公開シンポジウム
「大学と博物館を結ぶ」
『博物館学芸員と語る』


期日:平成13年7月14日(土)13:00〜16:00

場所:静岡大学 共通教育棟



事例報告(1)

静岡市立登呂博物館 ▼JUMP
中野 宥

事例報告(2)

静岡県立美術館 ▼JUMP
山下 善也

事例報告(3)

東京国立博物館 ▼JUMP
吉田 知加

事例報告(4)

豊橋市自然史博物館 ▼JUMP
家田 健吾

討論 質疑 ▼JUMP
コーディネーター 柴垣 勇夫


司会(柴垣):
 会場にお集まりの皆さん、大変お待たせ致しました。私ども生涯学習教育研究センターでは、当センターの主催ということで「大学と博物館を結ぶ」というシンポジウムをこれまで毎年一度ずつ行ってきました。今年は「博物館学芸員と語る」というテーマで、博物館における学芸員の仕事とはどんなものなのか、ということをもう少し原点に立ち返って見てもらおうということで計画してみました。浜松の方にも情報学部の学芸員資格を取るという学生さんが30名近く参加する予定になっています。それからSCSといって国立大学を結ぶ衛星中継がございますが、これを使って各施設とも意見交換をする機会にしてみようと考え、計画しました所、全国から5つ、北海道大学、北海道教育大学、それから佐倉にあります国立歴史民俗博物館それに、京都、豊橋の大学にも参加して頂くことになりました。ではただ今から「博物館学芸員と語る」というテーマによる「大学と博物館を結ぶ」公開シンポジウムを始めさせて頂きたいと思います。最初に生涯学習教育研究センター長、滝よりご挨拶申し上げます。

滝センター長:
 皆さんこんにちは。全国の皆さんこんにちは。私は静岡大学生涯学習教育研究センター長の滝でございます。この生涯学習教育研究センターは、大学と地域を結ぶための公開講座とか、このようなシンポジウム、あるいは講演会など、いわゆる大学の窓口としての役割を担っている共同の施設であります。センターではいくつかの計画的な事業のうち継続的に進めている公開シンポジウムがありますけれども、先ほど司会が述べましたように「大学と博物館を結ぶ」というテーマも、その一つでありまして、今回が第四回を数えます。本学では人文学部や教育学部、更に浜松の情報学部の学生を中心に、学芸員の資格取得希望者が年々増加しております。したがって博物館で実習生がお世話になる人数も年々多くなり、博物館学芸員の方には実は大変ご迷惑をおかけしておりますが、大学が持つ博物館情報は、ほんの一部で、実際の博物館、美術館での特徴ある活動などへの理解など非常に乏しいものと言えます。そこで学芸員の方々の貴重な体験のご報告や提言を頂いたり、学芸員養成のための大学と博物館の意見交換を兼ねたシンポジウムをこれまで三回行ってきております。一回目は博物館と大学及び学生との意見交換を目的に、「博物館学芸員の仕事」というテーマで、二回目は学芸員の活動内容の中でももっとも重要な「教育普及活動」をテーマに取り上げて行いました。昨年の三回目には地域と結びつく博物館、生涯学習の場の博物館として各地で取り組まれている「博物館ボランティア」を取り上げまして、ボランティアの養成あるいはその必要性、ボランティア希望の方々の意向といったことを中心にさまざまな取り組みとそのあり方について討議を行いました。さてこの四回目は原点に戻って学芸員養成に必要な博物館への意識の持ち方や、生涯学習としての博物館事業への認識を持ってもらうため、「博物館学芸員と語る」と題しまして、始めに最近の博物館の動きをご報告頂き、その後シンポジウムに参加している学生と学芸員との討論、あるいは学芸員の方どうしの討論をしてもらうことを企画致しました。大学と地域の生涯学習の場としての博物館を結びつけ大学が、市民、学生、博物館の橋渡しの役割を荷いたいと願うからでございます。本日は静岡県立美術館の山下善也さん、静岡市立登呂博物館の中野宥さん、本学卒業生でもある東京国立博物館の吉田知加さん、豊橋市自然史博物館の家田健吾さんの四人の方にお願いしております。講師の先生方にはご多忙の中、本センターのために、また本学教職員及び学生のために足をお運び頂きましてまことにありがとうございます。また今回浜松キャンパスでは遠隔通信システムを用いて情報学部の高松先生と学芸員志望の学生の皆さん、更に静岡文化芸術大学の学生の皆さん、また衛星回線を利用しましたSCSシステムにより千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の先生方にもご参加して頂いております。どうぞ討論にも参加して下さるようお願い申し上げます。SCSには先ほどもありましたように、北海道大学、北海道教育大学、豊橋技術科学大学、京都教育大学からもご参加して頂いております。暑い中、本学までお出かけ下さいました会場の市民の皆様、博物館学芸員の皆様及び本学教職員、学生の皆さんご参集ありがとうございます。最後までご静聴頂き、是非後半の質疑討論にも是非とも積極的に参加して頂きたいと思います。このシンポジウムが博物館と本学をより身近に結び付ける糸口となることを願って、私のご挨拶と致します。どうもありがとうございました。

司会:
 本日の司会をいたしますのは、本学で博物館概論の担当しております柴垣と申します。学生の皆さんにはおなじみの顔のはずであります。それでは早速に学芸員の方々にそれぞれの館の特徴を中心にして、今どんなことが博物館、美術館で話題になり、それに対応しているかというようなところ、それから学芸員の実習にはこんなことで困っているみたいな、そんなところのお話を頂こうと思っております。レジュメには、ご覧のような順番になっていますが、ちょっと手違いで人文学部まで上がってしまって会場を探すのにおおわらわというような事件がございまして、ちょっとまだ息を整えるのに時間がかかっているという先生がお見えになりますので、ちょっと入れ替えまして、最初に登呂博物館の中野宥さんにお願いしたいと思います。よろしくお願い致します。


