公開シンポジウム
「21世紀の静岡大学公開講座を考える」
期日:平成11年3月5日(土) 午後1時30分〜4時30分
場所:静岡大学大学会館1F研修室
進行 (センター教官 柴垣 勇夫)
「大変お待たせ致しました。静岡大学生涯学習教育研究センターの公開シンポジウム『21世紀の静岡大学公開講座を考える』、只今より始めさせて頂きます。最初に生涯学習教育研究センター長、岡田嚴太郎よりご挨拶申し上げます。」
センター長 (岡田 嚴太郎)
「センター長の岡田でございます。センターを代表致しまして、一言ご挨拶申し上げます。本日は諸先生方には年度末、大変お忙しい中を本学生涯学習教育研究センターの為にお集まりを頂きまして、誠に有り難うございます。又、会場にご参集の皆さんも本当にお忙しい中、足をお運び頂きまして有り難うございます。
私共の生涯学習教育研究センターでは、これまでの静岡大学公開講座運営委員会を、次年度から当センターの所掌する委員会として取り込みまして、静岡大学生涯学習教育研究センター公開講座委員会として新たに組織することになりました。昭和53年から20年間の長きに渡り、様々なテーマで公開講座が開催されてまいりました。しかし昨今の公開講座に対する関心は、必ずしも芳しくはございません。受講生につきましては、この数年はむしろその数が減少する傾向にございます。私どものセンターでは今後の静岡大学公開講座を、市民の皆様により開放されたものとして、真の大学開放事業として活発な事業を展開するには、より多くの方々にご意見を賜り、より完成度の高いものにしてまいりたいと考えている次第でございます。2年先に迫ってまいりました21世紀に向け、今後の静岡大学公開講座の在り方につきまして、先輩諸先生方からは大学を外部から、即ち市民の側から眺めた公開講座に対するご要望を、また様々な生涯学習関連事業を展開されておられます諸先生方からは、静岡大学に対し厳しい目で見たご批判なり、ご要望なりを伺って本学の新たな公開講座事業の推進のために役立てたいと考えております。本日の公開シンポジウムを計画したところは、このような意図がございます。ひとつ、ご忌憚のないご意見を各先生から頂きまして、これからの公開講座の企画、立案、実施等に生かして参りたいと思います。
本日のコーディネーターは、農学部長の中井弘和先生にお願いしてございます。先生にはこれまで4年間に渡りまして、本学公開講座運営委員会の委員長として、公開講座の計画、立案から、実施までを推進してきて頂いております。また先生は、本センターの教育研究担当教官の役もお引受け頂いておりまして、今後とも公開講座事業の実施にあたりましては、先生に様々な形で応援を頂くことになっております。諸先生方には、どうぞ苦言提言等を織りまぜて、気楽にご発言を頂きたく思います。会の進め方は中井先生にお任せしておりますが、これまでの公開講座の実施形態に関する資料を当センターで用意致しましたので、まずそれを検討材料として頂きまして、それから派生する県民、市民の要望といったところから入って頂くことになろうかと思います。パネラーの先生方には日頃のお考えをどしどしお出し頂きまして、新しい静岡大学公開講座の姿を浮き上がらせて頂ければ、センター関係者の1人と致しましてこの上ない喜びでございます。会場に足をお運び頂きました皆様方には、後ほどご意見を頂戴致したく思います。どうぞふるって静岡大学のために、こんな公開講座を望んでいるといった積極的なご意見を頂ければ幸いに存じます。以上簡単ではございますが私の挨拶とさせて頂きます。有り難うございました。」
司会
「シンポジウムに入ります前に、お手元に配付いたしました資料をご確認頂きたいと思います。私どもで用意致しましたのは、参考資料と真ん中に書いてございます公開シンポジウム『21世紀の静岡大学公開講座を考える』と題しましたひと綴りと、『放送大学静岡学習センター』という封筒に入っております、三島市にあります静岡学習センターから提供して頂きました放送大学関係の資料、それから受付後の会場で配付致しました、A3判の半紙のプリント資料がふた綴り、これは県立大学の志田先生の方からご提供頂きました、県立大学の公開講座の実施状況の資料でございます。以上3点がお手元に配付いたしました資料でございます。たたき台というようなことで討論材料として用意いたしました。
本日パネラーとしてお招き致しました先生方は、私どもの静岡大学の公開講座に初期の頃から関係して頂いた先生方と、センターと非常に関係の深い放送大学の先生、それから県立大学の特に地域コミュニティーがご専門の先生。それから教育委員会の代表の方というような人々にお集まり頂きました。大学関係の方では前学長の永井衛先生、それから教育学部長で、かつ静岡学園短期大学学長も経験されておられます若林淳之先生、それから理学部の方で、静岡県の自然環境保全審議会等の会長もお務めになっておられます土先生、それから私ども生涯学習教育研究センターの初代のセンター長であります原先生と、以上4名の方が名誉教授の立場でということでお願いを致しました。同じ名誉教授の方でございますが、放送大学の静岡学習センター長の伊奈先生、それから県立大学の国際関係学部教授で、静岡県のコミュニティーづくり推進協議会の、中央専門委員をされてみえます志田先生、焼津市の教育委員会教育長で、かつて静岡県の社会教育課長もお務めになっておられました宮澤先生。以上7名の方にパネラーということでお集まり頂きました。先ほどセンター長から紹介のありましたように、司会の方は公開講座運営委員会の委員長を務めて頂いております中井農学部長にして頂くということで、只今から公開シンポジウムを始めさせて頂きたいと思います。では中井先生、宜しくお願いを申し上げます。」
司会(中井)
「ただ今ご紹介頂きました中井でございます。私は静岡大学公開講座運営委員会の委員長としてこの4年間、働かせて頂いたということで、今日この役をやらせて頂くということでございます。今日はちょっと雨が降っておりますけれども、春の気配が濃厚になってきたわけで、春の花とか草には、今日の雨は非常に良かったんじゃないかと思います。いずれにしましてもこのお忙しい時に静岡大学の山に登ってこられて、このように学外からも多くの方がいらして頂いたこと、大変嬉しく思います。お集まり頂きましたことにまず心より感謝申し上げたいと思います。
この4年間で運営委員会、公開講座運営委員会でやった事を簡単に申しますと、大学の公開講座はもちろんのことですけれども、それ以外に放送利用の公開講座、これは平成9年ですけれども、その年に『米と日本人』というテーマで、放送を通じた公開講座をやはりこの公開講座運営委員会でやらせて頂いております。それは『米と日本人』という本に出版されて、幸いなことに結構売れているということでございます。それからその後、静岡大学50周年記念の公開講座『−新世紀に向けて−20世紀とは何だったか』を、現在SBSそれから静岡放送と共に、昨年の4月の上旬に、ちょうど2000年の1000日前に当たるわけですけれども、始めております。2000年、21世紀の直前まで、これは続くことになる予定です。簡単に申しますとそういう活動をやってるわけですけれども、皆さんもご承知かと思いますが、今大学は非常に激動の時代と言われております。ある意味では冬の時代とも言われるわけですけれども、そういう中にあって、大学は、今積極的に改革をしていかないといけないといわれています。私自身は大学の改革は即ち、社会の改革を伴うものでなければいけないと思っています。大学の改革は大学だけの改革ではなくて、即ち社会の改革であると。こういう言い方は大変不遜かと思うんですが、言い方を変えますと、大学の改革は周りの地域の人達と共に改革をしていく、というようなことにもなるかと思うんですね。そういう意味で今大学にとっては、閉鎖された大学ではなくて開放された大学、そして地域との結びつきというのが非常に重要になるかと思います。そういう意味では、公開講座というのは全部とは言いませんけれども、ひとつのパイプ役になるのではないかと思います。公開講座が元気になるということは、これは大学そのものが元気でないと公開講座も元気にならないわけですけれども、ある意味では公開講座が元気になれば、大学も元気になる。そして周りの地域も元気になるということが言えると思います。そういう意味で今日は、実はいろいろ問題もございますので、公開講座を、そして静岡大学をより元気にするために、先輩の方達にお集まり頂き、知恵を拝借したい。それからここにお集まりの皆さんからもいろいろご意見を頂いて、共に私達がこれから公開講座を運営していくために力を与えて頂きたいと願っております。司会の挨拶にしては少し長くなってしまいましたけれども申し訳ありません。これから皆さんのご意見を頂きたいと思います。 まず、順番で原先生から一言、あの一言というのは申し訳ないんですけども、まだこれから2時間ちょっとありますので、自己紹介かたがた公開講座との関わり、あるいは公開講座の意味等、その周辺についてコメントを頂ければ有り難いと思います。」
原
「ただ今紹介にあずかりました原です。私は昨年の3月までこの大学にいまして、このセンターの立ち上げに関わらせて頂きました。このセンターが公開講座と社会教育主事講習という、2つの大きなプロジェクトに関わっていくということでありますが、今日はそのうちのひとつ公開講座について最初のシンポジウムが出来たことを何よりも喜びたいと思います。
最初に申し上げたいことは、第一に公開講座というのは、いわゆる教養講座でありますけれども、教養の基本は、古い学問の分類で申しますと文学部の領域が基本だというふうに思っております。文科と理科の比率はだいたい7対3くらいで文科系が基本になるだろうと考えます。文科系という場合には教育及び芸術を含みますが、やはり哲・史・文を中心とした分野がどうしても多くなる。これは研究というよりも一般市民に開かれたものである場合には、教養の基礎はそこに据えるべきだ、あるいは据えざるを得ないだろうと思っております。
それから第2番目には、今、中井先生がおっしゃいましたけれども、やはり地方大学の場合には何といっても、静岡県にある大学は静岡県の解明に主力をおくべきだと思います。静岡大学ではこの20年ほど公開講座をやってきたのでありますが、最近を見ますと、これは先生方ご苦労があったので各学部等しくやろうと考えてきたと思うんですが、テーマが一般的になりすぎて散漫になっているんですね。高尚ではあるけれども、これじゃあやる方のいささか自己満足が多くて、聞く方がちょっとついていけなくなる。やっぱり最初の頃にやったように、地域に根ざしたほうがよろしい。浜松でやる時には浜松の話する。伊豆へ行ったら伊豆の話する、ということが必要です。先生方にはその地域のテーマや問題を早くに伝えて、考え解いてもらっておく。急に頼むんじゃなくて1年先に依頼する。今度伊豆へ行くからこれをやってくれ、というぐらいの計画性・企画性をもってやってもらうような、その地域に根ざすというか、そういう具体性を持ったテーマでやるべきだと思うのです。これが第2番目。
第3番目に私が考えているのは、公開講座を学生にも聞かせる。定員を、例えば100人であれば2割とか、3割とかを学生に開放して、そして静岡大学の学生には単位を出したらどうか。つまり1単位でも出すのです。これは、前から私の考えていたことで、恐らく今日、そういう話が出てくると思うんですが、伊奈先生も言われているように、放送大学と組んで、いろいろ難しい問題はあるだろうけれども、1単位出せというふうに考えております。学生と地域の人達が一緒に勉強していくことになると、学生にもいい刺激になるだろうと思います。以上、私の意見を申しました。」
司会
「どうも有り難うございます。土先生。」
土
「ご紹介頂きました土でございます。静岡大学に41年おりまして、退官してからまだ8年ぐらいしかたっておりませんが、第1回と第3回ぐらいに公開講座に関係しまして、地震の話と富士山の話と、これら静岡県にとって非常に関係の深いものをさせて頂きました。退官してから後では、放送大学にもお世話になり、県民カレッジであるとか、各地の社会教育課で主催する講座などに出させて頂きました。それらを通じて私が思いましたのは、大学で公開講座をやっている時は、地震のことでも、富士山のことでも、現在やっている専門の分野のことを皆さん方に喋ったのですが、それ以上に出ることが出来ないんですね。私は現在、富士山とか地震に関して、ここまで分かっているということは客観的に喋ることは出来るのですけれども、それでは一体、我々はどうしたらいいんだ、どういうふうに地震のことを考え、地震があったらどういうふうにしたらよいのか、富士山については、では我々社会人はどういうふうに事を考えればいいのかということまでは、なかなか踏み切れなかったのです。それはサイエンスを研究している大学の教官としては、仕方がなかったのかもしれないとは思うのですが、やはり社会に出て、大学を離れてみますと、それではどうしても皆さんが納得してくれない。むしろ個人的な考えでもいいから、私はこういうふうにやるつもりです、あるいは、これはこういうふうに考えるべきだと私は思っているので、ぜひ皆さんもやって下さいというような一歩踏み出した言い方をしないと、どうしても社会には通じないということをつくづく知らされました。そういう意味では、例えば生涯教育の問題、それから21世紀のこの公開講座ということを考える時には、確かに大学の先生方には難しいかもしれない。大学の先生方はそれなりに専門の研究をやって頂かなければならない。その専門を完全にマスターすることは、大学の最も大切な事ですけれども、その最後のどこかで、それから一歩踏み出して、自分個人としてはどういうふうに考えるのだということも、喋るようにしなければということを思いました。自分の体験からの感想ですが、一言喋らせて頂きました。」
司会
「どうも、有り難うございました。若林先生。」
若林
「若林でございます。ただ今、富士宮で一人暮らしの高齢者の生活をしておりまして、いろんな事を考えているわけですが、私が最近、非常に嫌いな言葉のひとつは生涯学習ということ、もうひとつは公開講座という言葉のふたつです。と申しますのは、この年になっても勉強かっていうのはしょうがないにしても、なんで生涯学習でなくちゃいけないんだということと、つくづく思っているのがひとつの嫌いな理由です。もうひとつはですね、公開講座っていうことになりますと、私は静岡大学で最初に公開講座をやった時の委員長でございまして、少なくとも先ほど土先生がお話しされたような、あるいはまた原先生が受け持たれたような、静岡というところにがっちり根ざした公開講座をやろうじゃないかということで、『静岡〜その自然と社会〜』というようなことでやったわけでございます。もうひとつは短大の学長になりまして、短大の存在価値を藤枝市民に知ってもらうためには、公開講座をやりまして、この短大にはこういう先生がいるんだということを大いにPRする必要があるんじゃないかというわけで公開講座をやりました。そうしたら殊の外受けましてですね、割合藤枝市民の方々に、短大なり大学といわれるようなものについて理解をして頂くことが出来たんじゃないかというように思ったわけです。まあそういうことでございますから、自分自身はもう公開講座なんて全て卒業し、これからは考えないつもりでおったわけでございます。
ところが先日、柴垣先生の方から手紙が来まして、静大の公開講座の受講生が少なくなっているんだけれど、そういうことについていろいろご意見を承りたいということでした。私は静岡大学の公開講座の受講生が少なくなるなんてことは、終ぞ考えても見なかったことで、ますます盛大じゃないかと思っておったわけでございます。そんなふうに盛大じゃないってことを承って、こりゃ大変だってわけで、何か原因があるんじゃないかっていうことで、まあいろいろ考えているわけでございますが、公開講座で苦労した手前あんまり考えたくないんですが、後ほどまた、何故そういうことになったのかということについてですね、私なりの考え方を申し述べたいと思うわけでございます。いずれに致しましても、他に考えることが今ありませんので、考えるとなると徹底的に考えます。場合によっては先生方に失礼なことも言い出すかもしれませんが、ひとつその時にはお許し願いたいと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。永井先生。」
永井
