公開シンポジウム
『博物館と大学を結ぶ』「博物館学芸員の仕事」
期日:平成9年12月12日(土)13:00〜16:00
場所:静岡大学 大学会館研修室
基調講演:「博物館・美術館学芸員の実際」 ▼JUMP
東京国立博物館陶磁室長 伊藤 嘉章
事例報告1: ▼JUMP
静岡県立美術館主任学芸員 飯田 真
事例報告2: ▼JUMP
静岡市立登呂博物館副主幹 中野 宥
事例報告3: ▼JUMP
フェルケール博物館副館長 西野 和豊
事例報告4: ▼JUMP
佐野美術館主任学芸員 坪井 則子
事例報告5: ▼JUMP
島田市博物館博物館長 渋谷 昌彦
事例報告6: ▼JUMP
名古屋市立博物館学芸係長 水谷 栄太郎
討論・質疑 ▼JUMP
主催者あいさつ
静岡大学生涯学習教育研究センター長
岡田 嚴太郎
みなさんこんにちは。センター長の岡田でございます。静岡大学生涯学習教育研究センターでは、センター独自の調査研究事業として、本年度から様々な事業を展開することとなっております。
今回は、文化施設での生涯学習のあり方を考えるために、またその指導者養成ということで、大学の方でも人文学部、教育学部、情報学部などの学生諸君に向けて、学芸員資格取得の課程をカリキュラムの中に組んでおりますが、その中心施設であります博物館施設をとりあげることと致しました。博物館と大学を結ぶために、また生涯学習と博物館を考えるために、まず手始めといたしまして「博物館学芸員の仕事」というものを大学が理解し、学生諸君が博物館に対する認識をしっかり持つことが肝要だと考えまして、現場でまさに生涯学習に携わっていらっしゃる学芸員の先生方にお集まりを願い、このような形で公開シンポジウムを開催し、様々なご提言を頂くことといたしました。
本日お集まり願いました博物館、美術館の学芸員の方々は、その大半が、実は静岡大学の学生が学芸員資格取得の課程の中の博物館実習をお願いしているところでございます。本年も夏休みやこの11月には、本学の学生が直接ご指導を得たばかりのところでございますが、恐らくその都度大変ご迷惑をおかけしていることと存じます。目的意識のないまま実習を受けた学生も多かったように聞いております。そうした学生の意識の変革のためにも、まず学芸員の仕事の実際を知ることが肝要でありますし、また学生の実習をお願いする大学の側もその実態を把握し改善すべきところは改善していくということのためにも、現場の先生方のお話を伺うことは大変重要なことであります。本日は先生方から様々なご意見を頂けるものと考えております。
学芸員の仕事の実際につきましては、国立と地方公共団体では、組織や事業規模において大きな差があろうかと思います。しかし、大局的に見て博物館事業を実施する目的は、まさに同一てはないかと考えられますし、市町村の博物館、美術館における学芸員の胃の痛くなるような仕事のお忙しさも、規模の大小に関わらず経験されているところでございましょう。
そうした観点から、本日はまず、東京国立博物館陶磁室長の伊藤嘉章先生から基調講演として、「博物館・美術館学芸員の実際」につきましてお話を願い、その後それぞれ特色ある博物館事業を展開していらっしゃる、静岡県立美術館の飯田先生、静岡市立登呂博物館の中野先生、フェルケール博物館の西野先生、佐野美術館の坪井先生、島田市博物館の渋谷先生、および名古屋市博物館の水谷先生から、博物館事業と博物館実習の現況につきましてそれぞれ事例報告をいただき、教職員、学生共々、博物館にみる生涯学習の実践活動を学ばせて頂こうと考えております。
本日は、講師の諸先生方にはご多忙の中、本学生涯学習教育研究センターのために、また静岡大学教職員、学生のために足をお運びいただき誠にありがとうございます。宜しくお願いいたします。また会場にご参集頂きました教職員、学生のみなさん、またわざわざお出かけを頂きました博物館学芸員の皆様にはご静聴を頂き、後半の質疑討論に是非とも積極的にご参加を頂きたいと思います。本日の公開シンポジウムが、博物館と大学を今後より一層結びつける糸口となることを願って、私のごあいさつにかえさせて頂きます。ありがとうございました。
基調講演:「博物館・美術館学芸員の実際」
東京国立博物館陶磁室長 伊藤 嘉章
1)日本の学芸員の仕事
東京国立博物館の伊藤と申します。宜しくお願いいたします。ただいま司会の柴垣さんの方からのお話にもあったのですが、今回、「博物館・美術館学芸員の実際」ということで話をさせて頂くことになりました。実は、博物館・美術館にとりまして、今、大きな曲がり角の時代にきていると言われているのです。その中で今回ですね、このお話を頂いたとき我々、特に私にとっては非常にいい機会だと思いました。。何故、いい機会だというかと申しますと、実際我々の仕事というのは本来何をするべきであろうか、どういったことをしていくべきであろうか、それをまとめてもう一度考える機会を与えられた、そのつもりで特に前半部分は学芸員の仕事というのは一体何であろうか、ちょっと理想主義的な色合いが強いのでありますが、そのように書いてみました。これまた追々お話ししますが。また何故、今、学芸員の曲がり角の時代かといいますと、かつての、例えば我々が学芸員になった時代、この時代というのは今から15年ほど前なのですが、博物館・美術館が全国でどんどん出来つつある時代でありました。その頃というのは何も考えていなくても学芸員になれた、というと大げさでありますが、そのような時代であったわけですね。それが今はそういう時代と変わりまして、博物館学芸員にもなかなかなれない、逆に学芸員達もいろんな努力をして、あるいは新しい方向を見つけながら、博物館・美術館を運営して行かなくちゃいけない時代に来ている。そういうなかで、もういっぺん理想を追い、あるいは現実を見つめながらやっていく、そういうのが必要な時期に来ているというのが、私共の今の認識なのであります。
今、申しましたようにレジュメの、「日本の学芸員の仕事」という章で、学芸員というのはどういうものであるかというのを若干理想主義的に書いているわけであります。それをまず見ながらですね、どういったものかを考えてもらおうと思います。それと、レジュメのタイトルに、博物館だけでなく美術館の語を加えた件でありますが、「博物館」というものの中には大きく博物館・美術館と両方含めるという考え方もございます。この両者というのはひとつの中に括られるんですけれど、実はかなり大きな内容の差もあるんですね。また、東京国立博物館は「博物館」という名前をとっておりますが、実質的には現代で言います「美術館」と同様な色合いが非常に強いのであります。その理由は何故かと申しますと博物館、東京国立博物館ができたのが明治5年なのですが、日本に「美術」という言葉ができたのは明治6年以降なんです。ですから「美術」という概念すら日本にまだなかった時代、それですから「博物館」という名前になったわけなんですね。それで、博物館・美術館ということでお話するのですが、東京国立博物館の仕事を中心にいたしますので、美術館的な色彩が強いお話というふうに、ある程度お考えになった方がいいかもしれません。
まず学芸員というのが、我々にとって仕事をする時に、いわゆる学芸員としてやっていくために最も必要なものは何かというのはですね、これすごく当たり前のことなのですが、作品ですとか資料といわれる「もの」なのであります。「もの」というものが最初に存在しまして、それから初めて我々学芸員というのが仕事をしたりとかいろんなことをするものが始まるのであります。「もの」というものがありまして、そこに例えば研究、保存、展示、あるいは教育普及といったことが仕事としてでてくる、それがひとつの前提なのであります。
その中で、よく学芸員の仕事というのは研究・保存・展示、あるいは教育普及というふうに並べて言うことがあるのでありますが、その中で最も大事なのがここで四角で囲っております「研究」という分野ではなかろうか、これを今我々は非常に強く意識しておるのであります。これはすべて後でまた追々申しますが、研究というのから始まってその作品に対してぶつかっていきますし、その保存に対しても展示に対しても教育普及に対しても、すべての分野について「研究」というのを基盤にしながらアプローチしていく。そういった意味で博物館学芸員の仕事は、「研究」というのが最も大事な、基本になるものというふうに考えております。
この下の*印に「日本では、外国に比べて学芸員の仕事が未分化な状態にある。」それを称して一般に「雑芸員」というようなちょっとへりくだった言い方というのをよく我々などもする時があるのですが、日本の博物館・美術館の多くの場合、保存、展示、教育普及、あるいは研究、こうしたものはすべて、ほとんどの学芸員がすべての分野を担って行っているということが実態なのですね。その意味で雑芸員という言葉も使われているのです。これがヨーロッパですとかアメリカ、そういった外国の美術館などに行きますと、保存は保存の専門の人、そして教育普及は教育普及、エデュケーショナルな部門を受け持つ人、あるいは展示は展示、デザイナーが加わったりとかですね、いろんな分野が分かれておりまして、すべてをやるというような形にはなっていなかったりする。ところが日本では、現状では一人の人がいろんな分野を果たしながら進めるという、そういった形式に多くの場合はなっております。
次に、「保存」ですとか「研究」、「展示」、「教育普及」といったものをもう少し内容的に見ておこうというのが、その以下になるわけであります。まず「保存」という問題があります。これは、博物館・美術館が作品ですとか資料ですとかそういったものを根底におかなくちゃいけない、これが永遠不変の原理だと思うのであります。そのためにはですね、保存というのが非常に大きな我々にとっての仕事になると思うのであります。つまり、今ここに存在する作品ですとか資料というものは、これは既に昔作られたもの、昔あったものが今日までなんらかの形で伝えられてきている。考古学的な資料の場合はその発掘ということによって再び世に出されて伝えられる、そういった形になるわけです。これらをさらに21世紀あるいは22世紀へ、将来的に伝えることというのが、我々にとっては非常に大事な仕事になるわけなのです。この保存ということは大変大事なことなのですが、実は皮肉なことに、日本の美術品等の場合は特にそうなのですが、保存と展示というのが相反する立場をとることもあるわけなんですね。作品は展示をして長くさらしておきますと状態が悪くなる。でも公開をしないと持っている意味がなくなる。その両方の間に挟まれながら、保存を考えながらいかに展示して見て頂くか、ということを常に学芸員としては考える必要がでてくるわけです。また保存の中には、常に作品を同じ状態に保つということだけではなくて、状態の悪い作品をもとの状態にもどして行く、あるいはそれを更により良い状態に復元してやるという仕事もあるわけですね。それから、博物館とか美術館の人ですといろんな展覧会をやったりします。あるいはよその展覧会に作品を貸し出したりする。そういった作品の貸し借りとか、そういったものにも保存という見地からいろいろ考えて対応する。そういうようなこと全体が保存という仕事の中に含まれて、作品をいかにいい状態で一般の人に見られるようにし、あるいはいかにいい状態で後の人に伝えられるか、これが保存という仕事になってくるわけであります。
次に「研究」というのを書いてみました。この研究というのは、先ほども申しましたように学芸員の仕事の中の根幹、ベースになるものであります。これは先ほどいいましたように、研究からすべてのことが始まるということでございまして、例えば保存というものにつきましても、作品あるいは資料についていろんな形で理解する、それが歴史的にどういう意味があるか、美術的にどういう意味があるか、そしてそれが今日的にどういう意味があるか、そういったことを知ることは研究という分野なくしてはおこらないわけです。そういった多角的な理解をするための研究が行われてこそ、保存というのもおこるのであります。
次に「展示」との関わりでありますが、展示というのも、ただ並べておけばいいというわけではないんですね。例えばどういう作品をどのように並べるか。それなども非常に重要なことなのでありますが、これも研究というのが全てベースになるわけであります。いわゆるひとつの研究の成果によって、それを表すためにその作品を選択し、それを並べる。あるいは研究によって知り得たことによって、この作品とこの作品をあわせることで非常に大きな表現が得られる。こういうことが研究あるいは勉強というふうにいえる部分であると思いますが、そういうものを抜きにしては、展示も存在しないわけなんです。またもうひとつ、展示をすることによって新しい研究というのが生まれる、そういう場合も非常にしばしばあるわけなのであります。
こういう学芸員に必要な研究というのは大きく二つに分けて考えられるのではなかろうか、これをその下に書いてみました。非常に単純な言い方でありますが、「接写レンズ的な研究」と「広角レンズ的な研究」が学芸員にとっては必要である。これがですね、例えば専門のことをひたすらやっていけばいいという研究者の人でありますと、あるいは接写レンズ的な研究だけでいいのかもしれません。ところが学芸員の仕事というのは自分自身の研究で終わるものではなくて、研究自体が先ほども言ったように保存ですとか展示ですとか教育普及に広がっていく、そしてそこからまた返ってくるものがある。これが学芸員の研究の非常に重要なところであり、学芸員の主要な仕事になるわけですから、学芸員として行うべき研究というのはこの二つの分野だと思うのであります。