(1)静岡市立登呂博物館

中野 宥


 皆さんこんにちは。登呂の博物館の中野と申します。よろしくお願い致します。今日はですね、普段博物館で学芸員という職種の職員が、どんなことをやっているのか紹介しろと言うことですので、何の話をしたらいいのかな、と思いつつやって来ました。私たちの博物館の場合、よその大きな博物館ですとか、組織のしっかりしている所とちがって、学芸員といいましても平均的な仕事っていうのはなかなかないわけです。本来的には、展示。展示といってもただケースの中に、あるいはケースの外に博物館資料を並べてそれを見て頂くというようなそういう仕事だけではなくですね、展示というものは屋内、屋外の展示も含めまして色々なものがあると思うんですが、そういった仕事がだいたい一番中心になるべきはずなのです。ところが私たちのような所は、公立ですので登呂の博物館の場合は、静岡市立ですので、私たちは静岡市の職員であるわけです。行政的な職名では学芸員という正式な職名ではなくて、主事であったり、あるいは今いるのは主査だったり、私は主幹といいますけれども、そういった行政上の職名が与えられております。よそもそうなんですけれど、辞令一本でどこの職場へ変わるかわからない、というような恐れと言いますか、そういうものも持っているんですけれども、私ともう一人民俗の学芸員がいるんですが、幸か不幸か博物館が昭和42年に開館してからずっと、登呂にお世話になっております。
 登呂遺跡っていうのは、教科書にも必ず載っていて、日本国民で学校教育を受けた人間ならば、みんな名前をよく知っているという所であるわけです。最初はやはり年間二十万人以上の来観者がありました。それがですね、昨年度、平成12年度の来館者の総数が十万人を切ってしまいました。非常に落ち込みが激しいですね。これは一つには、よく言われるのには、吉野ヶ里遺跡が有名になったり、あるいは時代は違いますけれど三内丸山遺跡といった、非常にニュースにのるような、派手な遺跡がみつかりまして、そちらの方に人気が集まったからなんだろうという具合に言われてきたわけです。ところが実際に入館者数の統計とか動向を見てみますと、必ずしもそうとは言い切れない点があるように思われます。それをよく見てみますと、どうも私たち学芸員のアイデア不足っていうものが、大きな原因にはなっていないだろうか。先ほども言いましたように、私たちは行政職ですので、私の場合はちょっと機械音痴のところがありまして、あまりそういうことはないのですけれど、他の学芸員の人たちは、一日の仕事の中でワープロに向かっている時間が非常に長いんです。で、ワープロに向かって何をやっているかというと、文書を作っているんですね。行政文書、報告文書、それから企画書そういうものを作っているわけです。その時間が長くて最近では情報公開っていうこともありまして、非常に書類が繁雑になりまして、内容的に、すごく細かくなっています。ちょっと不備がありますと、課長、部長の方に決裁を回した時に戻されてしまいます。そうしますとそれを作り直さなきゃならないんですね。そうするとどうしてもデスクの上で、ワープロに面している時間が長くなってしまう。それからうちの博物館の場合は三階に小屋裏と言っていますが、そこに収蔵庫があるんですけれども、その収蔵庫に年間何時間くらい行っているのか。収蔵庫に展示資料あるいは博物館で活用すべき資料が山ほど眠っているわけですけれども、それに対している時間がいったいどのくらいあるんだろうかと、そういうことを私最近非常に心配になってきました。レジュメにですね、ちょっとプロ意識の欠如というようなことを思わず書いてしまったんですけれども、そういう状況が私たちの中に生まれてきてはいないかと。あまりにも行政的な手続きっていうものを意識しすぎまして、ちょっとアイデアを練ってみるという努力や時間をもつといったところが欠けてきているんではないか。要するにアイデアがないという状態は、どういうことかと言いますと、面白くない博物館になってしまうんですね。面白くない博物館なんですからやっぱり人は来ません。数字的なものを気にすべきではないといいますけれども、確かに入館者数というものが、非常に落ちているということで、やはり行政的な価値判断っていうのは、どうしても数字が中心になってしまいます。そこで気にせざるを得ないんですが、実は数字っていうものは、これは一つの魔法でありまして、操作の仕方でどうにでもなっちゃうような根っこを持っています。ですから私たちはやはり何と言っても、入館者、最近ではですね、うちの博物館では「お客さんお客さん」と呼んでいますけれど、入館者の方たちの満足度あるいは充実度、そういうものを何とかはかれる、そういうシステムを作っていかなきゃならないという意見が出てきております。とは言ってもやはり予算をとらない限りは大きな活動をできませんので、予算をとるためには入館者数を増やさなければならない。それが予算獲得の根拠になるものですから、予算獲得のために一番手っ取り早いのは何かと言いますと、これはやはりイベント的な行事ですね。そういうものに流れやすくなります。そうしますと登呂遺跡っていうのは、弥生時代の今から1800年くらい前の農耕集団の遺跡なんですけれども、その弥生時代の農耕文化というものの研究が滞ってしまっても、イベントならやっていけるわけです。そういう意味で、私たちはだんだん登呂の学術的観点から離れていってしまうんではないかという、そういう心配を私は持っているわけです。しかしながらともかく新規事業を何かやっていかなければならない、ということでいくつかやってきているわけなんですが、何をやるかを考える場合ですね、入館者の動向が問題となる。これは昭和48年度の入館者数です。47年に開館していますからその翌年の入館者数の数なんですが、これ見て頂きますと、5月と8月と、11月にピークがございます。5月はどういうピークかと言いますと、これは小学校、中学校の遠足、あるいは修学旅行、そういう学校単位で入ってくる人たちの人数がこのグラフを押し上げております。8月のこのピークはですね、これは親子の入館者数が多いというものです。親が子どもの夏休みの宿題、自由研究を始めとする勉強のためにうちの博物館を訪れる。それから11月は、これは秋の観光シーズンです。これは大人の団体客が結構多いんです。中にはバスの中でお酒を飲んで酔っ払ってくるような人もこの時期には、多々見受けられます。そういうピークで、3月のところで一つぽっと上へ上がっていますけれど、これは4月につなっがっていくんですが、大学が春休みになりまして、学生さんがやはり多い、そういう時期になります。それからこれは昨年度のグラフです。だいたい山の形というのは似通っているんですけれども、単位はこれ、先ほどの48年度のグラフと目盛りは同じです。ぐっと落ちていることがおわかりになるかと思うんですが、特に大きく違うのは3月ですね。3月がちょっと落ち込んでおります。11年度を見ましてもほぼ横ばい。その前もそんなには変わっていない。3月の学生さんたちが押し上げていた数字が著しく落ちている、ということがわかります。5月のこういう学校がですね、学校単位で授業に合わせてやってくる、そういった時と、夏休みが親子で学習をする、そういう目的の時と、それから秋の完全に観光型、のそういう山の三つの大きなパターンがあるわけです。ですから何か事業をやる時もこの三つのパターンを無視した形ではできないわけです。できないというよりもやれないことはないんですけれども、やってもやはり満足度という点では違ってくるわけです。ですからこの三つのピークの時にどういった内容の事業を展開したらいいのか、これは実は前から、研究課題としてやってきてはいるんですけれども、なかなか今の所しっかりとした答えは見つかっておりません。そんな中でやっているのが「弥生人グルメ」という事業なんですけれども、貫頭衣を参加者に着て頂いて、調理から食事まで、これは復元しました甕形土器ですね。土器を使って赤米を実際炊いて、あるいは魚を石の刃物で調理しまして、あるいは肉を焼いて、それを食べると、そういう事業なんですが、これは5月に毎年やっています。本当はこれ、性格的には夏か秋に持ってきたいものなんです。ところがこれ食事の関係ですので、夏ですと痛みやすいっていうことがありまして、とても夏には持って来れない。秋には前に持って来たことがあるんですけれども、やはり人出の関係を考えますと、春にせざるを得ないというようなことで、現在ここ数年は春にやっております。これはですね、前もって静岡市民を募集してやるんですけれども、募集して参加した人たちが、貫頭衣を着て弥生人の真似事をやっていますので、それ自体が展示になっているわけです。後ろの方に立っているおじさんたちは、(写真)これはギャラリーです。観光客の人たちですね。ですから私たちだけが展示の何かをやるっていうんじゃなくて、参加者を巻き込んだ形での一つの展示のあり方かな、というような気がいたします。それからこれは毎年夏にやっているんですが、これはスタンプラリーという行事です。入館者の主に小学生ですけれども、を対象にしまして、遺跡全体、公園の全体の中に五つのポイントを設けまして、そこで体験できるようなメニューを決めまして、体験をすることによってスタンプをもらって、全部回ると、記念のバッジをもらうというものです。この写真の場合は、これは火起こしのポイントであります。この他にも、丸木船に乗ったり、田下駄で田んぼの中を歩いてみたり、あるいは脱穀をしたりというような、そういうポイントがあるんですけれども、実はこれらのものって言いますのは、現在うちの博物館では一階で通年を通してできるようになっております。ですのでちょっと今となっては、一階のものが夏の一日を使って外に出るというような形だけのものになってしまっていますので、これも検討を加えていかなければならないんだろうな、と思っております。ただ季節的には親子の人たちが多い夏というのは非常に時期的には合っているんじゃないかな、と思います。それからこれは、夏休みの講座の一部分の風景なんですけれども、今年ももうすぐ始まるんですが、ものを作る。もの作りのための講座を数年前から組んでおります。連続したつながりのあるものじゃなくて、単発的なもの作りのメニューがありましてその中のどれかをやるわけなんですが、私は去年と一昨年と、石の刃物を作ることを担当しました。で、この写真はですね、これはものを作っているんじゃないんですが、一番最初の日にやはり登呂遺跡ですので、登呂遺跡の関係の話をしなければならない、ということで、登呂の解説をしております。ところがですね、これに参加してくる子どもたちというのは、登呂遺跡を知りたい、弥生時代の生活を知りたいという目的で来ている子どもたちじゃないんです。何かを作ってみたい、そういう子どもたちですので、登呂遺跡の話をしても聞いている子どもたちはほとんどいない。そこでその次の年は、スライドを主にしてやってみました。そしたら八割以上の子どもが寝ていました。で、しょうがないんで、じゃあ今度実物を触ってもらおう、みんな本物に触れば感動してくれるかなと思って、触っても壊れないようなものを登呂遺跡の出土品から出してきまして、触ってもらいました。で、この写真の子どもは、これは何をするのかな、って思ったら、土器の破片なんですが、匂いを嗅いでいるんですね。昔の匂いがするかどうか。で、この子が懐中電灯を持っているのは、横の方から光りを当てて、土器の模様を見てもらおうと思って懐中電灯を渡したんです。ところが皆さん模様を見ないで、こういう匂いを嗅いだり、私たちには考えがつかないようなそういう行動にでたんですね。こういう子供たちも確かにいるんですが、結果的にはこの時もやはり失敗でした。のってくる子どもは全体の三分の一程度。これも夏休みの子どもたちの勉強のために、考えて開いたものなんですが、こういうものももう少し何か、一工夫アイデアが欲しいところだと、いう風に感じました。それから後、秋のイベントとしましては、特に今のところ組んでおりません。昔成人を対象にした秋の博物館講座というものをやっていたんですけれども、カルチャーセンターと大して内容的に変わらない、というような指摘がございまして、予算を切られちゃいました。で、秋には登呂の連合町内会に登呂会というものがありまして、登呂会の方で、登呂祭りというのを町内会の事業としてやっております。で、それと何かタイアップした形での展開ができないかどうか、というようなことで現在それを練っているところであるわけなんですけれども、なかなか難しい。それらはいずれにしましてもやるにあたっては私たちがよほど登呂の内容に精通していないとできない、まぁやっても面白くないと、そういう内容になってしまうんじゃないかと思いますが、残念ながら先ほど言いましたように、他にやらなければならないこと、あるいは何かに縛り付けられるようなことが多くて、なかなか登呂の研究に踏み込んでいく時間的余裕っていうものがなかなかできないのが実状なんです。で、まぁそういうことをやっていくうちに、だんだんだんだん博物館っていうものはイベント屋さんになっていってしまうんじゃないか、そんな風な心配も持っております。そういうことをやってもですね、実は入館者数は増えないんです。減っていく一方です。これはやはり他にも勿論原因はあろうかと思いますけれども、私たちのやっていることが、後手後手に回っているか、あるいは一人よがりなところがありはしないかどうか。そういう風な心配を持つわけです。そのためにはどうすればいいかというところは、まだ具体的な考えはでてきておりませんけれども、やはり学芸員とお客さん、入館者がちょっと距離がですね、まだまだあいているんじゃないか、と。それをやったからどうだってことにはならないんですけれども、もっと色んな話を例えば談話室のようなものを設けて、そこで入館者の人たちと専門的な話でなくてもいいと思うんですけれども、世間話でもいいと思うんですが、そこで色んな話を、会話をする。その中で、たとえば最近年輪年代学で奈良国立文化財研究所の光谷先生の方から弥生時代の年代っていうのはもっと古いんじゃないかっていうような問題提起っていうのがでてきてまいりまして、そういう話をそういう談話室なんかで、お客さんたちとやってもいいと思うんですね。そういう形の、それだけではおそらく何にもならないでしょうから、それをどういう風に一つの形として考えていったらいいのか、そこに私たち学芸員だけでは、それはとてもじゃないけれどどうしようもない。限界を持っております。そこで役に立ってくれるのが、他の人たち。こんなこと言ってはいいかどうかわからないんですが、そこでボランティアの人たちの存在が非常に大きく浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。そういう人たちと、私たちとそれからお客さん、っていう関係の中で、そういう相互の連携がシステム化されていく、そういう中で博物館の展示というものが大きな一つの枠組みとして成り立っていくということができれば、それは新しい形の博物館っていうものが出来上がっていくんじゃないかなっていう風な希望を持っております。おそらくまだこれから5年10年っていう長い時間が必要で、試行錯誤を重ねていかなければならないんじゃないかと思うんですけれども、あまりそういうことに拘らずに、時間的な制約に拘らずに色んなことを試してみたい。そんな風なことを感じる今日この頃ということで私の経験を、私的な感想を述べさせて頂きました。
 どうもありがとうございました。

司会:
ありがとうございました。ただいまの中野先生の方は歴史考古系ということですが、今度は美術館の学芸員の方にお話を伺います。静岡県立美術館の主任学芸員の山下善也さんにお願い致します。


