんなことできますだとかいうのが、一定リストになって紹介をされています。
 順番としては、センターで使えるというのが最初に始まりまして、センターを使わない人が増えてきた訳です。なぜならば大掃除をしたりして、いわゆるボランタリーな活動をした時に事務局が払ってましたから、ボランティア活動の量よりも使う量が少なかったら、どんどん貯まっていきます。貯まっても紙切れですから、それをどこに使うかって時に、じゃあそれを受け入れてもいいよっていう人たち同士の間で、やりとりしたらいいんじゃないのかなというように、個人或いはグループ同士の間でやりとりがされているというのが現状です。今度はそれがどんどん広がってきまして。10月からは映画館で使えるようになりました。1000円+5おうみ。1おうみは100円相当で計算しますから、1500円ぐらいなんですけども。その他映画館を掃除する時に、ボランティアをしてくれる人がいたら、大掃除ぐらいの時にはそれでありがとうと返すよ、という循環があるので、受け入れてくれたりだとか、或いはタクシーが1回の乗車に付き、これだけだったら受け入れるよとか、そういう協力もあったりだとか。その他農家の方が、ちょっと曲がったきゅうりで、これはちょっと基準として農協とかでははねられてしまう。なので、もしよかったらお分けしますよというものに使えたりだとか。そういうふうに、どんどん柔軟にはなってきました。ですから、市場として成熟している、発達、発展しているのかなと思いますけども。
 何よりも、その使っている人同士のつながりをどうやって維持するかってところにも、気持ちを置いています。「おうみマーケット」と称した、月1回の交流会を開いています。そこには家で不要になったものだとかを、持ってきてもらったりだとか、或いは滋賀県には環境に特化した生協があるんです。環境生活協同組合というのがあるんですけども、そこで作った石鹸だとかティッシュだとかを、このおうみを回している委員会に対して寄付されたもので、買い上げて、おうみを回収したりだとか、そういうかたちでもやっています。内容に関してはWebサイトでも公開してますので、よろしければまたご覧になって下さい。
 生涯学習との関係では、2つ両会場からも頂きましたけども、結論から言いますと授業料関係で使えることがあります。たとえばパソコン講座がそうです。その他気功とかもありますし。ここを見ていけばいくつか出てくると思いますけども。「講座NPO地域通貨と各種入門講座します」だとかもありますし、その他英会話を教えてほしいっていう人もいますから、簡単なものを教えてあげた時にそれがやりとりされることもあるでしょうし。そういうふうに講座というと、団体が提供する講座ももちろん出てきますが、ポルトガル語の講座を受け入れたりだとか、あとリトミックダンスの講座をおうみで受け入れる所もありますし、先程大石さんに対してのコメントの中で言いましたけども、受け入れる側が、受け入れますよって言った瞬間に同意が成立しますから、もう手を挙げたらOK、後は当事者同士の交渉で、どちらかというと売り手市場ではなく、買い手市場かなと思っています。
 買い手が「こんなので受け入れてくれるかしら」と、「OKですよ」ってなったら、そこで交渉成立、受け入れていく。なので、どんどん広がりは出てくる。ところが一方でありながらも、上から頭打ちされてしまうと、さっきのオーストラリアの例じゃないですけども、上から頭打ちになってしまうと、それ以上の広がりがないので、どうやって信用と信頼を担保しながら循環していくか、ただの紙切れですから。何回も言いますけれども。なので、その辺のバランスと受け入れる側の配慮、或いはお気遣いが重要なのかなと思ってます。今後またまた成熟していくことになったら、メニューも増えていきますので、その段にはまた、ご説明ができるかなって思ってます。

角替:
 ありがとうございました。それでは、小川さんからもご発言頂きたいと思います。インターネットの情報提供が進めば進むほど、移動博物館の方は少なくなるとすれば、それをどういうふうに両立させるのか、という質問が上條さんからありました。また西村さんからは、提示における演出力というようなことでのご質問がありますので、そのことに関連しましてご発言頂きたいたいと思います。