接写レンズ的研究というのはまさにものに近づいて見る、作品自体をじっと近くで見ろという、そういう意味ではございませんで、専門性をしっかり持った研究をしろよということになるわけです。それぞれの人が自分自身の確固たる専門性、専門的な分野を持って研究する、これが学芸員にとっては非常に大事なことだと思うんですね。例えば私のところの東京国立博物館で、私は焼き物の専門家なのですが、焼き物の専門家というとすごくそれで専門的な分野が決まっているように思われるかもしれません。ところがですね、焼き物の専門家、今、陶磁室という部屋には私、実は一人しかおりませんで、それが実際に扱うのはですね、時代にすると1万2千年分ぐらいなんですね。少なくとも北海道から南は沖縄、ただ、中国朝鮮半島といった東南アジアは東洋館という別のセクションでやっておりますが、アメリカのガラスですとかイギリス、フランスの陶磁器ですとかそういったものまでも扱わなくてはいけない。このように、実は非常に広い分野を扱っているのであります。その中で私自身の専門は何かといわれると、室町桃山時代を中心とした時期の焼き物である。そういう別のまた更に細かな専門を持っているわけなんですね。この専門を持たなくちゃいけないというのはどうして必要かといいますと、それはひとつには自分自身の専門を持つということは、自分自身に背骨をつくることなのであります。例えば自分自身の専門以外のものを見るについてでも、自分自身が知っているものからある程度いろんな判断をすることが出来るんですね。その専門を持つことによって自分自身の歴史観ですとかいろんな価値観というものが出来上がってくるものもあるわけです。そういった部分を持たずに何もなく「俺は何でもやれるからいいよ。」というのは一種一番危険なことではなかろうか。とにかくそうした専門的な分野を持つということが大事だと思うのです。ちなみに、専門というのはすべてのものとか資料に関わっていなくちゃいけないかというと、実はそうでもないというのが付け足しでありまして、最近では美術館教育、博物館教育といった、そういった分野についても非常に日本の中、国内でも注目をされておりまして、当然そういった美術館教育についての方法論、あるいはそれをどういうふうに活かすかっていう、そういった分野についての研究、その専門ということもあり得るわけであります。とにかく何かしら自分自身の中に確固たる背骨そして指針を持つ、それが非常に大事なことである。それがここでいっている接写レンズ的な研究であります。
次に、次に大事なのが広角レンズ的な研究であります。これはですね、博物館学芸員が研究者として大成するか、あるいは学芸員として大成するかの境目になると思うんですね。接写レンズ的な研究だけが非常に優れている人、その人はおそらくは研究者として大成することはあるかもしれない、でもその人が学芸員として大成することはなかろう、と思うのであります。学芸員として非常に大事なのは広角的レンズのような研究ができていること、これが非常に大事だと思うのであります。これは常に自分の専門のものだけではなくて常に広い興味を持つこと、これがその人自身の広がりをつくりますし非常に大きな意味を持つのであります。ですから、例えば、ものを、ひとつのものを理解するにしてもそれが全体の中でどういったものであるのか、例えば私が先ほど焼き物をやっていると申しましたんですが、ここにひとつの茶碗があるとします。16世紀の茶碗があるとします。それを茶碗としてだけで見るか、焼き物としてみるか、それともそうでないものとしてみるか。例えば島田市の博物館の人がいらっしゃるのですが、島田市に行きますと志戸呂焼の茶壺とかそういうものがあると思うんですね。茶壺というのは4つ耳がついているので4つ耳の壺で四耳壺といいます。で、単に四耳壺としてしか見ないか、あるいは茶壺といって葉茶を入れるための器としてみるか、その葉茶を入れる器というのは歴史的な文化の中でどういった位置づけにあるのか。そのようにどんどんどんどん広がりながら見ていく。そういった広がりを持てるかどうかというのが、博物館学芸員の仕事としての非常に大事なことになるわけです。例えば展覧会を企画しようとした時に、自分自身の専門だけの展覧会を企画するというのは、おそらくどんな人でも1本か2本やればそれで終わってしまうでしょう。ところがいろんな角度から切っていく、あるいはいろんなものと組み合わせて切っていく、そういったことがですね、博物館学芸員の仕事にとっては非常に大事なことなのであります。ですから、博物館学芸員としてしっかりやっていこうと思った場合には、自分自身の専門性をしっかり持つこと、それと共に幅広い興味を持っていろんなものを自分自身で楽しめる、あるいは理解しようとする、そういう姿勢を持つこと。この2つがなければ、おそらくいい仕事はできないし、おそらくやってても面白くないだろう。そういったふうに考えております。ですから学芸員としては2つのタイプの研究を同時にやっていく必要があるというふうに考えております。
では、その「展示」というのはどういうことか。これは学芸員自身の、自分の側からの考え方でありますが、展示というのは学芸員がやっている仕事を外に向かって発信することができる、非常に恵まれた場所なんですね。展示することによって、展覧会によっては何千何万といった人に観て頂くことができるわけであります。これはいってみれば、仕事としては非常に恵まれた仕事ではないかと思うのであります。そういう学芸員としての考えを発表する場ということでありまして、これはひとつは、例えば研究というのがベースだということを言いましたが、そこからいきますと研究成果の発表の場ということにもなります。そして展覧会をやることによって、再びまた新しく見えてくるものがある。それ自体がまた新しい研究の出発点にもなるんですね。それによって研究材料がまた増える。これは自分自身にとってだけではなくて、周囲の人にもそういった影響を与えうるチャンスにもなるんですね。そうしますとお互い同士の中でますますいろんな研究が深まっていく。そうした成果によってまた新しい展覧会、あるいは新しい研究というのが広がっていく、そういうような相乗効果で新しいものが生み出されていく、その重要なところが展示になるわけなんです。
ただもう一つ大事なことは、展示の場合に、研究者だけ分かっていればいいのかというと、そうではないんですね。分かり易さというのがもう一つ非常に大事なんであります。これは特に生涯教育というので最近盛んに言われているのでありますが、自分達だけが分かっていればいいというのは、実は誰も評価をしてくれません。そうではなくて多くの人にも分かり易い展示をする、それが非常に大事なことになってくるのです。実はその分かり易くするというのはどうすると一番いいのかというと、自分が一番よく分かることなんですね。よく分かっていることっていうのは逆に言うと簡単に説明することもできるんであります。我々が全く知らない分野について説明しろと言われますと、たいがい参考書とか本を読んで調べて、その本の言葉通り話をします。そうすると物事というのは分かりやすくは伝わらない。良く知っていることですと、何が大事かあるいは何が大事じゃないかというのが分かってきますから、本質を伝えることが比較的容易になるんですね。ですからそういう面でも、分かり易い展示をするためには自分がとことんまで分かる必要がある、そういうようにフィードバックをしてくるわけであります。
同じことが「教育普及」の分野にも言えるわけでありまして、それを人に伝える、あるいは人に知ってもらう、その為にも自分自身がいろんなものを知っていてそのものの本質を掴んでいるか否か、これ自体がすべて広めたり教えたりということにも関わってくる。以上のようなことで、学芸員の仕事という上では、一方に作品ですとか資料ですとかといったものの一群があります。もう一方に、接写レンズ的な研究と広角レンズ的な研究で自分自身の中に芯と幅というものをもつ、この両方を持つような研究の態度があって、それによって展示であり教育であり普及であり、そういった働きかけをする。そうすることで生涯教育ですとかそういったことが出来上がっていく。そういうふうに考えてみたわけであります。これは若干、理想主義的な傾向もあるかと思いますが、まあ、今回お聞きのみなさんは大部分が学生の方でありますし、20代の前半のうちは理想に走りすぎた方がいいんじゃなかろうかと、あまり現実的にならない方がいいんじゃなかろうかと、そういうことでちょっと理想主義的な話をしてみました。
2)東京国立博物館での仕事から
それで、実際に東博でどういうような仕事をしているのかということで、いくつかこのように書いてみました。これはもう、ざあっと読んで見ていただければ、そういうようなことなんでありますが、展示というのは何をやっているのかといいますと、うちの博物館では平常陳列というものと企画陳列、平常展示・企画展示というのを主にやっているわけであります。ここで、「日本の古美術を対象とする場合、「常設展」は成立しない」ということが書いてありますが、これは先ほど静岡県立美術館の飯田さんとちょっとお話していたんでありますが、実は日本の美術館・博物館にとって、特に美術館にとってですね、「常設展」という言葉というのが非常に良くないんじゃなかろうかという、そういうことで先ほど話をし合ったんですね。常設展というのはアメリカの方ですと「Ordinary Display」っていうんでしょうか、あるいは「Permanent Dispray」っていうんですかね、ずっと同じ展示である。特別展の方は「Special Exhibition」とかいうわけですね。日本の人はどうも、特別展という名がつかないと来ないという風潮がありまして、常設展というと1回見ればいいと思いこむ風潮がある。これが非常に今、美術館・博物館にとって大きな問題になっているわけですね。ところが、例えば日本の古美術、あるいは東洋の古美術を対象とする美術館というような場合ですと、「Permanent」で不変な展示というのは存在しないわけなんです。というのは先ほど言いましたように、保存の関係があるからしょっちゅう展示替えをしなくちゃいけないわけですね。そうすると常に展示というのは変わっております。展示替えをする時には、その展示をどういう構成にするかという全体構成を考えながらやりますので、展示自体実は常に変わっている。ところがその「常設展」という言葉が非常に普及したおかげで、お客様があまり入らないというそういう悪循環になるわけです。しかも例えばですね、美術館教育とかそういうので言われているんですが、我々が海外の美術館などに行きますとよく目にするのが、1人の先生が小学生20人位を相手にしてひとつの絵について延々と1時間ぐらいお話をして、という光景を目にします。日本ではそれを理想としながらほとんど行わない。これも特別展だと見たいけれど普通の平常の陳列でそういうのを見ようとしない、あるいはそういったひとつのものだけをしっかり見ようという意識が育たない、その辺に問題があるんじゃないかなという気がいたしております。東博の場合の「平常展」、これ東博の陶磁室の場合を言ってみたんでありますが、ちょっと端折りますが、大体120〜130点ぐらいのものを一度に並べるんですね。これを年4回ぐらい展示替えをしております。大体そのうちひと部屋ふた部屋と二つの部屋に分かれているのですが、片方の部屋はいつも小さな特集陳列というのをやっておりまして、それが年間4回やっているわけなんですね。そのたび毎に見に来てくださる人もいらしゃるのですが、そういう人は少ない、あまり多く浸透していないというのが、これもうちの問題点であります。
次に「企画展示」というのがありまして、これは規模の大きさによって、いろんな館によって名前の呼び方があると思うんですが、「特別展」ですとか「特別展陳列」ですとかいろんな呼び方をしております。ここに大きく性格分けというのをしてみました。ひとつはですね、「1:研究成果を発表し、研究の進展に貢献するような研究型の企画展」というものがあります。もうひとつは、これは非常に実質的な話なんでありますが「2:入館者数をかせぐ企画展」。これは現実的に非常に大事な部分もあるんですね。理想的にはこの1と2の両者を兼ね備えることが望ましいと思います。しかし現状では場合によってはどちらかをいかすために、もう一方をやらなくちゃいけないというのが現実的にはあるわけであります。
次に企画展というのがどういうような流れで行われるのかというのを、これはおそらく皆さんが既に講義で聞かれたり、あるいは今後、博物館実習などに行かれるとお聞きになると思うのでありますが、大体展覧会というのはこんなようにやるよというのを簡単に書いてみました。まず、研究というのが始まりまして、その中から企画が生まれてくる、そして出品交渉ですとか借用ですとかがあって、展示が始まる。その中には図録を作ったりとか広報活動があり、あるいはそうして展示の最中には講演会ですとかギャラリートークがある。それで調査があり、そしてその作品自体をまた再びそこで調査する、で片づけて返す、そこでもう一度研究が始まる、この繰り返しが我々の企画展の仕事に対する取り組みになるわけであります。
ここで少し今度は、教育普及ということの実例を、東博の例で若干挙げてみますと、「ギャラリートーク」というのをやっておるんです。これは講演会と違いまして、展示室で作品ですとか資料を前にして、直接話をするんですね。ギャラリートークと講演会というのは決定的に違うことがありまして、ギャラリートークというのは観客の皆さんと双方向になる。今は我々はですね、講演会の形式でありまして私が一方的にお話しするんですね。まもなくですね、皆さんの事例報告が終わった後は、我々と皆さんとの間で双方向の話し合いになるんですね。ギャラリートークというのは双方向の話し合いであります。例えば講演会の場合ですと、大体大方、話をする内容というのは決まっておりまして、例えば後ろの人がアクビをしていても、そこで話の内容を変えることはまず不可能なんですね。ギャラリートークの場合ですと、その作品について話をして、ましてそこでみんながすごく関心を持つと、そこでもっとどんどん話してしまうこともあり得る。そういう意味でギャラリートークというのは非常により密接な大事な関係になるんですね。まさにその意味では「観る人の反応を直接知ることのできる場である」ということなんです。実際例えば私などが、ギャラリートークをやる時にどういった準備をするかというと、まず一番大事なのは何を伝えたいか、ということですね。これは展示自体の意図によるわけなんです。次にですね、ギャラートークの本番前に、私などもボランティアの人などに案内をしてみる。そうすると普通の人が何を知りたいかが初めて分かるわけですね。これは専門的なことしか知らないと往々に陥ることでありまして、一般の人が何を知りたいかってのが分かる。それをやってみる。その上で最近は、どうしてもおみやげパンフレットというのを欲しがる。これ、悪い癖でありまして、資料を持って帰らないと聞いた気にならないという人が多いのですね。実際はそういう人に限って資料以外のことはすべて忘れてしまうという、それが多いんでありますが、まあそういうのを作る。最後に自分が知ったことをですね、自分が知って展示ではなかなか表現できないことまでも、できるだけ伝える。このようなことを考えて、しばしばやっております。あと友の会の活動ですとかボランティアの活動ですとか、そういったことはまあ大体ここに書いてあるとおりであります。