「永井でございます。私は先ほど紹介にございましたように、退官しましてから2年、だからその3年前までは学長職にありました。従って、先ほど司会の方が本日は皆様方からいろいろ苦言を呈して欲しい、またご意見を承りたいとおっしゃいましたけれども、私も今日ここへ座っておりまして、苦言を呈せられる方の立場かなと思っております。辞めてから2年経ったら外野の一員で評論家に急に変わったんじゃあ、どうもまずいなどの思いがつい頭の中を去来しております。私もそういったことで、学長職におりました時は、公開講座はその年々の委員長が責任を持ってやって頂いておりましたけれども、学長としてもどうすれば皆さんに喜んで頂けるかと思いめぐらしてまいりました。大学の持つべき機能には、研究と教育と社会貢献とこの3つあると言われています。その社会貢献の中のひとつの部分がこの公開講座である、との考えで公開講座を重視してまいりました。しかしその結果が先程来のご紹介の通り、どうも受講生数が減ってきたということですので、私もこれは責任があると感じて、今大変この席にいるのが苦しい立場でございます。私も今日は大いに苦言を述べさせていただきますが、私に対しても苦言を頂ければ、私としては自己反省させて頂くいい機会となります。
私が在職中に公開講座について感じておりましたのは、学部ごとの講座と異なり、全学公開講座ということの難しさがございました。これは全学を挙げて企画するわけでございますし、また対象の広い一般の受講生の方のご希望を大いに取り入れてと考えると、まず課題を選ぶのに悩みました。先ほど原先生が、公開講座は文系7、理系3というふうな教養的なものになろうと言われましたが、私もどうもそういうのでないと受講生がたくさん来て頂けないというふうにも感じました。私は専門が農学でやってまいりましたから、学部の公開講座、あるいは単発的な小さな研究室、学科でやる講座、これらは専門性を絞りまして、それなりに非常に専門性の高い絞った話が出来ますが、全学公開講座ということになりますと、お見え頂く方の顔にもよりますが、やはり教養的な話が中心となる。そうなってくると講座内容の組み立てが難しくなってくることを実感しました。本日は全学の大学公開講座ということなものですから、その幅の広いところへ絞るという話になろうかと思います。また後ほどいろいろご討論頂く中で、私の経験等お話申し上げるチャンスはあろうかと思いますので、この辺で終わらせて頂きます。」
司会
「どうも有り難うございました。伊奈先生。」
伊奈
「私はちょうど4年前になりますが、本学を停年退官致しまして、それからご存じない方もあるかと思いますが、文部省の特殊法人で放送大学というのが10数年前に、ちょうど今日皆さんにパンフレットをお配りしてあると思いますけど、出来まして、各県に学習センターというのがございますが、静岡県は平成4年に開設されまして、私、現在そこの2代目の所長をしています。この3月がまいりまして3年になるわけでございますが。
静岡大学を退官してから、放送大学に行きまして、今日のテーマの公開講座のような形での学生さんとの、いわゆる社会人の学生さんとのお付き合いについては、ずいぶんいろんな面で勉強させて頂きました。と言うのは、静岡大学にいた時のような調子で放送大学で学生さんとお付き合いしていたら、学生さんは全然こっちを向いてくれないということでございます。ということで最初にこの受講生が少なくなってきたというお話の中で、私の感ずるところの一言だけを申し上げます。待っておれば学生さんが来てくれるという考えはもう古いんです。積極的にこちらからどんどんといろんな情報を提供し、そして学生さんにぜひこちらに向いて下さい、来て下さい。というような努力って言いましょうか、それをする時代ではないかと思います。私は今日配付された資料を見まして、最初にこの公開講座が開始されたのが昭和53年になるんですが、その当時はここにテーマがいくつか上がっておりますけれども、例えば『静岡〜その自然と社会〜』のようなテーマを掲げて出せば、どこも公開講座なんていうのはやってる時代じゃないですから、非常に珍しいわけですね。よし、聞きに行こう。大学の先生が話する講義をひとつ聞こうじゃないかという、なんて言うんですか、ひとつの楽しさっていうか誇りみたいな、そういうものがあったと思うんですね。ところが最近はもう、公開講座なんていうのは本当に次から次へ出てくるわけですね。そうするとそこで魅力のあるものという事になってくるわけですね。先ほど原先生もちょっとおっしゃいましたですけど、私、放送大学に行きましてから、後で詳しくいろいろ申し上げますけど、学生さんに聞いてもらえる講座ってもののテーマが大体4つか5つくらいに絞られるんですね。それ以外の科目を開講しても、ちょっとレベルが高いっていうか、あるいはあまり親しみにくいというようなことで来てもらえないという、こういうものがあるんですね。その辺で見ていくと、先ほど原先生がおっしゃった、例えば静岡、自分の身の回りの自然とか、それらに関する歴史、そういうようなことをテーマにすれば皆さん知りたいわけなんですね。そういうことに興味を持っている人っていうのは比較的多いわけなんですね。そういうふうに何て言うんですか、だんだん世の中が変わってきましてですね、積極的に受講生の方が来やすいようないわゆる情報提供ですかね、それをされるということがこれからの公開講座の向かっていく道じゃないかと思いますけれども、後でいろんな討論出てきましたら、どういうテーマがいいかっていうようなことをまた具体的に申し上げたいと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。志田先生、宜しくお願いします。」
志田
「県立大学からお招きを頂きました、志田と申します。静岡大学というのは県立大学の大先輩でございまして、さらに招かれた中身の公開講座も約倍ぐらいの歴史を持っている静岡大学の公開講座に関するシンポジウムということです。そしてここに私も顔は良く存じ上げておりますけども、近づきがたい大先生方がずらっと左に並んでおられ、今次々に自己紹介をされてきたわけで、そういうなかで県立大学の大学も公開講座も人間も若輩な私が、何を話したらいいのかなと考えますと、招かれたことそのものを多少恨めしく思っております。ただよく伺ってますと、今日の狙いは公開講座をどういうふうに育てていくのか、またあんまり好きな言葉ではないですけど、どう活性化していくのかと、こういうことが大きなテーマだと思っています。そういう意味からしますと、私がここへ県大から来たのは決してベストではございません。私、公開講座の運営にずっと携わっていたわけではありませんし、県大にはもっと詳しい先生がいるだろうと思います。しかし一応お手元のような資料を持って、そして県立大学のことについて聞かれたら、何か多少説明をしようと、こんなつもりでお邪魔しております。そのへんでご質問がありましたら、説明をさせて頂くということと、それから若干なりとも私自身も公開講座についてどんなことを考えているのか、こんな事についても多少意見を言わせて頂ければと、こういうように思っております。
やはり公開講座を考えていく場合、これは非常に口はばったい言い方かもしれませんけれども、どうしたら受講生が増えるかとか、どうしたら非常に活力が出てくるかとか、こういうようなことで、あれやこれやテーマを選んでみたり、場所を探してみたりというようなことを考えていく前に、公開講座の一番の狙いとするところを何処においたらいいんだろうかと、こんなことをひとつ定めてから取り組んでいかないといけないと思います。
またひとつには、やはり公開講座というのは大学、または大学にいる教員のPRの機関なんだと、ここに撤するのもひとつの方法だと思います。これは私学なんかがよくやっているやり方だろうと思いますし、これは大いにそれを目的として、そしてたくさんの人達に知ってもらうというやり方であると思います。それから今度は県民なり、一般市民なり、大学の学生以外の人達を対象として公開講座を行う場合や、その中味として教養を身につけていく、要するにいろいろと時代の感覚等を啓発していくような目的の場合と、専門性を身につけていく場合と、それから更にはかなり技術的なものをマスターしてもらうとか、いろんなやり方、目的があって、それぞれ違うのではないかと思います。それを一括して公開講座何やるべきかと言うのではなくて、対象なり目的、また方法などをしっかり絞って、それらの視点から取り組んでいく必要があるのかなあと思います。
このように、大学のPRもよし、それから今言ったように、教養なり、専門性なり、技術性、そういうものを分けて、それぞれの狙いによってカリキュラムを組んで、取り組んでいくのも良いですが、もうひとつとして、今までの話に出て参りましたけど、地域社会の中における大学というのは重要な機能を持ったセンターだということ、教育なり研究なりのセンターだということ、そのセンターが中心になって、あまり欲をかいても始まりませんけど、その大学があるからこそ、地域社会の中に固有の何か特徴なりを生み出すことが出来るという、そういう地域の特性なりを生み出せるような、または自分達で生み出す力を持てるような、そういう市民なり県民を育てていく意識が必要だと思います。やはり私、専攻が地域社会学なものですから、我田引水のような話を致しますけれども、今流行の言葉で言うなら、地域をつくる、静岡県も地域だし、静岡市も地域だし、そういう地域をつくる、そういう人材を育てていくということです。視点は人にもちろんあるわけですけど、狙いは社会、地域というところにもおきながら取り組んでいくことも必要です。こんな様々な視点を通して、それぞれの目的なり、狙いなり、目標なりというものを絞りながら、さてテーマはどうなのか、また後から出てきますけども、場所は何処で開いたらいいのかとか、どういうようなカリキュラムを組んだらいいのかとか、そんなようなことが問題として出てくるのかなあと、こんなように思っております。
大した話は私には出来ませんし、県立大学の公開講座の主として現況等を紹介するということにある程度撤していきたいとは思いますけれども、所々でこんな話もさせて頂きたいと思っております。」
司会
「どうも有り難うございました。宮澤先生。」
宮澤
「焼津市の教育委員会から参りました宮澤でございます。私1人が異色でございまして、それこそ立派な大学の先生方の中に入りまして、こんなことを申し上げることは大変恐縮に存じております。ちょうど私が静岡県の教育委員会の社会教育課におりました時に、まだその当時はこの生涯学習っていう用語を県では使っておりませんで、地域学習っていう言葉を使ってたんですね。で、こういう用語はもう一般的じゃない、ということで静大の角替先生やここにおられる志田先生等にもお願いを致しまして、生涯学習っていう用語に、県自身もネーミング変更したことがございます。ここにおられる若林先生や志田先生には、もう殊の外お世話になりました。それこそ社会教育主事講習の時には、永井学長さんにもいろいろお世話になったもんでございますから、今回のお声がかかりましたときにこれは拒否できないなあっていうことで、のこのこ出てまいりました。
今回は公開講座に関してという事を伺いましたが、実は、私も平成4年の時にこの静大の公開講座を受けているんですね。ちょうど平成3年3月に現役を終わったもんでございますから、すぐにぼけてちゃたまらんということで、平成4年の時にこの静大の公開講座を受けました。その時の統一テーマが『世界の激動と日本』ということでした。大変難しくて立派なテーマだなあということで、私、焼津から一緒に受講した同僚といつも話しながら帰りました。今日の話は難しかったなあとか、今日の話はここら辺は良くわかったけれどもあの点は納得できなかったなぁ……っていうようなことを話しながら帰ったわけでございます。翌年もすぐに応募致しましたが、この時は『変革期を読み解く』というテーマでございました。これのほうがなお難しかったですねえ。平成6年に私は今の職に就いたもんでございますから、それ以後はご無沙汰しております。今回資料を頂きますと、もう平成10年までずっとおやりになっていたことを知りました。それを見ますと、私が平成4年に受講した時は120名も受講生がおられたんですね。平成10年には40名になっちゃったとこういうことです。これはなぜだろうかと考えますと、あの時焼津の同僚達と「ありゃあ難しかった」、「あれはどういう意味か」というようなことを話し合ったのを思い出します。まあそういう意味で、大学の先生の講義というのは大変難しいというのが受講生を減らした原因ではないのかと思いました。また、もっと分かり易いネーミングをつけたらどうだろうか。名前を見ただけで後込みしてしまうっていうような人がいるじゃないだろうかと。『何々の変化、比較法文化の視点から』なんて言われてもですね、一般の人はこれは何だろうなあと思うし、『経済の発展と平和の関連』っていうふうに題されましても、一般教養を求めてこられる方にとっては、先ほど原先生や若林先生もおっしゃっいましたように、捉えにくいテーマではないかと思います。身近なテーマをきちっと捉えて、そして今、何が求められているのかというようなことからやって頂ければ、こんなに3分の1以下に減るようなことはないんじゃないだろうかというふうに、私は思ったわけでございます。
私は県や市の社会教育に関係している立場から致しますと、何としても生涯学習の推進とともにそのレベルアップはさせていきたいと思います。手でやるもの、例えば手芸であるとか、そういうものはいつも受講者は多いんでございますね。ところが何かこうちょっとしたテーマをもって募集を致しますと、焼津あたりでは11万7千の人口でございますが、集めるのが一苦労で、各公民館毎にやりますと、そのエリアは1万とか2万とかいう小さなエリアになりますと、一層困難です。そういう中で、例えば環境問題なんかが今一番叫ばれていて適切だろうと思っても、30名集めるのは大変なんですね。公民館でただ人集めだけを考えますと、趣味や娯楽、健康、あるいは実技的なもの、今で言う陶芸とか、ちぎり絵とか、絵画とか、場合によって蕎麦打ち、あるいは書道とか、ダンスとか、ヨガとかってやってれば、講座はすぐに一杯になるんですよ。だけどそれでいいのだろうかということを、私達は公民館の担当としょっちゅう論争するわけです。特に男の人を引っぱり出してやるには、もっと他に何かあるんじゃないだろうかと。今、志田先生がおっしゃったように、何が求められ、何が地域の教育委員会としてやらなきゃならんかと。こういう場合には、ぜひ静大の公開講座をもうちょっと分かりやすく、庶民に投げかけて頂くということが必要じゃないかなあというふうに思っているわけでございます。まあそんなことを最初にまず申し上げまして、一応お返ししたいと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。ただ今、おひとりずつに、初心というか助走のウォーミングアップのつもりで一言ずつお願いしたわけですけども、ウォーミングアップどころか、もうかなり核心に迫っているかと思います。いろいろ重要なキーワードを頂きました。ここでやはり、何故今、低調なのかどうかは実は分からないんですよね。ただ人数は少ないということは起こっている。しかし人数が少ないということはある意味では低調ということにも繋がる。というようなことで、これをどうしたらいいかというのが、今日のひとつの大きなポイントになると思うんですけども、まず原先生からテーマが散漫というご指摘がありまして、テーマについていろいろコメントもして頂いておりますので、まずテーマについて少しここで考えたいと思います。土先生からは、テーマとも関係あると思うんですけどやっぱり話の内容というか、ポリシーを話す人が持たないといけないというようなご指摘もございました。まあネーミングの話とかございます。それから最後に宮澤先生からご指摘頂いたかと思うんですけども、今は自己啓発の時代って言われるんですよね。大学は基本的にはアカデミズムを追っかけてきた。いわゆるそういうアカデミズムと自己啓発とどういうふうに繋がっていくか。もう全部大学が自己啓発で、大学でダンスばっかりやってるっていうわけにはやっぱりいかないわけですね。基礎的なことは押さえていかないといけない。しかし、それだけでもやっぱり駄目。そこのところをどういうふうに結びつけるかっていうテーマのそういう難しさもあるかと思うんですけども。