(2)静岡県立美術館

山下 善也


静岡県立美術館の山下善也でございます。今、県立美術館で開催しております展覧会を例に取りながら、お話するのが、具体的でいいかなと思いますが、その前に博物館、美術館を劇場にたとえるならば、観衆とドラマという関係があります。言うまでもなくお客さんは観衆、そして劇場の舞台の上に役者たちがいて、そして役者たちを支える演出家がいて、照明係がいます。役者とは何なのかっていうと、博物館、美術館の場合は、モノということになるかと思います。美術館の場合はそれを作品と呼んだりします。役者の中には、派手な演技を持つ主役もいるでしょうし、バイプレイヤー、つまり脇役だけれども、いい味を出す役者たちもいる。作品の中にもそういった様々な華やかなモノから地味だけれど何かこう輝いているモノまでありますし、それを横から演出している館の職員たち、いろんな種類の学芸員がいます。ひとくちに学芸員といっても、最近はいくつかの得意な部分あるいは力を入れる部分が、少し違った人たちがいます。
 静岡県立美術館のドラマが始まったのが、1986年、昭和61年4月で、今年がちょうど15年目に当たります。じゃあいきなり1986年にドラマが始まったのかっていうと、そうではなく、舞台稽古みたいな期間、準備室時代という時間がありました。準備室が始まったのが1980年から1985年の間の足掛け6年くらいの間、準備室が静岡県庁内にありました。そこで準備をしまして、建物の設計や中に入る作品の収集から始まって、1986年の4月にオープンしたわけです。ちょうど私もこの準備の期間からずっといますので、その間の変化というものを何となく体で知っているんですけれども、1994年には、本館に続いてロダン館という建物をですね、新館としてオープンいたしました。(図を示して)これが本館ですね。ここの横の上にちょっと見えている所がロダン館になります。平面プランでみると、こうですね。手前に本館があって、奥にロダン館があるという形。新幹線に乗りますと、新幹線からこのロダン館が不思議な形をして見えます。
 企画展を、これまでどのくらいやってきたかな、って思って昨日数えてみましたら、ちょうど四月の「ロダンと日本」という15周年記念展で100本目になりました。今やっている展覧会が101本目ということになります。先ほど中野さんからのお話にありましたけれど、ちょっと違うのはですね、どうしても美術館の場合は、企画展が年に何本かということを話題にします。かなり本数が多くなって、本数を中心に考えてしまうというというところがあります。15周年で100本っていうことは、年間で6本から7本くらいの展覧会を、分担して企画し準備をすすめ開催していくことになるわけです。この間だいたい320万人くらいのお客様を、館にお迎えしたということになります。現在行われている展覧会が「ザ・ベスト展」という展覧会なんですけれども、美術館が行う展覧会というのは、二種類あるんです。一つはですね、館の所蔵品を見て頂く展覧会。その見て頂き方もですね、ジャンル別に見て頂いたり、ジャンルを混ぜてテーマを作って見て頂いたり、とか色々あるわけですけれど、とにかく館の所蔵品を見て頂くというのが一つあります。もう一方では各地から作品をお借りしてきて、全国各地であったり海外からだったりするわけですが、見て頂く、あるテーマに沿って見て頂く。前者、館の所蔵品を見て頂くのを、収蔵品展なり常設展という言い方をしています。そして後者、各地から作品をお借りして見て頂くものを、企画展あるいは特別展と言っています。ただし各地からモノをお借りする、作品をお借りする場合には、これは借りるばっかりではですね、なかなか貸してもらえないわけでして、こちらからもお貸しできるモノを持っていないといけない。ギブアンドテイクって言いますか、お互い様といいますか、お互い協力し合って貸し借りをする中でこういう展覧会が全国、全世界で行われているわけなんです。ですから所蔵品を持たなければならない。そして所蔵品は、公立の美術館の場合には当然税金を使って(ご好意で頂く場合もありますが)収集されるので、情報公開がなされなければならない、つまり、展示公開をしなければならない。ところがいったんこれが利用者の側お客さんの側になって美術館とか博物館を訪ねたとすると、展覧会の区別っていうのは必ずしも明確にしにくいところがあるんじゃないかと思います。現に今、行っている「ザ・ベスト展」というのは、ある意味ではテーマ性のある展覧会なんですけれども、企画展に見えるんじゃないかなと思います。確かに内容的には館の所蔵品を見て頂く展覧会です。お手元にパンフレットがあると思います。「ザ・ベスト展」と書いたパンフレットですね。写真が入っている方をまずご覧頂きますと、「ベスト展発表」とでかい字が出ておりますけれども、そこに1位から10位まで。そして現在展示されている作品がその横に書かれているんですが、それをひっくり返して見て頂くとですね、リクエストをして頂いた作品を全部、情報公開しております。1票でも入れて頂いたものを全部載っけているわけですけれども、454点、ここにはリストが並んでおります。リクエスト期間は3月26日から5月13日まで。だいたい一ヶ月半、二ヶ月弱くらいでしょうか。5月13日で締め切って集計に入って、6月23日から展覧会が始まり、今まさに開催中、あと一週間で終わります。リクエストを締め切ってから一ヶ月ちょっとくらい、準備期間があります。その間にこういうパンフレットを作ったり、集計をしてりしているわけです。リクエストの方法はパンフに書いてありますが、三種類ありました。大きく分けますと、紙の投票とデジタルの投票っていうことになります。デジタルの投票の方はインターネットで応募して頂くということで、ホームページにアクセスして頂くと、どんな所蔵品があるか検索して見ていけるようになっていまして、それで気に入った作品をそこで応募するという形です。これは隣の静岡県立大学の情報経営学科と共同で開発しました。情報経営学科の方でプログラムをして下さったんですが、リクエストが実際に始まってすぐにできるだろうと思っていたら、使い勝手が悪い部分があって、色々注文というか、こういう風に検索してこういう風に投票できるといいのに、というような要望を何回も出して何回もバージョンアップを重ねていきました。かなり使いやすくなったのは、もう締め切りの一週間前ということで、ちょっと残念でした。応募は全国から頂いたのですが、417という数に終わりました。それから、館内での紙の応募というのもあります。457票、これが一番基本になるんですが、美術館の中で美術館に来たお客さんに所蔵品の総目録をみていただいて投票していただく。卒業アルバムを連想して頂ければいいんですが、作品の顔写真がずらっと載っている本。全作品載っている本があります。それを置いておきましてその中から選んで頂くという形。美術館の所蔵品をよくご存知の方はいきなり作品名を書かれますが、勘違いされた方もいて、ピカソのゲルニカとかですね、ダヴィンチのモナリザとか、外国の館のすごい有名な作品を書いている人もいました。そういう無効票も入っていました。無効票もなるべく少なくしたいと思って特定作業をしました。それから館外での応募っていうのは、これは県立美術館に400名近い美術館ボランティアの方々がいらっしゃるんですが、主婦層を中心とした方々ですが、「リクエスト用紙を渡しますので、投票箱を手作りで作って、行き付けの喫茶店とか人の集まる場所に設置して頂けませんか」と、ボランティアの方々に募集しましたら、25人ほどがやりますと答えて頂きまして、それを各地の喫茶店ですとか公民館ですとか人の集まる場所に置いて頂きました。あまり集まらないだろうと思っていましたら、あにはからんや842票もの大変な票が集まってきまして、締めて1716票という総数になりました。集計作業にあたったところ454の作品を選んで頂いたということになります。館の所蔵品数は、全部で1250くらいありますが、1点で100くらいのセットのものも、1として数えてますので、個数からすると4,500点くらいなんですが、1200件くらいの中から454件を選んで頂いた。つまりまだ700件くらいの作品はかわいそうに選ばれていないということです。展示できる数等、考えますと6票以上くらいがちょうど展示できそうな数ということで、かなり結果で考えたということになりますが6票以上の作品をまず出品するということになりました。それが黒丸印の付いている作品です。ただ今回は、理由をそれぞれ書いて頂きました。そしてその理由もボランティアさんの協力を得ながら、全部パソコンの中に打ち込みまして、そこから理由が面白いものを「理由が理由で賞」ということで、賞を付けましてですね、これは絵葉書とかをプレゼントするということなんですけれども、やったんです。パンフの写真が載っている方の下に「理由が理由で賞」を載せてありますね。(示して)これですね。これはあの今いらっしゃるかも知れませんけれど、静大の学生さんのリクエスト理由で、すばらしい理由です。「最後の晩餐」っていう作品です。非常にカラフルな草間弥生さんという作家の作品について、「これは新種のカビ?それとも何か悪い夢でも見ているのかしら?一見グロテスク、でも見慣れてくるとクセになってしまう「きもかわいさ」があります。」と書いてあります。素晴らしい感性の表現ですね。「理由が理由で賞」に静大の学生さんであると分からずに選ばれています。それ以外にもいくつかですね、30年以上も前に今は亡きお父さんとこの辺りを旅行した思い出がありますと書いて、モネの「ルーアンのセーヌ川」を選んだご婦人もいらっしゃいます。そういった理由がいいもの、面白いものは票数が少なくても登場させるということで、星印を、付けています。今大リーグでオールスター戦をやっておりますが、ファン投票でイチローに当たるのがここではクロード・モネに当たるわけですが、監督推薦もあっていいんじゃないかということで、学芸員がこれも是非この機会に見て頂こうというものを、票が少なくてもいくつか挙げています。でも1票も入らなかったものは挙げていません。票が少なくてもそういうものは挙げています。これはそもそもですね、館の所蔵品を見て頂こうということで、6月から7月の期間に館の所蔵名作展みたいなものを開こうということは去年の段階で決まっていたんですね。で、毎年ミュージアムセレクション1997とか1998とか、展覧会名を付けて学芸員が館蔵品を選んで見て頂いていたんですが、まずミュージアムセレクションって何のことだかよくわからない。館蔵名作展っていうのも何となく堅苦しい感じもします。ある学芸員がお客さんに見たいものを選んで頂いたらどうかな、っていう風なことを雑談でいい出しました。そんな風な話から始まったわけです。しかしねらいとしてはですね、自分たちが持っている作品にたくさん票が集まったということで、自己満足するということではなくて、これは一種の手段、館の所蔵品にどんなものがあるかっていうことを、こちらから押し付けるんじゃなくて、リクエストするという形でですね、お客さんの方から入ってきていただく。そうすると色んなものが見えてくる。受動的ではなく能動的に探していこう。そういう方が一人でも増えれば、ねらいは当たるということです。集計作業は非常に大変だったんですけれども。昨日までで18日間で4368人の方が、ご覧くださいました。一日平均243人とちょっと少ないんですが、あと一週間くらい残っています。まだご覧になっていない学生さんたち、行きますと、第何位と順位がそれぞれの作品についています。でも、これ見て頂くと、僕は本当に思ったんですけれども、1票作品、2票作品が半分以上を占めるんですね。これは非常に安心しました。好きな作品、興味のあるものが非常に多岐に渡っている。どこかにあまりに集中したら気持ち悪いですよ。お気に入りの絵とかが、個々に分かれて広がっているということが分かりそういう意味では安心しました。
 それで美術館の活動についてですね、よく資料の収集・保管・展示・公開・調査・研究っていう風な言い方がされます。そして、「どこに重点を置いて、どこに重点を置かない」というふうに聞かれます。でも、並列に並べて、どれが重要でどれが重要でないというような、そういう議論になるものじゃないと思うんです。収集・保管・展示・公開っていうのは、これは一連のもので別々に分けて比較するものじゃないんだと思います。モノを集めて保管してそれを展示・公開する。これは最大の情報公開、博物館における最大の情報公開は展示をすること。まずそれ。それだと思うんですね。それから調査・研究・普及。最近は各種普及事業が色々あって、美術館特有のものとしてはですね、実技系のものがたくさんあります。粘土のワークショップっていうのは、学級単位で参加してもらい、1トン近い粘土を使います。まずほっぺを粘土につけて、冷たさを体験しながら、そして穴を空けてみたりとか、段階をふんで土と親しんでいくプログラムを組んでいます。そういったワークショップっていうものが、学級単位で申し込みがあれば行われるという形で、先週なんかは毎日のように開かれていました。それからこれは年に1回ですが、「子どもワークショップ」というものが開かれます。これは夏休みのものですけれども、(資料)この美術館全景写真が出ているパンフレットの、後ろから2ページ目くらいでしょうか、子どもたちが歩いているようなちょっと華やかな写真が左のページに出てくると思います。こういう風に一週間くらいプログラムを組んでですね、共同制作なんですけれど、20人から40人くらいの小学生を集めて、あるテーマに沿って制作をやっていく。共同制作の作品ができあがったら最終的に展示テラスとか、部屋に展示をする、っていう風な試みをしております。今年は「びびっと感じてじっくり描こう」だったんですが、今年の夏に行われるもうすぐ始まる田中敦子展、そこには電気服の作品が出てきます。子どもたちもそういう電気というか、エレクトリカルなものを、一つのきっかけにして、何かを作ってみる。つまりその時やっている展覧会に沿ったテーマを設定しているわけです。それが「子どもワークショップ」。そういった実技系のものが美術館特有の普及事業としてやっているわけなんです。
 実はですね、今もその時やっている展覧会にちなんでという話をしましたけれども、調査・研究っていうのは、収集・保管・展示・公開についても、それから普及事業についても、全ての根底になるものだと思います。調査・研究が基本としてないとですね、成立しないものなのです。あらかじめわかっている何かをまとめて提供する、そういう性格の展覧会というのもあると思いますが、そういうタイプでしたら、調査・研究っていうのも必ずしも必要ではないのかもしれませんが、ほとんどの展覧会は、最前線です。今まで見つかっていなかったような初公開の作品を持ってきたり、隣り合わせに並べたことのない作品を隣合わせて並べてみたり、実験場的な、実験の場面の様相を呈するわけです。特に自主企画展の場合。その場合に調査・研究がきちっと行われていないと完全にとは勿論いかないんですが、納得のいくくらいまで成されていないとですね、何をやっても中途半端になってしまう。なかなかぴーんと筋の通った、一本筋の通ったものにはならない。調査・研究というものはあらゆるものの根底をなすもので、前提になるものだ、と考えています。一番最初に、博物館、美術館は、劇場みたいなものかもしれませんとお話しましたけれども、いろんな役回りの人たちがドラマ、劇場を作り上げているわけですね。その中に学芸員っていうのは何かって言ったら、モノについて一番知っていないとならない。モノに一番近い場にある人間であると思います。学芸員ということに限定するならば、少なくとも学芸員というものを狭い意味で使うならば、展覧会を成り立たせる大前提になる学芸員っていう、まぁいわゆる、研究者としての学芸員という言い方をするならば、その人は最低限、先ほど中野さんがおっしゃったようにですね、専門家意識をもっていなければいけない。プロ意識の欠如、勉強していない学芸員がどんどん増えている。自分も含めて反省しないといけないと思っているんですが、このままいったら表面的な、ちょっとすくったらもう味のないところが出てくるような学芸員ができてしまう危険性を孕んでいる。十分に気を付けなければならないなと思います。かなり超過してしまいました。終わります。