小川:
 それでは、私が考えている限りのことでいきたいと思います。
 まず、移動博物館というものを実施していて、それが情報化が進んでいく教育の中で、どういう位置づけになっているかという点ですが、リアルな活動とネット場のそういう学習活動との結びつきということで、私はどちらも非常に大事なことではないかなと思います。ネット上の学習が非常に整備されて十分活動できるようになったとしても、リアルなそういう実体験だとか、実際のものに触れる、実物に触れるという活動が、どこかで出来ていないとよくないのではないかなというふうに思います。
 たとえば、子どもたちはネット上でいろいろ情報を集めて、或いは用意されているワークシートであるとか、そういうもので学習を進めるにしても、それを自分の中で実際の経験としてどう結びつけていくかということが、非常に大事じゃないかなと思います。それがしっかりできてくると、たとえば新しい事象にぶつかった時に、今までの経験と比較ということが行われて、新しい学習ができていくのではないかというふうに考えていますので、それを無くしてしまうということは避けたいなという点が1点です。
 もうひとつとしては、学習をする時に今、実際に移動博物館をやってる訳ですけど、そこでいったい何ができるのかとか、そういう利用する側が活動をイメージする時に、非常にインターネットというのは有効になっていて、それによって集めた情報を使って、より活動の内容を高めることができるのではと思います。今年、全部で6校実際に実施した訳ですが、浜松市博物館は、残念ながらインターネットに接続してませんが、一部の浜松の小学校では接続を開始しています。今年3月までには全部の小学校が接続される予定で、博物館も3月までにはホームページを開設する予定です。そういう中で先生が個人的に私とメールのやりとりをしたりしながら、実際の活動を何にするかということが十分コミュニケーションがとれた学校と、その手段が少し欠如していてとれなかった学校とある訳ですが、取れていなかった学校は、実際現場へ行ってから、先生方がイメージを膨らませて活動を考えていくということになって、非常に非効率的な活動になってしまうという面もありました。そういう面からもコミュニケーションの道具として、インターネットを上手に使うことが、さらに進んでくると、そういうネット上で学びというものの知識を得た、或いは方法を知ったものを実際、実物と結びつけながらの学習というのが発展していくのではないかなというふうに、私は考えています。
 もうひとつの演出力のことですが、これは実際その学習を進める時に、ひとつには、たとえば映画などで写真を撮っていく訳ですけど、そのコマごとの演出というのと、或いはそのコマを連続して見せていく上での演出というのと、2つがあると思うんです。まずひとつには、私がここで言っている学習情報としての発信ができる演出力というのは、これはどちらかというプロデュース的な話で意識してます。つまり、ものをどう見せるかという、そういう演出力も大事ですが、学習活動としてプログラムしていく時に、その見せることにどんな要素を絡めていくかという、どちらかと言うとディレクター的なことがあるかもしれません。そういうようなことで意識してます。先ほど土器を見せた訳ですけども、多くの場合先生方は単に「これは弥生土器ですよ」ということで、子どもたちに提示します。「これが縄文土器ですよ」ということで提示しますが、そういう提示っていうのは、子どもたちにとっては「ふ〜ん」で終わってしまう訳です。初めて触れるものってのは、知識がない時にポッと見せられると「ふ〜ん」で終わってしまう訳です。たとえば見せた黒い弥生土器、真っ黒な土器を、子どもたちは手で持つと手が真っ黒になりますので、「汚い」ということで「えー」というような声が挙がるわけですが、そこで子どもたちに「それが今から2000年近く前の煤だよ」と「その煤がそのままみんなの手に残ったんだよ」っていうようなことで、ちょっと話をしていくとだいたい、手も洗わずに子どもたちはどこも触らずに帰るというようなことが起こる訳です。そういう見せ方もひとつの演出というのもあると思います。ですからちょっとお話と私の今の話とちょっとぼけちゃったかもしれませんけど、実際に全体をいろんな要素を絡め合わせながら、プロデュースしていくようなディレクターとしての演出というものと、1点1点・1ページ1ページを見せていくという両方が、そういう力がついてこないと、実際発信者として十分責任を果たせないのではないか。特に、博物館と学校ということで考えると、ひとつひとつの資料の見せ方の演出力は、博物館、それを学習活動の中で使う場面とデザインする、プロデュース力みたいなものは学校という感じで、両者ともに高まってこないと、学習に寄与できないんじゃないかなというふうに、自分に対して言っているという部分もありますが、そういうふうに考えています。