まず原先生、さっきの散漫だということ、もうちょっと補足して頂きたいと思うんですけど、その前にですね、ちょっと資料がございますので、皆さんお手元の資料にテーマ、が昭和53年からございます。実は53、54、55と地域そのものの、『静岡〜その自然と社会〜』ということで始めているわけですけども、今日ここにその時の講師4名の先生、原先生、若林先生、土先生、伊奈先生がおられるわけですね。だからその当時の熱気というか、模様もお聞きしながら宜しくお願いします。」
原
「端的に申しますと、初期の頃はちょっと人を並べすぎたという感じがしますけれども、例えば富士山を取りあげるとか、地元の静岡の解明をやるとかという形で、静岡大学と地域という問題にきちっと接近していたと思うんです。ところが中途から、私は去年辞めたので、外から勝手なことを言うと思われるかもしれませんが、一言で言うと講師を各学部に1人ずつ割り当てるような構成になってきた。それを何とかまとめようということになると、抽象的な訳の分からない題目になるわけですよ。これでは人が来ない。つまりこれでは消化しているだけなんですよ、はっきり言うと。おそらくやる先生全員で一回でもミーティングやってるかっていったら、やってないはずですよ。こんな事やっていたら、人は来っこない。見てご覧なさい、ほとんど人文・教育・理・工・農と1人ずつ出てるんですよ。これで何とかやろうというと、何が何だか訳の分からない難しいテーマになる。宮澤先生が言っておられたように、訳の分からない抽象的な題名になって、静岡大学なのか東北大学なのか分からない、どこの大学でもいいって事になっちゃうんですよ。僕は、あるテーマを立てたら、先ほど言ったように、その中心になる人を決めてその人に人選を任してテーマ性を持たせるべきだと思う。当然文科系が多くなるはずですよ。人文学部の法律経済が、全体として稼働率が高いというのはしょうがない。その分だけ僕はお金を出せっていうんですよ。公開講座の手当は安い。はっきり言って、みんなそう思っている。これは本音ですよ。つまり、やるべきことはしっかりやらせ、払うべきものはしっかり払うということが大事です。義務、義務だけじゃあ駄目です。これが僕の言いたいところです。」
司会
「私の質問に対して全部の方に1人ずつ答えて頂くというのは、時間が足りそうにないので話したい方はひとつ手を挙げて頂きたいと思います。では若林先生、今のテーマの件について何か。」
若林
「はい、テーマですね。いろいろ問題があると思うんです。例えば「健康」の話って言うのを開講したようですが、まあその体験的な課題は、皆さんは大なり小なり考えているんだろうけれども、健康についての専門家じゃあないんですね。そういう人が健康のことの話をしても、なんかの本を読んできて、健康というのはこういうもんだなんていう、最終的にはお説教になっちゃうんじゃないかと思うんです。そういうふうな問題の設定っていうのはなんとなく健康ブームという流行を追っているのではないかと思うわけです。つまり健康というブームに乗って、健康食品だとか健康飲料だとか、健康という名前を付けるだけで、ものすごく売れるというという現象があり、公開講座でも、健康ということをやって売ろうとしたんだけどもあんまり売れないということなんです。やっぱり健康ということを考えるには、それなりの専門家ってものがきちんといないと具合が悪いんじゃないかという感じがするわけですね。
それと公開講座ってのは、先ほど原さんも言ったんだけど、各学部から1名ずつ出て、まあ1名か2名か知りませんが。ローテーションを組んで毎年運営するっていうんじゃなくて、やっぱりその中の何かのテーマの中には、必ず毎年ひとつの目玉をつくっていく。この人の話なら聞いてみたいと、ついでに公開講座にも出席したいと。そういったアクセントをつけないで、のんべんだらりとやっていくと、何のことはない受講者が減少する。最後には結局無くなっちゃうんじゃないかという感じがするわけです。従ってその点でですね、やっぱりテーマの作り方っていうもの、自分自身の出来る事と出来ない事っていうものをきちんと判断したうえで、公開講座に臨んでいかないと、受講する人々に対して失礼じゃないかという感じがするわけですね。まあそれと同時に、減った減ったと言うんだけども、結局たくさんいた時に比べれば減ったことになるんだけども、こんなに来たかというふうな、40人であってもこんなに来たかというようなプラス志向に考えてですね、これから段々それに積み上げていくような努力をしないとですね、やっぱり良くならないんじゃないかというふうに思うわけですね。つまり減ったということを考えると、人っていうのは敗者の理論であってですね、勝者の理論は、こういう題目でもこんなに大勢来たかというような考え方で、考え方を基本的に変えていかないとですね、やっぱり受講生は増えていかないんじゃないかという感じがします。
やっぱりそれと同時に、受講された方々が帰りながら難しかったという感想や、あれはどうもなあ…というようなことは当然あるのですが、聞いて良かったというような話を常に用意しないといけないんじゃないかと思います。今日、これでこれだけ偉くなったというふうな満足感を与えて帰させるような公開講座でなくちゃいけないというふうに思うわけです。ですからやはり公開講座っていうのは、最終的に言えば、私は教養でも何でもないんじゃないかと。結局要するにそれを聞くことによって、1人1人が元気が出るような話であるとか、あるいは1人1人が希望を持てるような話にしていくということが大事だと思います。こうした積み重ねの中で専門であるとか、あるいは教養だっていうことになるんじゃないかと思うのです。始めから教養だというように区別したり、あるいは専門だというふうに区別するっていうこと自身がおかしいんじゃないかという感じがするわけです。それと同時に、やっぱり不易流行という言葉がありますが、どうも公開講座の最近は一般受けするように、流行ばっかり追いかけているんじゃないかと思うんですね。基本的に言えば、大学である以上、不易である学問というものである以上、それを忘れたような形で流行を追っていくと、とんでもないことになるんじゃないかという感じがするわけです。それと同時にいま公開講座は競争の時代に入り、受講者が選別の時代に入っているわけである以上、静岡大学公開講座の個性なり特色をどのように創造するかということがテーマを考えるこで重要であるように思います。」
司会
「どうも有り難うございました。今、2人の先生に話を伺いましたけども、各学部から1人ずつ出てなんかやるなと、それから流行を追うなと。要するに元気の出る、そういう公開講座でありたいと、そういうコメントを頂きました。まあそれについては例えば、志田先生から目標を定めるっていうお話があったかと思います。やっぱり目標、いろいろな方面から目標を定めるっていうことがひとつ。その目標に沿って講師の人選をするとかっていうようなことが重要になってくるかと思います。それから最初のお話で宮澤先生からネーミングの話が出ましたね。これはひとつ技術の問題かと思いますけど、非常にやっぱり重要なことかと思います。それで志田先生、何か目標を絞るっていうようなことについて補足等ございましたら、お願いしたいと思います。」
志田
「要するに目標を定めるというのは、受講生そのものが求めているもの、こういうものを先ず十分把握しておかなければならないのかなということです。よく学習要求調査とか言いますけども、やはり求めざる事を提供してもついてこないという問題がひとつあると思います。それでは求めるものだけ出してればいいのかというとそうばかりではなく、こういう時にやはり大学人が大学の感覚でもって、今の時代にどうしても聞いてもらいたい、それから又はマスターしてもらいたいという、例えば、国際感覚であるのか、又はいろんなその他の知識であるのか、高齢化のもとでの健康の問題であるのか、要するに今はぜひこういうものをということです。これは単なる聞く側のニードだけでもって講座をつくるというのは、これは非常に重要には重要ですし、確かに飛びついては来るかもしれませんが、それだけではちょっと寂しいのではないかと思います。それから今言ったように、こちらからどういうものを今の時代で提供するなり、講座としてカリキュラムの中に組み込むなりというようなことを十分検討して、公開講座の中のテーマとして盛り込んでいくとか、そういう手法がひとつ、この目標ということに関わるのではないかなと思っております。ただ求めるものだけを追うのも不十分だし、そうかといってややもすると提供するだけということになると、やはり受け手はそんなものを欲しくないよ、ということになりはしないかなということでございます。」
司会
「どうも有り難うございました。それから宮澤先生からネーミングの話が出てましたけども、それもひとつの技術的な問題かと思うんですけども、実は私の経験から申し上げますと、去年から先ほどご紹介しましたように、『20世紀とは何だったか』、SBS、静岡新聞と協同で50周年の公開講座をやっているんですね。でその時は、必ずしも原先生が言われたように、各学部から何名という方法はとりませんでした。まずは目標を定めて、それに合うのを誰かっていうのを、こちらで僭越ながら決めさせて頂いて集まって頂いた。そこで一応、それぞれの先生から出してもらうわけですね、テーマとか。そうするとやはり、SBSとか静岡新聞社から見ると駄目なんですね。これじゃあ駄目って言うんですね。それじゃあ内容は同じ、決して低くはしない。けどそのネーミングを考えて欲しい。すると見事なネーミング考えて来るんです。それで前半広報やって頂きました。450人の定員で、広報を出してから1週間でもう満杯で、もう50人100人と空き席待ちという、そういう状況も起こるんですね。だからもちろん内容も重要だけれども、いかに戦略っていうのが重要かなあということを思いました。今お陰様でその講座は順調に来ております。ところで宮澤先生、ひとつ何かこの件について。」
宮澤
「私ども公民館などでは、家庭教育学級、今、家庭問題が一番問われていますね。そうするとやっぱり足を運んでもらわなきゃならんわけですね。そうした場合に、ああ、この人の話なら聞きに行こう、この題なら聞きに行こうって、まず足を向けさせなきゃなりません。とにかく行ってみればいい話だったと、若林先生がおっしゃるように、普通の人ならまず来るような、これなら飛びつくというような題でやらないとダメです。特に家庭教育なんかの場合等は、もう本当に人を集めるのに苦労してしまう。来れば、終わりには、ああ良かったって帰るわけでございますね。そういう意味からして、このネーミングの問題はたいへん大切です。それからもうひとつは広報の問題でございますね。ネーミングをつけて、どう広報していくか。実は私は、平成5年以後に、まだこういうことを静岡大学で続けてやっておられるとは知らなかったのです。県立大学さんの場合には、焼津市の広報に載せてくれと来られるもんですから、ああこういうのをやってんだなあってこと分かるわけです。ですから公的な広報をどう使うかが大切だと思います。各市町村は教育委員会を含めて必ず広報を出しておりますので、この広報を使って下されば、有り難いことだと思っております。」
司会
「どうも有り難うございます。今、広報の問題が出ましたけども、それは後でもう少し議論したいと思いますが、今のお話だとなるべくやっぱり多く来て頂かないといけない。しかし来て頂いた人に元気をつけないといけない。というのは、今度はテーマからは一歩踏み込んで、中身というか、あるいは話し手の姿勢の問題、ポリシーの問題がある。そこで先ほど、ポリシーといいますか、話し手が何を言いたいのかという、そういう提案といいますか、土先生からお話がありましたけども、その件について土先生。」
土
「先ほどは私の体験からお話をしたのですが、やはり私は、社会人の人達がどういうつもりで大学の公開講座を聞きに来るのかということを考えた時、社会に出ているのだけれども、とにかく大学に行きたい。ということは要するに勉強に行きたいのですね。そうすると例えそれが一般教養であれ、専門的であれ、とにかく専門家の話を聞くということで来るのだろうと思うのです。ですから講義を受けて、説明を聞いて、知識を教えられただけでは少しも面白くない。最初のうちはいい名前を付ければ、ワーッと集まるかもしれませんが、中身はやっぱり同じだということになってはと思います。そこで必要なのは、テーマを決めるということも非常に大切だということです。同じ自然のこと、同じ富士山のことを言っても、富士山の次に何がつくかということによって、人の集まり方は違うのですが、そこで喋られたものが、やはり大学の先生の専門としている、自分の研究をどういうふうに進めていったのかということが少しでも見えてくれば、それは非常に大きな力になって、影響を与えるのだろうと思います。ですからそういう意味では、各学部から出てくる、それは順番にとにかく1人は出せということで仕方がない面もあるのでしょうが、もれだけ長く続けてきた場合には、あるひとつのテーマを協議してよく練って決める。あそうしたらその中で最も適当な方を選んで、次にはそれに関連した話を順番に付けていくというような形でもっていく。そういうようなやり方が私は一番いいだろうと思います。。」
司会
「どうも有り難うございました。先ほど永井先生から、専門性の話とそれから幅広い話という話が出てきたと思います。これは大学人としても非常に苦慮するところ。先ほど原先生からは、人文系、文学とかそういうものだったら学問、専門性そのままをぶつけてもある程度理解してもらえるようなところもあるけども、技術系の場合は、そこのところが少し難しいんじゃないかと思うんですね。そこの点について、大学人がもちろん、専門性に埋没してしまって、それだけではどうしようもないということもあるし、そうしなければいけないというところもある。もう世間とは無縁に、全く自由にものを考えていかないと進まないという、いろいろなケースがあると思うんですけども、そこらあたりの専門性の問題、幅の広い話の問題、大学人はその研究室でどうあればいいかというような、その辺について永井先生、ひとつコメントをして頂けますか。」
永井
「先ほどもちょっと触れましたけれども、志田先生がおっしゃいましたように、目標を定めるということにつきるかと思います。しかし私自身、関与しておりました時には、全学の公開講座というものが、今の原先生がおっしゃいました、たらい回し、あるいは学部平均分散という形になってしまいました。今反省してそれではよくなかったと思っております。まずテーマが決めて、それに最も適切な方を講師に頼むということかと思います。 かつて現職におりました時に、静岡大学に懇話会というものをつくりました。学外の方は懇話会と言ってもお分かりにならないかと思いますけれども、懇話会というのは、大学として広く地域の方々からご意見をいただき、かつ大学に対して注文をして頂くと。それから私どもの大学としては、大学の現状を紹介しながら大学を理解して頂きたく、設けられたものでございます。メンバーとして教育関係の方としては、大学、高等学校関係の方、それから行政の方としては県知事さん、市長さん、そして実業界に携わっている方、消費者という立場での方、国際交流を地域で活発にやっていらっしゃる方。こういった方々をお願い致しまして、懇話会というものを設けました。これは日常的にお伺いしたいところではございますが、年に2回集まって頂きまして、いろいろ苦情を言って頂く、注文をして頂くことを狙いとして開いたものでございます。その中で私の記憶では、確か平成7年の秋の2回目の懇話会だったと思いますけれども、地域との連携ということをメインのテーマと致しまして、いろいろご意見を承った事がございます。これはもちろん地域との連携、社会奉仕ということでありますから、公開講座に限らず、研究面での産学協同等、いろんな点のご注文がございましたが、その中で公開講座につきましてのご要望について強く頭に残っていることのいくつかを申し上げます。
ただ今、いろいろ先生方からお話ございました。そこにも出てきたことですが、懇話会でまずおっしゃられたことは、静岡大学での特色を出せということでした。地域に密着したことでもあるかもしれませんし、静岡大学が抱えている研究面での特色等、いろんな方面から考えられますけれども、静岡大学としての特色を出しなさいと言われました。それからもうひとつは、大学でなければ出来ないテーマ、そして内容を持ったものをやりなさいと言われました。生涯学習っていうのは、広くいろんなところでおやりになっている。その中のひとつとして、大学が受け持つ公開講座というものがあるだろう。だから大学で行う公開講座は大学でなければ出来ないテーマ、内容をとりあげて開くべきだと言われました。そうしますと、先ほどちょっと触れましたけれども、非常に専門的なものを行うというような解釈も出てまいりますが、一方で総合大学だから出来る教養的なものというようなことにもなろうかと考えられます。