司会:
 ありがとうございました。美術館学芸員の立場から山下さんにお話を頂きました。次は国立の博物館の方に来て頂きました。本学の卒業生で東京国立博物館の展示企画室の方に勤めて、独立行政法人国立博物館というようなややこしい名前になりましたが、ここの企業課の企画展示室へお勤めの吉田知加さん。静大の教育学部の大学院をお出になっております。お願いします。



(3)東京国立博物館

吉田 知加


 東京国立博物館の吉田と申します。よろしくお願いします。一昨年までこの大学院に在籍し、博物館学の授業も受けておりました。まさか自分が話をする側に来るとは思っていませんでしたので今日は、少々戸惑っています。
 まず先ほどもお話に出ましたように、国立博物館、美術館は独立行政法人が施行されまして、それによって内部でもかなり色々な動きがありました。お配りしてあります資料の組織図なんですが左側が以前のもので、右側が新しいものです。独立行政法人について、この組織図を見て頂くのが一番わかりやすいと思いましたので、載せておきました。独立行政法人は、機関運営の効率化を図るために施行されたものですが、以前は、総務部、学芸部、資料部という三部に別れていましたが効率化を図り、お客さんをたくさん呼び込むという目的を達するために、企画部という独立した部を設けました。そこの事業課の企画展示室に、私は所属しております。肩書きは、展示デザイナー、エキシビジョンデザイナーです。
 では、ちょっと戻りますが、過去五年間の入場者数一覧をご覧下さい。驚くべきことにですね、東博はここのところ入場者数が伸びております。これはなぜかと言いますと、平成10年に、平成館という新館のが皇太子様と雅子様のご成婚10周年記念のために造築されたからです。特別展専用の建物です。そのため、お客さんが来るようになったわけで、平常陳列だけを見に来た、つまり本来の東博の所蔵品のみを見に来たお客さんが増えているというわけではありませんが、一応増えております。さきほども申しましたように平成館では特別展を行います。会期が一ヶ月程度の短いものです。これは本館の所蔵品だけではなく開催するテーマに則って、色んな所から作品を借ります。なぜこれに人が入るかと言いますと、特別展には協賛がついていて、宣伝をするからです。日曜日の朝の日曜美術館、電車内の広告等のメディア効果で、お客さんの数が増えています。これは東博としてはあまり喜ばしくないことと考えています。そのために、現在では平常陳列の活性化というものを目標の一つに掲げています。今、私ともう一人、先輩の木下が展示デザイナーとして東博で採用されておりますが、平成館の展示計画からいきますと特別展は年間6本から7本ありまして、そちらで手いっぱいの状態でして、なかなか平常陳列の方まで手が回らないというのが正直な現状です。
 次のページですが、併用陳列の活性化のため本館に新しい展示分野が誕生しました。こちらの画面に映っているのは、リニューアル前ですね。比較してもらうとわかりやすいと思うんですが、今ここで特別第2室と書いてある所が、現在は浮世絵版画室にリニューアルされました。それからこれは一階しか映ってないんですが、二階の方にですね、このKとRの絵画と書跡の所に国宝室というものを設けました。ここでは国宝の絵画、国宝の書跡というものをより身近に皆さんに見て頂けるようにというねらいでデザインしました。何をやったかと言いますと、ここがちょっと地味であまり皆さんにわかって頂けないかもしれないんですが、具体的には色彩、照明、展示具のデザインです。今回絵画の国宝が並ぶということで、国宝らしい部屋作りをという課題が出されました。国宝らしさとはどういうことなのか、それは一番国宝が映える場をデザインすることだと思いまして、国宝の色合いを調べ、国宝が一番映えると思われる色を決めました。そして既存の壁の前に仮設の壁をデザインし、そこに決定した色を経師し国宝を展示しました。色はあえてここでは言いませんので東博へ是非来て頂いて、「あ、この色が東博のデザイナーが決めた色だな」というのを実感して頂ければと思います。このように私の仕事は作品をいかにみせるかというデザインをするわけですが、その際予算っていうのが重要なポイントとなります。今回本館リニューアルというわりには予算としては切りつめてやらなければいけないことがありまして、提示された予算では大幅な造築はできず今あるものを生かしつつデザインすることも課題でした。そのために一見ただ作品の数の少ない閑散とした部屋という印象がありまして、今後の課題となっております。もう一つ先ほどの一階の特別第1室の所が浮世絵版画室になったんですが、ここでも浮世絵をより近くでお客さんに見て頂けるということを目的にやりました。そのために普段は浮世絵というものは、こういう台のようなケースで平置して展示しているんですが、今回は壁にかける方針をとりました。壁にかけるためには、そのための額が必要なんですが、その額のデザインというのも、私たち展示デザイナーの仕事です。ケースはドイツ製のものを使用しました。それも是非来て見て頂けるとありがたいと思います。このように、平常陳列の充実というものを目的に今東京国立博物館はやっているんですけれども、他の今までお話された方に比べて展示内容が多少地味だな、という印象が私自身にもあるんですが、東京国立博物館には「東博ファン」という根強いものがありまして、東博というものは収蔵が国宝レベルになりますものですから、ただ本当にあるだけで、すごく作品の力が強いんですね。いちいち私たちみたいな展示デザイナーがいなくても実はやっていけるんだという考えがまだ東博内にあります。東博では各課の研究員を担当と言っておりまして、担当というのは、絵画・彫刻・書跡・染色・陶磁という風に別個にそれぞれありますが、担当は担当で自分たちが一番作品についてはよく知っているんだっていうプライドがあるんですね。担当は担当なりの意見を持っているんですよ。彫刻だったら、高目に展示したいという意見を持っています。私たち展示デザイナーとしては少し高過ぎるのではと思うわけです。でも仏像は見上げて見るものだ、という考えが担当の方にはあるんです。担当の意見を聞き、なお且つお客さん、鑑賞者の立場に立った意見を検討し間をとってよりいい展示をデザインするということが私たちの仕事で難しい所であり、楽しい所だと思っています。
 最後に独立行政法人のことについて触れますと、やっぱり集客力といってお客さんを集めるということが、評価の一つの対象となっています。私は文化活動をそういうお客さんの数字を入れて評価するというのはどうかと思うんですが、先ほどおっしゃられたように満足度とか、そういう数値だけではない面も是非重視していってほしいと思います。先月、当館でグッチのファッションショーがありました。これは極秘でやられたものですから、一般のお客さんには開放されませんでした。これは東京国立博物館の知名度を上げるというのが目的でしたが、東博色を全面的に隠したもので、印象としては単なる貸し会場というような感じを受けました。これはあまりよくないのではないかと私自身は思っております。それからですね、効率化をはかるために経費削減がありまして、夜間開館が今度から特別展の会期中だけになりました。一方では開かれた博物館というのを謳っているため夜間開館の期間を減らすということは、内容的に矛盾しているのではないかと少し金銭面にとらわれすぎた方向に進んでいるように思います。私は、営業だけでなく博物館が人に与える影響を大切に考えて仕事をしていきたいと思っています。以上、私の展示デザイナーという仕事と東博での私から見た独立行政法人について、述べさせて頂きました。

司会:
 新しい東博の中にできた展示デザイナーという所で活躍されております吉田さんでした。今度は最後に自然史博物館、自然史系を代表しまして、豊橋市自然史博物館の家田さんお願い致します。


