ジェロームを
おいかけて

 さて、『ボートの三人男』の文庫本と地図を片手にジェロームの跡を追いかけていて、驚き、感心し、また時にあきれるのは、百年以上前に書かれた場所がほとんどそのまま宿屋やパブにいたるまで残っているということだ。ウォーグレイヴのジョージ&ドラゴン亭 (5)も、ストリートリーのブル・インも、ジェロームがこの小説を書いたと言われるクリフトン・ハムデンのバーリイ・モウもみな現役で営業している。とはいえ、さすがに一世紀余りの年月はテムズ河畔の様子を変える。河にのぞむ街並は変わったろうし、河畔のマナーハウスはホテルになったり、領主からナショナル・トラスト (6)に持ち主が代わったりした。一番変わっていないのはあるいはイギリス人の気質なのかもしれない。J氏にみられるように、シニカルなのに激情家、独善的でありながら自虐的、観察眼が鋭いと思えば偏見のかたまりといった具合に。また彼は仕事についてこんな風に言う──「一体ぼくは、いつも働くべき分量以上に多く働いているような気がする。誤解しないでほしいが、ぼくは仕事が嫌いだという訳ではない。ぼくは仕事が大好きだ。何時間も座りこんで、仕事を眺めることができる位なのだ。ぼくは仕事をそばに置いておくのが好きで、仕事から引離されるなどということは、考えただけでも胸が痛くなる」。こちらに住んでみると私はどうもガイドブックやイギリス本で書かれている英国気質より、ジェローム・K・ジェロームの描く人物像に合点がいくし、魅かれもするのである。
 あ、そうそう、そういえば日本に関してジェローム氏はこんな‘予言’もしている。「...道傍の宿屋で現在つかわれている青と白のビール用のコップは、何百年か後すっかりひびがはいった状態で掘り出され、その重さと同じだけの金と引換えに売られて、富豪たちはそれで葡萄酒を飲むことになろう。「ラムズゲイト土産」や「マーゲイト土産」は、無疵なままで掘り出されたら、日本からの観光客がみんな買い上げて、古代イギリスの骨董品としてエドへ持ち帰ることになる訳だ...」と。日用品も時が高価な骨董に変えるのだと説くこの場面で、なぜか唐突に日本が (7)出てくる。現在の英国における日本人観光客の多さといくらかのアンティーク趣味、そして何よりその金離れのよさを眺めると、冗句として書かれたはずのこの予言は的中と言ってよいのではなかろうか。ジェローム・K・ジェロームの確かな歴史認識と鋭い観察眼が未来を見通したのか、はたまた荒唐無稽をねらって飛ばした与太話にたまたま歴史の皮肉が微笑んだのか、私にはわからない。

(1) 引用はいずれも丸谷才一訳の中公文庫版より。
(2) Ye Olde Bell 自己申告を信じれば、英国最古の宿屋とのこと。
(3) Listed 日本で言えば「文化財指定」にあたるのだろうか。民家がListに載ると、持ち主はへたに家を掃除することもできなくなるらしい。
(4) Lock テムズ名物の水閘、のんびりとした船のエレベーター。水門weirで河をせきとめ、もともと緩やかなテムズの流れをさらに平坦にする。そのままでは船が通れないので水門の端に流れを導き、2つの扉を開けたり閉めたりして水の高低を調節し船を通すのである。マーシュ・ロックやカバシャム・ロックと言っても、8ビートなどではなくゆっくりとしたワルツである。
(5) ジョージ&ドラゴン亭 現在はハーヴェスターというチェーンに買収されて味気ない看板になってはいるが。
(6) 領主からナショナル・トラストに... 例えばCliveden。J氏が道中のテムズ河畔で最もスペクタクルな場所と絶賛したクリーヴデンも、現在では、本の出版とほぼ同時に発足したナショナル・トラストの持ち物である。ちなみにイングランドでは、眺めがうんと良い場所や極めつけの美景にはだいたい一般人は近づけません──だって個人が所有してるんだから──ナショナル・トラストの所有地を除いては。
(7) 唐突に日本が... 1862年ハイドパークで開かれた万国博覧会をきっかけに起こったというジャポニズムの影響なのか、あるいは執筆中だったであろう1885年にロンドンを賑わした「日本風俗博覧会」(いわゆる「ロンドン日本人村」)の評判を聞いたのか、いずれにしても唐突な感じは拭えない。「日本人村」にしても、記録によればエキゾティックな異文化の展示というより野蛮人の風俗習慣の見世物といった趣だったらしい。こうした時代にジェローム氏がこのような文章を書き残しているのは、やはりなかなかなものだと思う。
英国暁星国際大学編『英国へ行こう』所収
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