いずれにしましても、静岡大学は医学部は持っておりませんので、医学の分野はちょっと欠けておりますけれども、その他の分野は一応持っている総合大学でございます。総合大学だから抱えているスタッフの幅は広いという特色がある。従って非常に専門性の高い狭い範囲のものでの静岡大学講座もやる、また学部を超えた集団から考えたテーマをとりあげた公開講座を開く。全学という特色と学部学科等での範囲でやる講座の二種類があってもいい。ただしいずれも大学でなければ出来ないテーマを考え、ぜひ実施しようと考えました。
それからもうひとつは、大学で開く公開講座は、大学のレベルを保つべきであるということも強く言われました。公開講座は大学のPRだということで、ただ単に時代に迎合する、あるいは受ける、そういうことだけで選んだら結局は滅びてしまいますよと。大学だからというのは決して大学が偉いという意味じゃなくて、大学だから出来る、そういうレベルを保つべきであるとのご指摘を頂きました。それから県のどなただったか、県民大学、すなわちいろんな講座で単位を取ってきたら、それが何単位か集まると修了証書を出すという葵学園に静岡大学にぜひ参加して欲しいというお話がございました。そうなれば大学としてのレベルを保つ、そういう単位をとれたということは、葵大学ですか、それ自体の箔がつくということだから、大学の公開講座のレベルを維持して欲しいといわれました。ただ単に人が集まったから良かった、面白かったから良かったというものではないとも言われました。目標を定めて、一方で受講生の求めをよく聞いて欲しいともいわれました。これは総論は易しいけれども、各論になると大変難しいことではありますが、大いに今後考えねばならないと思いました。
それからテーマだとか内容だとかにも触れられましたが、もうひとつ出ましたのは開講時期のことです。県内にいろいろな講座があるので、県の葵大学などともよく連携を持って、重複しないように上手に日程を決めて欲しいというようなこともおっしゃっておられました。それから開催地は、熱海、沼津、清水、静岡、浜松の5会場ですね。それ以外の地域でもぜひ聞いて欲しい。これは大学全体の公開講座という事ばかりじゃありませんで、先ほど言いました非常に小規模な講座も含めてですけれども、もっと地方へ出て欲しいと。静岡だとか浜松はそういうチャンスに恵まれている場所であるのに対し、田舎と言いましょうか、そういったところは、なかなか大学の講座のようなものは聞くチャンスがないので、もっと地域にも出てきて欲しいということがございました。まあ大変ごもっともなご意見で有り難く拝聴し、私としても出来るだけ取り込まなくちゃいかんと考えてはやってきたんですけれども、結果としては現在のように少なくても受講生が減っている。まあこれは先ほど申したけれども、必ずしも人が集まれば成功ということではありませんけれども、ひとつのはっきりした兆候としてあまり嬉しいことではありません。結果として成功しているとはいえないと言わざるを得ないんであります。今日のご討論を拝聴して、大いに反省したいというのは、最初に申し上げたことでございます。もし、他に細かくご質問があれば申し上げます。」
司会
「どうも有り難うございました。いろいろテーマについて、今お話伺って、問題点がかなり出されてきたかと思うんですけれども、今、永井先生のお話の中で注目すべきところは、特色を出しなさい、それから大学でなければ出来ないことをやりなさい、それから大学のレベルを保ちなさい、そういうようなこと。それから相対的にやっぱり絞って、その講座によって絞っていく、あるいは聞きに来られる人の対象もですね、想定、視野に入れて絞っていく。そういうことが重要だろうかと思います。どうも有り難うございました。
私達、公開講座をやっていて、特に最近はSBSとか静岡新聞と共にやってるわけですけどね。今のお話に関連しますと、大学のレベルは保って下さいとやっぱり言うんですね、向こうは。しかし表現は易しくしてくれと。そうなると今度は表現力といいますかね、あるいは表現方法の問題も浮かび上がって来るんじゃないかと思います。どうも大学の先生、私も含めてですけども、やっぱり表現する訓練というのはちょっとしてないんですよね。ただその研究をやって、何となく講義して、そのまま公開講座にポーンと出ていく。と、どうしても表現方法って言うか、表現力というか、そういうものはひとつ課題になると思います。従ってこれから大学人としてそういうところも、最近は文部省から盛んに言われているんですが、大学改革のひとつになっているわけですけども。従ってなかなか具体的には難しい面もあるということなんです。ここで、後で3,40分は会場の皆様からもご意見伺うことになってるんですけども、この調子で話していきますと忘れてしまったりして、忙しくてお聞きするチャンスなくなってしまうといけませんので、今のテーマについてお話ししておりますので、何かテーマについてこういうアイデアもある、こういうテーマで話して欲しい等のご意見頂けないでしょうか。はい、どうぞ。」
会場
「私は田舎から出てきたからよく分かりませんが、言葉で皆さん失礼に当たるかもしれませんが。」
司会
「いえいえ、お名前をまずちょっと。」
会場
「鈴木と申します。あの、表現とか大学の学力とかっていっても、公開講座って私達が受けさせてもらって、地域へ帰って、自治体へ帰って、町内会へ帰って話さなかったら、公開講座、何にも私は価値ないと思うんです。私1人で聞いていっても、何にも皆さんに言わなかったら公開講座の価値は非常に薄いと思います。だから私達は公開講座を受けたならばそれをね、地域へ行って、町内へ行って、それから老人会なりに行って、いろいろと話をした時に、こういう話があったって言って、初めて大学の効果が私はあるんじゃないかと思うんです。私は視野が狭くて利己的に考えますけどね、昨年あたりのクローンなんてこんな話を聞いたって私達は分かりません。私たまたま資料をもらってった時、昨年帰って孫へやったら孫が見てね、おじいちゃんいいよ頂戴って言ったっけんどね、私達のようにね、80近い人が聞いたってね、帰ったって、町内に帰ったってこんなもの糞の役にもたちませんよ、失礼だけれども、ね。私1人で受けたってね、とても効果がないじゃないですか。私達、公開講座を受けるのはね、自分が地区へ行って皆さんへ言って初めて効果があると思うんですよ。ただここで話して、誰にも地域とか言ったって、皆さん偉いから分かるけんど、僕らには分からねえ。それよりもね、昨年の題でしたらね、今の介護保険でも話をしたほうがね、よっぽど私達は為になります。老人ホーム、老人会へ行ってもね、今入居している人は来年から保険が変わったらどうなるのって、そんなこと聞くんですよ。それを私達話して初めてね、私達講座が生きると私は思うんですけど。今言ったクローンなんて聞いてね、老人会行って話したって、町内行って話したってこんなもの分かりません。早く言うっちゅうとね。分かる人はほんのちょっと、自分が分かんないから皆さん分かんないって言うかもしれんけんど、まあ分かりませんね。それよりも今言ったように介護保険の話するとか、あるいは老人保健の話、国民年金とか話をした方がね、若い方ならピンときますよ。やはりそういう講座が初めて、公開講座で私は地域へ直結するじゃないかとこう思うんですけんどね。
それから先ほどの、宮澤委員長が話したけれども、非常に公開講座、少ないですよ。県立の方は200人なんて、皆さんこうなってるけど200人で、静大の方の公開講座は40人とこれはね、こんな差があるんですよ。これはやはり私達も悪いけれど当局も考えてもらわないとね。この統計を見なさい、県立は200人ですよ。これ統計は失礼だけんどあてになってならねえけんど、やはりこれ信用しなきゃ統計の価値がない。県立さんで200人の受講生があるんですよ。それで静大さんはね、40人じゃねえかと。これ40人ったってあれですよ、中央公民館でやって40人でね、以前にここでやった時にはもっと多かったですよ。今40人てことはね、やはり私達も考えるけれども、やはり学校さんの方も考えてもらわなければね。何にも国立大学なんてあったって、国民のためになってるかなってねえか、分かんねえでないでねえですか、たった40人でしたら。その40人の人も自分が地域へ帰って、ね、自治会なり町内でいろいろ会合があった時に話して、そこで話して、こういう話があって良かったよって皆さんになるんだけど。今言ったようにクローンの話なんてね、糞の役にも立ちませんよ、悪いけんど。私、言葉悪いけれどもね。ですからね、私達も考えるけれども、もっと主催者も考えてもらわなければね。
それから先ほど宮澤委員長の話にあったけんども、ね。教育委員会が主催して、シールを貼ることになってますね、指定したのを。焼津では何処もありませんよ、シールを貼るってことは、ね。県の教育委員会で指定で、講座を受けた場合にシールをね、一単位でひとつずつ貼るということがありますね。これ焼津行った時聞いたけんど、分かりません、公民館だって。そういうのありますか。シールを貼るっていうことが。百何科目でしょう、教育委員会で指定したところの講座を受けた場合には、シールを一単位ひとつ貼りなさいよって。またくれることになってますよ。それ焼津そんなもん、僕の聞いた時知らないんですよ。先ほど宮澤委員長はね、静大の公開講座、私は知らなかったって言うんですけどね、これは静岡市の広報のほうに私は載ると思います。何だか知らんけども、悪いこと言ったけども、地域と直結した講義をして頂かないというと、ますます人は減っていくと思いますよ、こんなことでございます、お願いいたします。」
司会
「どうも有り難うございました。今のご意見、実は今日は、今のような状況があるからこれからどうしたらいいかということで、皆さんにご意見伺いたいということでやっております。今頂いたご意見も真摯に受け止めてこれから対応していきたいと思いますので、今後とも宜しくご協力をお願いしたいと思います。他にどなたか。ございませんか。はい、どうぞ。」
会場
「静大の番場ですけども、やはり何というか、テーマっていうより、やはりこういう公開講座に出てみようかなという人の母集団というのは、やっぱり限られていると思うんです。だからテーマが変わるとじゃあ他の人が興味を持って出てくるかというと、必ずしも、例えば交通的な面とか考えても、例えば僕は藤枝に住んでますけども、やはり静岡なんかで恐らく公開講座をやるって、本当に興味があってもね、なかなか出れないっていう。そうしますとね、静岡で公開講座を受ける常連というか、そういう人はかなり限られている。テーマを変えれば本当に別の人が来るかというと必ずしもそうではなくて、やはりそれはどういう人を対象に公開講座をやるかという視点から、もう少しテーマを選んでいくというか、考えないといけないんじゃないかと、こういうふうに思います。」
司会
「どうも有り難うございました。テーマの話から少し一般的な話になってきたと思うんですけども、伊奈先生が待っていても駄目と言われました。これはすごく僕は名言だと思うんですね。まあいろいろなことからどうしても待ちになる。それから珍しくないというようなこと。もう公開講座そのものが珍しくなくて、そういう意味じゃあ競争が激しくなっているという、そういうこともございますよね。で、ひとつ伊奈先生から何か、もうテーマを少し離れて待ちだけでは駄目、というようなことにつきまして、先生のご意見をお聞きしたいと思いますけど。」
伊奈
「私の少ない放送大学での経験を申し上げますとですね、今、番場先生がおっしゃってたような放送大学っていうのは、大体勉強したいという人がみえてるんですけど、その数は、放送大学では人口の0.1パーセントぐらいというふうに踏んでるんですね。ところが実際は静岡県の場合をみると、まあ0.1パーセントもないんですが、でも勉強したいという人の数っていうのはやっぱり決まってるんですね。しかもそこへ来た人がどういうテーマ、どういう事柄を望んでるかっていうと、まあ先ほどちょっと申し上げました、例えば、地元、静岡県ですね、静岡県の自然とか歴史ですね。それからもうひとつは静岡大学の公開講座の中にも昔、日本の教育っていうのがありましたけど、この教育の中でやはり最近、特に女性の方が興味を持っているテーマとしては心理学ですね。発達心理学みたいな、こういうものに対して皆さん、非常に興味をお持ちっていうことが分かります。それからもうひとつは、やはり人間生きていく上でどうしても必要な健康ですね。健康と例えば食べ物とか、健康、長寿の薬とかですね、そういうようなテーマに対してはかなりの方が興味を持っている。勉強したいという人が大体そういう興味を持っているんですね。この今申し上げた静岡の自然とか歴史とかですね、それから心理学とか、それから健康と生活のような項目についてはですね、実際に開講してみるとかなり高いレベルのものを求めてるんですね。だからむしろ一般的な話をしたら、こんな事分かってるっていうような、かなり皆さん勉強してみえるんですね。というのはいろんな公開講座がありますから、いろんなのをそういう人は聞いてみえるんですね。だからそういう人に関しては、むしろ私はかなりレベルの高いお話をされることが望ましいんじゃないかと思います。
それからもうひとつは、いわゆる先端科学技術ですね。例えば環境問題です。私は、時々これに関連した話をするんです。例えばダイオキシンの話の中で、一般のゴミを燃やすと、焼却場でダイオキシンが出る。という話をするとですね。「俺のところは昔からゴミ焼きなんか、秋になりゃいつでも木の葉っぱを燃しているのに、今になってやめろとはどういうことだ」って、こういう感覚でものを考える方が多いんですね。それをやはり専門の立場から、今の時代にはこういうゴミが増え、これが燃えるとこうなるから、だからまずいんですよというようにかみ砕いて分かるような説明をするんですね。だから説明の内容が片一方では深く、他方では啓蒙的な話で持っていくとか、そのような区別が私は必要になって来るんじゃないかと思うんです。
それからもうひとつあげさせて下さい。これは手前味噌になって申し訳ないんですけど、公開講座を開講する場合に、かなりの人が教室の中だけでやるのは面白くない、と言うんです。例えば万葉集を読んだら、浜北市に万葉の森っていうのがあるんですね。そこに行きますと万葉食という万葉の食べ物も食べさせてくれるし、それからそこには万葉の植物が全部あるんですね。前日に教室内の講義で勉強しておいて、次の日にそこに行ってものを見ながら食べながら、こういう体験。そうするといかにも自分が万葉人になったような感じで非常に満足をして帰られるんですね。そういう形の講義、公開講座の開き方もあるんじゃないか。おそらくまだ、実習つき公開講座というのはどこにもないと思うんですね。こういうのもひとつのアイデアかなというふうに思いますけど。」
司会
「どうも有り難うございました。例えば登呂遺跡で稲育てながら、稲の歴史を勉強するとか、それはまあ原先生のご専門に近くなると思いますがね。全くそうだと思います。後は何か。」
原
「いいですか、ひとつ。大学の内部のことなんですけれども、これから考えなければいかんのではないかと思う点を申し上げますと、静岡大学公開講座とていうのは、これは全学をあげての、いわば全学レベルの企画ということになっているんですが、静岡大学ではその他に各学部別でも結構やっているんですよね。もちろん学部ではやるなとか、ひとつだけにしろということを言おうとは思ってないんですけれども、やはりこのあたりで、調整というか、そろそろ見直す時期に来てるんじゃないかと思いますね。私は人文学部でもやったことがあるんですけれども、非常に寥々たるものでした。ところが例えば市役所あたりで、大学を去る3月に、静岡市の社会教育課主催でやった時は、浅間神社でやりましたけど、200人を超える非常に多くの人が来てくれた。話はだいたい似たようなことやったんですけれども、やはりそういう違いがあるんですね。ですからここのところは大学内部で、各学部とそれから大学を代表するものとの見直しと言いましょうか、連絡・調整をいっぺんやり直さないといけない。これをセンターにやらせようとしても、それは非常に難しいと私は思いますね。これは、大学運営の関係者に特にお願いしたいことであります。」