角替:
 どうもありがとうございました。徳島大学、宮崎大学の方、よろしいでしょうか。他に何かご質問、ご意見等ございましたらお願いしたいと思います。ここの会場におります学生諸君の方から何か意見・質問ございますでしょうか。

学生:
 静岡大学の生涯学習を勉強している学生です。今、話を聞いていて、地域通貨とか生涯学習っていうのは、すごくその地域とつながるということをすごく重要視して話が進められていると思うんですけど。今、多分そういった地域とかつながりとかをすごく重要視してるってことは、個人個人がそういう体験があったと思うんです。そういうことに対して、良かったっていう。でもこれは今、個人化というか、一方でそういうことが進んでて、そういうのに対して地域とのつながりに良いイメージを持っている人たちが、それをもう1回復活させようっていうかたちで、違ったかたちで復活させようっていうかたちで、こうやっていろいろな取り組みをしてると思うんですけど。多分子どもの中には、そういうつながりとか地域っていう具体的なイメージが無い世代が多分これから出てくると思うんです。そういった意味で、ハード面の整備も必要だと思うんですが、そのハードを利用するソフトっていうか、人の方の充実も大切だと思っています。先程言われた博物館の具体的なことと、具体的なその体験と情報のバランスっていう、そのバランスっていうのは聞いてて大切だと思います。以上です。

角替:
 ありがとうございます。そのことについて、また3人の方から意見を頂きたいと思います。実は今、弘前大学の方からご発言を頂けるということの連絡を頂いております。弘前大学、どうぞよろしくお願い致します。

弘前大学(藤田):
 弘前大学の藤田と申します。小川先生にちょっと質問させて頂きたいんですけれども、その前に感想として、学校移動博物館の実践とか、或いはわくわくミュージアムの事例で、そういう活動がすごく、今日的な学社融合ってことが言われる中で大事な課題に、積極的に応えられてるってことで敬意を表したいと思うんですけども。ひとつは、学校移動博物館を実際に何年かやってこられてきて、その中で、今日の先生のお話は主として博物館側から学校にアプローチしていくという趣旨、そういういわばコンテキストでの発言だったと思うんですけども、それに対して先生側の反応はどうなのかってことを是非お聞きしたいなと思います。一般的に、例えば博物館の展示を見学に行くとか、或いは博物館の資料を借りて、実物資料を借りて、それを授業の実践の中で組み立てていくというかたちの利用というのは、結構あったと思うんですが。その浜松の博物館が学校移動博物館として、学校と連携を強めていく中で、先生の側での反応があったか、変化はあるのかというところで、それはたとえば、日常的な授業実践の中で新しい試み、学習内容を組み立てるとか、或いは学習方法を開発していくっていう面での新しい試みがあったのかどうかという意味での、或いは博物館を利用する側との博物館を利用する団体の、たとえばワークシートを共同で作るとか、そんなふうな新しい反応みたいなのがあるのかどうかというところがひとつです。
 そしてもうひとつは、小川先生自身が先程の紹介ですと、小学校の先生としての経験もあり、また学芸員としての蓄積もおありということなんですけれども、その学校教育と社会教育、両方を経験された中で、教育・学習を巡る基本的な条件が大きく違う2つの世界を経験されていると思うんですが、そうした中で先生ご自身が、教育・学習の基本的な理解と言いますか、あるいは理論と言いましょうか、そういうところにつながるような自分自身の中での大きな変化、認識の変化みたいなものがありましたら、ちょっと教えて頂ければと思います。単純な例で言うと、最近学校の教育を巡る問題の中で、いろんなことを言われますけども、たとえば学力に即してだけ言うと、受験学力みたいな知識偏重だとかいろんなこと言われますけども、それに対して博物館の場合には体験学習的な、或いは実物資料を利用して、より深い認識を獲得するような教育活動が展開しうると思います。学校教育の場面でも、もちろん体験的な学習はされてますけども、そういういろんな教育実践を巡る学校教育と社会教育の場の違いを踏まえて、小川先生自身が感じている問題点とか或いは可能性みたいなものを、感じていることがありましたらお願いします。以上です。