(4)豊橋市自然史博物館

家田 健吾


 皆さんこんにちは。豊橋市の自然史博物館の家田健吾と申します。よろしくお願いします。私、これまでの方のお話を聞きながら、私はここで何を話すべきかな、ということを考えてたんです。ちょっと振り返ってですね、22年前くらいの皆さんと同じ学生だった頃を振り返っておりました。私も学芸員の資格を取ろうということで、こういった授業に参加しておりましたけれども、私は理学部におりまして、その当時、22年前ですので、理学部には学芸員の資格を取る単位がなかったんですね。そんなこともありまして、教育学部、そちらの方に他学部聴講願を出してですね、授業を受けに行ったという記憶があります。その当時としてはまだ珍しがられまして、理科系の学生が文科系の方に来る場合、「基本的には文科系の講義だから、もし人数が多かったら聴講できないかもしれない」、そんなことを言われたことが記憶に残っているんです。始めは教員になろうかな、っていうことを考えておりました。その後、教員と違う形で教育に携われないかな、そんなことを思うようになってきました。教員と違う形で教育に携わる、まぁ博物館というのはその一つのいい場じゃないかなという風に、感じるようになってきました。その頃ちょっと海外の博物館を見たりして、なかなかのんびりした、のんびりしたって言うと怒られるかもしれないですけれど、博物館という中で学校教育じゃない切り口で教育に携われる、これは面白いんじゃないかな、という風に思っていったわけです。いざ学芸員になろうかなと思って、四年生卒業するちょっと前ですけれど、私は理学部の地質をやってますということで、色々国内の博物館に手紙を書きました。たぶん30館近く、博物館に書いたと思いますね。書いたと言ってもコピーしたんですけれど、一枚だけ書いてコピーして、「こういう人間はいりませんか?」っていう風なことで、送りました。返ってきたのはその半分以下でした。まぁ、意外と冷たいもんだなっと思いましたが、しかし10何館か、返ってきました。全て、「採用予定はありません」ということでしたね。ですからその年は、卒論を出すのをやめまして、留年しました。そしてもう一年くらいならいいんじゃないかな、ということで、一年ぷらぷらとしておったわけです。そうしている中で運良く豊橋市で、地下資源館という博物館を作っており、そこで学芸員を募集するらしいということを、聞きましてですね、応募したというわけです。結局、専門職としての学芸員の募集はありませんでした。豊橋市の一般行政職の試験を受け、採用され、博物館へ何とか入ることができたということなんですね。まぁですから皆さんももし強い希望があれば、色んな形で挑戦されるといいんじゃないかなという風に思います。
 豊橋市の地下資源館、今私がいる所が豊橋市自然史博物館ですが、豊橋市には二つの自然科学系の博物館があります。その地下資源館には昭和55年に入ったんですけれども、学芸員が当時私一人と、それからもう一人が事務方ということで入ったわけですけれども、実際には二人で運営するほどの小さい、と言ってもそれなりの規模がある博物館でした。その博物館でどんなことをやったかと言いますと、オープンの直前でしたので展示の準備とか色々やりましたが、入った段階で図面がもうほとんどできあがっておりましたので、ある程度集められた標本と、展示図面に基づいての解説を少し手直しする、というような仕事に携わったわけです。その後、オープンしてしまいますとですね、今度は館の運営ということになりますので、現実的には、もうトイレ掃除から始まるわけですね。トイレ掃除もやりますし、学習教室のようなこともやる。それから事務的なことも行う、要するに、鉛筆一本でも購入するための書類を書いたり、館の清掃の委託など、そういった事務処理も一つの建物を維持管理するには膨大な書類を作らなければなりませんが、そういったこともやっていったということであります。そういうことを七年半ほどやりました。そうこうしている内に今度は、自然史博物館を作るぞ、という方向が出てまいりまして、その建設に関わっていったわけです。
 豊橋市が自然史博物館を作るきっかけになったのがですね、その当時の市長さんが、地下資源館へアメリカのデンバー自然史博物館から鉱物、鉱石を寄贈頂いたんですね。そんなことがありまして、鉱物、鉱石を寄贈頂いたデンバー自然史博物館に、市長さんがお礼に行ったんです。その時に「恐竜の骨でも一体もらえませんか」という話を持ち出しましたら、いいんじゃないっていう話になり、最終的には発掘にかかった実費で豊橋市が購入できることになりました。そういう話がまとまったことで、それを目玉にした博物館ということでこの豊橋市の自然史博物館のできるきっかけができたわけです。博物館の色んなでき方があると思いますが、豊橋市の自然史博物館の場合は、モニュメント型って言うんですか、市長さんの方からの一声という形に近い状態で博物館が立ち上がったということです。こういうでき方っていうのも一つの博物館のでき方にあると思います。勿論ヨーロッパの、歴史のある博物館では篤志家がおられて自分の色んな収集コレクションを、元にしてそれを公開しましょうということから始まる博物館も勿論あるわけですが、豊橋市の場合はモニュメント的な形で始まって、大きくしていったというわけです。豊橋市の自然史博物館は少し規模が先ほど言った地下資源館より大きくなりまして、学芸員が今現在六名おります。ですので今便所掃除はやっておりませんけれども、学芸員として六名という数は、ちょっと中途半端と言ったら、怒られるかもしれませんが規模としては、すごく小さい先ほどの一人二人っていうレベルの館よりは大きいんですが、学芸員10人20人30人っていうレベルの館と比べると、中間に位置していますので、やはり業務の内容は、専門的なものと事務兼業型のものとがクロスしている。そういう仕事を実際にはやっております。
 自然史博物館の紹介をしながら、この資料の紹介をしていきたいと思いますが、先ほど言いましたように、恐竜の骨が一体もらえないか、というところからスタートしたもんですから、自然史博物館は恐竜が一つ目玉になるっていうことです。これは館の外の「恐竜ランド」という所にあります、実物大の恐竜なんですが、これはマイアサウラですね、子育てをするということで・・こういう野外に10体ほど実物と同じ大きさの恐竜があります。これも子どもたちに大変人気のものなんです。全体的に広い公園の中に博物館があります。これも自然史博物館が普通の自然史系の博物館と少し違うんじゃないかな、と思うんですが、こうい大変大きな40万u、40ヘクタールの公園の中に博物館があります。(図示して)この建物がそうなんですが。これはちょっと見にくくて申しわけありませんが、こういう40万uの公園の中に、自然史博物館がありまして、こちら側が動物園のエリアでありまして、動物たちを放し飼いにしているんですね。人間が通路の隅から、動物たちを観察するというような構造になっております。こちらは遊園地のエリアですね。ジェットコースターと観覧車があります。動物園があったり植物園があったりする。総合動植物公園と呼んでいます。その中の一角が自然史博物館になっています。これは地方都市、豊橋市という人口約37万の都市ですが、たまたま国の土地、所有者の土地が豊橋市に払い下げられるというタイミングがあいましてですね、こういう大きな公園を整備することができました。自然史博物館の恐竜が一体頂けるというタイミングと公園を整備するタイミングと合いましたので、豊橋市で整備することができたわけです。この公園は、東三河と呼んでいますが、愛知県の東側ですね、その東三河地域での最大のデートスポットだと言う風に言われておりますし、機会がありましたら是非お越し頂きたいと思っております。(図示して)これはアナトサウルスという恐竜ですが、これがデンバー自然史博物館から発掘にかかった実費で購入をさせて頂いたものです。昭和58年当時で、31万ドルということで、実物の化石です。草食の恐竜ですけれども、これを目玉に博物館ができたということです。31万ドルって言いましたが、こういったものを購入するためにも、市議会も揉めてですね、それだけの価値があるのかないのか、というようなことで揉めたということを聞いております。「実物に勝るものはない」という考え方を何とか通してですね、購入ができたということです。同じように見た目だけで考えれば、おそらく31万ドル、当時1ドルが240円くらいしましたので、日本円にして、約7400万円ですね、で購入したわけです。その当時でもおそらく1千万円もあればレプリカができただろうと思います。見た目はほとんど変わらないと思いますが、やはり実物ということの価値、それを豊橋市が何とか認めたということだと思うんですが、一つの象徴だという風に私は考えます。それを購入してですね、目玉ができたということです。(図示)これが自然史博物館の平面図ですが、先ほどのアナトサウルスが扇形の要の位置にきております。そして古生代、中生代、新生代という風な地球の歴史の時代区分に従っての展示の大きな流れがあります。それからもう一つ郷土の自然展示室がありますが東三河を中心としたもので、周辺の自然、地質・動植物というような展示があります。この博物館は「生物と進化」という大きなテーマが一つあります。それからもう一つが「郷土の自然」ですね、地元の身近な自然をテーマにしています。大きなこの二つをテーマとして、展示活動をしている博物館ということです。(図示)これは郷土の太平洋から三河湾というような所ですね。魚介類の剥製、標本がある郷土の自然展示室の一部ですね。
 このような博物館ですけれども、少し資料に戻ってお話しますと、博物館の今抱える問題というのは何かということです。入館者数が減っていうのは、正に今私どもが対応を迫られている問題なんですが、最近の入館者数の様子を見て頂きますとわかりますように、平成8年が62670人、こういう規模の博物館で60万人も入るというのは、大変特筆すべきと言いますか、珍しいということかもしれません。これは先ほど言いました総合動植物公園にこの年は100万人近く入っています。公園に入るのに有料になっていまして、公園に入って頂ければ博物館はフリーで入れる、という状態なのでちょっとカウントのしかたが他と違うかもしれません。これは入り口のセンサーで把握している数字であります。平成8年は先ほど言いました公園の中の植物園がオープンした年です。先ほど平成館がオープンした年というのに似ているかもしれませんが、植物園がオープンした年でぐっと増えました。それ以降は着実に右肩下がりになって現在に至っているというわけです。これをどこかでくい止めないといけないということが大きな課題になっております。現在その対策が、展示改装で、一番手っ取り早いと言いますか、即効性があると思っております。開館して13年たちましたので、一部は平成6年に改装しておりますけれども、古い部分の進化系の展示が13年変わっておりませんので、これを大きく改装する、という計画が今進んでおります。それからもう一つ、収集・調査・研究・登録・保管というようなことを、学芸員の活動する時間がですね、不足していることも大きな問題にはなっております。これをどういう風にして解決していこうかというのは、今議論を正にしているところです。そういう中で行政全体の評価、見直しが始まっておりまして、色んなものを目標値を設定して、その数値化したデータに沿うように努力しなさい、という方向を打ち出す話もあります。調査研究などのように数値化するのか、いま案として出ているのは、各学芸員の発表の論文数です。目標値の設定に検討されております。学会誌も勿論そうですが、普及誌も含めて、論文、普及誌の執筆件数が評価の設定値となり、要するにいくつ発表するかを目標に設定してやる。これもちょっとおかしいんじゃないっていう考え方も当然あると思いますが、博物館の調査研究、それをどういう風に伸ばすか、何を指標にするかということで、議論している最中で、一つには論文数が大変重要になってくるということです。これからの学芸員を目指す方は、そういった論文がどのくらいたくさん書けるかということも場合によっては評価の対象になってくるいうことを、肝に銘じて頂いた方がいいんじゃないかな、いうことをちょっと思っております。
 それから時間も無くなってきましたので、後は活動的なことですが、ここに書いてありますが教育普及活動。全般的にやっておりますが、小学校の6年生の授業として、博物館の見学、選択して頂いた学校に来て頂いて、博物館を見学して頂くんですが、現在ではできるだけ収蔵庫とか、標本を処理する部屋、そういった所まで見学して頂くようなことをやっています。それは大変好評ですね。そしてその後質問を受ける。子どもたちの質問を受けるということは、大変、評価されつつあると思います。学芸員の仕事の内容が見えるし、学芸員に直接質問ができるっていうことで、質問が止まらない学校もあります。その他は特別企画展。これは年に一、二回ですがやっておりまして、これは600uくらいありますので、うちの場合特別展の面積が意外と広く、企画がなかなか大変です。昨日特別展がオープンしたんですが、前の日とか、その前の日くらいは担当学芸員は会場に泊まっておりましたので、そんなようなことも場合によっては覚悟しなくちゃいけないと思います。
 学芸員の実習生の受け入れはこの表の通りです。実習生への一言ということでは、去年たまたまかもしれませんが、無断欠席とかですね、無断の遅刻がちょっと目についた人がいまして、これは言語道断ですね、これは社会的に通用しませんのでそれだけは改善して頂きたいな、と思います。
 あと博物館のボランティアについては、今25名登録して頂いてまして、うちの場合は教育普及ボランティアという展示解説を中心としたボランティアの方が11名、それから資料整理をして頂く資料整理ボランティアの方が18名おられます。資料整理の方は標本の登録をするための前段階の処理を手伝って頂いたり、コンピューターに打ち込んで頂く。そんなようなことをして頂いております。そういう中で、ボランティアの方のパワーというのを最近特に感じております。ボランティアの方は、ある点では一般の博物館の観覧者と言いますか、一般のお客さんという視点もあります。そこで純粋に「この展示こうあるといいよ」「こんな風にすべきじゃないの」と、かなりズケズケと言って頂けますので、そういう意味では、一般の方がなかなか言えないことを、強烈に言って頂ける。ある点ではとても対応できなくて困ってしまうという部分もあるわけですが大変貴重な意見を言って頂く方になっている。そして学芸員本来の博物館資料登録業務のサポートをして頂くんですが、そういった点での活躍というのが多くなっております。学生さんのボランティアは、過去に一回あり、特に展示解説をして頂いた。今年は珍しくフリーターの方が一人おられまして、大学を卒業した22歳という方から応募がありまして、資料整理の方ですね、研修するような形でやっていただいています。学芸員を志望しているということでもあり、積極的にボランティアとして参加しようとしておられます。そんなことで、色々と取り留めのない話ですが写真の方はボランティアの活動の様子、収蔵庫での資料整理の様子等の写真を載せさせて頂きました。内容がまとまりませんけれども、ご紹介させて頂きました。ありがとうございました。


討論 質疑

司会:
 それでは事例報告についての質問を受けたいと思います。浜松の高松先生、学生さんからの質問はいかがでしょうか。

高松:
 今ちょうどアンケートを回収している段階です。整理しております。

司会:
 それではまず静岡の方から始めさせて頂きます。

高松:
 どうぞそちらの方から。どうぞ。

司会:
 今日は美術館それから考古歴史系の博物館、それから東京の国立博物館、更に自然史系の博物館というそれぞれ特色のある博物館の中で学芸員の仕事に携わっている大変熱心な先生方に来て頂いております。博物館実習、その他にお世話になっている人もいようかと思いますが、博物館概論をとっているという学生さんの中から、こういった学芸員の実際の現場でやってみえる人たちにこんなことを聞きたい、というようなことが前もってちょっと言ってありますが、そんな所で質問等受けたいと思います。えー、いかがでしょう。静岡の会場でまず、受けたいと思いますが。ではお願い致したいと思います。はい。所属とお名前をお願いいたします。

加藤:
 教育学部の加藤です。ちょっとお聞きしたいんですけれども、こういった博物館なんですけれど、ちょっと自分たちから見ると遠い所にあってすぐに足を運ぶっていうことができないんですけれど、そういったちょっと博物館に行くことができない人たちにとって、やはり何か自分が博物館に対して思っている質問などを聞くことができないんですけれども、行けない人たちにどのような方法でコンタクトを取れたりするように考えていますか?例えば、ウェブ上を使って自分の質問をその博物館側に見てもらって、それでまた返事を返してもらうような形。何か自分が行けない場合にちょっと博物館に質問をしたいっていう場合、そういった希望があった場合はそういったインターネットを使ったり、っていうことも考えて頂けるんでしょうか?