司会
「はい、どうも有り難うございました。実は今、非常にいいご指摘頂きましたけど、これから、平成11年度からちょっと組織が変わりまして、生涯学習教育研究センターの中で公開講座もやることになったんですね。その場合に管理委員会があってその下に運営委員会がある。その運営委員会と横並びにして公開講座委員会を設けた。しかも運営委員会でも、公開講座は審議事項になっていますね。実は今、原先生が言われたこと、大学の内部でも提案がありまして、これからは運営委員会あたりでその学部と全学、あるいは学部間の調整もやっていこうという、こういう方向で進みたいと思っていますので、非常にタイミングのいいご意見を頂きました。どうも有り難うございました。大学としても頑張ってやっていきたいと思います。
それでは10分間休憩し、3時15分から、あの時計はちょっと進んでおりますので、普通の時計で15分ぐらいからお願いしたいと思います。」
−(休憩)−
司会(中井)
「それでは後半の部を開催させて頂きたいと思います。前半では主にテーマ等についてお聞きしたんですけども、実は大体全体の内容・構成的な問題を視野に入れてテーマについて、コメントして頂いたというふうに理解しております。後半につきましては、またテーマに触れてもいいわけですけれども、主に問題点の他の要因についてお願いしたいと思います。例えばですね、市町村への広報とか連携の方法はどうなのかとか、会場の問題、サテライト会場がいいのではないか。先ほど番場先生からも指摘されましたような会場の問題。それから遠隔地、遠くから来られるのは大変難しいけれども、そういうところに対する対応はどうすればいいのか。また競争の問題もありましたよね。競争に、勝つというのは、この頃私は嫌いで、いかに共生をして、そして栄えていくかというほうがいいとは思うんですけど、まあ有り体に言えば競争の問題ですね。それから対象を絞るという話では女性と男性、どっちかっていうと今は女性の方が優位になっているかと思いますけども、まあここら諸々の問題があるかと思いますけれども、まず町村への広報だとかそういう連携が手薄になってるんじゃないかな、ということを感じているんですけれども、宮澤先生、この点についてコメントをお願いしたいと思います。」
宮澤
「確かに今は広報が必要でございます。先ほど申しましたように、県立大学の公開講座は要請を頂いているんですね。で、焼津市の広報に載せております。静大の方は、確かに県の広報に載せてるからとおっしゃればそうかもしれませんですけども、身近な市の広報にも載せれば、全戸に配布され、一層徹底しますので、ご提供頂ければ私どもは有り難いわけです。やっぱり市民生活の向上というようなことでは願ってもないことですから、ぜひそれはやって頂きたい。
それから会場の問題でございますけれども、私が受講した時には静岡市の中央公民館でした。駅から歩いてまいりますと、健康のために歩くといえばちょっとありますけども、まあいいかと思いました。しかし、市外から仕事をして来られた男性が、果たしてあそこの間を歩けるかどうかっていうことになると、やっぱり問題がありますので、駅に近い「あざれあ」をお使いになるとか、あるいはAOIや商工会議所を使うなど、駅の近くでやって頂ければ、焼津、藤枝、清水、その近辺の方には大変便利ではないだろうかと思います。またこれは後から出るかと思いますけれども、県立大学でおやりになっている出前式な生涯学習講座ですね、そういうのをお考えを頂ければとも思うわけです。いずれに致しましても、広報のことにつきましては、ぜひ連携をとりながらやらせて頂きたいと考えます。」
司会
「どうも有り難うございました。今、県立大学のことが少し話の中に出てまいりましたけれども、私達としてはなるべく他の大学がどういうふうにやっているか、それから私達と他の大学が違うのはどこか、他の大学でやっていることが私達に参考になるという、そういうことがきっと多いと思いますので、志田先生ちょっと県大のことについてご報告して頂きながら、この問題について何かコメントをして頂ければ有り難いと思います。」
志田
「あまり細かいことはここでは省略させて頂きまして、実はここ10年間の公開講座のテーマというのはお手元のA3判で配らせて頂きましたのをご覧頂ければ分かると思います。会場が大体7ヶ所で今年度はやっているわけですが、お手元にあるA3判の中の9年と10年につきましては、A3の1枚のところにどんな内容の公開講座をやっているかが書いてございます。
実を言いますと、県立大学の場合には、公開講座の実施委員会というのがございまして、これは確かに先ほど原先生のところから、各学部からそれぞれ出てきて検討するのはどうのと話がありましたが、県立大学はご覧のように、公開講座のテーマのような名称の学部がひとつずつテーマを持ってやるものですから、例えば薬学の場合には薬、健康など、それから食品の場合には食物と健康など、看護の場合には先ほどの介護保険ではないですけども看護の問題というような学部がテーマになっているようなものです。また経営情報学部の場合にも、経営とかコンピューターとか、こういうものをやりますよということです。他分野に出しゃばったことはやらないで、また一般教養的なもの、これは国際関係学部というように。また環境研究所というのがありますが、これは環境問題専門にというようなことです。ですからそれぞれから出てきた先生方が、要するに自分の学部等に戻って、それで公開講座の内容を全部見回し、検討しながら、テーマを決めていくということです。それで後は一番魅力の持てそうな、又は時代に対応するような、そういう今度は細かいタイトルをつけまして、それぞれの先生にお願いをすることになります。こういうことでやってますので、200人の定員を7ヶ所で開講して、定員割れするようなこととかはあんまりございません。
あんまりその辺の細かいことはともかくとしまして、そういう進め方をしておりますということです。これは学部の性格がそのようなものですから、実学的なところから始まったということからしますと、ただそれで全ていいというわけでなくて、確かに公開講座そのものは先程来申しましたように、何を狙っていくのかということと、それからいつでも市民なり受講生の要求通りにっていうよりも、むしろ大学側としてどういうことをこれからの時代の人達に届けていくのかという立場から、やはり毅然とした態度と言いますか、そういうものがあってもいいだろうと思います。いつでも学習要求調査みたいなものをやりながら、こういうのが要求が高いからそれでやっていくというだけでなくて、例えば国際関係学部の中で、今の国際関係の中で何が受講者に聞いてもらい、マスターしてもらいたいのかと、いうようなことの企画を練っていくことも必要と思っております。そういう形で静岡の谷田の山の上、不便ですが、その山の上の校舎でもって、三回以上ですか、やっております。それから短期大学部の小鹿のところでもって、短期大学が独立して1ヶ所やっております。それから浜松はまだ短大が一部ありますから、浜松は浜松校でやるという形です。それから出先で1ヶ所やる。これは三島でやっております。この場合は大きな会場がないものですから150人に絞ってやるということです。
毎年、委員会で検討するというようなやり方がひとつ。今も言いましたように、各学部の性格を出しながら、全学部が出し物を出していくというようなやり方です。それからもうひとつは市町村との関わり方はどうかという、この辺についてちょっと申し上げてみます。市町村の中には、かなり公開講座的なものを求めている市町村がある。そうかといって大学のどこへ呼びかけていいか分からないし、どの先生に呼びかけていいか、まあやったところで単発的な講座というようなことになろうかと思います。そこでこの委員会に、公開講座委員会の中にもうひとつ部会として、実施委員会の中に特別公開講座委員会というのを設けてあります。これが言ってみれば窓口なんです。市町村から来る窓口でして、市町村から来ますと、そこの委員長がどういうような公開講座を何回ぐらいでやるのか、どんな内容がいいのかというようなことを打ち合わせをして、そしてそれにあったテーマなり講師なりを選んで実施する。結構、これには要求がございまして、年間10市町村ぐらいのところから必ず来て、それで3講座やってくれとか、2講座やってくれとか、1講座は1回、あるいは1講座数回にして講師をバラバラにしてくれとか、又は一環してやってくれとか、こんな要求が出ています。それについてこんなことを言うとなんですけども、結構セールスをして、公開講座なり講演に行った時に、うちにはこういうような機関があるから、この次はぜひ声をかけてくれというように売り込んで歩いている先生もいます。これは自分を売って歩くのではなくて、県立大学公開講座のこの特徴を宣伝するわけです。公開講座の特殊公開講座委員会へと声をかけてくれるといつでも便宜を図りますよと、こんなことをやっております。まあ売り込むと言ってはなんですけれども、市町村でもやはり、何処へどういうような声をかけたら自分の市町村の公開講座を実施することが出来るのかという、こういうニードも結構高いようですので、そんなところの橋渡しをしているというのが実態でございます。
あともうひとつは山間地、かなりの僻地へも出かけることがあります。ここからも声をかけてくれて、これはテーマを選ぶ時に、出来るだけその山間地のニードに応じた、もっと言えば地域性に応じたものを設定します。即ち地域性ということになりますと、自然もあるし、それから文化もあるし、歴史もあるし、伝統もあるしという、そういうようなひとつの地域的な特徴を持った講義の内容を考えていきます。それからもう一方においては、どうしても閉鎖的なところに住んでおりますので、ぱっと世の中が開けたような、そういう国際情勢なり、国際経済なり、こういう内容のものを組み合わせながらやっていくのが、山間地に対する、または過疎地に対するサービスではないだろうかと、そんな工夫やセットをして公開講座を組み立て実施することがあります。まあなるべく先生方に声をかける場合には、温泉つき、一泊付きとか何とか言いますから、みんな喜んでやっているのではないですか。地元の人も喜ぶし、それでまた行く先生方も喜びながら、それでみんなの幸せのためになっていると思います。このような公開講座の実施の仕方をしているということです。ちょっと冗談が入りましたけども、市町村の要求に対する相談機関のようなものもあるし、それから過疎山間地には過疎山間地の特性を十分配慮しながら、テーマを選び、講座の内容を検討しながら実施する。それがやっぱり年間10ヶ所ではきかないと思います。この場合に公開講座でいつも気を使い、問題になること、例えばお客さんを集めるとか、それから更には費用の問題、宿泊の問題、会場の問題などこういうことの一切はこちらではやらないで、市町村がやって下さる。その代わり講座の内容、テーマ、講師、これはこちらでもって責任を持って組んで派遣しましょうということです。このような形でもってやり、比較的喜ばれていると言ったらいいだろうと思います。そういうことでございます。」
司会
「どうも有り難うございました。大変貴重な示唆に富んだお話を頂きまして、感謝致しております。先ほど先生からは、静大は先輩だと言われ、まあそれは有り難いわけですけども、地域に開いていくという意味では県大の方が先輩かなあと、今のお話を伺ってて感じました。それからもうひとつ、いろいろ有り難く伺ったんですけども、やはり大学は文化の発信という、受け身じゃなくて発信していかないといけないだろうという、そういう姿勢を持ってやっておられる。大変有益なお話でございました。また後で具体的な、私達静大に対するコメントも頂きたいと思うんですけども、もうお1人くらい。」
永井
「ちょっとあの、志田先生にひとつだけ。」
司会
「はい。どうぞ。」
永井
「私、受講生の方からいろいろお話を伺った時に、受講料の問題が出てまいりました。私学の中にはサービスとして、ほとんど受講料をお取りにならないところがあるのに、なぜ静岡大学は受講料を取るんかと、取らなければもっともっと受講生が来ますよと、いうお話を伺ったことがあるんです。この点、県大はいかがですか。」
志田
「ちょっとそこをよく調べて来なかったので、はっきりとお答えできず申し訳ありませんが、受講料の件は、はじめは無料で出発し、開学以来、公開講座委員会で毎回問題になることで大切なことだと思います。私自身の意見としては、受講料は若干でも取る方がよいと思っています。」
永井
「我々としては国立ですから、そういうことを申し上げちゃあなんですが、奉仕の意味でぜひ広く我々の話を聞いて頂きたいと思っており、受講料がタダだったらもっとどなたも気楽に来れると、これも事実だと思います。しかし、国の場合は要するに決まりがありまして、受講料はとらなくちゃならないことになっております。まあこれはお金のみで解決する問題ではありませんけれども、ちょっと質問を受けたことがあるものですから。我々としても無料で出来たら、もっと皆さんに喜んで頂けると思ったりいたしました。」
志田
「すべての会場の講座について、現在、確かなことはわかりませんが、ひとつ考え方として、何でもタダだよという、そういう考え方はあまり好ましくないんじゃないかと、やはり然るべきものを提供するのに、もう有名人呼べば30万、50万取ってる人もあるわけですが、まあ大学はいつでもタダだというそういう発想そのものが、という意見があります。だから取るべきというわけじゃないかもしれませんけれど。それからもうひとつ、ちょっと言わせて頂きますと、先ほどの市町村へのひとつのサービスでもって、この機関がセットして、そして便宜を図るというのは、これは完全な公開講座そのものとはやっぱり違うと思います。ただ公開講座の機関がそういうような便宜も払ってますよということですね。全額全て向こう持ちなもんですから、そういった会場もそれから集めることも、それから更には様々な事務的なことを市町村が行うわけですから。ただそういうことが県大でやる公開講座の、ひとつPRにもなるんじゃないかと。こういう意味でもって、必ず同列に並べている訳じゃございません。」
司会
「どうも有り難うございました。宮澤先生。」
宮澤
「あの永井先生や志田先生がおっしゃたんですけども、決して私はタダっていうのはよくないと思います。これは私、教育委員会におりまして、いろいろな、例えば老人クラブとか、あるいは生涯学習の各種の団体の人に会うとすぐに言われるのは、補助金をもっとくれとか、使用料はタダにしてくれです。それは間違ってることをはっきり言うんですね。お金を出して聞くっていうのは、やっぱり自分の意欲を示すもの、有料で受講するのは当たり前だと思います。展覧会をやるならタダで会場を借りるんじゃなくて、自分達で金を出し、会場費を払って見てもらうっていう、そのくらいの精神がなくちゃ駄目だと。何でもかんでも無料で負担なしのたかり精神じゃまずいんだということです。それは内村鑑三がキリストの伝導の時に、パンフレットを配る時には必ずお金を僅かでももらったんですね。お金を掛けた人でなきゃ読んでくれないと言うのです。私もその精神は必ず受け継いでいかなきゃならんと思ってますので、決してタダはよくないと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。」
伊奈
「ちょっと宜しいですか。」
司会
「はい。」
伊奈
「それに関連してね、私も実際経験しているんですね。放送大学では、一応単位を取るために授業を受けるわけですね。いわゆるスクーリングです。お金を必ず取ります。お金を払ってもいいから聞きたいんだ、こういう意見。皆さんそれくらい熱心なんですよ。極端にいえば、放送大学に来たのは放送授業を視聴するより、○○先生の授業が聞きたいから入学したんだ。こういう人も随分いるんですよ。だからやっぱりここまでいくとお金じゃないと思いますよ。」
永井
「大変有り難いお話を伺いました。」
伊奈
「こういう人は随分たくさんいるわけです。」
永井
「私もね、本心のところはそう思っている。ただまあ、無料だともっといいなあと言われると、まあ無料提供もやれれば、もっともっと広くいろんな方にお聞きいただけるのかなあという、ご意見を受けたりしたもんですから。私はやっぱり知識を求める人に対しては、まあ必ずしもお金という事じゃありませんけれども、当然そこには費用もかかっておりますから費用負担する。まあそういうのでいいと思ってます、私は。ただまあそういう意見を受けたもんですからお聞きしました。どうも県大のお話、有り難うございました。」