最後にですね、東博の事例を紹介しようということでちょっと19ページ、20ページというのを見といていただきたいんでありますが、これが参考資料でありまして、東京国立博物館の事例であります。これが収蔵品の特徴ですとかいろんなことが書いてありまして、先ほど申しましたように明治5年という段階に日本で最初の博物館として成立いたしました。それぞれの建物によって大きな展示の構成が分かれております。学芸員の数というのが、大体職員が130人ほどおりまして研究職53人であります。専門分野がそれぞれ何人というのも書いておきましたが、どうも今日新幹線で数を足してみましたらどうも数が合わないようですね。(笑)これは広い分野でやっている人がいると思ってください。ちなみにですね、この130人という数は非常に多いとお思いになると思うんです。実際に日本では最高の人員を誇っております。ところが例えば大英博物館ですとかメトロポリタンですとか、あるいはルーブルですね、そういった世界の大規模な美術館・博物館にいきますと、おそらくこれより一桁多いんですね。ですからそれだけの人員を、だから逆に言いますと展示だけのスタッフ、保存だけのスタッフ、修理だけのスタッフ、そういったスタッフに分かれ得るんですが、現状ではなかなかそうはならない。これが地方の博物館にいきますと、学芸員が10人もいたらそれはすごく大きな博物館ですし、私が学生時代にアルバイトのようにして居候をしていた地方の資料館ですと、正式な学芸員は1人もいないで市の職員の人が何とかやってるっていう、そういった現状もあるわけであります。
つぎに「展示事業」は主に「平常陣列」と「企画展示」でやっている。「平常陳列」というのもいろんなサイクルで展示替えをしているということですね。まあ大体このようになりまして、今回非常に申し訳ないのは、博物館実習生についての分です。実習の受入が本日の非常に大きな話となっていますが、東京国立博物館は実は、博物館実習の受入をしておりません。それについては失礼しました、ということであります。はい。
では、ちょっと急ぎ足になりましたが、理想的な学芸員の仕事論、そして東博での実践的な例ということで私のお話を終えさせて頂きます。どうもありがとうございました。
事例報告1:
静岡県立美術館主任学芸員 飯田 真
静岡県立美術館の飯田です。宜しくお願いします。現在当館では、「ドイツロマン派展」というのを開催しております。是非、皆さんご来館頂きたいな、というふうに思います。と最初申し上げたのも、こういうのも学芸員の仕事のひとつということで、ちょっと宣伝活動をさせていただいたわけです。お手元の資料の22ページ、23ページが静岡県立美術館の資料になっておりますので、それに沿いまして簡単に報告させていただきます。 まず、静岡県立美術館は1986年(昭和61年)に開館しておりまして、12年を経過しております。収蔵資料の特徴としましては、ここに書いてありますように、主に17世紀から今日にいたる風景画、と言ったらとおりがいいと思いますけれども、それを中心にしたコレクションですから非常に幅が広いわけです。あとロダンを核にしました近代彫刻、あるいは今世紀の美術、そして静岡県ゆかりの作家についても注目して収集を進め、また展示事業につきましても概ねこの収集方針に沿った展覧会を導入するように心がけております。学芸員の数は全体を統括する学芸部長を含めまして11人で、その専門の内訳は西洋画3、日本洋画3、日本画3と、それから教育普及の専門の職員が1人、こういう体制で行っております。
展示、実際の展覧会ですが、年間企画展、これ年によって異なりますけれども6本、まあ5本から7本ぐらいの間で開催しておりまして、あと特別企画展がそのうち5回、これもいろんな形態がありまして、美術館の場合ですと巡回展という各地をまわってくる展覧会もあるものですから、そういうのも含めましてほぼ年間の企画展を埋めております。
常設展示の展示替えというのは、これも日本画の場合ですと原則として展示期間が1ヶ月ですので、それに応じて常設部分で替える。またロダン館でのいろいろな写真の展示とかがありますので、そういうのをカウントしますと年間20回ぐらいになるんじゃないかと。 講演会は、展覧会毎に外部から講師を招いて行っておりまして、ですからこれは4回くらいになるのでしょうか、行っております。
それから、これは後にも出てまいりますけれども、当館ではボランティアを、300名ほど今登録があるんですけれども、その人達が有志を募りまして展覧会毎、あるいは常設展、収蔵品展の中で、収蔵品展ですと毎週第2第4土曜日に、「ギャラリートーク」を行っておりまして、あと展覧会、企画展の場合ですと随時行うということで、行うのはボランティアさんですけれどもそれを指導するということで学芸員が関わっております。
その他それぞれ展示に関わりまして、担当の学芸員が展示の解説を、こういったことを行う講座室という部屋があるんですけれども、そこで月に1回、1人に月1回ではなくて、全員で年間1回ですけれども行っております。
その他、企画展に関係なく実施する普及事業としましては、これは先ほどの教育普及の専門の職員、学校の先生から来て頂いているんですけれども、その方が実技関係の講座。それから技法を紹介する、これは外部講師を招く講座ですけれども、それを1回。それとミュージアムコンサートを年間1回行っております。
体験学習的なものとしましては、上にあります実技講座がそれにあたりますし、あと夏休みに子供向けの「子供ワークショップ」と言っておりますが、それを1週間から10日ぐらいかけて、これは外部も内部も一緒になって行っております。
友の会組織、ボランティアですが、当館には「静岡県立美術館友の会」というのがありまして会員数は約1000人、ボランティアの方は300人で通常はインフォメーションですとか、図書室というのがあるんですけれどもそこの受付をお願いしたり、またポスター発送のお手伝いですとか、美術関係の新聞の切り抜きをお手伝い頂いたりとか、そういうことを行っております。それと、他にもっとほかに余力のある方はということで、展示解説をお願いしたり、いろんな班がありまして、コンピュータ入力の班があったりですね、それから資料整理の班があったり、いろいろそれは随時行っております。
学芸員1人の年間展示事業、教育・普及への関わり方ということですけれども、これはちょっと一概にカウントしづらいんですけれども、おおよそ、企画といいましても先ほど言いました巡回展というのと、自分が企画から関わるものという場合では、かなり仕事量が違ってきまして、巡回にしてもですね、巡回を仕込む側になりますとこれは非常に大変ですね。ただ他で出来上がったものを受けるというのは比較的楽になるんですけれども、そういうことでちょっといろいろカウントしづらいところがあるんですが、自分で企画するようなものは2年に1回ぐらいの割で行っています。またチーフ・サブという形がありますが、自分の企画のない年は、サブの形で加わる、ということになっています。
常設展示の担当は、常設展担当というのが全体統括でおりますが、そのもとに専門分野に関わる学芸員が、展示品を決めて展示しております。
あと、友の会、ボランティア活動への関わりですけれども、これもそれぞれ学芸員の中から1人担当を決めまして、その人が連絡調整を行います。個々の学芸員は、例えば友の会で研修旅行があると、それに随行して欲しいというお願いがあれば、それについて行ったり、会報のことでいろいろと聞かれることがあればそれに答える、というような関わり方をしております。というのが、だいたいの美術館の概要です。
次に、実習生の受入についてですけれども、これは当館開館以来ずっと受け入れておりまして、時期はおおよそ、7月下旬から8月上旬の月曜から土曜までの6日間です。かつてはですね、受入基準を県内出身者又は県内大学の学生ということで行っておりましたけれども、そうなりますと非常に数が多くなってきまして、歴史の人、考古の人、あるいは又家政学部なんていう人もたくさん応募してくるようになった関係上、こちらがちょっと対応できませんので、受入条件の下欄にありますように美術に関わる専攻の学生、それは実技の方も含めてですけれども、実技又は美術史。それで個別に面接も行っておりまして、歴史の方の専攻の人でも美術に関わることを専門的に卒論の中でやってるという人については受け入れております。ということで人数は20名という条件で行っております。今年度は10の大学から14人の方を受け入れております。
実習のカリキュラムとしましては、施設見学、あるいは美術品をふまえまして美術品の調査の仕方あるいは保存について。私も学芸員になってもう14年ぐらい経つんですけれども、いつもやっているのが軸の巻き方・しまい方と写真撮影というのを担当しておりますが、そういうのもカリキュラムに含めております。また先ほど言いました、子供向けのワークショップというのがちょうど時期が重なるものですから、そこに参加してもらって教育普及活動というのはどういうものかっていうのを体験してもらう。最近はですね、最後の締めとしまして展覧会の企画をみんなに考えてもらおう、ということでグループに分けまして、そういう案を最終日に発表するという形をとっております。
最後に、実習生受入での実務上の問題点ですが、学芸員はいろんな仕事を持っていまして、特に展覧会の準備と重なると非常に大変で、そういう時の対応がむつかしいという実際問題があります。あともうひとつ、どうしても県立ということで多くの受入を求められるんです。しかしあまり多くなると、もう20人でもちょっと多いぐらいなんですけれども、本来的な実習というものが出来なくなってしまい、講義形式にどうしてもなってしまう。実際は一人一人にものを扱ってもらって、というのが本来的な実習だと思うんですけど、そういった形がなかなか取れないのが問題じゃないかと思っております。以上です。
事例報告2:
静岡市立登呂博物館副主幹 中野 宥
登呂博物館の中野と申します。宜しくお願いします。うちの博物館は、もう皆さんよくご承知のように、国の特別史跡の登呂遺跡というところにある博物館なんで、当然その登呂遺跡に関する様々な資料というものを研究し、展示するという性格が考えられているわけです。うちの博物館が開館したのは、現在の博物館が開館したのは昭和47年、いまから26年ぐらい前になると思うんですが、その時はですね、静岡市内に駿府博物館と久能山東照宮の博物館はありましたけれども、他に歴史的な資料を展示する博物館というものがございませんでしたので、地域博物館としての性格も持たせようということと、それからもうひとつは、登呂遺跡を単に弥生時代のひとつの遺跡であるという捉え方をするのではなくて、現在の私たちの生活の基になっている農耕文化というものをテーマにしようということで、このふたつの性格を持たせた博物館として出発したわけです。
ですから最初の頃の、うちの博物館の守備範囲といいますか展示の資料というのは、1階と2階に平常・常設の展示室があるわけなんですけれども、1階には民俗資料、大体戦前戦後まもなくぐらいのものの資料を、農村の資料を中心としたものを展示した部屋がございまして、2階に登呂遺跡から出土した出土資料を中心に、縄文時代から近世までの考古資料ですね、を展示してあったわけです。そういうことで登呂遺跡自体の研究ということよりも、登呂から始まる稲作というものが一体どういうものであるのか、そしてそれが現在の日本人の生活様式にどういう影響を与えてきているのか、そういったものがメインのテーマになっていたわけです。それはそれであの当時は良かったんですけれども、それがだんだん年数を加えるにしたがってですね、それでは理解されにくくなってきました。そして全国いろんなところで有名な遺跡が発掘される、あるいは新しい発見があるということになりますと、どうしても一般の人たちの情報量というものもかなり集積されてきますしレベルも高くなってきます。そうすると登呂遺跡の見直しといいますかそういったことで、じゃあ登呂ではどうなんだ、という資料提供を求められた時に、それに見合う資料、要するに新しい段階での研究成果というものが出せないような状況があったわけですね。
そこで今から5年前、うちの博物館の歴史からみるとつい最近の話なんですけれども、いっそのこと、もっと登呂遺跡にこだわってみようというふうにして変えてみたわけです。実は登呂にこだわるってこと、これは当然の話だと思うんですけれども、実は登呂遺跡の発掘、戦後の調査が昭和25年に一応の終わりをみて、その後、静岡考古館というのが登呂の公園の一角に建てられまして、そこで登呂遺跡から出土しております資料を展示しておったわけです。ただ単に登呂にこだわるということになりますと、昔に単に戻ってしまうということになりかねないものですから、そういうことではいけない、もっと前進した形での、登呂をもっとアピールできる形での展示内容でなければいけないということで、思い切って民俗資料をもう撤去しまして、そこを体験学習の場にしたらどうだろうかという話が持ち上がったわけです。これはですね、その前10年間ぐらいかけて、特別展示室という部屋があるんですが、うちは特別展は毎年4月、5月にやってて夏休みはその部屋が空いているものですから、その部屋を使って体験学習室という催し物をやっていたわけです。これは非常に規模の小さいものなんですけれども、体験を中心とした夏休みの事業だったんですが、それをもっと本格的にやってみようということで1階を考えることになったわけです。
これはですね、うちの体験ということはすごく面白いことなんですけれども、実は考古資料というのは1つしかないわけですね。例えば土器っていうひとつを見ましてもたくさんの壺形土器というのがありますけれども、個々の壺形土器は、全く同じものは量産されてませんのでそれぞれ少しずつ違いがあるんですね。出土品1点1点がみんな1つしかないものなんですね。そういうことでそれらを消耗品的に扱うことはできないわけです。手に取ってみることもできません。多くの博物館がそうだと思うんですけれども、ケースの中に入ってケース越しに見るしかない。もう、そういうものは触ってはいけないものという認識があるわけですね。まず、そこをちょっと変えてみようか。みんな触りたいんです。手に取ってみたい。じゃ、その手にとって見れるものだという考え方から出発してみたらどうだろうかということで、そこから出発しまして1階の体験学習室というものが具体化していったわけなんですけれども、2階の方は実は非常に難しくなってしまったんです。