司会:
 はい。ホームページ、インターネットを使って、博物館へ来られない人たちへのアクセスをしているかどうかっていうお話でありますが、これはどうでしょう。浜松市の博物館で、これは館の仕事というよりも、昨年私どもの生涯学習教育研究センターの、もう一つの事業で「生涯学習と学習ネットワーク」っていうのをもっておりますが、そこで浜松市博物館の方がお見えになって一つの事例を語って頂きました。「WAKUWAKU MUSEUM」というホームページではありますが、博物館へ来てもらう人たちへの宣伝と、もう一つはそういう来られない人たちへのホームページと言いますか、そういうものを開設されているような所もあります。具体的に館独自でやっているという所は、いかがでしょう。県立美術館さんの方でやられているホームページっていうのはどんなものでしょう?

山下:
 静岡県立美術館ですが、ホームページもありますし、URLは必ず印刷物に書いてありますね。まぁ質問があるとすれば美術に関する質問で、対応に困るほどではないんですが、結構たくさん色んな質問メールがホームページに入っていましてメールの形で答えるっていうことがあります。全てを、私は見ているわけではないので、言えないのですけれど、そのホームページの担当の人間がだいたい内容に応じて振り分けて、何か答えをしてあげて下さいという形で、10人の学芸員に振ってくれています。結構大変だと思いますが。私は日本美術、比較的古い美術、日本絵画中心に専門にしておりますので、その関係で時々「うちにこういう掛け軸があるので見て欲しい」というようなことで、デジタルカメラで撮影した映像を添付ファイルで付けて送ってこられたりすることも、数回ありましたね。それで今年の正月に、出勤して正月のほろ酔い気分覚めやらぬ頃に館に出てきて早速そういうのが届いていて、見てみたら、私は九州の出身なんですが、九州から、しかも私の生まれた久留米から、しかもその住所を見ると私の住んでいた町から、そういうメールが届いていました。インターネットで検索したら、静岡県立美術館が古い日本絵画の展覧会をよくやっていて所蔵品もあるっていうことで、問い合わせたらしいのです。電話番号が記載されていたので、その方に電話してみましたら、なんと私の小学校時代の友達だったという不思議な経験もしました。まぁそういう風な問い合わせが、困るほどではありませんが、きています。おそらくはそういう質問コーナー的なものは、どのホームページ上でもあるんじゃないでしょうか。それであんまり増えすぎると、それは対応できないということがあって、かえって手紙で丁寧にお尋ねした方が、丁寧なお返事が来るかもしれない。ウェブっていうのは、気軽にできてしまいますが、あまり暴力的にやってしまうと失礼に当たることがあるので、その辺は私もよくネット上で色んな問い合わせをする人間ですので、充分気をつけてやらなければならないなっていう風に思っています。やはりできることなら博物館っていうのは、モノに会いに来て欲しい場所なんで、取っかかりはそういうつながりで電話とかネットとかやっていくにしても、最終的にはどうしても必要ならそこに行くべきだし、お迎えする側としては是非来て欲しいと思います。

家田:
 豊橋の自然史博物館の場合の問い合わせの受け方なんですけれども、ホームページ上での質問については実は限らせて頂いているんです。無制限に来られますと、大変だと、まだどの程度来られるかというのがわからないんですが、基本的にホームページでメールで受ける質問は、ホームページの内容についての質問とかご意見に限らせて頂いております。標本とかですね、その他の質問については、まず電話でどうぞ、という書き方をしております。そして自然史系の場合は、特に標本を見ないことにはわからない問い合わせがほとんどなんですね。なんか見たこともない蜂のような蛇のようなわけのわからないものを見つけたと、これなんでしょうと言われても、なかなか答えられない。まず電話でどんな様子かを知らせて頂いて、それでモノを持ってきて頂くことが次の段階ということになるので、基本的には、電話をまずして頂いて担当者に回しますことにしております。質問をどこそこの誰々さんからこういう質問がありましたという記録がとってありまして、見ますと年間に200とかそんなもんじゃないかな、と思うんです。植物がかなり多いですね。植物関係それから昆虫、化石、岩石というような順番で問い合わせが多いです。やはり先ほどありましたように、文書で丁寧に来られた場合にはかなり対応する方も丁寧に答えているっていうのは、正直なところあるみたいですね。ですからそのもしどうしても知りたいことでしたら、手紙でもって写真を付けたり丁寧にやられると、それなりに対応して頂けると思います。

吉田:
 東京国立博物館の場合はですね、インターネット上から来たお客さんの意見も、アンケートにも全て目を通すようにしております。私は展示関係の部署におりますので、展示に関する意見、質問は確実に見ております。できる限りきちっと答えるようにしております。それで、モノの検索に関しては、検索用の箇所がありますので、そこで検索してもらえるようになっております。

中野:
 じゃああの、うちの例を出しますと、インターネット、コンピューターにつきましては、静岡市は始まったばかりです。猛烈なスピードで、それが進んでいるところなんですけれども、質問の仕方で、インターネットでの質問っていうのは今のところほとんどありません。今までの質問の仕方は、電話です。電話と手紙が一番多いんですけれど、特に電話の場合、子どもたちの質問が非常に多い。特に4月5月に集中します。学校で始まるんですね、授業が。全国から電話がかかってきます。そこで私たちが答えるのは、例えば関西の方の学校でしたら、大阪の弥生博物館のがあるから、そこへ行って聞いてごらんなさい、と九州でしたら福岡市博物館で聞いてごらんなさいと言って地元の博物館を印象づけるわけなんですけれども、いずれにしましてもできるだけやはり博物館に足を運んで頂かないと、まともなお答えができない、っていうのが事実です。「火起こしの機械を作ったけれども、ちっとも火が起きない」と言われましても、その火起こしの作られたものを見せて頂かないと、どこが悪いか見当もつかない。それからこちらで口でいくら説明してもなかなか絵を描いて説明しなければわからないっていうことで、そうなるとテレビ電話が必要になりますし、あるいはファックス等という手段もあるんですけれども、やっぱり来て頂くのが一番ですので、もし物理的な理由以外で来られないんでなければ、是非勇気を出して来て頂けるといいと思います。

司会:
 浜松の方、ご質問、まとまりましたでしょうか。

高松:
 もうしばらくかかりそうですので、引き続きそちらの会場でお願いできますでしょうか。

司会:
 じゃあこちらの会場質問を受け付けますがいかがでしょうか。はい。

渋谷:
 教育学部の渋谷です。各館の博物館や美術館なんかっていうのは、みんなバリアフリーとか最近されていると思うんですが、建物的なバリアフリーっていうのはどんどん今なっていない所も、これからなっていく傾向にあるんじゃないかなと思うんですが、参加体験型のものが増えていくのにつれて、そういうものが増えると障害者にとってすごく敷居の高いもの、見ることはできても参加するようなことっていうのが難しい方っていうのはとても多いと思うんですが、そういったことに例えば参加希望者があった時にどういった対応をされるのかっていうのが少し気になるので、もし宜しければ教えて下さい。

中野:
 参加体験型という話で、体験的な博物館としてはうちは一階全てが体験型のゾーンになっておりまして、それに近いかなって思います。確かに車椅子で来られるお子さんにしても大人のにしてもそうなんですが、多いです。建物については、改造しなければならなくてなかなか予算的な問題があって、つかなくて今までうちは荷物用のエレベーターはあったんですけれども、人用の乗用のエレベーターはございません。ある時その荷物用を乗用に内緒で転用していたんですけれども、これ法律違反なんですが、ばれちゃいまして、そういうことしちゃいかんと、何かあったらただじゃすまないぞっというようなことで、急遽職員で手で担いで二階に上げていったんですけれども、私たちもやっぱり年になってきまして、車椅子を階段の途中で落としそうになったとかそんな時もありました。そこでどうしても危険だということで、やっと予算がつきまして乗用のエレベーターに改造することになりました。12月から工事が始まるんですが、ただそうすると荷物を上げるにはちょっと制限が出てくる。これはやむを得ないことなんですが、そういう問題は解決できるんですが、参加体験型のゾーンに入った時に、参加する、体験をする、その時に障害者の方達に、やはりどうしても制限がでてこようかと思います。なるべくその制限をしない、それからさせないですむように援助する体制を考えなきゃならないんですね。その援助する体制を、実は私たちは一階の体験指導ボランティア体制の中で解決しようと考えまして、その方たちに、一応その場合の例えば車椅子の操作の仕方だとか、そういったことを研修の中でやりまして、なるべく制限をつけないでやっていこうと、いう具合に考えております。それからこれは以前からやっていることなんですが、盲学校の場合には触察ということも実施しております。これはやはり一階の体験学習室の中で、勿論手で触れるハンズ・オンでやるわけなんですが、それ以外に二階の実物の場合は、触察によって観察することしかできませんので、特別にそういう申し出があった場合には、一部屋、別な部屋で触察ということに応じております。なるべく差がつかないようにということで、色々考えてはいるんですけれども、どうしても人的な体制がもっとも重要な課題っていうことで、そういった意味ではボランティアの活動も少し変わってきてるかな、と思います。

司会:
 登呂の博物館の方での実際のバリアフリーの話を頂きました。私の以前勤めておりました施設でも、全国的にこれはやられたことではありますが、環境に優しい施設作りというような、大きな国の施策もあって、大半が目のご不自由な方々への配慮っていうことで、博物館、美術館へ行きますと、黄色の線が引かれております。これは博物館の中へ入ってしまって黄色の線がありますと、先ほどの展示デザイナーの話じゃありませんが、少し環境と合わない雰囲気になるということで、あのイボイボはそのままにして、少し色の変わったものを貼り付けて、そういうものを連続させていくというような方法を取り入れて、エレベーターとか自由に動かせるように、施設を作っている例もございました。それから触察っていうのも徐々に色んな施設で行われ出していくと思われます。ハンズオンですが、名古屋市の美術館辺りでは、それを週に一度ずつ計画して、時間を決めてやっているというような話も聞きました。しかしこれに関わる学芸員も仕事がかなりそこへ割かれるということで、ややそういうまとまって行う時間を少しずらして、ある月はやるけれども、またに三ヶ月おいてやる、そういう形で対応しているような例もあるように伺っております。そんな所でありますが、他に質問は。

鈴木:
 質問二点あるんですけれども、いっぺんにいいですか。私は実物の魅力を伝えるっていう、先ほど「実物に勝るものはない」っていうお話が出たと思うんですけれども、実物の魅力を伝えるっていうのが、学芸員の仕事ではないかなっていう風な所が思っているところで、その実物の魅力をどのように伝えるかっていうことで、何を実物として、実物の魅力はどんな所にあるのかっていうことについて考えていて、例えば私でしたら、申し訳ないんですけれども、興味のあるものとないものってあるじゃないですか。歴史系の博物館に行って、本物の鉱石だとかを見ても良さっていうのがなかなか理解できないんですよ。そういったものを理解するためにどのような工夫をされているのかとか、どのようなところに魅力があるとか、そういったことをお考えがありましたら是非お聞かせ願いたいんですけれども。