司会
「若林先生どうぞ。」
若林
「私は、藤枝の静岡学園短大におりました時に、公開講座を始めましたし、そのうちにこの短大では、まあちょっと生意気だって思われるかもしれませんが、島田市にも公開講座の会場をもっているわけです。島田の方は、私達の方から無理言って始めるっていうことじゃなしに、何かやってくれないかっていうことでですね、数年来続いているわけですが、その時にお金の問題ですがね、やっぱりレジュメと言われるようなもの、やっぱり印刷して渡しておかないと具合悪いんじゃないかと。レジュメを印刷するお金ぐらいはもらおうじゃないかということで頂いております。まあそのことに関して、これタダにしろって言われるような話は全然ございませんので、ただそういう形でのお金は頂いておるということでございます。であの、島田の場合は、行って頂く先生方については全て島田の方で費用を負担して頂くという形でやっておりました。」
司会
「どうも。」
永井
「誤解頂くといけないんで、付言いたしますが、私聞いたのも、資料代、これは当然負担すると。ただそれを受講料という形で徴収するということへの疑問の意見があるんですね。だからどなたも決して資料をタダで下さいと言っているのではないのです。」
司会
「ちょっと今、お金の話になりましたけど、実はこの4年間、私達、静岡大学の公開講座運営委員会でかなり問題としてきたんですね。やっぱりフリーにすれば、もっと受講生が増えるんじゃないか、この件についてかなり検討してきたんですけども、いわゆる文部省通達っていうのは限りなく規則に近いと。それから一応文部省に申請して、文部省から予算を頂いてやるという、そういうことでこの点は未だに解決されてないんですけども、基本は大学で、例えば聴講生であって講義を聴く、それに対しては当然聴講料っていうのは取っているわけですね。それと同じように扱うという、いわゆる授業料ですね。だからこれについては、まだなお考えなければいけないところがあるかと思います。
例えば会場の問題、遠隔地の問題で、ちょっと若林先生に、今お金のことコメント頂いたんですけども、まあ元々は静岡大学ですけども、静岡学園大学の学長さんという、いわゆる他の大学から見て静岡大学の公開講座に対して何かコメントがありましたら、宜しくお願いしたいと思います。」
若林
「別にコメントはないわけですが、私自身が静岡大学の公開講座を最初に始めた訳でございますので、うっかりするとそれでまずいって事を言うと、天に向かってツバするようなことになるんで、慎重にやらなくちゃいかんだろうと思うんです。
基本的には毎年いろんな公開講座の題目、あるいはテーマのようなものを、新聞その他で拝見しているわけですが、毎年県民の生活から離れていくな、というような感じがしておるわけですね。先ほどもちょっとお話があったように、健康の問題っていうのを語れる大学の人が大勢いるんだろうけれども、例えばその場合は、普通の医学であるとか、薬学の立場から考える健康とは若干違うんだ、というふうなことがあるんだけれども、それを無条件に健康だというふうなことをいってしまうと、一体これはどういうことなのかなということを考えるわけで、そういう問題をやる場合にはですね、やはりどういう立場から健康のことを問題にするのかっていったような、やっぱりその視点観点がないと具合が悪いんじゃないかという感じがするわけですね。やはりそういう意味でですね、公開講座に出席される方々は何か知りたい、何か新しい発見をしたいというような気持ちを持ってるわけでございまして、例えば私が藤枝に行きまして、最初に公開講座の題目にですね、椎茸と文化と、もうひとつは和算の発達というような話をしたわけです。三大話みたいな題目をつけてやったわけですが、椎茸っていうのはですね、要するに藤枝の山の方に「滝沢」という集落があるんですが、そこに嘉兵衛という人がいて、四国の徳島の剣山のふもとの木頭村へ行って椎茸栽培を始めたとか。あるいはまた岡部町の青羽根等の集落の人々が、今度は伊勢の飯南の地に出かけていって椎茸栽培を始めるとか。さらに静岡市の奈良間等の椎茸屋さんが、和歌山県の老神村等へ行って椎茸を作るなど。そんな風に静岡県の人々が結構、農業分野でも情報の発信をしているんだというような話をするとか、あるいはまたあの、大井川の下流地帯の新田開発の地域では、しょっちゅう洪水に見舞われるんで、復旧事業の関わりで和算が発達したんだとか。江戸時代の農学者大蔵永常が『除蝗録』という本を書いて金儲けしたんだけれども、もともとは今の大井川町の上泉の百姓が、菜種油を搾る道具を田んぼで洗ったところ、ウンカが死んだので、それをいろいろなケースを考えて実験して、ウンカを除去するのに油が効くという話が広まり、それを大蔵が『除蝗録』にしたというのであります。そのお礼にっていう訳じゃないだろうけれども、大蔵永常は土人形作りを教えたらしい。それで上泉の土人形作りが発展した。私達の地域の先輩はそんなに創造的で開拓者精神に満ちていたということを話し、私はこの地の人々に自信を与えたように思っているわけであります。いずれに致しましてもそういう形で、やっぱりあの静大では、今地域の人々が知らないことを、現代的、科学的な分析結果を地域の人々は知りたいという気持ちを持っているように思われるので、だから大学は、大学らしい研究を進めて、真実はひとつなわけでございますので、そのこと自身は難しい事じゃないわけなんで、それなりに理解をして頂けるし、あるいはまた明日の生きる希望も地域の方々に出てくるんじゃないかと思っているわけです。
あるいはまた島田でありますと、私はやっぱり島田の徒渉、まあ川越人足の話があるわけですが、ああいう徒渉制度がいつまでも、どうして続いたのかということについて、これは幕府の防衛上の必要性から、橋のない川を作ったというのが伝統的な解釈なんでありますが、ところがそうとばかり言えないわけですね。これはどういうことかと申しますと、幕府の道中奉行は橋を架けようと努力したのですが、三代将軍家光が上洛する時に、駿河大納言徳川忠長が舟橋を架けて家光を渡した。ところが、家光はこれは東照神君の意志とは違うんだと言って怒り、これがもとで忠長は改易になってしまうというような事件があったわけで、それでその後は道中奉行が橋を架けて下さいっていっても、島田金谷の人は結構なことではあるが忠長のことはもういいですかと言われると、結局道中奉行も橋を架ける事を断念した。このことによって島田・金谷の人々も川越人夫も潤った。従って島田・金谷の人々っていうのは昔はもっともっと政治家だった。その為に繁栄があったんだけれども、最近は島田の人々は政治家がいなくてですね、東名高速でも何でもみんな島田を避けて遙か南の方を通って段々さびれていく、などと言うと、結構その痛いとこくすぐられて、そうですかねということになる。そういうふうな話をしていくことが必要じゃないかというふうに思っているわけです。
いずれに致しましてもですね、公開講座って言われるものは、大学の先生の話は難しいってことになる。これは婦人会とか何かで一般的にそういうふうに言われているんで、常識化してしまって、実際はそうでなくても、大学というとそういうことをみんな連想してしまうわけなんで、変な、曲がった常識があって、それがある意味では非常に公開講座の大きな障害になっている、ということが言えるんじゃないかと思うわけです。大学の先生は話すことが難しいっていうことを見直してもらうための努力も必要ではないかと思います。いまでは大学の先生の話すことは、そうそう難しいもんじゃないって事、判っている人は判っているわけでございますから、ここはひとつ大いに社会の人々と同じ目線を持って勇気を出してやってもらいたいと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。まあ歴史の一端のお話を伺いながら、やはり地域の問題を自ら掘り出しながら、そこに役立つというか貢献できるような公開講座というのが重要だというように私、受け取ったんですけども、土先生、テーマだけじゃなくってまあいろいろな観点から何か。」
土
「はい。今若林先生もおっしゃってましたように、地域に結びついたテーマ。先ほど県立大学のテーマを見て、次に静岡大学のテーマを見れば、もうすぐ分かります。これではみんな県立大学に行くよと。それはどうしてかと言うと、別に県立大学が便利だからという事ではなくて、この中には、自分達の現在の社会生活とか、明日生活する、あるいは今日生活するのに関係することが必ず入ってるんですよ。だからそれを聞けば、自分は何か教養を得ると同時に、何かやれるんじゃないか、新しい考えを持てるんじゃないかと。そういう考えは現在の社会人には非常に強いのではないかと思います。私は我々の社会の生活に結びついたような事をしたいと思うのです。だからといって県立大学と同じテーマにしろと、静岡大学に希望したいとは思いません。静岡大学は静岡大学で、もっとそれなりのいいテーマを考えて、その特性を出して頂きたいと思うのです。
そのうちのひとつは、例えば総合大学ですから、いろいろな事が出来ると思います。私は専門が地質学ですから、その分野のことしか申し上げられませんけれども、例えば地質学なんていったら、多くの社会人の方はほとんど知らないのです。あれはまあ先生がやっているので難しいのだろうと。昔は、地質学といったら、鉱山とか、石炭とか、石油ぐらいにしか関係がないと思われました。現在はどうかと言いますと、災害が起こったら必ず地質学は登場しなければならない。道路をつくっても、地震が起こってもそうなのです。それから自然保護とか、自然をどういうふうに守るかということにも、地質学は登場しなければならない。そんなにたくさん登場しなければならないのに、どういうふうにそれらと関係を持っているかということは誰も知らない。そういうようなことは、我々地質屋さんが皆さんによく説明しなかったということだと思うのです。だからそういう意味では、専門のことをちゃんと話して頂くのですが、それを今の社会の人が分かるような話にして頂きたい。全部が全部ではなくても、せめて半分は分かったというぐらいに。自分が今研究していることが、社会にどんなに役立つのか、社会の人にどういうふうに分かってもらうのか、その考えを持つことによって、社会の人はどういうふうに自然を見つめ直すか、あるいは自分達の生活を変えるか、どういうようなことに使えるのかということを念頭に置いて喋って頂きたいと思うのです。例えば地質学ならば、地質学と自然界のいろいろな出来事はどういう関係にあるかということを、一般の人が誰でも分かるように話すようにして頂きたい。そういうふうにやって頂ければ、私は静岡大学の公開講座も大いによくなるのではないかと思っています。」
司会
「どうも有り難うございました。貴重なご意見を頂いたと思いますけども、書を捨てて町に出ようという言葉がありますけど、まあそれは捨てることはないんで、フィールド、あるいは町に出ることによって自分の研究もまた深くなる。自分がやってることがはっきり分かってくるということがあるかと思います。原先生、何かテーマだけじゃなくて。」
原
「そうですね、テーマの問題が今まで出ていたんですが、僕は講師の問題を取りあげてみたいと思います。静岡大学は、センターを立ち上げる時の宣伝文句として言ったんですけれども、現役の教官が約800名という、恐るべき数なんですよ。そして、名誉教授を中心にOBの方が名簿を見ますと200人いるんです。つまり約1000人という分母を持っているんですね。これを生涯学習にどう活用するかということが問題だと私は言ったんですけれども、やはり、とは言っても実際問題として、静岡大学は自然科学、特に工学系、あるいは理学、農学というところが大多数で、文科系の占める比重は比較的小さいのです。教育学部と人文学部がありますけれども、教育学部も半分は理科系ですのでね。ところが先ほど言ったように、教養のテーマというと、大体6、7割は文科系にもっていかざるを得ないような構造になっているんですね。理科系でやるとなると、非常に困難が出てくる。県大のようなやり方であればいいんですけど、静大の場合には純粋の学問というか、何と言いますか、日常の教養程度よりもちょっと違ったレベルですからね、なかなかしんどいところがある。
そこで僕は講師の問題について言えば、現役がもちろん中心で、現役の先生にやってもらわなきゃいかんですが、どちらかって言えばややお年寄りの熟練した先生方を中心に構成していく必要がある。それから第2番目には、OBの活用をもっと考えていいのではないかと思います。私がOBになったから俺使えっていうのでは決してございません。私は結構でございますけども、やはりOBをもう少し結合させることが必要だと思います。もうひとつ私は今日あえて言いたいんですけど、卒業生も入れていいのではないかと思います。静岡大学の公開講座であれば、静岡大学を卒業して引き続きここで勉強され、地元におられるような人を10のうち1ぐらいは起用していく。何も無理をしてやるっていうんじゃなくて、テーマに人の足りない時とか、そういうときに静岡大学の「老・壮・若」の統合と言いますか、もてる人材を糾合して力量を上げていくということが、今必要になってきているのではないかと思います。静岡大学は50年という歴史を経て、大変な数の人材を蓄え、そしてそこに働いている人、関係者は確実に増えているわけですから、それを活かすようなやり方を考えて頂けないかと思います。
それから、これは私がセンターをつくる時の話ですが、滋賀大学の生涯学習教育研究センターの場合、地元の大津市で講座やりますと、京都に食われてしまって駄目だそうです。京都にはなんせいっぱい大学がありますからね。だから何処でやっているかというと、山間部というか、僻地へ入る。例えば湖北地方とかね。そういうところに行って、センターの公開講座をやる。こういうところへ狙いを定めて、講師は滋賀大学にこだわる。センターの公開講座はこれでやっているんだということを言ってましたね。活路をそういうところに見いだしている。静岡大学は、もちろん静岡市、そしてこのキャンパスにこだわらなければならない部分はあると思うんですけれども、静岡県は広いわけですから、静大の特色を生かして、街道筋だけでなくて、例えば水窪とか、それから伊豆の下田の方も時には考えて頂きたい(笑)。あるいは西伊豆町とかね。地元とよく相談しながら狙いを定めてやるということが必要だと思います。そうなったら仮に50人でも、60人でも成功だと思うんです。そういうやり方をしばらくやってみるということが必要ではなかろうかと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。今何点か具体的な提案をして頂きまして、実は私達も考えないといけないなあと思っていることがいくつかありました。ひとつは名誉教授の先生にもっと活躍って言うか出て頂くと。これまでにも名誉教授の先生には何回か出て頂いているんですけど、非常に数少ないんですね。それからもうひとつ言われたのが、卒業生なんかにも積極的に必要に応じて出てきて頂くと。そうすることによってやっぱり、かなり活性化するんじゃないかと思うんですよね。あの、老人力って、最近言葉がありますけど(笑)、老人力の本を読んでないんで、そこまで行って本取ろうと思ってやっぱりやめて帰ってきて(笑)、意味はっきり分からないんで失礼になるといけませんけど、まあ老人もそれなりにすごく力があるんだろうと、そういう意味だろうと僕は思ってるんですけどね。そういう意味でぜひやはりこれから名誉教授の先生方、どんどん出て頂けるような計画を立てていく、それから卒業生、場合によっては他の普通の人でもいいんですよね。」
原
「場合によればね。でも静岡大学の公開講座ですから、やっぱり序列はしっかり守るべきだと思います。」
伊奈
