Reading Standard 23 Jun 1995
ニュースデスク:0734-575833                   レディング・スタンダード 1994.6.23.(水)

チャンピオンレーサー セナにちなみ道路を命名する動き

タイルハーストに彼の記念碑建立も検討中

タイルハーストの人々は、ブラジルのモーターレースの達人アイルトン・セナの名前の道路を持つことに大きな満足の意を表している。  セナは、彼のフォーミュラ・ワン経歴の初期にあたる、80年代前半の何年かを、チェルシー・クローズ11番地で過ごした。
 近所の人々ならびに町議会は、モーターレースの熱心な支持者であるデビット・スティールが提案する、ドライバーのい栄光の名を新しい道に付けようという意見を支持している。
 彼らは、セナがフォーミュラ・ワンの初期に住んでいた家に記念額を掲げることも考えた。
 3度ワールド・フォーミュラワン・チャンピオンを取った彼は、5月サンマリノグランプリで、悲劇的な衝突事故によってこの世を去った。
 その事が、レディング・イブニングポスト紙に掲載されて以来、セナを知るチェルシー・クロスの人々は、この新聞記事の切り抜きを貼ったプラカードを持ってこのアイディアを通そうとしてきた。

■アイルトンに敬礼──ベバリーとシェイソンのディドコック親子、アイルトンの野球帽を手に、スター・ドライバーのかつての家の前にて。(参 001587/94)

■アイルトン・セナ チェルシー・クローズに住んでいた隣人達の心に強く刻まれている。

手紙

 ウェイン・ラッセルさんは、セナがレディングを離れた後、彼が住んでいた11番地に引っ越してきた。そして、ドライビング・エースのために手紙の山を転送しなければならなかった。「私は全ての彼宛の手紙を転送しなければならなかったが、今でもなお、アイルトンのレーシング仲間のクリスマスカードが来るんだよ」。
 ラッセルさんはナイジェル・マンセルのファンだったのだが、セナがタイルハーストを離れた後も、友人達と一緒にセナのレースを見に行ったものだった。
 「チェルシー・クーウズの隣人たちは、タイルハースト時代のセナをしのび、ドライバーとしての業績を讃える記念碑を作ることを考えていた」と彼はつけ加えた。
 「何といっても、レディングにあまり有名人たちは、住んでいなかったということさ」。
 エルスレイ・ロードのジョンソン・ディドコック君は、その時のセナからの特別なお土産を持っている。彼の家族は、物静かなスターの隣に、住んでいたのだ。
 彼の母親であるビバリーさんは、ポスト紙に次のような話をしてくれた。「アイルトンは、ジェイソンをとても気に入ってくれたわ。そして彼は、今も息子が持っているけど、ジョン・プレーヤー・スペシャル(セナの乗ったレーシングカーのスポンサー)の帽子を、ジェイソンにくれたのよ。
 それから、ジェイソンはセナの大ファンになったの。彼が死んでしまったとき、私達はすっかり困惑してしまったわ。」
 チェルシー・クローズ3番地に住んでいたダウン・グリーンさんは、アイルトンが近所の子ども達とかかわるよう、いつも努力していたのを覚えていると述べている。
 彼女は言った。「その子供たちは、もうアイルトンを敬愛していたの。彼はよくビクトリアパークを、ノーコットロードに向かってジョギングしていて、子供たちは、よく彼と一緒に走っていたものですよ」。
 「彼は、ここで私たちみんなと時を過ごしたのです。彼は、真の紳士でした。」

アイルトンは、偉大で、──とても人気者

レイ・ホーキンスさん(57歳)は、セナが住んでいた場所の向かいに住み、ブラジルのエースとある共通点を持っている。「私たちはどっちも生活のためにクルマを運転してた訳だ」ヒーラス・デパートの配達員のレイは言った。
「アイルトンは偉大なやつで、──そしてとても人気者だったよ」
「彼はいつも近所の人たちに一言声をかけていたし、本当に私たちの一員だった。」
「私の兄は一度ここへ来たことがあり、家の前の道に駐車したんだ。」
「彼がバックで出たとき、私は何が起こったのかわからなかった。反対側にセナのアルファロメオが止まっているのが見えなかったんだ。」
「彼はまともにそれにぶつかり車の側面に大きなへこみをつくってしまったんだ。」  「セナにそれを告げると、彼はただ「大丈夫、心配ない、何とかするさ」と言っただけだった。
 レイは、3年前に行われたイギリス・グランプリのセナのレースを見に行っていた。「彼は最高のレーサーだった」とレイは言った。


以上の翻訳は次の諸君にやってもらいました。
Special Thanks to;
川村康太、町田知絵、西尾元秀、長谷川晃子、藤原弥生、保坂美英子、西明子、西村朋子、佐藤美穂、白石亮一、須又英典(敬称略)

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