角替:
 はい、ありがとうございます。それでは、先に、今の弘前大学の藤田先生からありましたご質問に、小川さんの方からお話しして頂きまして、その後、学生諸君の方から出ました問題に入りたいと思います。よろしくお願いします。

小川:
 はい。それでは、大きく分けて2点ほどあると思うんですが、まず1点目として、学校移動博物館の学校側の反応ということ。もう1点は、私自身が両方経験して学習活動だとか教育活動に対してどういう感想を持っているかというようなことで、お話できるかなと思いますが、もし足りなかったらまた言って下さい。
 まず学校側の反応ということですが、実は浜松市の博物館としては、昭和63年頃から、学校への実物資料の貸し出しを行っています。これは小・中・高全て合わせると数百点という数が学校へ毎年出ていって、授業で使われているということが行われています。学校移動博物館を最初に始めようと思う前に、いろんな取り組みをやっていまして、ひとつには、まず先生方に教材研究の場として、博物館を使ってもらおうということです。或いは先生からもちょっと話があったように、先生といっしょに子どもが使うようなワークシートを作りたいなというようなことを、実は平成元年頃から行ってました。その中で私自身が、博物館をもっと授業として使ってくれないかなというようなことを思ったのですが、なかなかその段階では、学校側の反応は鈍かったです。いろんな手段を使って呼びかけをしたんですが、なかなか上手くいかない面があって、それだったら出かけていこうということで、移動博物館を始めた訳です。
 ですから、知ってもらおうということが一番だった訳です。よく美術館であるとか、そういうのだと、みんなだいたいイメージが湧くと思うんですけど、博物館というのは字の如く博物ですので、なかなか館としてのイメージが湧かない訳ですね。ですからもう行って見せちゃおうということでスタートしました。浜松市内、64校ありまして、だいたい前の年度に希望調査をします。開催希望の学校はありますかと調査をします。初年度がだいたい30校ぐらいでした。だから半分ぐらいから希望がきていました。途中、私も学校に戻ったりしてる時期があったのですが、20数校という落ち込んだ時もあります。今年はだいたい40校から希望の申し込みがあります。ですから2/3ぐらいから希望申し込みがありました。
 希望の来ていない学校は、ここ数年で行った学校が遠慮して取り下げる。或いはすぐそばの学校はだいたい希望してきません。来てくれますので、希望してきません。その他からは、非常に希望が多くなって。実は、この前の17日の日に私自身が市の校長理事会に出かけていって、来年もこういうふうに開かせて下さいということをお話するわけですが、そこからもなんとか数を増やせないかというような話は毎年出ます。ひとつの学校へ行くと、近隣の小学校・中学校は、その学校へきてもらい、授業で使うというようなことを行ってますので、1校へ行くとだいたい3、4校が利用してるというようなかたちになってます。お陰様で非常に評判良くやらせてもらってるというのが、私の感想です。
 しかし一方では、たとえばもっと早くから分かっていれば、授業単元の展開であるとか、或いはそういうカリキュラムの組み替えをやって、もっと時間にゆとりをもってできて良いのではないかという話が毎年出ます。それなりの手だては打ってやってるつもりなんですが、それがなかなか実際に学級担任であるとか、そういう現場の所まで話が伝わらないという、そういうすごく現実的な問題がある訳ですが、そういう評判をなんとか解決しながら先に進んでいけたらなということで行っています。
 それでワークシートについては、うちの博物館はすでに20枚ほど先生方と一緒に作ったワークシートがありますが、ここ数年はちょっとさぼって作っていなくて申し訳ないんですが。実際に子どもたちが使ってみたり、或いは子どもたちのアイデアで作ったようなワークシートもあります。今日は大学へ来ていますので、大学の学生さんもいる訳ですが、うちの館で作ったワークシートの中には、博物館実習を受けた実習生が作ったワークシートをそのまま採用して使っているものもあります。そういうかたちでやっています。
 もうひとつは、学校と博物館というものを経験していて、どういうふうに感じているかということにつながってくるのかもしれませんが、私は平成元年に、浜松市博物館へ初めて勤めました。途中で1回学校へ戻ってますが、まず博物館へ勤めて、一番最初の感想は、「もったいない」というのが感想です。なんでこれだけ資料や情報があって、授業に使わないんだろうというのが第一の感想でした。それで、その方法をいろいろ模索しながらきた訳ですが、今特に言われてますけど、基礎・基本ということをよく言われると思いますけど、それに3段階ぐらいあると思っています。
 ひとつには教科の基礎基本。それが学力保証であるとか、そういうことにもなってくると思います。ふたつめは生活の基礎基本というのがあると思います。3つめは、基礎基本というのは学び方であるとか、そういう手順であるとかというものを、身に付けていくとことで、いわゆる各教科で押さえているものとはまた別に、たとえば先程言ったように、情報活用の実践力であるというようなことも基礎基本になってくると思うんです。そういう部分では、博物館も一緒に取り組めることがあるのではないかなと思います。私が博物館に勤めだした当時は、今でもゼロとは言いませんが、「それは先生の仕事だから博物館がやるべき仕事じゃない」というのがかなりありました。そういうテリトリーというか、すみわけみたいなことをしようとする意識がかなりあったと思うんですが、最近はだいぶその傾向が変わってきて、一緒に学習活動をつくるという意識が、僕自身の感想としては、教員よりも博物館側の方が高いのではないかというふうに思っています。ただ博物館の学芸員というのは、非常に専門性を重んじて、学芸員としてのプライドもありますので、先生方の支援をするというのはちょっと嫌ってる部分があるように思います。しかし、一緒に子どもたちを育てようということであれば、通じる話が非常に多くなってきていると思います。以上です。