「先ほども志田先生からお話が出てましたけど、私が最近経験したことから、お話申し上げたいです。本日の会の冒頭、私が申し上げた、待っていたんでは来てくれませんよというのは、皆さんのおっしゃるそのことなんですよ。大学から出向いて行き、公開講座担当のほとんどが教育委員会の方かまたは社会教育の人なんですね。県下全部でも、市町村の数が70幾つなんですよ。今、原先生から西伊豆の話が出たんですが、田舎の町村に行くと、うちで何か公開講座をやりたいんだけど良い案はないですか、という問いかけがあるんですよ。私は実際に、大東町でそういう話を受けました。ただ残念ながら放送大学での公開講座は45分で15回やらにゃいかんもんですから、これはとても長すぎてですね、職員の方が人をそれだけ公民館にずっと集めるのは大変だからということで実らなかったんです。これが県内の大学でしたら、長さはいくらでも調節できるんですね。そこでテーマを考えますね。そうするともう、先ほど志田先生がおっしゃった通りですね、全部お膳立ては市町村の職員の方がやってくれるんですね。後はこちらから行って、お互いが持ちつ持たれつで、公開講座というか、大学の教育というものを皆さんに知って頂ける、そういうものだと思いますけど。」
若林
「講師の問題はやっぱり、公開講座にぜひ出席して何かお話頂きたいということになると、多くの市民に話してみたいと思っている人は多くいるものです。石川知事などに県政について話して下さいなんてお願い申し上げたところ、喜んで来ていただき、普通は1時間半で終わるんだけど、約2時間半ぐらい話して下さいました。もう1人は掛川の榛村市長ですが、地方分権なんてことを始めとしてね、3時間ぐらい平気で話をして下さいました。やっぱりそういう人の話を直接聞けるってことはですね、掛川の人等は市長の話をしょっちゅう聞いているんだろうけれども、他のところの人は聞いているわけじゃないし、知事が静岡県の県政を語るなんていうことは、2時間も3時間も話せる機会なんて恐らくないんですからね。そういうことですから非常に理解がするんですよ。その上お礼を差し上げようと思ったら、お礼をもらっちゃいけないからいいよ、と言って返されました。(笑)」
司会
「はい、どうも有り難うございました。えっと一応4時半が終了の時間になっておりまして、あの、最後の方では21世紀の公開講座はどうあるべきかという議題について大胆な提言をして頂くということなんですけど、その前にですね、これまでの話についてご質問とか、あるいはお叱り、でもやっぱりたまには誉められたいですから、こういうところはいいよという、そういうご指摘でも結構ですので何か会場から。はい、どうぞ。」
会場
「最初に受講料についてですが、私は受講料は取るべきだと思います。自分が参加して受講料を払うと、やっぱり今日行かないと、休むと損をするというのでですね、雨が降っても少々風邪気味であってもですね、今日の分を取り返さなきゃと思って来ますから、無料にするとね、無断欠席が相当増えると思うんです。大いに取るべきだと。基準は私は大体1回何と言うか、本1冊と、こういうふうに考えています。最近は文庫本が600円ぐらいがあれですけど、文庫本じゃないですよ、ちゃんとした本です。例えば老人力というような本の(笑)値段に近いものが、一回で払う基準です。
それから同じ事で私はいい話があれば東京にも行きます。東京に何回か行っています。新幹線で行くと1万円かかりますから、受講料以外に1万円プラスするわけですけれども、それでもいい話が聞けると思えば。最近出たのでは東京大学の地震研がやりました、地震予知の問題でありますが、これは例の安田講堂に満員になって当日は入れないというような盛況ぶりでありましたし、ついでに言いますと、その時は大体80ぐらいの人から中学校3年生まで出ておりましたが、中学校の3年生が相当ポイントをついた質問をしておりました、神奈川県の中学3年生。相手は地震研の次長です。そういう話のように、中学生にもそういう最先端の研究が分かるように講義をしたって言いますかね、立派だったと思います。この地震研の公開講座についてついでに言いますと、私は原先生が文系の方が主流だと言いますけども、私は静岡大学の公開講座に出ていたのでは、学部の方のが良かったと思います。特に農学部と理学部です。理学部の生物のような、あるいは数学のようなものはですね、大変私が在学していた時とまるっきり内容が違うし、実験施設も違いましてね、成る程これが最先端の研究かということをですね、勉強しまして良かったと思います。だから大いに理学部も農学部もですね、やってもらいたいと思いますし、その学部毎に。特にこの、何て言うんですかね、先端の最近の研究の著しい先端の部分をですね、ぜひ市民県民のために公開して欲しいというように思います。もうひとつは数学ですが、私は数学は高校、大学入試までしかやっておりませんが、30年も40年も前にやった静大教養部の続きのようなですね、自分では解けないけども先生方と一緒にやっていればなんとか答えが出てくると。こういう時にですね、やったっていうか解けたっていう喜びを感じるわけで、自分では解けないけれどもあの講座に行けば、こういう確率の問題が解けると、微分方程式も出来たというようなですね、達成感とうか成就感を得たわけでありまして、特に理学部とか農学部の公開講座には私は期待している1人であります。
その次にネーミングの問題でありますが、これ静岡市、地元の新聞あたりとよく提携してですね、ちょっとディスカッションすれば、分野の専門はそれなりに市民に受けるようなテーマを考え出すでしょうし、もうひとつは後援団体になるかどうか、静岡新聞が後援するかどうかは、また折衝が加えると思うんですが、今やっている静岡大学の公開講座をあとから字で読むと、医学部のもそうですが、医学部は私は遠いから申し込みませんでしたけど、その後新聞で読んだんですが、大変いい内容であるというように思うんですよ。ですからそういうのもまた、スペースはもらえるかどうか知りませんが、そういうことで片棒をですね、静岡、地元の新聞にやってもらってですね、特に講座の前にですね、相当期間をおいてですね、やれば40人ってことはない。私がやっている老人学級の生徒だって6,70人いるわけですからね、静岡市内各所で14箇所でやってるわけですが。
そういうようにですね、さっき母集団という話がありますけれども、公開講座、静岡大学の公開講座に来たいっていう気持ちを持ってる人は相当いるわけですよ。静岡だけじゃなくて、三島にもいるでしょうし、浜松にもいるし。場合によっては新幹線で聞きに来るという人もいるわけですから、このデータを見てびっくりしたけれども、ぜひですね、PRをすれば、あるいはもう間際になって1週間で申し込みっていうんじゃなくてね、相当前からですね、何回かいろんな方法で市民県民のところに、今度はこういうのやるぞっていうことを繰り返してやればね、相当数集まるじゃないですかね。だから私は選ぶ時にどうして選ぶかっていうと、受講生の立場を言いますと、まずテーマですね、一番目にテーマ。その次に自分の予定を合わせてみてですね、残念ながらこの土曜日はこれと、これは駄目だと。2つ駄目だけども4つ聞ければいいと。そういうようにやるわけですね。始め申し込むのに全部いけないから駄目っていう人はないと思う。ひとつでもね、この話を聞くから、他の全部のスケジュールに自分のスケジュールが入ってても、この話だけはぜひ聞きたいっていう人は申し込むと思いますよ。受講料全額出しても。そういうのが受講者の立場でありますので、ぜひですね、そういうことを今後計画を立てる時には、お考え頂きたい。特に理学部と、私は教育学部の理科の出身でありますが、理学部と農学部のですね、学部の公開講座も潰さないようにして下さい、お願いします。」
司会
「どうも大変貴重なお話とそれから激励を頂きまして、有り難うございました。せっかくですのでお名前をちょっと。」
会場
「北安東の志田といいます。現在、常葉学園短期大学と静岡北高で授業をやってます。」
司会
「どうも有り難うございました。他に何かございますでしょうか。はい、どうぞ。」
会場
「すいません、普通のただの主婦なんですけども、つい最近、一番ごく最近の癒しっていう講座に出ただけなんですが。それであの何故私が参加したのかっていうと、もちろんテーマに興味があったってこともあるんですけども、そこへ行けばそのテーマに関心のある人が聴講しに集まるんじゃないかっていう期待で参加したんですね。それは何て言うのかな、今の社会の中で例えば勉強するとか、一生懸命やるっていうことはすごく嫌われているっていうか、そういうことを避ける風潮がすごくありますよね。特に、それは偏見って言われればしょうがないんですけど、女の世界っていうのかな、の中で、私勉強しに行きますって大手を振って言えないようなところがやっぱりあるんですよ、ってまあそう私は感じていて、そこへ行けばそうじゃない人達が集まるんじゃないかっていう、そういう期待があったんですよ。それはだから、いろいろとテーマとかの話が多かったんですけども、もう少しね、聴講した人同士が交流できるっていうのかな、そういう場とか、質問時間が非常に短かったですね。それでもう少し、今日はこうやって質問できる時間があるんですけども、例えば後5分ぐらいしかないっていうことで、未消化って言うかね、そういう感じで帰ってきて、みんなもただ帰っちゃって、せっかくいい人達が来たはずなのにそれが実現しなかったっていう思いがあって、そういう何て言うんですかね、形態の問題っていうんですか、そういうの。テーマっていうよりはどう持っていくかっていうね、そのへんをもう少し私としては考えて欲しい。テーマについてはね、先ほど段々、まるでテレビの視聴率を上げるためにどんどんどんどん、何て言うんですか、下品になっている社会、そんな話になっちゃうんじゃないかっていう不安があったんですけど、ちゃんと、ああやっぱり大学がね、そんなことをしないで、ちゃんと何て言うかな、本当に、私も前、静大じゃないんですけど別の大学だったんですけども、その時にせっかく大学行って学んだんだっていうのをきれいに言うと誇りに思いたいところがあって、ところが社会の中でそれを生かせない思いがずっとあったんですけども、それを社会に出てからも持っていたいわと言うそういううまく言えませんけども、なんかそういう最後の砦が大学みたいな、そういう思いがあるもんですから、大学は流行に左右されずに、いつもじっとしていると言うと変ですけど、凛として欲しいというか、そういう思いが今日先生方のお話を聞いて、良かったなあと思っております。」
宮澤
「私も実は現役を終わった後、生涯学習コーナーというところで学習相談をいろいろ経験したんです。結局ですね、いろいろな方がおられるということでございます。そういう意味からすると、例えば市町村単位でやるならば、こういうようなものが準備できるとか、先ほど志田先生からもお話ございましたように、県立大学のように、いろんな講座を持っていると、貴方の市町村ではどれとどれを採るのが良いのではないか、というアラカルト方式のようなものがあってもいいし、もうひとつ私は、この静大として静岡の誇るべき大学として、グレードの高い講座も持つことも期待したい。グレードの高いっていうのはどういうことかといいますと、一定のレベルの人に聞いてもらいたいもの、例えば社会教育主事免許を持ってる人を対象とするとか、あるいは高度情報化の中で、中間管理職に聞いてもらいたいとか、こう言う意味でのグレードの高いものを、県都の静岡市の中でおやりになる。そういうこともぜひ忘れずにやって頂ければなあというふうに思うんですね。」
司会
「どうも有り難うございました。会場からどなたか。はい、どうぞ。」
会場
「私は今、金谷町のお茶の博物館のほうにいるわけなんですが、昨年まで県のお茶の試験場におりまして、お茶の試験場ではこちらの大学と同じように、公開講座的なものをやりましたけど、今日はいろんなお話をうかがいまして、我々今まで苦労してやってきたことと非常に似ているなあと思いました。まあ時間もございませんのでちょっとひとつだけなんですが、ここ5年くらいなんですが、さっき志田先生のおっしゃった中にちょっと含まれてなかったようなんですが、県立大学と私達試験場と、それから金谷町、それはたまたま金谷町だったんですが、オープンカレッジ、県立大学オープンカレッジというのを開催をしてまいりました。これはちょっと私、詳しいことよく分からないんですけど、学長さんのポケットマネーからちょっと出ているんだって話を聞いたんですけれども、講師の先生は求められているテーマに合うように、必ずしも県立大学の先生に限らない、他からも参加される。それについては大学の先生が中心になってやって頂いたんですけども、それと私達の方で計画しました。お金がかかる場合には県の方の援助を受ける。それで後、会場は、全部金谷町のほうに任せると。会場の設営からもちろん会場費全て、それから当日の受付。その途中のレジメをつくったり、講師の先生に連絡取ったりするのは私達の仕事と。こういう形で当初は県立大学の地域にPRを兼ねてやるから、最初は金谷町でやるけど次の年は場所を変えると、そういう前提で始めたんですが、金谷町が離さなくてですね、とうとう3年間、金谷町で年2回大体半日、5人くらいの講師の先生をお招きして、主に健康、お茶と健康というテーマで行ったんですが、中には文化系のお茶の文化の話も入ったりしましたけれどもやりました。で、これ以上金谷でやったんだったら当初の目的に添わないからというわけで、最後に昨年は菊川町のほうに移しました。それから私はちょっと離れたもんですから判りませんが…。これはあの、それぞれのところではいろんな事情があってうまくいかないものを、3つをひとつにまとめて、我々の理想とするような地域に密着した講座をやったなあとそういう感じが致します。
静岡大学の非常に多くの先生方がいらっしゃって、今私達の博物館に今年、この4月からまた講座を始めるわけでございますけど、本日会場に見えるセンターの柴垣先生にも応援して頂いているわけなんですけど、非常にそういう需要はあるわけです。ただやってみてやはり非常に大きな問題はPR。今本当にたくさん講座があるもんですからその中に埋もれてしまってよく分からない、知られないということがありますので、非常にPRは大切だなあと。私はこの静岡大学の講座、ちょっと失礼なんですがまだ出たことがないんですが、何となく、これは個々でやっておられるんですか、これは大学でやっておられるんですか。」
司会
「5会場の市で。」
会場
「町に出てやってるんですか、そうですか。」
司会
「沼津、熱海、静岡、清水、浜松。」
会場
「実は今回のこれも昨日でしたか、新聞で拝見して。ただ大学でやるって事を見た時に、我々のような関係ないものが出ていいのかなということがありましたですね。それを大学以外のところでやればその辺の抵抗はないような気が致します。こうした会も大学以外のところでやって頂ければもっとよかった。そういう感じがいたします。有り難うございました。」
司会
「どうも有り難うございました。実は私、お名前、昨日お電話頂きまして、遠くから参加して頂きまして有り難うございました。お名前、私は存じてるんですけど、お名前教えて下さい。」
会場
「お茶の郷博物館の小泊と申します。」
司会
「どうも有り難うございました。それではいよいよ時間が迫ってきましたので、ただ今何人かの方に、会場の方からお言葉頂きましたけれども、それにお答えするという内容も含めて、実はもうひとつ、21世紀の公開講座の在り方というテーマでお話、あるいは議論をしようとは思っていたんですけども、もう時間がないもんですからね。それぞれお一人、一言二言三言で結構ですので、まとめの意味とそれから皆様から頂いた言葉に対する反論、それと21世紀の公開講座っていうのはどうあるべきかという、そういう意味でのまとめの言葉を頂きたいと思います。では向こうからお願いします、宮澤先生から。」
宮澤
「先ほど少々申し上げましたように、学習意欲についても大変多様化していることを念頭に置きながら、それこそグレードの高いものがあっていいし、それからポピュラーなものもあっていいし、いろいろあっていいわけでございますから、なるべくこちらが満足出来るような、そういうようなものをぜひご用意頂きたいですね。」
司会
「どうも有り難うございました。」
志田
「私は再三、同じ様なことを繰り返し申し上げてまいりました。21世紀と言いましても、この4月になりますと来年のことになるわけです。別に遠い将来のことではないわけですが、やはり公開講座のようなものは、スタートから何年かやってきますと、どうしてもマンネリ化しかねません。そのマンネリ化を避けるために、こういう意見交換のようなことを行い、繰り返し繰り返し検討していくことが非常に重要ではないかと思っております。公開講座は同じ様なことをやっていると、楽には楽なんですけど、しかし常にここで問題になっていたような、公開講座そもそもの目的は何処にあるのかとか、それからやはり今、宮澤先生の方からもありましたように、対象というものをよく捉えていかなければいけないと思います。場所を非常に便利にしても来ない場合、不便でも来てくれる場合もございます。それから非常に高度になったら、むしろ興味を持ってくる場合と、レベルを下げたら割と来る場合とか、いろいろありますので、そういうところを捉えながら、かといってそれに迎合するのでなく、やはり私は、大学は大学人がやるものですから、そういうところはしっかりとしながら取り組んでいく必要があるのではないかなあと思っています。