家田:
 鉱石とかっていう話があったようですが、鉱石ですか。実物の良さを通訳者としてインタープリターとして、一般の方々に伝えていくっていうのが、学芸員の一つの役目だという風に考えられると思います。その見せ方というのはモノによって多分千差万別だと思うんですね。こういう風に見せようという風な見せ方そのものが実はインタープリター、通訳する人の価値判断によるっていうところがどうしても出てきます。その価値判断を持たないと通訳できないっていうこともあるんですね。そのモノの魅力を学芸員がどういう風に感じるかを素直に見てもらえ、感じてもらえる見せ方がそれぞれある。鉱物なら、こう置くのと、こういう風に置くのとで鉱物の結晶の形の見え方がかわるならよく見える方向に見せるのが当然なんですね。ただその鉱物の形を見せればいいのかっていうと、そうではない場合もありますね。その時のテーマによって、鉱物の結晶の美しさを見せようとしたなら結晶形が一番よく見える方向で見せるし、その輝きというものにポイントを置くならばその輝きが一番よく見えるライティングをしなきゃいけないっていうことになります。また自然界が持っているその美しさを、規則性みたいなもので紹介しようとするならば、その横に模型を置かなきゃいけないっていうこともでてくるかもしれませんね。ですからインタープリターとして、そのモノのどの魅力を紹介したいかを、きちんと学芸員が判断していくかという、そこが一番重要になってくる。その方向が決まってくると、その見せ方もはっきりしてくる。だから一概にこうだっていう風にはなかなか言えなくて、インタープリターとしての見識って言いますか、理解とアピールをどういう風にしたいかという、その視点をかちっと持つことが重要。色んなものを調べないとそれが出てこないということがありますね。たくさん調べた上でこの標本の持つ意味はこれなんだという視点が出てこないと良い見せ方ができないことは確かじゃないかと思います。実際一点一点多分そういうことが言えると思うんですが、やはりどうしても自分の専門のある分野については、何とか言えるけれども、そうでない分野っていうのは学芸員も弱いですから、一般的にこうかなっていう感じで並べているっていうのが正直な所だと思います。

吉田:
 私はですね、モノの感動を伝えるためにまず自分自身が一番そのモノを見るっていうことをこの仕事に就いてみてはじめて気づきました。この間、土器の造形という展覧会をやったんですが、「たかが土器でしょ?」っていう感じがあったんですよ。それでもですね、実際来て見てみましたら、縄文土器は確かにあの渦が本当に素晴らしいんですね。縄文人のそのエネルギーみたいなものを実感したわけです。問題は弥生をどうするかということだったんですが、実際来て見たら、私は弥生土器の方に感動したんですね。その形のシャープさがとても美しかったので。それから私のように食わず嫌いの人にこの感動をどう伝えるかっていうのが課題になりました。やっぱり自分がまずそのモノをよく見て知ってそれで感動するということが大切だと思います。具体的には今回工夫した点は照明でした。上からモノを照らすんではなく、今回弥生土器の場合は、下にアクリルを敷きまして、その下からの照明でモノの形をよく見せるということをやりました。失敗の事例をあげます。醍醐寺の弥勒菩薩ですが、事前に写真がなかったので、おおよその形体しか把握していませんでした。展示する段階でその彫刻にすごく細かい金の線がいっぱい入っていたことに気付いたんですね。でも来てしまった段階ではもうそこに照らすための照明が用意できませんでした。あぁやはり事前に自分がモノをよく見るっていうのが、こちら側の人間としてはとても重要だということを知らされました。

司会:
 今度はSCSで参加して頂いております国立歴史民俗博物館さんいかがでしょうか。 ・・・・・・・

民博:
 よろしいですか。どうもだめみたいですね。

司会:
 それでは、ちょっと切り替えます。それじゃあ、浜松の方は準備できましたでしょうか。

高松:
 はい。お待たせして大変申しわけありません。いくつか質問、種別分けができましたので、多かったものを申し上げたいと思います。まず一つ目の質問といたしましては、昨今の博物館の厳しい状況につきまして、入館者現象や企画展の報告があったわけなんですが、そういう中でどういう風にこれから対応していこうか、いかれるのか、あるいは現状に置いてまたそういう意識というものは働いているのか、現れていないのではないか。ちょうどあの県立美術館の山下さん、いらっしゃいますので、お伺いしたいという、情報学部の河合けいこさん、自分たちが主催している企画展を開催している学芸員はどこにいるのか、観覧中の疑問や質問に対応しておられるのかどうか。展示室で座っている監視の方に質問してもてもなかなか答えが返ってこなかった。他は先ほどあったインターネット等の質問ということで、質問に対する対応ですとか、あるいは同じ情報学部の石田あきこさんっていう方ですけれども、美術館や博物館に行くと展示物に対して質問する相手がいらっしゃらない。学芸員と来館者の接点がない。学芸員は、どこにいらっしゃるのでしょうか。学芸員の顔が見えないっていうのが一般に博物館に行かれる方のあるいは、学生の声だと思います。まずこの部分に関してお答えいただければありがたいと思います。

司会:
 はい、ありがとうございました。展示中に質問をしたいのに、学芸員の顔が見えないので質問のしようがないっていうことにどう対応しているかっていう質問が出ているようでございます。どうでしょう。まず県立美術館の方からお願いしましょうか。

山下:
 回線を通じてちょっと質問そのものが途切れ途切れで聞き取りにくかったので、正確に質問を掴み切れない部分があります。あるいは誤解があるかもしれません。まず学芸員はどこにいるのかっていうことですが、どこの美術館、博物館でも一応その部屋がありますので、そこに基本的にいると思います。答えになってないですね。展示室にいるのかっていうことですが、例えば県立美術館の場合は、基本的に次の展覧会の準備をしょっちゅうやっているというのが実状です。日々次のものの準備、そしてその展覧会が開いたら、一時的にほっとしますが、すぐ次の準備に取りかかるという、それの繰り返しのように思います。吉田さんの東京国立博物館でも絵画室という場所が正にそうではないか、と思います。次から次へと迫ってきているというような状況だと思います。展示室で質問をして、答えが出てこないということに関して、県立美術館の場合、よく聞かれて電話でそれが回ってくることがあります。それでとっても忙しくて会場まで行けなくて電話でお答えすることが極めて多いです。でも現場に行かないと、ちょっと説明できないことで、比較的時間に余裕があれば展示室まで行ってお答えすることもないわけではありません。
 質問が気軽にできないということですが、政治家的にはなるべく前向きに善処してできるようにしたいという風に答えるべきなんでしょうが、世の中の風潮として、「気軽に気軽に」ということが、多すぎはしないかなというのをもう一度、逆に問い直してみたい気がします。充分に真剣に考えてどうしてもそれが疑問になって残ったら、門戸をたたいて聞いて欲しいと思いますし、本当に時間がないというのが実状です。で、顔が見えないというのを顔が見えるようにですね、なるべく講座とか講義とかをやるように考えて、実際に講座を開いてみると、皆さんこられるかって言うと、10人くらいしか集まらなかったり、そういうこともあります。全ては企画者側の責任ということになるんですけれども、なんてぼやいていても仕方ないので、政治家的になるべく顔が見えるように努力したいで終わるのはよくないと思いますが、課題にはしたいと思っています。すみません。皮肉たっぷりかもしれません。

家田:
 自然史博物館では、特別展、年に一回、夏休みにだいたい開いているんですが、そういう時に来館される方々の質問っていうのは、まず第一番目にはだいたいボランティアの方に受けて頂いていますね。ボランティアの方が特別展の会場で、まぁ実際には全部の時間はいないですが、一日のうちの何時間か2時間3時間4時間、お客さんを案内して頂いてます。事前にボランティアの方の研修会を数回やっていますので、その研修を受けた方が一応特別展の会場にいまして、一番目に質問を受けて頂いている、その段階で答えられるものはまず答えて頂いている。わからない場合は、事務室に回して頂くと、事務室の方から担当学芸員を呼び答えるという仕組みになっています。担当の学芸員が休みで、わからないときは、質問者の住所と電話番号を聞いて、後日連絡をさせてもらう。一応基本的にはそういうルートになっております。なにがしかの回答がお客さんにできるという一応のルートができております。遠慮がちなお客さんは、「じゃあわからないんで学芸員に聞きますので事務室にどうぞ」って言いますと、「いいですいいです」で終わってしまう。そういう場合も結構多いようですね。また、事務室まで来て頂いても学芸員がお休みしているということになると、「まぁいいです」っていう、そういう場合もあります。そういうことがある時には、ボランティアの方に責められて、辛いんです。特別展をやっている時に、担当の学芸員がなぜ休むかっていうことで、厳しく怒られてしまったんですけれども、こればっかりは申し訳ないということで、質問者の住所電話番号をお聞きして後日答えるというシステムを今ようやく確立し出したところです。こういう状況です。

司会:
 SCSいかがでしょうか。国立歴史民俗博物館さん。つながりませんか?
・・・・・・
 どうも雑音が入って調子が良くないようであります。SCSの・・局の皆さん大変申しわけありません。じゃあこの静岡の会場方、もう1、2質問を受けたいと思いますがどうですか。はい。

中嶋:
 人文学部の中嶋といいます。あの四人の講師の方の資料とか、最初にみんな入館者数のことが載っております。あのただ一つ東京国立博物館だけが、増えておるんですが、その中で吉田さんの説明ではNHKっていうスポンサーがついたんで、というようなお話がなんですけれど、こういった博物館のイベントなりする時にですね、PR、宣伝っていうことも十分大切じゃないかと思うんです。で、たくさんの方に来てもらってそれによって博物館の方も変わっていくという総合的な感じの方がよりいいんじゃないかと思うんですけれども。まぁ学芸員としては実力で来てもらいたいと、その辺の感情は非常によくわかるんですが、どのようにお考えでしょうか。

司会:
 吉田さん。

吉田:
 これは確かにですね、おっしゃる通り宣伝は重要です。ただ現段階では特別展のみの宣伝なので平常陳列の方も今後、宣伝していこうと思います。ただ入館者が増えているといってもこれは特別展ですので、今後は東博独自のもののPRをもっとしていこうと思っています。

中嶋:
 はい、わかりました。

山下:
 東京国立博物館は私も必須科目として必ず展覧会を見に行くようにしているんですが、確かに平成館がオープンしましてですね、当然そこで国宝展とか、たいへん人の混む展覧会をやっていました。東博に対してだけの悪口じゃないんですけれど、NHKとか大きな新聞社とかが共催する大変混む展覧会っていうのは、実際に行ってみると、これ見れないんですよね。それで警備の方が「止まらないでどんどん行って下さい。止まらないでどんどん行って下さい」っていうパンダが確か日本に昔来た時もそうだったと思いますけれど、じっくりご鑑賞くださいと言いながら一方では、「止まらないで下さい」という状況というのは、これはやっぱり変ですよね。その一方で国立博物館は、東京も京都も人が集まる時に合わせて平常陳列の方、平常展にとってもいい作品を出してあります。そのことを知っている人は、そちらもちゃんと見て、いい作品をちゃんと鑑賞して帰るんですけれども、ほとんどの方が何となく流行に追われてしまって、特別展見た人はたくさんいるが平常展は見ていないですね。確かに大筋としてはPRをたくさんして、人がたくさん見て、それで博物館、美術館が変わっていくっていうのは大事だと思いますし、静岡県立美術館でも4月にある程度人がたくさん入る時がありましたが、ちょっと多すぎる時はどうかなっていうことがありますね。まぁそんな風な意味合いも含めての話ではないかなって思います。