角替:
 ありがとうございました。ちょっと時間が押してきました。先程、静岡大学の前田君から発言がありましたが、これは大事な問題だと思いますので、それをまとめのところに持っていきたいなと思います。
 実は今、筑波大学の方から発言があるそうなので、そちらに回したいと思います。筑波大学、どうぞよろしくお願いします。

筑波大学(野村):
あまり、時間もないようなので1問1答形式みたいにお願いしたいと思います。まず大石先生に、市場原理を導入しているというところがとてもおもしろいと思うのですが、学習ということを考えると、たとえば市場原理にはなじまない部分が多少入って来ると思います。上級のものとか、中級のものとかいうものを考えると、だんだん学習者が少なくなってくることがあると思うのですが、その辺についてどのようにお考えなのかをお聞きしたいと思います。
 山口先生には、(地域通貨は)お金とは違うということだったのですが、そのような地域通貨を考えますと、たとえばちょっと隣の人に頼まれたから車に乗せてあげるといった場合にも、何かもらいたくなるとか支払わなければいけないかとか、そういう気持ちが生まれてこないかなという危機感を感じてしまいますが、そういうもともとあった絆を傷つけないようにするための工夫がありましたら、是非伺いたいなと思います。こういう試みは非常におもしろいと思いますし、今後広がっていく可能性もあると思うのですが、そういうマイナスの面を考えなくていいのだろうかということをお伺いできたらと思います。
 それから小川先生の取り組みは非常におもしろいと思いますが、インターネットなどのお話を伺っていると、結局情報の信頼性というのがあると思います。小川先生のようにして下されば、かなりありがたいと思いますが、著作権等の問題というのが、何か起きていないのかなと思いました。
 どれも非常におもしろい発表でした。できれば他にもいろいろ伺いたいのですが、今回はその辺をお願いします。