あとささいなことですけれども、広報ですか、やはり情報とか宣伝というのは、非常に重要な意味を持っているだろうと思います。これはただ宣伝してもらおうというのではなくて、やはり言ってくれれば聞きたかったと、そういうような知っていれば行ったんだけどという人がいなくなるような、そんな情報伝達の方法が要ると思います。取り立ててこれをこうしてくれとか、口はばったいことを申し上げるつもりはございませんが、ますます21世紀になりますと、言い古された言葉であっても、国際化だ、情報化だ、高齢化だ、少子化だとどんどん変わっていくわけです。そういう中でもって、先ほど出ていますように、静岡県というのはやっぱりひとつの地域社会だろうと思いますので、地域社会のアイデンティティーを大学がつくっていくんだというくらいの気概を持って、よく地域づくりは人づくりと言いますけど、そういう人を育てていくことが大事ではないかと思います。と言うことになりますと、地域性という、いろいろな面からの自然もある、富士山だとか地震だとかそういうものがあると思いますし、それから様々な静岡県の文化や生活様式、これらのものをテーマに加えながら静岡県を誇れるような、また非常に高度なレベルでもって静岡を学べるような、そういう県民を育てていくべき公開講座であって欲しいなと思っています。
おしまいに、先ほど県立大学の公開講座を紹介したわけですけど別にこれでいいとは思っておりません。そこには競争原理というものも、やはり必要だろうと思います。県大はこういうものをやっているけど、それがいいわけではないんだよというような、批判的立場から、そうではないものをやってみせてもらうことが大切だと思います。県立大学は静岡大学をいちばん意識して取り組んでおりますので、ただ競い合っていくというわけではございませんけれども、互いに意識しながら、我々も向上させていただきたいと、こういうように思っております。」
司会
「どうも有り難うございました。」
伊奈
「本日のお配り頂いた討論の中の、テーマの問題等についてはいろいろ話があるんですが、まず会場の問題について話が出ていないので、この点サテライト会場の設置について、私は出来たらきめ細かく、特に女性の方で、主婦の方だとかなりの長時間、家を空けるっていうのは非常に大変なケースがあるんですね。ですから近くでやってもらえたら出れるんだけどという、こういうことも考える必要があり、その意味でも出来る限りサテライト会場を用意したいですね。
それからもうひとつは開催の曜日なんですけど、実は私、恥ずかしい話が放送大学に行ってからびっくりしたのは、放送大学は、土曜、日曜の方が忙しいんです。ウィークデーのほうが暇なんですね。ということは、私は今まで大体土曜、日曜なんてごろごろしてるのが常だったんですけど、勉強したいっていう人は、土曜、日曜に勉強してるわけですね。だから、仕事を持ってみえる方に出来れば土曜、日曜。放送大学の授業も土日型っていうのを始めることにしています。土曜、日曜ごとににずっと講義をするようなことを勧めます。
それから最後に、司会の方からもお話ありました、21世紀についての話ですけど、これは少々難しい話ですが、私が思うには、基本的には静岡県の文化は、静岡大学が引っ張っていくんだという、ここからすべては起こってくると思うんですね。ただちょっと極端な言い方をすると、「静岡県の文化が下降した時には、静岡大学の努力が足りない。」こういうことにもなるんじゃないかなあという気もするんですね。このような意味でも先ほどから申し上げているように、21世紀に向けてはやはり、自由な時間をもてる方や、高齢の方が増えるはずです。この人たちは地元の自分の周りの自然、文化、こういうものに非常に興味を持つ方が多くなるんじゃないかと思います。その人たちに大学のレベルから見て、そして一般の方の教養としてきめ細かく、分かり易くご説明頂きたいですね。
それからもうひとつ、今世の中のシンポが急速であることから、例えば専門の技術だとか機械的ないろんな問題に関して、先ほどから出ているように、先生方のレベルで、相手はこれぐらい分かるだろうというようなことで、比較的高いレベルで話をしてみえるケースが多いんじゃないかと思うんです。それを相手が分かるレベルまで下げて、皆さんに分かって頂いて、そういう人達の理解を深めていくという、これがこれからの望まれる方向じゃないかな、こんな気がします。」
司会
「どうも有り難うございました。どうぞ。」
永井
「今日は皆さんから貴重なご意見を頂きまして、大変参考になりました。まず厚く御礼申し上げます。今日いろんな方のご意見承りまして、また県立大学の実績等も拝見致しまして、静岡大学と致しましては、やはり最初に申しましたように、静岡大学は静岡大学なりに、そして地域に生きる大学としての認識を持って公開講座に対処すべきであるとの思いを強くいたしました。かつて第1回、確か昭和53年ですが、この時代には生涯学習なんて言葉はなかった。それに比べて現在は、非常に学習のチャンスが多く、私の住んでいる藤枝でも多くの公開講座が開かれております。私も努めていろんな講演に参加しておりますが、非常に多くの方がおみえになっております。最近言われる言葉では、知的大衆化時代があります。ただそうなってまいりますと、先ほどお話に出ておりましたけれども、実際に聴衆の方は多様化してまいりまして、年齢的にも多様化する、それから職業でも多様化する。従ってまたそれぞれに興味を持っておられる、関心のある部分が違う、それから理解力も違う。こういった中で行われているのです。ここで今反省してみますと、静岡大学のテーマっていうのは、いみじくも原先生が言われましたが、静岡大学公開講座は全学的な催しということで、各学部から出ていくんだっていうところで設定され、そういった中でテーマがつけられていった場合が多いように思います。まあこれからは、先ほど志田先生がおっしゃった、マンネリ化してはならんということを、十分肝に命じて、新しい発想の転換をして、もう一度今日のお話を吟味して、もう少しテーマにしましても絞る場合もある、それから非常に広げる場合もあるというような形の、もっと対応を広くお取り頂いたほうが宜しいんじゃないのかなあというふうに感じました。
それから今日、何も議論になりませんでしたけども、私いろんなところで退職しましてから、講座、講演等を聞くんですが、その時に出てくる陰ながらの声の中に、大学の先生ってのは真面目なのかどうか知らないけども、データだとかそういうようなものにこだわって、非常に細かい資料を頂くけれども、全体的には分かりにくいっていう。まあ私自身も長年教師をやってきましたから、確かにデータに忠実に嘘を言ってはならないっていうんで、非常にそういうことにこだわった。だから先ほど土先生がおっしゃった発展的な話とか、自分の個人的考え方というものをもっと強く持ってお話しする必要がある。これは特に理系の場合はなかなか難しいことではありますが、留意しなければならないと思いました。これに対して、真面目はよく分かるけれど、細かくてよく分からないっていうような、まあそういったことになる。もちろんこれは個人差がございますが、講演なさる方は講義テクニックと申しましょうか、この辺ももう少し反省したら…とそう思いました。ぜひひとつ本日の貴重なご意見を取り入れて、今後さらに発展していくいい公開講座を開いて頂きたいと思います。有り難うございました。」
司会
「どうも有り難うございました。若林先生。」
若林
「21世紀への公開講座はいろいろあるんでしょうが、私は松尾芭蕉が不易流行という言葉を使っているのでありますが、その言葉に最近非常に魅力を感じています。そうして事ある毎にそういう言葉を使わして頂いているわけですが、やっぱり公開講座っていうのは不易の部分があって、その中でいろいろ社会の変動に対していろんな事を考えて頂くと、そういうような公開講座になっていかないといけないんじゃないかなあと。ちょっと思いつきのようなことを話をしてですね、それでその場はお茶を濁しておいてやると具合が悪いんで、本当にひとつ公開講座をやって欲しいと。その為にやっぱり話したことについて責任を持つ為にはですね、やはり不易としての公開講座の内容っていうのをきっちりしてですね、そして皆さんの目からもひとつ見てもらうというような努力をすることが必要じゃないかというふうに思っているわけです。
そしてその次に、いろいろ問題はあるわけでございますが、やっぱり公開講座をやる以上はですね、多くの人々に聞いてもらわなくちゃいけないんだけれども、あんまり聴衆に媚びることなくですね、タモリであるとか、明石家さんまであるとか、ああいうような流儀じゃなくてですね、本当の面白みっていうのは何であるかっていうことを、学問を通じて理解して頂くような講座というふうに思うわけです。
まあいろいろあるわけですが、とにかく公開講座って言われるようなものは、どちらかというとその年暮らしであるわけですね。その年、今年やれば、来年は何を考えるって言ったら、来年になって考えりゃあいいっていうようなことであるわけですが、少なくとも2年先、3年先ぐらいのテーマ、それに登場する先生の名前はもう公表できるようなことをしておいて、準備をするぐらいのことが必要じゃないかなあ。それが21世紀の公開講座の、新しいあり方かなっていうふうに思ってるんですがどうでしょうか。頑張って下さい。」
司会
「どうも有り難うございました。」
土
「やはり静岡大学の特性を生かした公開講座をぜひやって頂きたいと思いますけれど、そのひとつとしては、理学の面で言うと、要するに先端科学の多くを静岡大学というのはそういう専門家を擁しているわけで、そういう先端科学をぜひ、一般の社会にわかるように講座を開いて頂きたい、そういうふうに思います。
それともうひとつは、そういう先端科学の中にもいろんな分野がありますけれども、宇宙のことを喋ってもいいし、それから太平洋のことを喋ってもいいし、日本全体のことを喋ってもいいのですけれども、必ずそういうものを、静岡県のために、静岡県の地域とか、静岡県のある本州の中部地域、そういうものとどういうような関わりがあるかということが分かるような喋り方と言いますか、そういうようなやり方をぜひして頂きたい。そうすれば静岡県の人にとっては、やはり静岡大学あっての公開講座だというふうに思われると思います。私は、講座の中心は大学のような雰囲気で、しかも設備の整った、そういう会場でやるのが一番望ましいと思うのです。いろんな所に行かなければならないとは思っていません。けれども必要に応じて、その一部が下田の端であろうと、あるいは北の端であろうと、西の端であろうと、何処でも行きますというつもりでやって頂いた方がいいのではないかと思います。」
司会
「どうも有り難うございました。原先生。」
原
「私は公開講座、いわゆる生涯学習の一環としての公開講座が20年行われ、それからまた静岡大学が50年を経過した。そしてこれからの21世紀を考えた時に、具体的提案としては、やっぱり原点に立ちかえるべきだと思います。つまり、先ほどのお話でも、生涯学習はもとは地域学習と言っていたということなのですが、結局、静岡大学の特性を考えた時に、その中核的な問題、率で言うと5割なり6割なりというものは、やはり地域の解明ということに大きな力を注いで欲しい。つまり静岡大学の持っている学問的力能で、地域を解明して欲しいと思うのです、これが、やっぱり一番地域の人々の関心を呼び、心を揺さぶるのではないかと思います。結局、地域学習ということの基本は、地域の魅力を引き出し、そしてそこに生きていく喜び、自信を持つことだろうと思うんです。これをアイデンティティーと言っているんですが、それが基本だと思うのです。ここをしっかりと抑えて欲しい。
そしてその上で、ひとつ具体的なテーマを出してみたいと思うんですが、例えば沼津に行くなり、あるいは西部の浜松に行った場合に、その土地の文化財について、これには史跡から美術、工芸、建築、名勝、天然記念物などを含むわけですが、これらについて目から鱗の落ちるような解明をやってもらいたい。これは静岡大学の人文科学、自然科学全般に通ずるわけですけど、これをやりますと、必ずや心揺さぶると思いますね。行く先々の地域をしっかり勉強し、そして静岡大学の力量を示して欲しいと思います。こういう企画がは急に決めるんじゃなくて、2、3年前に既に計画を立てて、そして人も配置されているというぐらいの先を見通した計画性、これが少なくとも21世紀のはじめの数年間は必要になるのではないか。そうすると、やはり結局最初にやったテーマに帰ります。富士山の問題とか、静岡の歴史であるとか、あるいは西部地域の特質であるとか、あるいは伊豆半島の特質であるとか。あるいは中部の特質であるとか、こういうところへ必ずいくはずです。これを先端的科学び現在における学問水準の最高の所で解明して欲しい。これであります。これが私の希望。以上です。」
司会
「どうも有り難うございました。3時間もあっという間に過ぎてしまいました。パネラーの先生から本当に貴重なご意見を頂きまして大変参考になりました。会場の皆様からも貴重な意見を頂戴しました。本当に有り難うございました。感謝申し上げたいと思います。ここで司会者っていうのは、今日の話をまとめるということですけども、ここで下手にまとめたら、今日の3時間をぶち壊しにしてしまいそうですので、私はまとめるということはしません。しかし一言だけ、感謝申し上げながら私達の決意を述べさせて頂きたい、一言ですけれども。
公開講座っていうのは結局、大学の顔色を表すのものだというふうに思うわけですね。二日酔いとか病気がちだと何か青白い顔色になる。従いまして、本当にいい公開講座にしようと思ったら、大学自身が健康で生き生きと輝かないといけない、というふうに思います。しかし自分だけが幸せになる、あるいは自分達が健康になる、自分達だけでは出来ないっていうことですね。やっぱり地域の皆さんと共に分け合うというところから、本当に自分達が輝くことが出来るんじ ゃないかというふうに、私はいつも公開講座とか生涯学習教育研究センターの原理というか、はそういうところにあるんじゃないかと。お互いに分け合うという意味で、今後とも皆様のご協力を宜しくお願いしたいと思います。今後とも皆様、ますますお元気でご活躍されますことをお祈りして感謝申し上げながら、今日のパネルディスカッション、シンポジウムを終わらせて頂きたいと思います。本当にどうも有り難うございました。」(拍手)
進行
「最後に生涯学習教育研究センター長より閉会のご挨拶をさせていただきます。」
センター長
「どうもパネリストの先生方、それからコーディネーターの中井先生、本当に長時間有り難うございました。実は私どもの生涯学習教育研究センターで来年度、要するに4月以降の公開講座の企画、運営、実施、その他諸々のことを行うことになっております。先ほどのご挨拶の中で申し上げたとおりでございます。私は中井先生の後を受けまして、その委員会の委員長をやらなければいけないということで、どのようにして現在の静岡大学の公開講座、それを次の世代に向けて発展させていくか、思い悩んでいたところが事実でございます。しかし今日はパネリストの先生方から、数々の苦言も含めて積極的なご提案を頂きました。又、会場からはたくさんのご提言を頂きました。例えば鈴木さん、それから志田さん、竹下さん、小泊さん、本当に有り難うございました。それぞれのご提言を私共は真摯に受け止めて、何か今までとは違うと。やっぱり静岡大学の公開講座はこうなのかというような企画等を立ててみたいと、何か私自身としましては今日は大変元気が出た1日でございました。本当にパネリストの先生、中井先生、それから会場の皆さん、有り難うございました(拍手)。どうも有り難うございました。」
進行
「以上を持ちまして、本日の公開シンポジウムを終了させていただきます。」
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