司会:
 浜松の方、高松先生もう一つくらい質問ございましょうか。

高松:
 はい。ちょっともう一問。非常にたくさん多岐に渡る質問を頂いているんですが、学生以外の方で、細江町の歴史民俗博物館の栗原さんからご質問があるんですが、入館者数減の対応として、・・特別展の効果・・それぞれの館の皆さんから・・頂ると思うんですが、博物館というものが、利用者参加型の博物館という・・企画展を博物館が重視する方向性というものが果たして適切だと言えるだろうか、あるいは調和するだろうか、そういうご趣旨の質問でございます。・・状況の中で、どうしてもお客さんを集めるための特別展というのが重視されがちだという・・それとまぁ、博物館への利用者参加・・関連してきて、・・それぞれ・・有り難いなっていう・・

司会:
 利用者参加っていうことですか。

高松:
 そうです。利用者参加っていう。ということでもし宜しければ、また御意見頂きましてお答え・・・。

司会:
 要するに企画に利用者が参加するような、そういうものを重視する風潮っていうことですか。

栗原:
 細江町の栗原です。すみません。

司会:
 昨年はお世話になりました。

栗原:
 いえこちらこそありがとうございました。一つの方向性として、やはりその常設展なりあるいは特別展なりそういったものを企画していくっていうのは非常に大事だと思います。それはそれで一つの形として、私も異を唱えるものではございません。利用者参加型、市民参加型博物館っていうのが言われても目新しいものばかりではないとは思うんですけれども、実際現場としてはそういう・・引き続き行われていくあるいは、これから行われていくことも多いんじゃないかなって思うんですが、一つの入館者の考えてそういった参加型博物館をどのように・・っていうことについてのご意見を伺いたいです。そう思った次第です。

司会:
 はい。それでは登呂の中野さん。

中野:
 登呂博物館です。まだうちではやってないんですけれど、どこの博物館だったか今ちょっと思い出せないんですが、学校の先生が企画展、企画の段階で参加した例を博物館通信か何かで読んだ記憶がございます。その場合は、その生徒、子どもたちが何をしたいと思っているのか、何を疑問としているのか、それをその表に出したくて、それを対応した展示っていうものを考えた上で、学校の先生に企画する段階で関わって頂いたという話を聞いたことがございます。それからあの清水のフェルケール博物館ですか、あそこの場合には、活動の内容は我が家の宝物展ですか、家宝展ですか、各清水市の市民の方がお宅に持ってらっしゃる、これぞお宝であるというモノを一堂に集めて、展示するというその展示会が定期的に行われているような話を伺ったことがあるんですけれど、その時は非常に入館者数が多いそうです。やはり出されたお宅の方は、知人にそれを見て頂きたいというようなことで、誘って見える方が多かったっていうことなんですけれど、全てがそういう形でやはりやるということは一つの博物館の研究姿勢と言いますか、そういうものにも影響してくることも確かにあると思いますので、やはりある程度限度は必要だと思うんですが、中にはですね、いくつかある企画展の中の一本としては、市民参加って言うとおかしいですが、今度弥生の土器について企画展を持ってみたいけれども、弥生の土器というものについて何が見たいのかとか、何を知りたいのか、どういう所に興味をあなたは持っていますか、っていう形での参加の仕方っていうのは、ある意味では、うちでは肯定的な考えを持っております。私たちはどうしても学術的な目でモノを見がちになります。実は先ほどの話しにも関わってくるんですが、実物をどう見せるかということなんですけれども、登呂には土器の破片、かけらがいっぱいございます。これらはどこでもそうですが、みんな死蔵品ですね。死んでる蔵の品です。中には捨てちゃいたいくらいなものもあります。で、そういうものを一点一点見ていった時にこれはその、あるすごい情報を持っている。例えば、土器の接合の仕方がわかるよっていうんで、そういうものだけ集めて企画展に出してみました。で、私は非常にそれを自信を持って出しました。だけど見ている人たち、子どもたちがわかるかどうかということになると、果たしてわかってないんじゃないか。これは口で説明して、粘土を使って、こういう具合にくっ付けるんだよって、見せてやらないとわからないと思うんですよ。で、これはやはりあの、私がこんなことを言うのは、土器をどういう風に展示しているか、きっと展示の仕方が表面的だったので、そういう結果になったんだろうと思うんですけれども、その際一人よがり的なことを避ける意味でも、ある場では市民の方のそういった知恵をですね、貸してもらうのも悪いことじゃないなという風に私は思います。

山下:
 静岡県立美術館の山下です。来館者、利用者、参加型っていうことに対しては、勿論それが大事ですので、できるだけそれぞれの館の個性だとか特性を生かしながら、進めていくべきだろうということ、それは私も同感です。ただあのやっぱりですね、博物館、美術館のやっぱり何て言うのか、エッセンスって言うのか、それがないと、博物館とは言えないでしょっていうのがありますよね。先ほどのお話に出てきた、やっぱり実物っていうものに必ず戻る必要があるんじゃないかなっていう風に私は思います。入館者数が減ってきた、観覧者数が減ってきた大きな原因の一つは、私は、世の中全体が非常にバーチャルっていうものに興味を示し、そういう点では便利になってきたっていうことが極めて大きいんじゃないかと思います。だけどバーチャルで得られるものと、実物で得られるものは違いますよということを訴えていきたいし、知って頂きたいと思うわけですね。友達もメル友っていうのが現代の問題の一つとして言われているわけですが、たくさん友達増えたようにみえて本当の友達が増えているかどうかは、自問自答してみると、本当の友達はその中で何人いるかという風になるかもしれませんね。ちょっと話が飛びました。
 実物の魅力っていうことに関して、何が実物なのかということについて、先ほどちょっと僕も発言したいなって思っていたんですが、バーチャル、つまり映像になっているもので、満足できるような気がするような時代になってきたっていうことが博物館ばなれの一つ大きな要因としてはあるんじゃないかなっていうのは、今申し上げた通りです。例えばチラシを見ると出品されている絵がほぼ同じ大きさで、出てきます。ところがこれ実際に美術館とか博物館に行きますと、屏風っていうのはとっても大きいんですね。それは縦150cm、横360cm、まぁ人間の体を一つの物差しにして作られ、家屋で使われていたものだからその大きさであるわけですが、ところがよく見える西洋の名画なるものは意外に小ちゃかったりする。大きいから素晴らしいモノもあれば、小さいから意味のあるモノもある。一つ一つが固有に存在するっていうのを実感して欲しいっていうのが現場にいる人間としてはいつも感じます。ですから実際現場でご説明する時はモノに即して、「小っちゃいでしょう。でも宝石のようでしょ」っていうような説明をする場合もあるし、「どうですか大っきいでしょ」と、言うこともできます。ところが、これコンピューターの検索画面になると、ここにあの画面がありますけれど、クリックして次の画面、次へ次へと行くと、小さい画帖、つまり小っちゃい手のひらサイズのモノも、奈良の東大寺の大仏、16mあるモノも同じ大きさで画面に出るわけです。そして奈良の東大寺の大仏の頭が異常に頭でっかちでおかしい。これは現場に行くと下から見上げた時に遠いから頭がでっかくないと調度バランスの取れた大きさにはならないわけです。そういった人間のスケール、実物のサイズっていうものを、手のひらとか自分の体からそういう身体感覚で体感するには、やっぱりバーチャルでは果たせない。バーチャルっていうのを僕らはすごく大事にしますが、それは興味を持って欲しいからなんですね。だけどそれで満たされてしまったら僕らの思いとは全然違うんです。来館者が減ってくるっていうところにはそういうところもありますし、常に実物というものに戻ってくるっていうことが必要がじゃないかと訴えたいといつも思っています。それから絵の高さっていう話が、吉田さんの方からありましたので、うちではだいたい床から145pに絵がセンターにくるようにっていうように言っているんですね。勿論それはモノに応じて変えることもあります。ある集まりで絵の高さについての話が出てきたんですけれども、子どもの目線に合わせて展示をする必要があるんじゃないか、っていう発言がでてきたんですね。145cmじゃあ子どもの頭辺りになるから見えない。それに対してまた反論が出るわけなんです。フランスのある画廊で、「君の絵を自由に飾っていいよ」っていう風に画廊の店主が5歳の男の子に、言ったんだそうです。多分その子の目の高さにかけるんだろうって思っていたら、膝くらいの高さに画廊に絵をかけたんだそうです。で、「なんでこんなに低くかけたの?」って聞いたら、「僕の犬に見せたいからだ」っていう風にその子どもが答えたっていう話をしてくれたんです。ある目的があればそれに合わせてその絵の高さっていうのは変わっていくわけです。「子どもの目線」と言っていること自体が大人の目線の言い方であって、子どもの時代僕なんかも小っちゃい頃は、美術館に行って下から上に絵を見上げてたんですね。見上げたからこそ、「すごいな。こんなものがあるんだな」という驚きを経験できた。そういう経験を奪い取っていいものかどうか。ちょっと話がずれてきましたけれど、まぁどんな高さにしてもどこかで問題が出てくるし、そういう風な問題を自覚しているかどうかっていうことが大事じゃないかなっていう風に思います。あの、まとまりませんでしたが。

司会:
 ありがとうございました。ちょっとSCSの状況が悪くて、参加して頂いた各局の各大学の先生方には大変ご迷惑をおかけいたしました。もう時間が過ぎてしまいました。今日は色んな事例を報告して頂きましたし、会場からもこれからの博物館への様々な意見も伺いました。まぁ特に独立行政法人化へ博物館も進み出して、何と国立博物館でグッチのファッションショーを行ったっていうような話も初めて聞きましたが、そういうことまで行われるような時代になってきたっていうことを実感いたしました。博物館学芸員を目指す皆さんも現在の博物館の状況っていうのがよくおわかりになったかと思います。今日の「博物館学芸員と語る」というテーマの大学と博物館を結んだシンポジウム、以上を持ちまして終わらせて頂きたいと思います。浜松の高松先生どうもありがとうございました。北海道大学さん参加して頂きまして本当にありがとうございました。声が入らないようでまことに申し訳ありません。国立歴史民俗博物館の設楽先生、長時間に渡りましてお付き合い頂きましてありがとうございました。またの機会にお会いしたいと思います。それではをもちまして本日の公開シンポジウムを終わらせて頂きますが、最後に生涯学習教育研究センター長よりご挨拶申し上げます。

滝センター長:
 講師の先生方どうもありがとうございました。それからSCSを使って、今日初めてのケースで全国へ流したんですけれども、生憎とスタッフも十分でなくて、我々も朝から頑張ったんですけれど、ついに本番になってうまくつながらないという状況になりまして申し訳ございません。まぁ早速原因を追求しまして次回にはやりたいと思います。それから静岡の会場ではご覧のように非常に暑い会場です。多分他の会場では非常に涼しいと言いますか、エアコン入っているんじゃないかと思いますけれども、静岡は非常に活気がある、熱気がある会場でございまして、それで今日色々お話し聞きまして、どこも評価ということがあります。更に参加人数ということもありますけれど、おそらく参加人数も勿論ですけれども、一人一人に何らかの一人一人が与えられたというようなことは私も思います。従って我々生涯学習センターもですね、そういうような形で色んな評価を受けるわけですけれども、若い皆さんもこれから色んな意見を出して頂いてそれを社会に還元して頂く、いうことで今日のシンポジウムを終わらせて頂きます。どうもありがとうございました。どうもありがとうございました。



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