角替:
どうもありがとうございました。筑波大学の野村先生からのご質問ですが、ちょっと時間の関係もありますので、それぞれ1〜2分程度でお答え頂ければと思います。

大石:
 従来の行政の生涯学習の方針は、画一的なるが故に魅力がないんじゃないかと思って、市場原理を導入しましたが、やはり市場原理といっても原則ですから、新しい試みだから古いかたちのものを壊そう。清見潟大学塾を設立する時に、基本の概念を打ち破って全く新しいシステムをつくろうということだもんですから、画一的な報酬制度からこういう市場原理ということで導入しましたけど。もちろんこれが完璧だとは思いませんけど。ただ現状打破ということからやってみて。まだ試行の段階ですので、これからどういうことが起こるかちょっと分かりません。

角替:
 では、山口さんどうぞお願いします。

山口:
 どうもありがとうございます。結論から言いますと、僕は地域通貨みたいなものはない方が健全だなと思っています。今は必要だから、そういう仕掛けをしたらおもしろいかなっと思って導入していますので、おもしろいという思いだけでやってますけども。実際、危機管理とかはやっていますし、何よりもその手段が目的になってしまうのが一番怖くて、地域通貨がないと、何も頼めなくなってしまうのは、一番僕が気にしているという点ではありました。僕以外のメンバー、特に事務局のメンバーもそうです。
 ただ、やってみると分かりますように、あったらあったで使い勝手がありますし、なかったらないでなんとかなる、今度また返すからっていう。だから貸し借りの関係を、きちんと制度にするという思い、或いは仕組み、仕掛けもあるんですが。一方でその人と人とのつながりがもう一度、何かがなくても頼める。先立つものがないので、お金がないので、センターの運用、活用するためにつくったという側面はありながらも、人と人との関係をそんなクールに、それがないとだめだっていうふうに規制、制限をしてしまうものではないので、やってみると分かるかと思います。関東の方でもいくつか動きがありますので、是非ご参加下さい。やるとやっぱり実感が湧いてきますから、どうぞ。

角替:
 では、小川さん。最後になりますがよろしくお願いします。

小川:
 はい。まず信憑性ということですが、私は博物館職員ですが、ホームページでは個人運営サイトというかたちをとっています。一応、館の中では承知をしてもらってますが、そういう面であやふやに見えてしまうところが実際あると思います。それで、現実問題として、開設した当初は公立の博物館からうちの館に電話があって、こういうホームページがあるけどあれはどういうことだっていうような、問い合わせがあったりした時があります。トップページで、趣旨等こういうホームページだというようなことは述べてありますので、著作権的には一応、私個人の運営ですので、私の研究会から博物館に掲載の依頼を出して、許可を得るというかたちをとっています。以上です。

角替:
 どうもありがとうございました。それでは先ほど申し上げましたが、静岡大学の生涯教育課程の前田君から発言ありましたことですが、要するに、「地域というような中でのつながりをほとんど、感じていない子どもたちが現在非常に多くなっている、今の学生諸君もそうなのかもしれませんけれども、そのようなことから考えた場合に、そういった地域的な人間的なつながりを生み出していくようなソフトは非常に重要であり、そのためには何が必要か」ということだったと思います。報告をしていただいた皆さん方は、いろんな試みをネットワークというかたちでなさっていますので、地域における人々との関わりという視点で、それぞれ前田君の質問を踏まえてご発言を頂き、それで本日のシンポジウムを終わりにしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

大石:
 一昨年ですが、慶応大学の学生が何十人か来まして、やはり同じことを言っていました。結局、結論を言うと私も地域だけでなくて、私は、古事記・日本書紀を60年勉強してますけども、それを清水市だけで終わらせるのはちょっともったいないと思って、インターネットで全部、どこでもその講座が聞けるようにしたらいいなとは思ってます。そういうかたちにだんだんなっていくのじゃないかなと思います。一度、地域というものへは帰るけど、結局また戻るということは、広がるっていうことはあり得ると思います。そうなった場合に、清見潟大学塾というのは地域の生涯学習でなくて、もっと広い視野で、考えなきゃならない時もあるんじゃないかなと思ってます。そこまで生きていられるかどうかわかりませんが。