普通、考古の展示というのは復元的な展示が多いんですね。何に使われたものかはよく分からない、それを復元的な手法で展示しているわけなんですけれども、それが1階の体験学習室で復元的なことをやってますので、2階の方では一体何をどういうふうに見せていったらいいのかということが、非常に今現在も悩んでいるところなんです。まあ、ひとつは実物という非常に強みがありますよね。本物です。どうも子供達の会話を聞いてますと、本物に弱いんですね。レプリカですとかそれから模型っていうものよりも、やっぱり本物というものに対する意識といいますか、そういうものが非常に強いということが調査の結果分かったものですから、本物というものをひとつメインにだした展示の形はないだろうか、ということを現在考えておりまして、そういう意味ではまだうちの博物館の展示の形というのは固定化されておりません。1階の体験学習もですね、施設見学の人を案内して、体験指導を説明したりしていましても、どうもアウトドア的な性格が非常に強い、ああいう部屋の中でやるべきものじゃないなって気もしているものですから、そういう意味では両方、1階も2階もうちの博物館はまだ固定化された、あるいは定型化したような、そういう展示にはなっていないんじゃないかという気がします。これは登呂の再整備の問題もありますので、その中で出来るだけ答えを見つけていきたいというふうに思っております。
うちの博物館は学芸員4名おりますけれども、現在4名なんですが、ずーっと長いこと、18年ぐらいほどは、考古1名、民俗1名の2名でやってきました。最近になりまして、ようやく登呂の重要性という、要するに登呂の学術的な資料化が非常に遅れているものですから、それを補うためにという意味もありまして、考古が3名、民俗1名というふうになったわけなんです。最近の4名体制はともかくとしまして、それ以前の2名体制の段階ではですね、私たちの世界っていうのはむしろ職人的な色彩が非常に強かった世界でもあったんです。私達のところにも親方みたいな人がいたんですけれども、ちょっとその方亡くなってしまったんですが、その方に教えられるんじゃなくて見て覚えろということで、ずっと私達はやってきておりました。昔はですね、うちの博物館だけで何かをやるということもあったんですけれども、よその博物館と合同で何かやるという機会も年に1度ぐらいはあったんですね。これは、佐野美術館の渡辺先生ですとか、あるいは久能山東照宮の小林さんですとか、そういう方達が集まって静岡県文化財保存協会というのがあるんですが、そこで「静岡の文化展」というものを年1回やったんです。その時は各博物館・美術館が資料を持ち寄って、そして自分達で展示をするということをやっていまして、そこで私達よりも経験年数の多い、あるいは年長の人達から指導を受けて、そしていろんなことをやっぱりそこで教わるという機会があったんです。今はほとんどそういう機会がないものですから、今の若い人達は非常に可哀想だなぁと僕は思ってますけれども、そういう中で職人、もう理論よりも職人的な、そういう形で覚えると、勉強することが多かったということがあります。
過去には、そういうようなやり方で特別展をやってきましたけれども、現在は、うちの場合は考古・民俗のふたつの分野の学芸員がいますので、特別展は年1回、隔年でそれぞれお互いのテーマで実施してきております。民俗の方は大体地元の民俗文化というのを紹介しようというような意味あいで、今度の場合は「竜爪山」というものをテーマにとっておりますけれども、地元に関係したことの民俗展示のテーマを選んでやってます。それから私の方の考古の方では、いろいろやってきたんですが最近ここ10年ぐらいになって、ふたつのテーマでやっております。ひとつは「登呂の時代シリーズ」。登呂の人達が生活していた頃、日本全国の人達はどういう暮らしをしていたのか、どういう文化があったのか、それをひとつのテーマにして、各論的な展示をその中でやっております。それからもうひとつは「静岡清水平野シリーズ」といいまして、今までやったのは弥生時代と古墳時代、それから駿府城に関する展示、特別展ですけれども、そういうふうなシリーズ的なものを今後もずっと続けていきたいと思っております。
それから、うちの博物館の事業のひとつの目玉というのは、先程来お話ししていますけれども体験学習というものがあるんですが、これもですね、一応、弥生時代登呂の人達が生活の中で行っていた、あるいは行っていたであろう日常的な作業を疑似体験的に体験してもらっているんですけれども、これもですね、あまり学術的なことにこだわってしまいますと、実は考古学の世界では何にも出来なくなってしまいます。過去にさかのぼって見てきた人は1人もおりませんので、ある意味では考古学の世界というのは空想の世界みたいな部分も無きにしも非ずということでありますので、あまり学術的にこだわってしまうと何にもできなくなってしまう。そこで一応私達が考え得る、この程度なら許されるであろうという範囲で体験的なことをやってもらってますけれども、これもですね、私達が常に気をつけているのは、学術的に偏らないこと。ということは子供達に体験をしてもらう時に、考古学的な解説はほとんど加えておりません。実際に問いかけをしているのは「触ってごらん。」「とにかくやってごらん。」「切れるよ。」刃物でしたら「切れますよ。」「手を切らないように気をつけてね。」とかそういうふうな働きかけをしています。後は子供達が自分達でどう感じるか、それを大事にしていこうということで体験学習はしています。私が前にちょっと経験したのは、脱穀のところにいましたら、東南アジアの方で実際に現在もそういう形でやっている人が私共に会話をするわけですよね、「私達もこうやってますよ。」と。そのそばで聞いている子供達も、その話をしている人の迫力に引き寄せられていくんですね。もう私の説明よりもその人の話の方が非常にインパクトがあるという、そういうことがありましたし、それからもうひとつは石器を実際に研いでおりまして私が手を切ったんです。赤い血が出て初めて「あ、切れるんだ。」という、そういう実感を持ってくれた。そういうことが結局、その子供達がやがて専門的にとまではいかなくても、一応勉強する段階になった時に、想い出の中に、頭の中にポッとでてくる、それが出発点になってくれればいいんじゃないかという意味で、あまり専門的なこと、学術的なことは説明の中には加えないようにしようという形で体験学習を位置づけております。
そういう仕事をやるには、やはりどうしても人手が必要になります。現在リストラでどんどんどんどん人は切っていく、人件費はもう削られていく一方だという状況の中で、なんとかそういう体制を維持していきたいということになりますと、どうしてもそれをお手伝いしてくれる人達に頼らなきゃならないという面があります。そういう意味合いでボランティアの方達に私達は期待をかけているんですが、これもまだ始まったばかりで、正直言いまして日本ではまだボランティア制度、ボランティアに対する考え方というのが成熟していないものですから、まだちゃんとした体制には至っておりません。その他に「弥生人体験クラブ」というクラブがあるんですが、これも初め私達が期待して、期待する方が悪かったのかもしれないんですけれども、期待すべきじゃないのかもしれないんですけれども、どうもまだ機能が十分ではないという感じがしています。この体験クラブというのは、これはボランティアとは違いまして、市民の方達が自分達の力で、自分達の考えで、弥生時代の体験をしてみようという、そういう自主団体というものです。ただこれもなかなか実際には、運営上非常に難しい面があります。
そういうようなことで展示活動、あるいは教育・普及活動というものをやっておるんですけれども、そういうことを博物館の実習に来られた方達に、是非知ってもらいたいということで実習活動を位置づけております。ただこれもですね、どこの博物館もそうなんでしょうけれども、うちの場合は私達学芸職員とそれから一般の庶務的な職員がおります。庶務的な職員というのはこれは市役所の公務員、地方公務員という立場の人達が人事異動でやってまいりますので、どうしても公務員というのは条例規則で動いているものですから、博物館実習の受入事業というものが条例規則の中に謳われていないということで、本当にどの程度まで深く関わってやっていくのがいいのか、今のところまだ十分固まっていないというのが現状です。
実は開館の翌年から博物館実習の学生さん達、受け入れているんですけれども、そうですねぇ、5年から7,8年スパンでもって、カリキュラムの内容ですとか、それから受け入れ日数あるいは期間というのも変わっております。夏休みが主なんですけれども、そういかない場合には普通の授業がある時の期間になってしまいますので、土日だけやってみたりというようなことも実験的にやったこともあるのですけれども、まだ実習をどういう具合にして進めていっていいのかというのが内部でも異論がいろいろとあるという段階です。ただうちの実習の場合、一番気を付けてみているのは展示企画というのをやってもらっておりますけれども、この展示企画というものだけが実習生の方達の自発的な活動になります。それを見せていただいて、そして実習生の意識といいますか、狙い所といいますか、博物館学芸員に対する考え方というものを見せてもらっております。もうひとつは展示への提言ということで、常設展示あるいは教育普及も全部含めまして、誉めていただくことは一切書かないでけなしてもらうようにしています。その中で私達が「あ、これはなるほど、変えていかなきゃいけないな。」というところはそれを参考にしながら、次のステップへの資料として考えさせていただいております。どうしても実習生の方達に来ていただくからには、私達も何か新しい考え方が持てるものが欲しい、それからせっかく実習生の方が来て、実質的に学芸員が4名からもし6名来ていただければ10名に増えるわけですから、何かその時に事業が出来るはずだというようなことで、スタンプラリーですとか、あるいは「弥生人グルメ」というようなイベントをですね、皆さんが来ていただくときに組むようにいろいろ考えてやっております。悪く見ると利用しているというふうに見られるかもしれません。まあ利用している面もあるのですが…。(テープ終)
事例報告3:
フェルケール博物館副館長 西野 和豊
西野と申します。どうぞ宜しくお願いします。先ほど基調講演で伊藤先生の方から、理想的な学芸員像のようなお話があったんですが、私達の博物館は非常に小さい博物館でして、その意味からすると、非常に理想的でない博物館に入るかもわかりません。ただ、日本全国いろんな博物館が存在するわけですけれども、財政的な問題とかいろんな問題がありまして、まあもちろん資料の方の問題とかですね、そういったことも含めてなんとかやっている、そういう博物館が結構あるわけです。そのうちのひとつという感じで聞いていただければいいかなというふうに思います。といいますのは、私達の博物館においでになった方があると思いますけれども、目玉になるといいますかね、それ一点だけでも見たいというようなそういう資料を持っているわけではありません。展示も大体250点程のものを展示しているんですけれども、どちらかといえば清水に行けばですね、どっかで目に触れたというようなものとか、あるいは他にも他の博物館とか資料館であるよっていうような、そういったものを組み合わせて展示をしているわけでして、非常に見せ方にしても難しいところがあります。
じゃあ何でそんな博物館をつくったのかということになるわけですね。しかも設立は民間です。地方自治体が美術館とか博物館をつくるのは、これはその町のステイタスということもあってですね、そういった博物館をつくっていく、これが当たり前になっています。ところが清水で私達の博物館を民間でつくった、ということはもちろん創立者の意図があるわけですね。実際、清水には美術館も博物館もありませんので、まあ無いから海の回船問屋の方がですね、今は海運業をやっているそういう企業のオーナーが博物館をつくったわけです。世間では企業博物館というのはいくらもあります。トヨタ自動車にしてもですね、サントリーだとかいろいろ企業名が付いた名前の美術館・博物館があるわけですけれども、私達の方ではそういう企業名ものせませんで、むしろ地元に密着した展示をしていきたいという意図でつくられたわけです。今、「フェルケール」という名前を愛称で使わせて頂いておりますけれども、本名は「財団法人清水港湾博物館」という名前です。非常に、あの、漢字がですね、画数の多い漢字が随分続きますので、もうそれを見ただけで行くのは嫌だという、そういう拒絶反応がおこるわけですね。当然私なんかもそういうタイプですので、もうそんな鬱陶しい字の博物館なんていうのは行きたくないと。それで片仮名の名前を少し、愛称として使わせて頂いたわけです。これは、ネーミングというのは非常に難しい問題があります。非常に効果のあるネーミングを使っているところもあるんですけれども、私達の方ではそういう意図で「フェルケール」(ドイツ語の交通、交際の意)という名前を今前面に出させて頂いております。それは何故、そういう名前にしたかといいますと、今言いましたように堅いというイメージもあるのですが、つまり展示だけではなくていろいろコンサートをやったりですね、シンポジウムをやったり講演会をやったり、あるいはいろんな体験学習とかそういった個別の事業をやっていきたいという時に、例えばコンサートで「港湾博物館」というとちょっとそぐわない、というようなこともありまして、そういうネーミングにしたということもあります。
そういう博物館なわけですけれども、じゃあ私達がどんな仕事をいつもやっているかといいいますと、もちろん専門分野というのは少し持ってはいるんですが、それにこだわっているとですね、年に7本から8本、企画を考えてやっているわけで、ほとんど他人の力をあてにしないといけないということになるわけなんです。ですからそこを何とか自分達なりにですね、消化して、そして皆さんに展覧会でもって紹介していきたいという考えがあるものですから、もう毎日のようにですね、例えば町に出ても何か展覧会が出来ないかとかですね、これはちょっと展覧会が出来そうだとかですね、あるいはここへ行ったらポスター貼ってくれそうだとかですね、ここへ行けば協賛金もらえるなとかですね、いろんな事を考えるわけですね。ですからもう、四六時中博物館の為ってわけじゃないんですけれども、それは逆に面白半分でやっているところもあるんですけれども、そういう意識というのは非常にあります。ですから昨日も盛岡の方に行ってきたんですが、新幹線の車中で、もちろんちょっと読む本もあるんですが、雪景色を見ながらいろいろ考えます。そんな仕事つまんないんじゃないか、というふうに思われるかもわかりませんが、そうじゃなくってネタというのはいっぱい落ちているわけですね。私達の活動の中には、例えば観光協会のメンバーとつき合ったり、郷土史研究会のメンバーとか古文書研究会の連中とつき合ったりしていまして、そういったところからもネタを集める、と。ネタというのはもちろん資料があれば一番いいんですけれども、資料が無い場合もありますので、その場合にはとにかく、そういったものは何処にあるかとかですね、そういったアンテナをいっぱい出しながら活動しているというようなところなわけです。先ほど冒頭に言いましたように、たいした展示品があるわけじゃないと。ですからそれをいろんな組み合わせをして、ひとつのストーリーを形成して、それで展示品にもっていくというような手法を取っていますので、そういう活動になっていくわけです。併せて市立の、これも先ほど言いましたが、市立の美術館・博物館を持っていません。年に1本か2本ですね、清水市の教育委員会と共催で展覧会をやっております。その場合にはスタッフがちょっと、教育委員会の中に学芸員の人達が何人もいますので、その人達と連係プレーでもって、企画展をやります。それも年に1回大きなものをやりまして、地元に密着した、そういう紹介をしているわけです。