山口:
 僕は実感できるということが一番かなって思っています。ハードが場を指して、ソフトが手段を指すとしたら、それぞれの仕組みと仕掛けと見せ方のバランスが、僕は重要だなって思ってます。いくらおもしろい仕組みを作っても、そのしかけが弱かったらその仕組みは生きないですし、何よりもその見せ方がうまく工夫されていないと、怪しいとかうさんくさいだとか、或いは良いことをしてもそれが人に広がっていかないので、ちょうど訪問販売のものが売れないのと同じように、テレフォンアポインターが電話してくるものが怪しいのと同じように、やってて良かった公文式じゃないですけど(笑)、やってて良かったと思えることを外の人に広げていくのには、ある程度地域にこだわるのは僕は必要な過程かなと思ってます。
ですから、人がそれなりに動く範囲において、良いなと思うことを共有できるような関係が出来ていくのであれば、その街が学校になっていく。脱学校、イリイチじゃないですが、街が学校になっていく。寺山修司であれば「書を捨て街に出よ」と言いましたけども、書を持って、何か内容を持って街に出ていくと、そこに多分に学べる環境ってのが転がっているのかなという気がしてます。ですからとりあえず何が何でも街に出ろとは言いませんけども、街の中に逆に学ぶ要素は多いので、1回脱学校、学校の外に出てみるとそこがまた街が学校になっていく、そういう関係があるのかなと思っています。昔の京都はそうだったんです。大学が多い街で、喫茶店でいろんな議論をしてるとか。僕もそんな時代は知りませんが。街が学校になるというような感じで何か考えていくと、街がおもしろくなっていくのかなと思ってます。何か発見することってあると思います。そうしろとは言いませんけども、そういう機会を僕は提供していきたいなと思っています。

角替:
 ありがとうございました。それでは小川さん、どうぞよろしくお願いします。

小川:
 はい。どういう仕組みをやっていくかということは、今山口先生の方からお話があったので、ひとつ私の知ってる例ということで、地域を見つめるということで、よく交流学習ということが小学校・中学校で盛んに行われてます。
 ある南の小学校の子が雪国の暮らしを調べるということで、雪深い学校と交流を始めたわけです。そうすると、南の学校の子どもたちは、雪国の子どもたちのところに、「今、雪がどのくらい積もってますか。」とか「除雪車は1日何台来ますか。」とかいろいろ聞いてくるわけですね。ところが、その雪国の子どもたちは聞かれて、はたと自分の街のことをよく知らないということに気付いて、そういう視点を持って調べに街へ出かけて、もう一度地域を見つめ直すということが起こるわけです。よくインターネットの交流学習というと、すごく遠い所と学習をすることばかりを求めているように取られがちですが、そういうことではなくて、もう一度自分の足下を見つめ直す手段としてもすごく有効ではないかなというふうに思います。ちょっとまとめにならないかもしれませんが。以上です。

角替:
 どうもありがとうございました。5時までという時間の制限がありますので、もうそろそろ終わらなければなりません。今日は大石さん、山口さん、小川さんの3人からご報告を頂きました。それぞれの方々が、それぞれの地域の中で、まさにネットワークそのものを創り、構成しながら活動なさっておられますし、そういう意味では今日参加して頂いた学生諸君も、「ああ、学びの場というのは広いんだ」ということを、改めて気付いてくれたのではないかと思います。
 そしてまた今日、全ての大学には時間の関係もありまして発言いただけませんでしたけども、かなりいろいろな大学の方からもご発言頂きました。学習のつながりというものが広がってきているんだという実感を、このシンポジウムの中でも感じて頂けたのではないかと思います。今後の教育の在り方、学習の在り方というものについての示唆を少しでも、このシンポジウムを通じて感じていただければ大変ありがたいと思っております。
 それでは時間にもなりましたので、以上で本日のシンポジウム「学習ネットワークと生涯学習3」を終わらせて頂きたいと思います。参加して頂きましたそれぞれの大学の皆さま方、どうもありがとうございました。(拍手)




Return to Top