そういった発想から生まれたのが「我が家の宝物展」という展覧会、それから今回この19日からやるんですけれども「フェルケールフォトコンテスト展」という、そういう展覧会をやります。いずれにしてもですね、市民参加型の展覧会。私達がいろいろこうして活動をやってみて、博物館に足を向けないのは、やはり博物館というのはちょっとこう気位が高いというか、あるいは逆になんか……しいとかですね、陰気くさいですとかね、そういったイメージがどうもあるようですので、とにかくみんなが足を運べるようにですね、そういう接点を持つことが必要だとういうことでそういうことを考えました。「我が家の宝物展」に関しましては、お宝鑑定団というテレビがありますけれども、あれとは全く意図が違いまして、私達は偽物でも複製でもいいんだと、とにかく宝物と思っているその気持ちが大事なんだと、だからそれぞれの所蔵家にその自分の思いを簡単に書いてもらって、それを併せて資料と一緒に展示しております。ですからそれぞれの人達のキャプションを同時に展示しているわけですね。そういう展示なんですけれども、去年それから今年、結構好評でまだ続けていくつもりなんですが、これが実は市民参加型と言いながら、我々博物館側からするとその資料が全部手元に、台帳に残るわけですね。いいものであればまた貸してもらえるということと、地元に何が散在しているかっていうのをチェックすることが可能だし、まあ何よりもみんなが盛り上がってですね、そういうひとつの展覧会をつくりあげるっていう、そういうやり方が、まあ、これ各地でもやっております、戦争物の展覧会を確か富士市の方でもやっておりますし、そういう手法をちょっと参考にしました。それからフォトコンテストについては、これ何処の博物館でしょうかね、JRにキヨスクってありますね、あのキヨスクのみやげ品を全部一括して購入して、それを保存しているという博物館があります。つまりその時代時代の世相をですね、それからまたその時のパックデザインにしても、そういったもの全部をとにかく保存して、今までの高価なものを保存するだけでなくって、現在のものを50年100年先に保存して紹介するという、そういう意図でそのキヨスクの話があるんですが、私達もちょっとそれを変えた形で、現在の清水港を写真で撮ってもらって、それを後世に伝えていきたいという、そういう意図でこのコンテストをやりました。初回でしたけれども、なかなかいいレベルの高い写真が集まりました。もちろん来年以降も最低5年間は続けて、開港100年が来年ですし、21世紀という節目の時期でもありますので、そういう収集の仕方をしたいというふうに思ってやっております。これも地元の人達とのいろんな交流の中で発想したことです。それは別に他の博物館の方もお考えになってやっておられる所もありますし、目新しい手法ではないかもわかりませんが、私達の小さな博物館としては、今一番そういう接点を持ってやっているということでご紹介したいなというふうに思いました。
それから少し、私達の博物館でこだわっていますのは、博物館の名前がそうですけれども、海の東海道というものの位置づけが今はっきりしていない。特に私達の博物館は宿場の博物館ではなくて海の博物館で、特に物流の博物館、物流基地であった清水の博物館という、そういう位置づけでですね、今後、海の東海道関係を地道に資料収集したりしていきたいなというふうに思っております。ちなみに研究会を発足しまして、来年の6月からこの研究会は静岡県内だけでちょっと進めていきたいというふうに思っております。
今年、11人程の静大生の実習生達を受け入れたわけですけれども、こんなような話を、毎日しておりまして、おそらくダブって聞いた人が何人もいると思いますけれども、ただ博物館というのが、必ず創立者ですね、公立の博物館にしてもですね、その創立者があるコンセプトのもとにですね、つくられています。県立美術館は風景画というのがテーマのようですし、それぞれのそういうテーマがあります。そういうテーマというものを知っておいていただければ、非常に理解して頂き易いというふうに思うわけで、そこを実習生の人達に理解してもらって、そういう意図をいくら書いても伝わりませんので、言葉で伝えて頂ければ大変有り難いなということで実習生達を毎年受け入れているわけです。私達は夏の休みに、静岡・清水の出身者で他県の大学に出ている人達を受け入れてまして、今年も8月の20日から1週間受け入れました。秋に静大の生徒さん達を受け入れるわけですけれども、なにか、例えばコンサートがあったり模型教室があったり、そういうイベントがあれば参加してもらうようにしています。それとは別にですね、1週間の中でワークシートを作って頂くようにしています。これはうちの博物館の資料を、まず理解しないとワークシートを作れないわけで、それを本当に短期間ですけれども作って頂いております。それで、小学生の1・2年、それから3・4年、5・6年、それから中学生用というようなランクに分けまして、というのは分けないとですね、ひとつのもので兼用できない、と。つまり表現が全然変わります。小学生の1・2年生向けのワークシートと5・6年生では、全然レベルが違いますので、そういうのを分けてですね、ワークシートを作って頂く。それが博物館、あるいは子供達への理解力というものを自分自身で試して頂く一番いい例だということで、ワークシートを作っていただいております。それから今年も広重美術館の方に、ちょっと見学させていただいたんですが、今日も横田さんおいでになってましてその時はどうもありがとうございました。よその博物館へお邪魔するということは、その博物館がどういう見せ方をしているのかと、私達の博物館はこういう見せ方をしたけれども、よそではどういう見せ方をしてどういうふうに楽しませているのか、そういうことを実際見学してですね、体験してくる。今まではただ何となく見ていた、そういう博物館・美術館がちょっと切り口を探してみるといろいろ見せ方があるものだということで、そういう見学をさせていただいています。今日おいで頂いています館のみなさんの所にも年度によってお邪魔したりしているわけで、大変そういう意味では楽しくて、しかも有益な見学会になっているというふうに思っております。
このレジュメの方には何にも触れないで、ただたらたらとお話しをしてしまいましたけれども、とにかく何が仕事だというのは本当にもう、何でも屋に徹してやっておりまして、そういうことを聞いてですね、そんなだったらもう学芸員は嫌だなというように思われるかもわかりません。でもそれが実態でして、なかなかいきなりですね、伊藤先生の所のように国立の博物館に就職というのは、まずできません。皆さん市立とかですね、そういった所から入っていかれてどんどん国立の方にお行きになる、そういうコースになると思いますけれども、ただ基礎的なことはそう大きく変わってない、とは思いますけれども、ただそういう雑務もですね、ただ嫌々やるんじゃなくて楽しくやっていけるということをですね、ちょっとご紹介したわけです。どうもありがとうございました。
事例報告4:
佐野美術館主任学芸員 坪井 則子
佐野美術館の坪井と申します。宜しくお願いします。佐野美術館の一番大きな特徴で今こちらに並んでいらっしゃる方々と大きく違う点といいますのは、佐野美術館の収蔵資料はもともと1人の個人のコレクションを母体にしているということです。特に、その個人というのは佐野隆一という人ですけれども、東洋の古美術、特に日本刀を中心とした工芸、陶磁器ですとかそういった工芸から始まって、書跡や絵画そのようのもののコレクションが母体となって財団法人として設立された美術館です。設立はそういった事情なんですけれども、その後美術館の活動の中で徐々にそれらのコレクションを核とした美術館のコレクションを増やしていって現在に至っているわけです。
現在佐野美術館では学芸員数、こちら6人というふうに書いておりますが、これはアンケートを書いた時点で6人でその後5人になりましたんですが、一応6人、5人という人数でやっております。
年間の企画展の回数なんですけれども、これもこのアンケートを書くので改めて数えてみたんですけれども、年間特別展というふうに名称を打っておりますのが5回、これは今年度ですけれども、5回です。それにその合間を縫うようにしまして、今「企画展」というふうにうちでは呼んでおりますけれども、収蔵品を中心、核とした企画展示、これをですね、「平常展」、先ほどもお話が基調講演の中でありましたが、平常展というふうに名前を付けると誰も来なくなってしまうんですね、それで無理矢理「企画展」というふうに名称を打って館蔵品を展示しております。ですので今、佐野美術館では常設展というものは全くありません。彫刻が何点か、現代彫刻など展示しておりますけれども、常設展示という形で一部屋設けるとか、そういったことはしていません。スペースの問題というのもありますし、先ほどのような作品の性質上の問題からもそのようになっています。
この資料にそっていきますと普及活動の方へと話がいくんですが、ちょっと飛びまして学芸員の実際の仕事ということで、次ページの方にいきます。1年間でどのくらいうちの学芸員が展覧会を持っているかといいますと、これは頭数で割って頂けばそうなってしまうのですが、2本から3本になります。展覧会の準備は、1ヶ月、2ヶ月で済むものではありません。常時次の年その次の年まで眼をやっておりますので、1人が何本正確に展覧会を担当しているのかというのは本人もあまり考えないようにしているというか、よく分からない状態ではあります。ただ、年間で担当者として名前が出るのは2本から3本という状態になっています。アシスタントというかサブをつけませんので、つける余裕がありませんので、1人が1本やると、まるまる1本担当するという形になります。
それから展示以外の仕事という項目がありまして、これを見ていただきますと、先ほどの理想とする学芸員像というところに最も根幹として挙げられていた作品の調査研究、保存管理というものに加えて、見学者への解説というのがあります。この見学者への解説というのはギャラリートークも含めてなんですが、最近のお客様は非常に説明してもらいたがる方が多いのです。こちらはできれば展示そのものを説明と考えてもらいたいと思うのですが、プラス何か担当者が言ってくれないと不安なようなんですね。その不安を解消するために部屋に残っている学芸員が駆り出されて、説明に出ていくということが多々ありますので、それをちょっと出してみました。その他広報活動ですね、広報印刷物関係をそれだけのセクションでやっている所もたぶんおありだと思いますが、佐野美術館のような小規模な所になりますと、これもやはり担当の学芸員が大まかなところまでは担当してちゃんと発注する、そこまで面倒を見る形をとっています。
それからちょっと前に戻りまして、先ほど解説をするというようなお話をしましたけれども、展覧会の時にギャラリートークというのを実施しております。これは特別展であっても企画展であっても、毎月、今、隔週土曜日というふうに限定されておりまして、その時やっている企画展示の担当者の学芸員が時間を決めて展示室内で行う。それはその時集まってくれたお客さんを相手にトークする、という形になっております。これは以前、全く佐野美術館ではやっていなかったことなんですが、先ほど言いましたように解説を求める人が非常に多くなり、それがいつ現れるか分からない、これでは非常に対応する方が大変ですし、きちんとした対応ができない場合があるんですね。ですから、それならギャラリートークというものをきちんと決めて広報してしまって、その時には担当者が出ますと決めましょうということで、ここ数年間、3年ぐらいですか、始めております。
あまりいろいろなことを言ってもあれなので、後ほど質問などがあればと思いますけれども、実習生の関係ですけれども、佐野美術館では現在4人から5人の実習生を受け入れています。これもですね、私がこの博物館実習を直接担当するようになって3年なんですが、4年前までは8人から10人受け入れていたんですね。学芸員の数は変わっておりませんしもっと少なかった時代もありましたので、ちょっとキャパシティがおかしいのではないかということで、別に私が楽をしたかったわけではないんですけれども、人数を少し考え直そう、その代わり少ない人数でちゃんとしたカリキュラムを組んで面倒を見ましょう、そっちの方がお互いいいでしょうということで、無理矢理半分に人数を減らした結果なんですね。本年度、この間の夏休みは4校から4人、大体大学は1校から1人というふうに決めてますので4人受け入れました。受入は、うちは先ほど申し上げたように東洋の古美術関係が多いので、美術史、できれば東洋美術史、日本美術史、ちょっと枠を広げて歴史、考古、それから製作ですね、美術の製作、この学生に限るというふうにこちらでは決めています。10人ぐらい受け入れた時には、法学部だとか政治だとかいろいろな、多様な学部生を受け入れていたんですけれども、最近はこういう形でちょっと基準を設けています。
実習カリキュラムは大体そこに書いてあるような美術品取扱いから始まって、写真の撮影ですとかカード作成、これは展覧会を担当する学芸員の補助的な作業になりますけれどもカードの作成、それから図書資料の管理ですね、それからその他、これも3年前からカリキュラムを変えた時に加えたんですが、佐野美術館は年間のこの本数の展覧会をこなしていくと、月に1回大規模な全館展示替えというのをやることになりますので、その展示と撤収作業に立ち会ってもらう。実際に美術品には触れるということはちょっと不可能なんですけれども、必ずその場に立ち会って実際の業務を見てもらおうというのを組み込んで時期を設定しています。その他、ここには書いてありませんが他館見学を1個所入れておりまして、これは先方の美術館にお願いをしないで、つまり1観客として行きなさいと。その代わりうちの展示と撤収を見て美術館の裏をいろいろ見た上で、他の美術館に行って展示を自分の目で、美術館の学芸員的な、的なというとちょっと語弊があるのですが、ちょっと変わった眼で見られるだろうから見てきなさいということで、解説などはお願いしない形でやっています。先ほど基調講演で、非常に理想的な学芸員の姿というお話ありましたけれども、その理想的の姿を追わない限りはこの仕事というのは、なかなか成り立たないというか、意味がなくなってしまうような気がするので、うちで受け入れる博物館実習の学生さん達には、私達が日夜やっている雑多な業務の中に垣間見えるような理想像をまで、その1週間で伝えることができていれば良しとしようというふうに私は考えて接しています。ちょっと雑多な話になりましたけれども、そういうところです。
事例報告5:
島田市博物館博物館係長 渋谷 昌彦
島田市博物館の渋谷です。宜しくお願いします。うちの館では、平成4年の5月にオープンしまして、今までに30人以上の学芸員実習生を受け入れていると思います。残念ながらその中で学芸員に実際になっている人は静大で1人、永田さんという女子学生が受けまして、今三島大社の宝物館へ入っておられます。あとはですね、埋蔵文化財の関係で3人入っているだけというようなことでですね、30分の4ぐらいの確率というようなことになります。非常にですね、この学芸員実習、自分達も学芸員実習を受けてそれで学芸員になれたわけですけれども、受ける側の人達がどう考えて学芸員実習に来るのか、ということと、それからうちの館のそういう状況もありますので、どう考えて受け入れていいのか、というのが自分の中でも割り切れない部分があります。まあ、今年はですね、もう、うちの館は館長に連絡してくると、館長が「いいよ、いいよ。」なんて言っちゃいますので、それは駄目だということで館長の首根っこを押さえましてですね、今年はできれば受け入れたくないというようなことでいったんです。ただ、静大の方が1人受けられましたけれども、静大には非常にサービスしている博物館じゃないかな、と。半数以上はほとんど静岡大学の学生さんを受け入れてきました。
館自体は川越の遺跡にありますので、宿場の、先ほどの話ですと海の博物館じゃなくて宿場の博物館ということになります。やってる仕事なんですけれども、ありとあらゆる、皆さん驚かれるんじゃないかなと思いますけれども、ありとあらゆる仕事をやってます。昨日実は佐野美術館さんの方、坪井さんにお忙しいところお邪魔して、それから午前中は久々に永田さんと会って話をしました。「どうだね。」と言ったら、「こんなにいろいろ雑用があるとは思いませんでした。」という言葉がすぐ返ってきたですけれども、うちの館ですと企画学芸員が2人、2名ということで1名は庶務的なことも、庶務の人もいるんですが庶務的なこともやってるというような状況にあります。資料購入とか資料の整理とか体験学習、それから博物館講座、ボランティアの学習会とか図録、ポスター作りとか新聞等の広報、それから写真撮影、それから展示室の巡回ですね。年間、最初は4万の上の入館者があったんですけれども、どんどん減ってきておりまして、今3万4千ぐらいがやっとです。そうなりますとですね、団体客が1度来てくれたら、もう1度どうしても来てもらわなきゃいけないということで、団体客がバスで来ると走って出て行ってですね(笑)、空振りにならないようにですね、史跡ですーっと帰られちゃいけませんので、「どうぞどうぞ。」と。そういうところからですね、館に入ったら兎に角団体客を連れてきた人の手前もありますので、ちゃんと説明をする。そういうことをやらないともっともっと減っちゃうぞというようなことで一生懸命やってます。先ほどの坪井さんの話じゃありませんけれども、本当に来てくれる客、団体客も前もって連絡ある場合もあるんですけれども突然の場合も多いというようなことで、なかなか落ち着かないんですけれども、そういうようなこともやってる。それからあと、平成4年にオープンしているんですけれども、結構施設の管理がそこら中痛んでくるわけですね。ですから、工事の契約とかいろいろやります。展示室のドアの開け閉めからですね、すべてやってると。もう「雑芸員」の最たるものじゃないかと思いますけれども、まあそんなような仕事をやってます。
受入ですけれども、平成4年に受け入れているわけですけれども、大体受け入れる時点でですね、4年生の人はもう就職が内定しましたとかそういうような方もおられるわけですね。3年生で来るという人もいるわけですけれども、まずうちはですね、断ることにしてます。何のためにうちの博物館で受けなきゃいけないかというようなことを聞きます。それから出身地とか専攻、それから卒論のテーマ、学芸員資格が何で必要かと、何でうちの博物館を選んだのかと、それからうちの博物館何回くらい見に来たことがあるのとかそういうようなこと、あと他の館には問い合わせしてみたかどうか。実際はですね、学芸員の人達が来ると2人しかいません。大体、企画を金太郎飴みたいに毎回毎回私やってますので、1週間ですね、仕事が止まっちゃうわけですね。1週間止まっちゃうっていうのは非常に厳しいものがありまして、実は邪魔なんだよということもはっきり言います。でもですね、しつこい学生はですね、そういわれて断られましたけれどもこういうことでないから、兎に角受け入れて欲しいという学生がいるんですね。大体9割方はそれで露払いはできるんですけれども、あと非常にしつこい学生がいる。そのしつこい学生はですね、学芸員実習で実際にですね、眼の色違いますし一生懸命受けるような気がします。
ちょっと時間もありませんので飛ばしますけれども、学芸員、あの、大学の方でもですね、学芸員の人達に本当に学芸員としてやる気持ちがあるのかどうなのかっていうことを聞いておられると思うんですけれども、やる気があればですね、就職一浪してもですね、この仕事をやっていきたいんだというような人もいると思うんですけれども、そういう人が非常に少ないんじゃないかなと思います。資料の一番最後の所へ書いたと思うんですけれども、「質が低下している」ということ。これは静大に関してはですね、毎年見てますから学生の質はどうなのかっていう、まあうちの館に回されてくる学生がどういうことかっていうこととも関係するかもしれませんが、低下してるっていうか情熱がですね、ちょっとないんじゃないか。だんだん、静大だけじゃなくて、どうしても取りたいんだという情熱があったらですね、館へそれとなく来て質問して顔を売ってですね、それで実は学芸員実習をやりたいんだと、そういうような売り込みをやるぐらいな根性があれば、うちの所も年間3人ぐらいと思ってるけれどもこういうしつこい奴がいるから4人にしてやろうとか、そういうようなことは思うんですけれども、そういう部分でどうなのかなぁと、この頃思っております。あとはまた討議があるようですから、その時にお願いしたいと思います。
事例報告6:
名古屋市博物館学芸係長 水谷 栄太郎
名古屋市博物館の水谷です。宜しくお願いします。名古屋市の博物館は基本的には地方の博物館として名古屋を中心とした歴史と文化を紹介する、あるいはその資料を収集するということがあるんですけれども、もうひとつ、文化的な催し物の名古屋飛ばしというのが昔からよく言われてます。最近ではのぞみも止まるようになりましたけれども、展覧会は何とか名古屋で止めようじゃないかということもありまして、展示の資料の中の2本目にあたりますけれども「国内外の」という書き方をしましたのは大規模の海外のものも、あるいは国内の大規模な展覧会も名古屋の人、あるいはその周辺の人に見てもらえるような施設を用意しよう、というような性格も持っています。ですから展覧会7本やるというふうに書いてありますけれどもこのうちの5本がですね、館の単独企画で、残りの2本が今申し上げたマスコミなんかと組んでやる大規模な展覧会というか、そういう内訳になっています。館が5本というのは、ちょっと学芸員の人数の内訳の中に入っておりますけれども、うちの館は歴史系の総合博物館を目指すという性格をもっていますので、考古学とそれから文献資料、古文書などの歴史資料、文書典籍、それから美術工芸ですね、それから民俗学、こういった専門の学芸員がおりますので、各分野毎に年間1本は館単独の展覧会をやろうと、それからもう1本は資料の収集をしておりますのでそういった収集の成果を紹介する無料の収蔵品展を毎年やっていこうということで、こんなラインナップになってます。ただここのところ共催展の申し込みが多くなったりとか、もうひとつは財政事情が厳しくて大きい展覧会を自分達でやろうと思ってもなかなかお金がつかない。そうしたらどうするかっていうと博物館が企画を立ててマスコミに売り込むんですね。そういう立て方をして、例えば今年の夏に「富士の美」という展覧会を名古屋市博物館でやりました。これはうちの館の方とNHK名古屋と組んで、企画は一緒にやりましょう、実際の展覧会の構成を作り上げるのはうちの館の学芸員がやろうということで名古屋発で大阪、東京というふうに回して、今東京でやってます。そんなこともあって展覧会の方の数が、多少増え気味ではあります。そうすると他の事業が割を食うということになるのですが、むしろ今の流れの中でいうと展覧会だけではもう博物館としての魅力は十分あると言えなくなってきているんじゃないか。多分今回のアンケートの中でもそれ以外の事業についていろいろ問い合わせがあったのは、博物館をもっとトータルで楽しめる場というか、堅く言えば学習の場という捉え方の中で関連事業は何だろうか、体験学習は何だろうかということが問われたと思いますけれども、そういう中で、名古屋市博物館でも学芸員が現場に出てというか展示室に行っていろんな事業を行っています。資料に記しましたように常設展トークとか展示説明会とかそれからその他の普及事業をやっております。
職員組織は学芸課1係なんですけれども、実際には3つのグループに分かれて仕事をしてまして、ひとつは資料の収集と保管、もうひとつが展示係といって常設展の運営といろんな展示計画を立てたりするということ、それから広報普及の係がいわゆる展覧会の広報関係の仕事と普及事業の企画、実施というそんな分担をしています。
普及事業の中で特色がありますのは、小中学生を対象とした歴史教室という催しがあるんですけれども、これは博物館の学芸員だけではなくて学校の先生達と一緒に、企画段階から作業をするというものになっています。学校の先生達は子供達、児童生徒の関心の持ち方とか、あるいは理解力とかそういうことについてよくご存じです。博物館の側でいうとものがあり、そしてそれについて専門の学芸員がいる。だから教育の専門家とある事柄、歴史的な事柄について、あるいは文化に関する専門家とか、協力しあって子供達を対象にして歴史のおもしろさとか、そういったものを知ってもらえればいいなと。当然子供達が対象ですから、やっぱり体験的な要素を是非加えようということで、ここに挙げました火おこしとかわらじ作りとか機織りとか土器作りなんかは、小中学生を対象とした歴史教室で行ってきたものです。
一般の対象の方には歴史セミナーというのがあるんですけれど、これもさっきのような流れの中でただ単に博物館でレクチャーをして、関連したところを見に行くだけじゃなくって、レクチャープラス何か体験というか実習的なことを取り入れようということで、例えば以前やった展覧会だと「伊勢湾をめぐる船の文化」という展覧会をやったんですけれども、そういう中で漂流記を読むというのをやったんですね、展示に関連して歴史セミナーを開催したんですけれども。その時には漂流記を、結局和本を作るという行程をひとつ入れまして、漂流記の素材を用意しておいて、それで和本作りをして和本の綴じ方とかそういうことも説明しながら、それが出来上がってから、じゃあ漂流記を読んでいきましょうというようなことをしました。あと実際トクジョウマルの関係のところとか2日にわたる事業なんですが、現地を見て回るというような、そんなような事業をしてきました。ただなかなか体験学習というのは、さっき伊藤さんや、中野さんのお話にもありましたけれども、なかなかこういろんなもの次から次へと考えていく、例えば資料の保存と公開の問題と重なるんですけれども、なかなか難しい面があります。それからやっぱりいろんな制約があって、そういう中で企画できることは限りがあるものですから、この辺はむしろ博物館同士でこれから連携もしなくちゃいけないし、利用者の声も聞かなくちゃいけないんじゃないかなというふうに思っております。
あとは学芸員の仕事なんですけれども、うちは大規模館なので、多分これまでお聞きした中でいうと恵まれてるとは思うんですけれども、それでも何か結構毎日バタバタとしております。実は私はこの3月までは職員2名という、学芸1、主事1という小さな所におりましたんですが、実感でいいますと、まあもちろん事業の内容とか規模は違いますけれども、大きいところは大きいところで、これは贅沢な悩みかもしれませんが、大きい組織が動くためにはなかなかそれなりに余分と言っていいのか必要なと言っていいのか迷うところですが、いろんな仕事がまたそこから生まれてくる部分もあります。
あとは博物館実習の件ですけれども、うちの館はですね、大規模な館であるということを前提に、非常にたくさんの人数を受け入れています。ここで30から35といってますけれども、多いときは39名という受入をしたこともあります。いろんな考え方があるかと思いますけれども、本当に厳密に実習を考えれば日数の点とかそれから人数の点でもっと長く、あるいはもっと人数を絞り込むというのがひとつの考え方だと思いますけれども、実際に今これだけの人がというかたくさんの人が、学芸員の資格を取りたいという流れがある中で、うちとしてはある程度の人数を受け入れるキャパシティーがあるということで、こういう人数でやっています。ただ問題点というふうに書きましたけれども、できるだけですね、うちの館なりに選択制をとったりとか実習の時間を増やしたりとか内容を、例えば実物資料に触れるようにするとかやってはいるんですけれども、やっぱり本当に実習と言えるような内容になってるかどうかという点でいうと、多少忸怩たるものがあるというのが今の実状です。以上です。
討論・質疑
討論参加者: 伊藤、飯田、中野、西野、坪井、渋谷、水谷 各学芸員の諸先生
司 会: 柴垣勇夫(センター教官)
1)学芸員の専門性と、博物館での学芸員の採用
司会:「東博の伊藤先生からは学芸員の実際ということで、専門性を持った意識というのが大変大切だということと、理想の姿というようなお話を頂きました。そういった点で学芸員の採用というのは、おそらく専門性という点に中心がおかれて採用基準が置かれているのではないかというような気がします。そういう専門性の必要性というところから、具体的な話で恐縮ですが、博物館側ではどんなふうな、採用基準、方法をもって、学芸員の採用を図ってみえるのかというようなことをお聞きしたいと思いますが、まず名古屋市さんの方はいかがでしょうか。」
水谷:「名古屋市の場合はですね、試験採用という方法を採っています。通常市の職員を募集するのと同じ手順を踏んで、皆さんにお知らせをして募集するわけですけれども、ただその場合にですね、やはり専門の指定をします。さっき申し上げましたけれども4つの分野、考古か文書典籍か民俗か美術工芸のいずれかの専門を履修した人を求める、というような形で試験採用しています。年齢はわりと学校の先生まではいかないけれど30歳まではOKということで通常の事務職よりも幅はとっています。だから実態でいうと大体、さっき浪人してでもという話もありましたけれど、実際に浪人してという人もいますけれども大学院の途中で口があったからとか、割と大学出てすぐという人はほとんどいなくて、あっちにふらふらという人とか、あるいは苦節という人もいます。何回かうちの館の試験を受けて受かったという人もいますし、それなりにやっぱり覚悟がいるのかなという気はしております。」
飯田:「はい、県立美術館の方もやはり専門性ということで採用が行われております。ただ最近ちょっと状況も変わっておりまして、ドキュメンタリスト、資料情報管理といいますか、そういったことも話にはのぼっておりますが、現状ではやはり西洋美術、日本美術というようなくくりで採用が行われております。」
坪井:「佐野美術館でも扱う展覧会の性質などからいって、東洋もしくは日本の美術、特に古美術関係を主に勉強してきている人。ちょっと幅を広げれば仏教史とかそういったほうを専門にしている人が望ましいという形で採用しています。」
水谷:「先ほど名古屋市博物館の例だけ言ったんですが、名古屋市の場合は美術館にも学芸員がおりまして、美術館の場合はですね、美術教育というか普及の専門ということで人を採用したこともあります。ですからその人なんかは実際に絵を描く学校といいますか、美大を出て学芸員になったという方もみえます。」
司会:「今の、専門性ということの他にですね、そういう教育普及活動という立場での学芸員の採用があるということですね。」
坪井:「そうです。」
司会:「そういうような形での専門性といいますか、教育活動の面からの学芸員の採用ということをされているところはございましょうか、他には。」
伊藤:「東博でもですね、今年の12月1日に2人目の教育普及、美術館教育の方の専門の人で採用が決まりました。美術館教育の方は割とまだ日本ではなかなか充実してないという面もあるらしくて、海外に留学してたとかそういうような形の人が2人入ったんですが、美術館教育というのがだんだん新しい分野として注目されつつあるということで、採用が決まっています。」
司会:「三島の佐野美術館さんの方には、広報担当の学芸員がおみえになるというのはどういう格好で入ってみえることになるんでしょうか。」
坪井:「現在いる広報普及活動の担当者は、もともとは学芸の展覧会企画担当者として採用された人間の異動、職場内の異動によってなっているので、それだけでもってひとつの職として採用するというところまでは、今現在の佐野美術館のシステムではなっていないです。」
司会:「ありがとうございました。やはり専門の分野での採用ということが前提にあると。その他にですね、こういう学芸員の実際にあたって、先ほど名古屋市の水谷さんは以前に小さな所で、学芸員1人、主事1というような所にいたという、これは多分、中での人事交流があるんだろうと思いますが、そういう点で学芸員として採用されながら、実際は考古学の場合に発掘調査というのが伴いますが、そういう場合の学芸員と博物館業務の学芸員というような、そういう点での職種の配置分け、あるいは中での人事交流というのは実際に行われているんでしょうか。その辺で考古関係の施設の方から意見を言って頂けると有り難いと思いますが、登呂の場合はいかがでしょうか。」
中野:「静岡市の場合は、社会教育課の方に発掘専門の職員が10名ぐらいですか、いるわけですけれども、うちの博物館の学芸員の増員を要求してその中で1名、今日ここに後ろの方に座っているみたいですけれども、社会教育課の方で埋蔵文化財の方を担当していたものが学芸員として増員という形で配属されて来た、ということはございます。うちのほうから逆に社会教育課の発掘の方の要員として行ったという例は、今のところございません。以前、民俗の学芸員が、社会教育課の方に民俗調査という部門が欠落していたものですから、私と同じで・・・人なんで、1ヶ所に長いことおかせないという役所の考え方がありまして、総務部の方の人事課の方で異動させたんですけれども、結局それですと埋蔵文化財の方が機能しなくなるというようなこともございまして、身分だけは社会教育課のほうに異動という形を取ったんですが、教育委員会の部内での配置換えということで、職場は博物館にずっといたというようなことがあります。それから私も長いんで、そういう話が何回もあったんですけれども、結局登呂で飼い殺ししようと(笑)いうことで、もう僕はおそらく、これもうはっきり言われましたけれども異動はないと、諦めろと言われてますのでまあ上の方はないと思うんですが、今後は発掘の大きな開発行為もだんだん少なくなってきまして、発掘要員が余ってきますと博物館学芸員の増員、あるいは総合歴史博物館構想というものもあるもんですから、その進捗状況に合わせて学芸員の配置換え、あるいは増員計画というものも具体化していくんじゃないかなと思っております。今のところ交流はほとんど無いに等しいと言っていいと思います。」
司会:「ありがとうございました。島田市さんの場合はどうでしょう、渋谷先生。」
渋谷:「島田市の場合、私は事務職で入って、それから教育委員会から学芸員辞令をもらっています。そのあとですね、学芸員で採用になっている者もいます。博物館の建設までは、私、専門考古ですので発掘調査をやっておったんですけれども、もうお前は外に出るなということで今は2係になりましたので、博物館係とそれからあと文化財係というのをうちの館では持っております。実際のところは、ちょっと話はそれるんですけれども、役所の中ですから異動はあり得ると思っております。例えば公民館のほうへ出されるとかですね、あると思ってますけれども、状況としてはですね、発掘をしている文化財係の職員の方は、博物館の方へまわされたら大変だなぁというような危機感(笑)は持っているようで、できるだけ若い時期にですね、こういう企画なんかもちょっと手がけてみたりして、また文化財に戻るのならいいんでしょうけれども、年を食っちゃってから博物館へポッとまわされていろいろ企画をやらされても辛いという、そういう気持ちはあるようです。答えになりますか。」
司会:「ありがとうございました。名古屋市の方は、名古屋市に見晴台考古資料館というような施設があるようですが、そんなところとの関連をちょっとお話し頂けると。」
水谷:「はい。名古屋市の場合だと学芸員を置かれているところが今お話にありました考古資料館というところ、それから博物館、美術館、科学館、名古屋城、それから行政機関になりますが文化財保護室というのがあります。今の考古の職員ですと見晴台の考古資料館で埋蔵文化財の調査を担当するか、館の、いわゆるこれも博物館業務なんですが、館の担当する仕事があります。それから文化財保護室ですと発掘調査の調整事務をやるんですが、その考古の専門の人間は今言った3ヶ所へ行く可能性があって、実際に人事交流も行われています。あとは他の美術なんかですと、美術館とか厳密に専門でいうと合致はしないんですけれども、それを言っているとなかなか人事が停滞しちゃうということもあって、役職者の場合はですね、あまり厳密に専門のことは問わないで管理・監督という意味で市の博物館から、やっぱり美術工芸の担当ですが美術館に転勤した者もおりますし、私の場合ですと名古屋市博物館からこの間まで秀吉清正記念館という豊臣秀吉と加藤清正に関する展示をするところに行っておりました。考古の専門なんですけれども、これまで刀や軸やなんやかんや、鎧などいじっておったんですけれども、そういう形でできるだけ人事は動かそうという動きはあるんですけれども、実際の学芸員としてはさっき言った専門の制約というか、まあこれはいい面でもあるんですけれど、その専門性を尊重されるという点でいえばいい面もあるんですけれども、なかなかそれほど活発な人事交流はまだ行われていないという状態です。」
司会:「ありがとうございました。そんな専門分野の採用の中でも若干人事交流があったり、あるいはずっとひとつの場所で企画展示をずっと続けておられるというような立場の学芸員の方もおありになるというようなことを、お話になったかと思います。こんな学芸員の仕事全体について先ほど事例報告もございましたが、会場の方から何かお聞きになりたいようなことがございましたら、質問を受けたいと思いますがいかがでしょう。」
会場:「人文学部4回生の金子といいます。講師の皆様方、非常に貴重なお話をいろいろとありがとうございました。表面からは分からない博物館の内情がいろいろ聞けて、とてもいい勉強になったと思います。それで質問なんですけれども、東京国立博物館の伊藤先生、お話の最後の方で学芸員の博物館実習についてのお話が出たんですけれども、実際に実習生を受け入れていないということなんですけれども、何故受け入れることが出来ないのか、そこのところを少し詳しくお伺いできたらと思うんですけれども。あともうひとつ、美術館教育の学芸員を最近お二人採用になったということなんですけれども、具体的にどのような仕事があるのか、そして美術館・博物館自体とはどのような関わりがあるのかをお聞かせ願えたらと思います。」
司会:「伊藤先生、お願いします。」
伊藤:「あの、まず学芸員の実習をどうして受け入れていないのかという質問でありますが、これは実は私にもよく分からないのであります(笑)。ちなみにですね、おそらく日本中の博物館の中で、学芸員資格を持っていない学芸員が一番多いのは東京国立博物館であろうと。ひょっとしたらそれが原因かもしれません。ただちなみにですね、学芸員の内地留学という話が最近いろいろ出ておるんですが、学芸員という既に職にありながら東博の方に研修に来ている人を何人か受け入れている、という例がここ数年ございます。ひとつは金沢市の美術館の準備室というところがあるんですが、そこから3人ほど連続していらっしゃったりとか、あるいは最近これちょっと不思議な制度で上級学芸員という趣旨のよく分からない制度が出来たんですが、それで学芸員になってる方が東博で1年間研修したりとかそういったことはやっておるんです。ただ一般の学芸員の方を、実習生を受け入れるということは、今東博ではやっておりません。おそらくやる場合にどっと人が集まってしまってどういうふうに選考するかとか、あるいはどういう体制で受け入れるとか、そういったような内部的な詰めが出来ないというのもひとつあると思うんですが、これについては実際どうしてなのかははっきり分からないというのが実情です。次に教育、美術館教育の専門の人が今2人いるということでお話ししたんですが、この美術館教育というのを、今これおそらく欧米の美術館・博物館というのは非常に進んでいると思うんですね。そういった部門を日本の美術館の中に位置づけていこうという考え方をひとつしておりまして、今は企画課の中に普及係という係がありましてそこに2人は配属されてやっております。現実的には、例えば「博物館ニュース」のような広報誌の編集等を手伝ったりとか、あるいは講演会ですとか展示説明会、そういうものの企画とかそういった運営を手伝ったりとかそういった形、あるいは普及の方の宣伝活動をしたりしています。あとですね、これは西洋美術館の方から始まったんですが、「子供のための美術展」という展覧会をここ数年、西洋美術館がやり東博がやりという形でやっているんですが、今まで東京国立博物館では子供を対象とした展覧会等をやっていなかったんですが、子供の為、そして美術教育を広げる為という形での展覧会の企画を、最近そういう人が中心になってやり始めまして、その中では片方で美術教育に携わる先生方ですね、そういった人達を集めてのギャラリートークといいますか、そういった形の試みをやっているのが最近の仕事になるかと思います。まあ、大体そういうところです。」
会場:「ありがとうございました。」
2)博物館実習生の受入
司会:「それでは次に、今度は博物館実習生の受入という問題について、もう事例報告の中にいくつか出てまいりました。その辺のところをもう少し、大学側も学生を送りこんでいる手前つめていきたいと、こんなふうに思います。博物館等の講義を持っている関係で実習生がどんなふうな実習をしているのか、私自身も大変興味を持っているところでありますが、いくつかご発表頂いた中にもお話がございましたが、全体として、今後とも博物館実習生というのは各館とも受け入れて頂けるのかというようなことでちょっとご意見を伺いたいと、こんなふうに思います。実際は本当はもう大学の中での自己完結ということもあり得るんでしょうし、しかしそれにしては博物館に相当する施設が無いという問題もあります。そのへんで各博物館・美術館の方で、今後とも実習生の受入というのはどんなふうな位置づけでやられていくのかということを、ちょっと伺ってみたいと思います。まず県立美術館さんの方から、どうでしょう。」
飯田:「今後も当然受け入れさせて頂くと(笑)。当館の館長、実は大学出身者でして博物館実習はしっかりやってくれよ、というふうに言われております(笑)。それで、館として積極的に行っているのか、やむを得ず行っているのかっていうことに関しては、統一した意見はないと思います。学芸員個人でもまちまちですが、やっぱり私の中でも1つ2つ揺れている面がありまして、美術館を取り巻く状況が、非常に厳しくなってますので、美術館の内情を知った人がですね、出来るだけ多く社会に出てってくれていろいろな面でサポートしてくれたらいいなという、そういう積極的な捉え方もあります。ただ現実上はですね、特に送り出される大学の方のことで言いますと、事前の学習がきちっとできていない。私は学生さんに期待することは、実習へ来る前にいろんな美術館、博物館をたくさん見学をしているということが前提にあるべきだと思うんですけれども、実習で初めて来たとか、美術館、博物館へ行ったのはほんのちょっとしかないっていうような・・。まあ学生さんもいろいろとレベルの差があるんですけれども、その辺は送りだされる大学の方もご指導を宜しくお願いしたいな、というふうには考えております。」
司会:「ありがとうございました。それでは、登呂の中野先生、いかがでしょう。」
中野:「多分、受け入れざるを得ないんじゃないかなと思います。担当者になっている人はもう内心は「やめてくれー」といって悲鳴を上げていると思いますけれども、今まで私共開館の翌年以来、いろんな大学のいろんな専門の人達、いろんな個性を持った人達の実習をやってきたんですけれども、今までの実習というのは皆さんが博物館に就職をする、博物館の学芸員になるんだという視点から、実習というものを捉えてきていたわけなんですが、実際問題として皆さんが博物館に就職できるかといいますと、もう絶望に近い状態じゃないかと思いますね。静岡市の場合も市の採用試験、事務Uの採用試験を通らなければもうどうしようもない。たとえ通ってもこちらの方で増員要求を出して、人事の方でじゃ増員しましょうということになって初めて配属されることになると。学芸員資格を持っているんだだけでは、何ともならない。」(テープ終了)
司会:「次に博物館実習の実習期間について、かなりばらつきがあるようにも思いますが、一週間というのが平均的なようです。やや少ない名古屋市博物館ではその辺、いかがお考えでしょうか。」
水谷:「やっぱり1週間はちょっと難しいということで4日間ということでやってます。さっきアンケートの話をしたんですけれども、ちょっと意外だったのは学生にとっては4日が適当というのが一番多かったんです。短いという人がその半分以下の数字なんですね。具体的な数字でいうと短いという人が10人で適当というのは25人かな、ということでこれはちょっと意外な結果だったんですけれども、名古屋市としてはさっき言ったように、他の事業との兼ね合いで4日間ということで、多分これからも動かさないだろうというふうには思っております。ただ中身についてはさっきから申し上げているように検討する余地があると思います。」
司会:「西野さん、どうでしょう、この期間というのは。」
西野:「あの、体力的にもやっぱり1週間ですね。実際は4日間ほどちょっとかなり集中的にやって、あとはワークシートでちょっと少し時間を稼いでいるわけなんで、2週間だともう本当にちょっとかなりグロッキーになっちゃいますね。そんな関係でずっと1週間でやってますけど。」
司会:「中野さんのところも、大体は。」
中野:「実質10日間ということで今までやってきたんですけれども、長いようであり短いというのが実感です。確かに実習が終わって、控え室に皆さんがいなくなるとホッとするんですね。やれやれと思うんですけれども、やっている時には1人で面倒見られるといいますか、1人について3人か4人が限度ですね。大体8人、9人という人がいますと分けてやらなきゃならなくなる。やっぱりそれが、同じことが2度3度続くことになりますので、これやっぱり体力的にすごくエライということはあります。それはカリキュラムの組み方っていうことにもよるんでしょうけれども、逆に以前は4日という時もありましたし6日という時もあったんですけれども、それが10日に延びたのは、実際にやっていく上であんまり短いと、短期決戦で短い時にわーっとやんなきゃならなくなちゃう。本当にこちらも余裕も何にもなくなっちゃうんですね。その中で夏休みに実は2回、8月に10人ずつ2回に分けてやったことがあるんですが、これでもう私達みんなぶっ倒れそうになりましてこれもやっぱりだめだと。やっぱりそうなると10日ぐらいしかないのかなっていって現在の形できているんですが、やはり内容を濃くやろうとすれば10日はやっぱり続かないということが、まあ私達の方がですね、続かないということがやっぱりあるわけです。じゃあ今度は6日ぐらいにしてみたら、ちょっとカリキュラムとかやり方を考えながら6日ぐらいにしたらどうだろうかなっていう意見が今出ているところなんですけれども、これはやっぱり長い、短いというのは非常に判定するのは難しいと思います。」
司会:「ありがとうございました。会場の皆さんの方から少し意見を伺いたいと思いますがどうでしょう。何かございませんか。」
司会:「人文学部の湯之上先生、ひとつよろしくお願い致しします。」
会場:「人文学部の方で博物館の学芸員の養成にあたっております、湯之上です。実習その他でご迷惑をおかけしているんだろうと思いまして、さっきから穴があったら入りたいような気持ちでおりますが、そういうわけにもまいりませんので、2つだけお教えいただきたいと思います。、私共が博物館資料論なり、あるいは4年の実習を前にした事前指導でも、私は、私としては厳しく食らいつくように情熱を持てということを指導しているつもりではあるんですが、あの、いつでも迷うのはですね、博物館の側、あるいは美術館の側の実習と、それから大学として実習にどういう形で関わっていくのかと、そこの役割の分担をどう考えたらいいんだろうかということで、しばしば博物館の方々からお叱りを受けるわけですね、もう少し厳密に厳しくやってものも扱えるようにして、指導して送り出して欲しいというご意見を伺うんですが、実際にこれなかなか困難な課題でもあるわけですね。ですからそのあたりの役割の分担をどういうふうに考えたら良いだろうかというのがひとつ。それからもうひとつは事後指導で、私はレポートを書かせましてそれを読みますと、ほとんどの学生諸君がですね、やはり博物館で実習をさせていただく経験を持って大変良かったと、博物館や美術館に対するものの見方が変わったということをいってくるわけですね。しかも展示の仕方についても、自分なりの意見を出すようになってくる。これは私は大変大きな成長だと思っておりまして、これで勇気づけられているということがあるわけですが、ただまあ一方では、学芸員の就職率というのはほぼ1パーセント前後ということですので、そうしますとほとんどの諸君は学芸員になりたくてもなれないという状況は、これ如何ともし難い状況になっている。そこで、おそらくですね、今後はそういう実習の経験を持った学生諸君が社会に出て、この生涯学習社会の中でですね、資格をどうやって生かしていくかということを、おそらくそういう人材の活用というのがこれから求められてくるでしょうし、そういう人々が逆に地域でそれぞれ核になって美術館・博物館を支えてくれる力になってくれるんじゃないかなという、まあ密かな期待を持っているわけですね。その辺について何かお考えがございましたらお聞かせいただければと思うんですけれども。」
司会:「役割分担という話でございますが、大変難しいところでありますが、何かご意見ございましょうか。どなたか。実習で様々な美術品を学生諸君にあたって、それこそ軸の扱い方だ、箱の縛り方だっていう、そういう基礎的な実習もされているかと思いますけれども、そういう点でもう少しそれを大学の方でやってもらったらというようなこともあろうかと思います。しかし、全体として博物館の仕事をまず見てもらおうというのが、おそらく実習の大きな中身だろうと思います。それで各施設、それから展示の企画、その他種々博物館における普及活動というようなところの現場の様子を見てもらうというのが、実習の大きな点なんじゃないかと思います。その辺で博物館実習の事前授業の大学側との使い分けというのは、資料の取扱いの基本的な部分の理論的な裏付け、その実践を博物館の中で。しかし大学の中でもおそらくそういう施設があれば、そこで実際やっていけることができるんじゃないかと。まあひとつは法的に何単位か取れというようなことがあって実習を受けるという、その辺の博物館法に基づく学芸員課程が縛られているという点と、実際の専門分野での資料の扱いとそれに対応する博物館施設が個々バラバラというか、それぞれ特色は持っているんですがその専門との兼ね合いというか、その辺の問題はかなりやっぱりあるんじゃないかと思います。あんまりいい回答にはなりませんが、博物館職員として、私自身が担当してきた経験でいうと、大学と博物館との使い分け、ひとつは現実の博物館学芸員の仕事をじっくり見てもらうというような点の中、あとは個々の何と言いますかね、博物館資料の専門的な部分というのは博物館の中でやることは、短い時間の中ですることはできませんから、それはもう個々の学生の研究と大学の中での実践といいますか、資料講読とかあるいは博物館資料論とかいうところでやって頂くと、いうようなところじゃないかな、と思ったりします。何か他にご意見ございますでしょうか。」
伊藤:「実習生を受け入れていないところで言うのも何なんですが、実はですね、東京国立博物館ではですね、東京国立博物館を会場として文化庁が中心となりまして、さっきの国内留学とはまた別にですね、重要文化財の取扱い研修というのをやっているわけですね。それが全国から希望者のうちの何人かを募って、東京と京都の両会場でやっているわけですが、それだと2年間でしたっけ、2年間2週間ぐらいずつ来て実際の取扱いを、もう既に学芸員になっている人達がやっていくわけなんです。それで分かることは何かというと、現実の博物館実習での取扱いで完璧になることはほとんど不可能であると。それで、やはり博物館実習の非常に大きなメリットというのは、実習を受けられる側にとっては実際の博物館の学芸員というのはどういうふうなことをやるのかっていうのを肌で触れられるところでしょうし、博物館・美術館のメリットとしては先ほどの飯田さんとか皆さんのお話にもあったように、その博物館の応援団になっていただけるっていう人が増えていくというのもメリットだと思うんですね。その辺がひとつ、実習というのがどういうものかというのの考え方で今後出てくるんじゃないかと思うんです。あとひとつ、大学についての要求といいますか、これは大学における学問ベースの問題になるかもしれないと思うんですが、例えば美術館とか博物館だけだと、考古ですとか美術工芸を専門とする分野ですね、あるいは文献史の歴史を専門とする分野についてもですが、実は本来はその辺の文献なり何らかを使って勉強をする人にしても、大学の段階でそのものに触れて勉強しなくてはいけないはずなのが、今はすべて版本になっているものとか活字になっているものとかインターネットとか、そういうものではない、別のソフトウェアになったもので勉強してそれで済ませて出てきてしまうと、本来は大学での専門的な勉強をしている段階で、少なくとも自分がやっている分野のものについては触れるような人が、出来ていなくてはいけないんだと、そういう気がひとつしますですね。美術史を出ても美術全集でしかものを見ないで、あるいは考古学を出てもゼロックス考古学とよく言うんですが、考古史をゼロックスしてそれだけで済ませて卒論を書く人もいるという、本来でしたら自分達で発掘に参加して、自分達でものに触って復元をしてというようなことをやるわけですね。それ自体がものを扱うということになるわけで、逆に言うと大学の段階でそれぞれの学生のそれぞれの専門分野についてのものについては触れられる、そして実習の段階ではその他の分野についてどういうふうに触るのかというのを見るのもいいでしょうけれど、学芸員の実際の世界というのを感ずるという、そういった役割になっていくんじゃないのかなと思うんですが。」
司会:「それからもうひとつのご質問の件でありますが、実習経験を、この資格を今後とも生かしていくような方向というのは、これからの生涯学習社会での捉え方に繋がることかと思いますけれども、そういう点で資格を持っているというのはそれぞれ必要なことだろうとは思います。しかし、専門性というか研究意識というか、そういうところがないまま学芸員の資格を持っていてもあまり意味は無いような気もします。そういう点では受ける、資格を取ろうとする側にもっと積極的なものがあって、その上で資格を持って、いろんなところに就職された後、さらにそういう面でもう一度転職するとかという時に考えるとか、あるいはその後の自分の生涯学習の中で活かしてみようというようなことで、ボランティアに参加するとかっていうような方向が出てくるんじゃないかと思います。こんなふうに思いますけれども、どうでしょうか。」
司会:「回答になりませんが、宜しゅうございましょうか。」
司会:「最後に、いろんな施設の博物館の方がお見えになりました。皆さん一番興味を持っているのは、果たしてそれぞれの博物館で採用っていうのがあるんでしょうか、とこういう期待をしてたんじゃないかと。先ほど、名古屋市の方では一般の公務員試験でやられてるというようなこともございました。そういった公募でもって試験を実施されているところと、それから特別選考という格好で館独自が人材を探して採用するというようなことがあろうかと思いますが、その辺で、まず公募の格好で募集をされているところはそれぞれ何処でしょうか、手をお挙げ頂けると有り難いと思います。えーっと、東博、県美、名古屋市の博物館というところが、一般の多分、学芸員という格好で公募されて、それで試験を受けていただくというような。それから、特別選考というような格好でやられているところはどうでしょう。渋谷先生のところは。」
渋谷:「あの、学芸員というケースで募集したこともありますし、事務職員というんですか・・。」
司会:「それは、やっぱり一応公募ですね。はい、分かりました。西野さんのところはどんな格好で。特別・・。」
西野:「コネです。」
司会:「コネで。(笑)ということだそうであります(笑)。」
司会:「ちょっと時間を延長してしまいましたが、こういった『博物館と大学を結ぶ』ということを生涯学習教育研究センターの事業で初めて行いました。今後とも博物館施設との結びつきを強化し、大学もまた外に向かって、博物館の人達にまたいろんな情報を提供してもらいたいというふうなことを考えております。年々、内容を密にしたものにしていきたいなということも思っております。今日は大変長時間にわたりまして、先生方ありがとうございました。聴衆の皆さんも大変ありがとうございました。最後にセンター長の閉会のあいさつで締めくくりたいと思います。」
閉会あいさつ(岡田センター長)
「どうも、7人の先生方、本日は土曜日にも関わらずお忙しい中、足をお運びいただきまして誠にありがとうございました。また学生諸君も、終始熱心に聴講して頂きまして、私は大変嬉しく感じております。ここにお座りの先生方から生の声を、いろいろな角度から聞いたと思います。これを糧にしまして、是非、学芸員になりたいと何人かいるんじゃないかと思います。何と申しますか、大変厳しいというお話もありますが、それを乗り越えてですね、幸運を掴んで頂きたいと、こんなふうに思います。どうも本当にありがとうございました。」
司会:「では、講師の先生方を拍手をもってお送りしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)以上をもちまして、『博物館と大学を結ぶ−博物館学芸員の仕事−』の公開シンポジウムを終わらせて頂きます。どうもありがとうございました。」
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